Dagoo

ダ・グー

17.意外な接触

秋葉原のボロプレハブ小屋で契約してから、何ヶ月が過ぎただろうか。
ダグーからは、未だ何の連絡もない。秋吉は諦めつつあった。
あれから一度も、例の小屋へは足を運んでいない。
自分が行ったところで何も出来ることは、なさそうだった。
それに、あの小屋にはランカがいる。秋吉は彼女を苦手に思っていた。
学校へも行っていない。
自分を虐めた三人がいると考えるだけで、激しい嘔吐に見舞われた。
両親は相変わらず、不登校について何も言わない。
何故、不登校になったのかすら聞いてもくれない。
自宅も所詮、自分の居場所ではなかったのか。
その日、秋吉は家族にも行き先を告げずに家を出た。


お気に入りの書店を覗いてもゲームショップに入っても憂鬱な気分は抜けず、気づけば、ふらりと汚い雑居ビルの階段を登っていた。
普段なら立ち寄ろうとも思わない場所だ。
ただ、その日は何となく上から街を見下ろしたくなった。
ビルには何の事務所も入っていないのか、全くといっていいほど物音が聞こえない。
聞こえるのは階段を登っていく自分の足音だけだ。
階段を登り詰めた先には、屋上へ出るドアが待っていた。
ノブを軽く回すと、キィと小さな音がして、あっけなく開いた。
まさか開くとは思っていなかったので、秋吉は少し驚いた。
だが、屋上に出なければ街を見下ろすこともできまい。
そう思い直して、屋上へ出てみる。
雑居ビルに相応しい、灰色の地面が広がる空間だった。
当たり前だが、誰もいない。たった一人だ。
だというのに、秋吉は不思議と開放感を覚えてフェンスに掴まる。
フェンスの隙間から見える地上は、建物が密集していて汚らしく見えた。
「こーんな街。なくなっちゃえばいいのに」

ふと、思った。
自分は何故、この街にしがみついて生きていかなきゃいけないんだろう、と。
学校にも家にも、味方なんて一人もいない。
裏サイトが嘘なのは明白なのに、友達は全員離れていってしまった。
両親は何も言わないけど、学校へ行かない秋吉を内心では厄介に思っているはずだ。
お気に入りの場所は、いくつかある。でも、そこに親しい人の影はない。
一番消え去ってしまえばいいのは、自分だ。

そう思った瞬間、涙は秋吉の両目からこぼれ落ち、ズボンに幾つものシミを作る。
僕は、どうして生まれてきてしまったんだろう。
どうして、虐められるようになってしまったんだろう……
「お前、泣いてんのか?」
予期せぬ場所で、聞き覚えのない声に話しかけられて、秋吉は心底驚き、慌てて振り返る。
涙を拭くのも忘れていた。
振り返った先に立っていたのは、自分とそう背丈の変わらない少年だ。
髪の毛を逆立てていて、目つきも悪く、やや不良がかった印象を受ける。
誰だろう。
地元では見たことのない顔だ。無論、学校でも。
じっと無言で見つめる秋吉へ、少年がもう一度話しかけてきた。
「お前、ここで何してたんだ。まさか飛び降りに来たんじゃないだろうな?」
「ち、違うよ」
ぶんぶんと首を振り、秋吉も答える。
「街を、眺めてみたくなって。ごめん、もう帰るから」
少年の側をすれ違った瞬間、彼が小さく呟くのが聞こえた。
「……あいつの気配?いや、残留気配か」
かと思えば「おい、ちょっと待て!」と呼び止められ、肩を掴まれる。
強い痛みに顔をしかめる秋吉にもお構いなく、少年が尋ねてきた。
「お前、ダグーの知りあいか?」
「だ、ダグー、さんっ?」
これまた予期せぬ名前が飛び出して、秋吉は今度こそポカーンとなる。
「そういう君こそ誰なの?」
質問に質問で返す秋吉へチッと反射的に舌打ちを漏らしたものの、少年は割合素直に名乗りをあげた。
「白鳥直輝。お前は?」
「あ、うん……緑秋吉っていうんだ……よろしく」
何をヨロシクすればいいのかは判らないが、一応付け足してみる。
白鳥は秋吉の社交辞令を軽くスルーし、最初の質問に戻った。
「で、緑。お前はダグーの知りあいなのか?」
「知りあいっていうか……」
もごもごと滑舌悪く、秋吉が答える。
「頼んだんだ、イジメっ子を退治してって」
「いじめっ子の退治?」
白鳥は怪訝な表情を浮かべている。無理もない。
「うん」と頷くと、秋吉はこれまでの経緯を語った。
秋葉原でプレハブ小屋を見つけて、ダグーと名乗る男に依頼した。
自分を虐める連中に仕返しをして欲しいと。
ダグーは一万円で依頼を引き受けてくれたが、それ以降、音沙汰なしだ。
「一度様子を見てこよう、とは思っているんだけど……なんか、催促するのも悪いかなぁと思って」
ふん、と鼻を鳴らして白鳥が意地悪く言う。
「忘れられちまってんじゃねーのか?」
「そっ、そんなことないよ!」
思ってもみないほどの激しさで、言葉が秋吉の口を飛び出す。
「きっと難しいだけだよ、手こずっているだけなんだ!」
叫びながら、秋吉は自分でも驚いていた。
とっくに諦めたはずなのに、僕はまだダグーさんに期待していたのか。
「お前、底抜けのお人好しだな」
クッと白鳥には笑われる。
お人好しだと言われたのは、ダグーに次いで二回目だ。
だが、ダグーと違って白鳥の言い方には棘があった。
ムッとなり、秋吉は肩に置かれた彼の手を振り払おうとしたのだが、白鳥はがっちり掴んでおり、そう簡単には振りほどけない。
「き、君こそダグーさんの知りあいなのか?」
「まぁな」
にやりと笑い、白鳥が言う。
「俺の今通っている学校にいるんだよ、ガードマンとして」
「学校?学校って、まさか常勝学園?」
「なんだ、知ってんのか?」
眉をひそめた相手へ、勢いよく秋吉が頷く。
「僕も同じ学校だ!」
言ってから、ハッとなる。
ついタメグチで話しかけてしまっていたけど、先輩だったら、どうしよう。
また虐められてしまうんじゃ……?
「へぇ」と口の端を歪め、白鳥がまじまじ見つめてくる。
「それにしちゃあ、見たことのない顔だよな。何年だ?」
「い……一年、です」
ビクビクする秋吉に、だが白鳥はそれ以上の追及をせず、話を学校からダグーの件へ戻した。
「どうなんだ?お前から見たダグーってのは。あいつは、どういう性格だと思う?」
ホッとした反面、結局相手が先輩か同学年か判らず秋吉は困惑する。
しかし白鳥が答えを待っているようなので、急いで答えた。
「優しい人……かな?うん、話していると落ち着くっていうか。この人になら、なんでも話したくなるって感じたよ」
実際には途中で泣いてしまって、最後まできちんと話せなかったけれど。
もし、あそこで泣かないでいられたら、全てを吐き出していたと思う。
つらい気持ちや悲しい気持ち、誰かに受け止めて欲しい自分の気持ち全てを――
「ま、お前の悩み相談を一万チョイで引き受ける奴だからな。そりゃあ、お優しい奴だろうよ」
白鳥が肩をすくめた。
どうも、この少年の言葉や態度には、いちいち棘がある。
ダグーとは対局にいるような少年だ。
「だが、そのお優しい奴が何でお前に全く報告してこないんだろうな」
「そりゃあ、仕事がまだ終わっていないから」
「そりゃそうだろ」
ニヤリと口元を歪ませて、白鳥が次に放った言葉は。
「俺が見た感じ、あいつはイジメの退治そっちのけで別の仕事に忙しいみたいだったぜ」
繊細な秋吉少年の心に、激しい混乱を生み出した。

肩を解放されても、秋吉は白鳥から完全解放といかず、そのまま雑居ビルの屋上で話し込む。
「別の仕事って、そんな、どうして?」
あからさまに動揺の色を見せる秋吉に、白鳥が素っ気なく返す。
「そんなの俺が知るかよ。ガードマンの仕事が楽しくなっちまったんじゃねぇのか?」
そんなわけ、ない。
ちょっとしか話さなかったけど、ダグーはそんな不真面目な人じゃない。
背中を撫でてくれた時に感じた安らぎは、偽物の優しさではなかった。
――もしかしたら。
脳裏にピンと閃くものがあって、思わず秋吉は口に出して呟いた。
「もしかして、学校で何かあったんじゃ……」
何かとは何だと聞かれても、秋吉にも判らない。
ちらと白鳥を一瞥すると、彼は驚いたような感心したような顔を見せていた。
「やっぱり、何かあったの?」
恐る恐る聞いてみると、彼は不敵な笑みを崩さず頷く。
「まぁな。だが、こいつはお前も知っているんじゃないのか?」
「あっ……え、っと」
秋吉は説明した。
自分が今、学校へ行っていないことを。
その理由がイジメにあると話すと、白鳥には「弱虫が」と真っ向から罵られた。
「虐められたから何だってんだ?やられたら、やりかえしてみろ」
極めて正論だ。だが、秋吉は黙って項垂れるしかない。
「そんなの、無理だよ……」
そんな勇気があったなら、とっくにやっている。
それが出来ないから、不登校になったのだ。
「そ、それより」と先ほどの続きを促すと、白鳥も答えた。
「あぁ。窓ガラスが突然割れたり不審者が入ってきたりしてるらしい。こないだなんか、廊下の壁が吹っ飛んだんだぜ。学長や教師の話じゃ、テロリストの仕業じゃねーかって話だ」
開いた口がふさがらなくなるのは、予想外の展開が待っていた時だ。
てっきり学内暴力程度の騒動だと思っていた秋吉は唖然とした。
「ダグーは、それに関わっているみたいだぜ」
「えっ!?」
驚く秋吉を愉快そうに眺め、白鳥がフェンスに寄りかかる。
「窓ガラスを割ったり、三階の校舎から飛び降りて逃走する不審者と真っ向からやりあっているみたいだ。どうだ、心配になってきたか?」
秋吉は何度もコクコクと首を振る。
ダグーが常勝にいるのは、秋吉の頼んだイジメ退治を片付ける為だろう。
それが原因で今の状況に陥っているとすれば、自分にも責任がある。
「なら、会いに行ってみるか?」
学校は嫌だ。今でも行きたくない。
だが、そんな我が侭を言っていられなくもなってきた。
あの依頼のせいでダグーが窮地に陥っているなら、僕が何とかしなきゃ。
「う、うん。行く」
白鳥へ答えながら、自分に勇気があったことを秋吉は自分でも驚いていた……


秋吉が白鳥に説得を受けた同刻同日。
龍騎に呼び出され、雪島と森垣が彼の家に集まっていた。
同じ部活に所属している三人は学校が休みの日も、よく遊んでいる。
龍騎と雪島は同学年、クラスが同じだった事もある。
森垣は雪島経由で龍騎と親しくなったクチだ。
だが、この日の龍騎は深刻で、暢気に遊べる状況ではなかった。
「虐める?白鳥を」
素っ頓狂な声を出し、雪島は龍騎に「しっ」と諫められる。
「人聞きの悪いことを言うなよ。虐めるんじゃない、一日入部させるんだ」
「そんで、地獄のしごきをつけてやるんスね」
ヘヘッと森垣が笑う。
「また素っ裸に剥いて、掲示板に貼り付けてやりますか?」
「それだけじゃ足りないな」と、龍騎も顎に手をやり思案する。
本日、二人が呼び出された理由。
それは、白鳥を虐める算段であった。
奴を立ち直れないほど痛めつけようという、龍騎からの相談だ。
転校生の噂なら、森垣も聞き及んでいる。
あっという間に二年の女子を虜にし、今や龍騎に匹敵するほどの人気者だとか。
しかも、彼を支持しているのは圧倒的に女子ばかり。
学園のアイドルたる龍騎が奴を気にするのは、当然だろう。
ここのところ学校をサボりがちだった雪島も、転校生の存在は知っていた。
だが森垣や龍騎から話を聞くまで、そこまで人気になっていたとは知らなかった。
「蔵田って警備員より上?」
不意に思いついて尋ねる雪島に、森垣と龍騎が「蔵田って?」とハモる。
モテモテ警備員の噂は、この二人の耳に届いていないようだ。
「あ、なんでもない」と、雪島は前言撤回し。
何事もなかったかのように、龍騎が話を進めた。
「裸にするだけじゃ、二番煎じでインパクトに欠けるな。裸にした上、四つんばいで這い蹲らせた後、尻に竹刀でも突っ込むか」
さわやかなイケメンルックからは想像もできないほど外道な発言が飛び出すも、主将の裏の顔に慣れている森垣は、あっさり賛成した。
「それ、いいですね!あと、奴は女にモテモテなんすよね?だったら合成写真でホモにしちゃうっての、どうでしょう」
森垣が龍騎と二人でゲスな話題に興じる中、雪島は、一人ぼんやり考えていた。
――なんで俺、急に蔵田の話題なんか二人に振ったんだろ?
あれから何度も忘れようと努めてきたはずだった。蔵田の存在を。
一旦思い出したら、封印したはずの感情までもが一気に流れ出る。
彼は今、何をしているんだろう。
学校は休みだから、警備員の彼も休みのはずだ。
家でくつろいでいる?ご飯を食べている?
それとも、彼女とイチャイチャしている……?
突然締め付けられるような胸の痛みを感じ、雪島は自分の胸を手で押さえる。
もうずっと何回も感じている痛みだ。
蔵田の姿を想像するたび、雪島は急激に蔵田に会いたくてたまらなくなった。
これまでは脳裏に浮かぶたびに嫌だ、気持ち悪いと思っていたはずなのに。
壁の工事が終わって学校が始まったら、彼へ会いに行ってみよう。
下校の時刻になれば、警備員は用務員室に待機する。女子の噂で知った情報だ。
「――おい、聞いているのか?雪島」
龍騎に肩を揺さぶられ、ハッと我に返る。
「あ、あぁ、うん。聞いてるよ、白鳥をやっちまうんだろ?」
上の空で答える雪島を龍騎と森垣は眉をひそめて眺めたが、ひとまず龍騎が念を押した。
「いいか、学校が始まったら一番にあいつを取り押さえるんだ。時刻は放課後、連れ込む先はプール横の更衣室だ」
プールの横にある更衣室は、今は水泳部も使っていない。
あそこなら誰にも邪魔されないし、教師に見つかる確率も低かろう。
再開一日目は部活もないし、と龍騎の話はまだ続いていたのだが。
雪島の意識は蔵田と会った後の妄想に飛んでいて、話をまるっと聞き流した。


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