Dagoo

ダ・グー

14.人間なのか

深夜の屋上は肌寒く、冷たい風が吹きつけてくる。
だが魔族の連中は寒さなど物ともせず、ダグーを手すりの側に立たせた。
「さて……時間がありません。さっさと終わらせて帰しましょう」
クローカーに躙り寄られ、後退しようとしたダグーの背中に手すりが当たる。
四階建て校舎の屋上だ。落ちたら、よくて大怪我、打ちどころが悪ければ死ぬ。
さりとて、正面には魔族が三人。三対一では、とても勝ち目がない。
「観念しろよ」
ダグーの表情から怯えを見てとったか、白鳥が、そんな事を言う。
鼻息を荒くして、キエラも猫なで声で話しかけてくる。
「大丈夫だよ、痛くしねーから」
三人のうち誰かを突き飛ばして、隙をねらって脱出するというのは?
駄目だ。たとえ一人ひるんだとしても、残り二人が逃がしてくれまい。
頭の中で計算し、ダグーは逃げる作戦を諦めた。
それよりは時間を稼いで、皆が追いついてくれるのを期待するしかない。
「魔力を取るって言っていたよね、一体どうやって?」
「簡単です。手をかざすか、或いは肌の接触で吸い取るのです」
「肌の接触……?」
ぽかんと呆けるダグーの前に、ぬっとキエラの顔が出現する。
顔の近さに思わず「近っ!」とドン引きするダグーなどお構いなしに、彼が言うには。
「いっちゃんポピュラーな方法としちゃ〜キスだよな」
「それは君がしたいだけなんじゃぁ……」
引きまくりながらもダグーが一応突っ込むと、白鳥が間髪入れず肯定する。
「吸い取るって意味でなら、そいつが一番やりやすいのは確かだ」
ただ、とも付け加えた。
「俺は男とキスする趣味なんざねぇがな」
「俺だって同族の男だったら、お断りだよ?」と、キエラ。
「なんつーか、こいつが相手だと、したくなっちゃうっていうか……一目惚れっていうか?めいっぱい愛してあげたくなっちゃうってゆーか!」
男が拳を口元に押しつけて、首をふるふるしたって気持ち悪いだけである。
「そんなに魅力的ですか?」
クローカーもダグーを覗き込もうとしてきたが、白鳥が止めた。
「やめとけ。あんま、そいつの顔を間近で直視しない方がいい」
「それは、どういう意味ですか?」
クローカーは首を傾げ、キエラが憤慨する。
「マジどーゆー意味だよ!?こ〜んな愛らしいってのに!」
力説するキエラを軽蔑の眼差しで一瞥し、白鳥は鋭い眼光をダグーへ向ける。
「タイプは違うが、そいつは俺と似た能力を持ってやがる。気をつけろよ。見つめ合ったらクローカー、お前でも魅了されちまうぜ」
白鳥を見、ダグーを見、最後にキエラの様子を見てから、クローカーは呟いた。
「魅了?あなたと同じ能力を彼も……なるほど、それでキエラは」
「そういうこった」
二人だけで判った顔で頷きあっていて、ダグーとキエラは蚊帳の外だ。
いや、蚊帳の外でもキエラは全く気にしておらず、ダグーにキスを迫ってくる。
「ま、そんなこたどうだっていい。さっさとチュ〜しようぜ」
「い、いや、ちょっと待って、キス以外にも方法があるんじゃないの?」
迫るタコ口を両手でぐいぐい押しのけて、ダグーは必死の抵抗を試みる。
無言の白鳥に代わって、クローカーが答えた。
口元には、うっすら笑みを浮かべて。
「他の方法もあるにはありますが、痛い目を見てもらうことになりますよ」
「い、痛いの……?じゃあ、お断りします」
ダグーはキエラの肩越しに、ちらりと階下へ続く階段を見やる。
犬神達は、まだ到着しないのか。
まさかと思うが、見当違いの場所を探しに行ってしまったのか?
ダグーの視線を追って、白鳥が吐き捨てた。
「援軍到着の時間稼ぎか?くだらねぇ真似してんじゃねぇよ。おい、キエラ。やるなら、さっさと吸い取っちまえ。いつまでも遊んでいるんじゃねぇぞ」
そのキエラだが、さっきから蛸のように口を伸ばして迫ってはダグーに全力で押し戻されて押し返す、といった攻防を繰り広げている。
「そ、それができれば、さっさとしているって」
「いっそ押し倒してしまったら、どうです?」
意見は出すものの、クローカーも白鳥も手を貸す気はないらしい。
「け、結構パワーあるんだよ、こいつ」
グググッと迫っては、またしても両手で顔を押し戻されて、とうとうキエラもブチキレた。
「だーっ!抵抗するんじゃねーっての、痛くしねーっつってんだろ!?」
「だ、だってキスは、ちょっと……」
全然知らない人、いや知らない魔族といきなりキスは、ご遠慮願いたい。
「平気平気、ちょっと唇が重なるだけだから」
判っているんだか判っていないんだか、全然こちらの気持ちを理解していないキエラは脳天気に笑う。
「キスじゃなくて吸い取られる儀式だと思っえばっ、大・丈・夫!」
ぐいぐい性懲りもなく迫ってくる顔面を、ダグーは両手で力一杯押し戻す。
「全然大丈夫じゃ、ないっ、よ」
「なんだよー、そんなに駄目か俺?タイプじゃない?傷つくな〜」
「そういう問題じゃないんだって」
「どういう問題だよ?」
「俺を本当に好きな人とじゃないと、嫌なんだ……」
「じゃー大丈夫、俺はお前が大好きだから!」
鼻息荒く血走った目で見つめられても、全然真実味というものが。
それに先ほどの白鳥の言葉を借りるなら、キエラはダグーの魅了だか何だかに惑わされているだけなのでは?
「あぁ、もう、抵抗するなっての!」
何度目かの押し戻しに、とうとうキエラが禁じ手を使う。
両手でもって、唐突にダグーの脇の下をくすぐってきたのだ。
「そーれ、コチョコチョコチョッ」
「あひゃひゃひゃ!?」
「コチョコチョコチョコチョ!」
反則技の前に力の均衡が破れ、ダグーは勢いよく押し倒された。
頭を床にぶつけて呻く暇もなく、片手で喉を絞められ息ができなくなる。
「かはッ!!」
「……お前が悪いんだぞ?大人しくキスさせてくんねぇから」
ダグーに跨った格好で、キエラがにやりと意地悪く口の端をつりあげる。
「ちょっと気を失ってろ、その間に済ませてやる」
かすむ視界でふりほどこうと、ダグーはキエラの両手に掴みかかる。
上に乗られているのでは分が悪い。おまけに、なんという握力だ。
片手だというのに、首を絞めてくる力が半端ない。
呼吸できない苦しさで、どんどんダグーの意識が遠のいていく。
「おい、調子に乗って殺すんじゃねぇぞ。人間ってやつは俺たちが考えているより、ずっと脆い生き物だからな」
白鳥の忠告にもキエラは笑った。
「なぁ〜に、殺しゃしねーよ。ちと気絶させるだけだ。ったく、抵抗しなきゃ痛い目にも苦しい目にも遭わなかったのに」
――嫌だ。
こんな奴に力負けして、無理矢理、事を進められるなんて絶対嫌だ。
犬神達は、まだか?足音すら聞こえてこない。
喉を絞めてくる手の力が、どんどん強くなる。
とっくに抵抗する気力は失われていた。
死がダグーの脳裏をよぎる。
嫌だ。
死にたくない。


こんなところで、まだ死にたくない――!


ダグーの目が白く裏返り、気絶したと思った時点でキエラに隙が生じる。
その隙をついた、一瞬の出来事であった。
身構える暇もなくキエラの体が宙を舞い、昇降口まで吹っ飛ばされた。
「キエラ!?」
慌ててクローカーがキエラに駆け寄り、抱え起こす。
同じく虚を突かれたクォードは「何ッ!?」とダグーを振り返り、そして見た。
自由を奪い返したダグーが、ゆらりと立っているのを。
いつの間にか服を着ておらず、全裸となって、白くぼんやりと輝いていた。
光って見えるのは、魔力が体を包んでいるせいだ。
すさまじい魔力がオーラとなって、体中から吹き出ているのだ。
魔力は人間の目には見えないが、魔族のクォードだからこそ認識できる。
「こいつ……!」
クォードの額を汗が伝う。
階下で会った一番強い奴ほどじゃないが、魔力の放出は侮りがたい量だ。
そればかりじゃない。
ダグーの肉体にも、変化が起きていた。
全身が灰色の長い毛で覆われ、両手には鋭い爪が生える。
鼻は長く突き出し、それに併せて口も裂けていく。
まるで犬、或いは狼のような耳が、頭の上にピンと立つ。
尻には、ふさふさとした尻尾が垂れ下がった。
クォードが呆然と眺めている間にも、ダグーの変身は完了しつつあった。
「こいつ、一体……!?」
教室のあちこちに残っていた魔力の残り香。
それらは全て、こいつの物だった。
魔族でも人間でもない全く未知の気配を感じ取り、仮に異質と位置づけた。
だが、ここまで異質な存在だとは思いもしなかった。
「お、おい、お前……お前は一体なんなんだ。狼……なのか?」
クォードが話しかけるのと、昇降口の扉が荒々しく開かれたのは、同じタイミングで。
「――ダグーさんッ、ご無事ですか!?」
息を切らせた犬神らが、ダンゴ状態で転がり込む。
すぐさま彼らの視線も、屋上に立つ異質な者へと向けられた。
「な、なんだ、あれは!?」
普段は何事にも動じない佐熊でも、さすがに予想外の怪物の出現には青ざめる。
彼を押しのけ、犬神が叫ぶ。
「おいっ!お前ら、ダグーさんを何処へやったんだ!?彼を返せ!!」
「ダグーなら」と答えたのは、昇降口の脇に座り込んだキエラだ。
「お前らの目の前にいる、あれが、そうだよ……」
「あれが、だって!?」
信じられない。
目の前にいるのは――そう、二足歩行の狼だ。
いうなれば、狼男だろうか。
しかし、そんなものが現実にホイホイいてもらっては困る。
狼男なんてものは、神話かフィクションでしか存在しない生き物だ。
「ダグーさん!あなたは、本当にダグーさんなんですか!?」
犬神が狼男へ呼びかけるも、狼男は全くの無言で、こちらを見ている。
何を考えているのか、瞳は爛々と輝いていて、口元からは涎が滴っていた。
どこをどう見ても、ダグーには見えない。
そればかりか、言葉が通じているのかどうかも判らない。
「ったく、冗談じゃねぇぜ」と、ぼやいたのは御堂探偵。
「狼男ってなぁ日本全国津々浦々、どこにでもいるようなシロモンなのかよ?」
「日本じゃ滅多に見かけないと思うけど」と相づちを打ったのは笹川だ。
肩をすくめ、こうも続ける。
「奇妙な気配を彼から感じると思ったら、こういうオチだったとはねぇ」
「何を落ち着いているんだ!狼だぞ、狼男だぞ!?」
泡食った佐熊が指をさす横では、犬神も一歩退いた状態で身構えた。
「僕たちが夢を見ているんじゃなければ、あれは本物――なのでしょう」
「ま、本物だろうね。魔族の連中も驚いているようだし」
笹川に顎で示され、クォードは頷いた。
「あぁ、存分に驚かされたぜ。まさか、人間じゃない奴が人間の皮をかぶって紛れ込んでいたとはな」
その言葉に、ぴくりと狼男の耳が反応する。
くぐもった声が、口から漏れた。
『俺、は……』
途端に「えっ!?」だの「しゃべれるのか!」だのと場が騒然とする中、狼男は、もごもごと口を動かす。
『俺は……狼男じゃない』
視線はまっすぐ、犬神を見つめていた。
「いや、狼男だろ?鏡見ろよ、狼男が映ってっから」
即座に御堂が呆れ顔で突っ込み、佐熊も怒鳴った。
「お、狼男じゃなかったら、何だっていうんだ!?その鼻!その口!その耳、その尻尾、その尖った牙、爪!!どこからどう見ても、狼男じゃないか!化け物じゃないかッ」
ぽつりと狼男が返す。
『違う……』
「何が違うっていうんだ!?」
佐熊の問いに、ふるふると首を悲しげに振り、狼男は言った。
いや、叫んだ。
『俺は……俺は化け物じゃない!俺は、アーティウルフだッ!!』
叫んだだけではなく、屋上から一気に飛び降りた。
「ダ、ダグーさんっ!?」
全員手すりに駆け寄って、さらに、とんでもない物を目撃する。
なんと、飛び降りた狼男が着地寸前で更に姿を変えたのだ。
すたっと着地した時には、狼男は一匹の完全な狼になっていた。
灰色の狼は空を見上げ遠吠えを一回すると、後は振り返りもせず一目散に走り去っていった。
「あ……アーティウルフ、とは?」
犬神の呟きにも、誰も答えられない。
誰もが目の前で起きた珍事に、呆然としていた。
魔族退治のつもりがダグー誘拐に替わり、最後は狼男の出現だ。
肝心の依頼主は、狼になって逃走した。
「夢、じゃねーよな?あ、いてッ」
キエラは自分で自分の頬をつねってみたが、痛いだけだった。
ふと、我に返ったように佐熊が仕切り直す。
「だ……ダグーさんは、いなくなってしまったけど。お前達を逃すわけにはいかないな。ここが年貢の納め時だ」
だが「いいのですか?」とクローカーが聞き返してくる。
「いいって何がだ」と質問に質問で返す佐熊へ、魔族は目を細めた。
「彼を放っておいて、いいのですか?ダグーは混乱していました。あなた方が存在を否定したせいで」
「や、だって、ありゃあ、あいつが妙なことを言うから」
御堂の言い訳には聞く耳持たず、クローカーが話を締めくくる。
「あのまま放っておけば、どのみち大騒ぎになりましょう。狼が街をうろつくのは、人間にとって好ましくない事態……ダグーが猟銃で撃ち殺されてしまっても、よいのですか?」
「よくない!」
途端に身を翻し、犬神が昇降口へ走り出す。
そいつを止めたのは御堂だ。
「待て、今から走って降りたんじゃ遅すぎる!こっから一気に飛び降りるぞ!!」
「ここから、ですって!御堂さん、あんた正気ですか!?」
だが、わめく佐熊、それから犬神も片手で抱きかかえると、御堂の勢いは止まらず一気に手すりを乗り越える!
「いっくぜ、オラァッ!!」
「ぎゃあああああぁぁぁぁーーーーー!!!」
佐熊の絶叫を残し、三人の姿は屋上から消えた。
一人残った笹川は、ぽりぽり頭をかいていたが、ややあってポツリと一言。
「……ま、いっか」
「あなたも追わないのですか?」と、これはクローカーの質問に、不敵な笑みで返すと笹川は言った。
「ダグーがどうなろうと、俺の知ったこっちゃないんでね。俺の目的は最初から、お前ら魔族の捕獲。それだけだよ」
「やり合おうってのか。だが」
キエラ、クォードの体からも魔力が立ち上る。
「三対一でも構わない、と?大した自信ですね」
クローカーも魔力を放出し、手を天にかざした。
「今日は些か騒ぎすぎました。あとは結界の中で戦うとしましょう」
「いいねぇ」
全く動じず、笹川が応じる。
「それこそ俺の望んだ展開になってきたってもんだ」


屋上からは全ての気配が消え、辺りは真の闇に包まれた。


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