8.予定外の来客
秋葉原にあるダグーの事務所では、ランカが一人留守を任されていた。今回は依頼先が新宿だという事もあり、ダグーは犬神の事務所で寝泊まりしていた。
少しでも経費を浮かす為とはダグーの弁だが、ランカとしては面白くない。
「ひーまーなーのーだーッ!」
彼女は絶叫し、机をドンドンと激しく叩いた。
なんでダグーは自分を連れて行ってくれなかったんだろう。
学校が舞台なら、ランカみたいな少女は潜入捜査にうってつけなのに。
「……面白くないのだ」
きっと、あの男。犬神とかいう奴の差し金に違いない。
奴がダグーを丸め込み、ランカを寄せつけないようにさせたのだ。
根拠は何もない。
だが、ランカは自分の立てた推理に満足した。
「ぜーったい!思い通りには、させないのだ。フッフッフッ」
誰に言うともなく一人っきりの事務所で騒ぐだけ騒ぐと、ランカは身支度を整える。
ハンカチ、ちり紙をリュックに放り込み、財布にはSuica。
麦わら帽子をかぶって肩から水筒をかければ、準備は万全だ。
「ダグー、待っているのだ!ランカが今行くのだー!!」
プレハブ小屋の扉に錠前をかけて、彼女が向かうのは秋葉原駅。
新宿までの乗り換えは頭に入っている。
方向さえ間違えなければ、ちゃんと到着できるはずだ。
所は変わって、こちらは犬神の事務所。
本日は警備の仕事もお休みで、今後の対策を考えるべく佐熊や御堂も集まっていた。
「おぅ、説明してもらうぞ。ダグー」
開口一番、御堂探偵が本題を切り出した。
「クローカーの一味ってなぁ、何なんだ?ただの物取りや強盗じゃあんめぇ、ちゃんと説明しろ」
「御堂さんが出会ったのはキエラという若者でしたね」
横から割り込んできたのは犬神だ。
「おぅよ」と頷く御堂へ、なおも確認を取る。
「彼は確かに言ったのですか?魔力のある人間を探して、吸い取るのが目的だと」
「あぁ。この耳で、ちゃ〜んと聞いたぞ」
己の耳を指さして、御堂が頷いた。
昨日、夜の校舎に現れた不審人物。
キエラと名乗る男に遭遇したのは、御堂と山岸であった。
壮絶な追いかけっこの末に、奴が言ったのだ。
『この学校で魔力のある奴らを探して吸い取るのが目的』だと。
聞いた直後は耳を疑い、相手の正気も疑った。
しかしキエラの目は、この上なく真剣だったように思う。
本気で魔力が存在していると信じている目をしていた。
「マジキチっつって笑い飛ばすにゃ〜笑えない雰囲気っていうのかね、そんなのを感じたぜ」
「恐らく、彼らは本気でしょう」
と答えたのは、佐熊だ。
「御堂さんは魔族の存在を信じますか?悪魔と言い換えてもいいですが」
「悪魔だァ?」
素っ頓狂に声を跳ね上げ、御堂が聞き返す。
「漫画やゲームじゃおなじみの、あの悪魔?」
「えぇ、その悪魔です」
佐熊の頷きに、御堂は即答した。
「いや、信じちゃいねぇ」
現代社会では、信じている者のほうが少なかろう。
目に見えず、いるかどうかも実証されていないのだから。
御堂の返事は極めて正常だ。
だが、佐熊は何がおかしいのか鼻で笑った。
「目に見えるものだけが全てでは、ないでしょうに」
彼の言い方が癪に障ったか、御堂が、やや声を荒げる。
「そいつはオメーにだけ見える幽霊ってやつの話か?ハン、あいにくと俺は自分の目で見えないモンは信用しないことにしているんでね」
佐熊が冷ややかに言い捨てた。
「幽霊だけではありませんよ。悪魔もです」
ちらりと犬神を一瞥し、話を続ける。
「悪魔は魔力を源とする。ここ人間界においては、環境が彼らを制限しています」
「おいおい、オメーまで厨二を発病してんのかよ」
茶々を入れる御堂へは、ダグーが、しっと指で制する。
佐熊が何を言い出すのか、ダグーは興味があった。
ダグーも御堂同様、悪魔なんてもんは基本信じちゃいない。
だが、完全否定するほどには頭が固くないつもりだ。
世の中、目に見えるものだけが全てではない。
心霊現象は、まだ全てが科学できちんと証明されていない。
魔力や悪魔も、もしかしたら存在するのかもしれない。
「魔力は目には見えませんが、我々の側にもあるんですよ。ただ、多くの人間が、それに気づいていないだけで。そして魔族は、その魔力を活動源とします。魔力は魔界に溢れているのですが、人間界では極小だ。従って、人間界に現れた魔族は最小限にまで自身の能力を抑えられることになる」
「……おい、ついていけているか?」
探偵がヒソヒソ囁いてきたので、ダグーは曖昧に微笑んだ。
「え、えぇ……なんとなくは」
要するに、大気中に漂う成分があって、それが魔力と呼ばれるもので、魔族のエネルギーでもある。
人間が酸素を必要とするように、魔族も魔力が必要なのだ。
「えっ?でも、そうするとキエラとクローカーは」
思いついた疑問をダグーがくちにすると、犬神が頷いた。
「えぇ、恐らくは魔族でしょう」
「けど、魔力ってのは大気中に含まれる成分なんだろ?御堂さんの話じゃ、キエラは人間から吸い取るって断言したそうだけど……」
「大気中に含まれていると、俺がいつ言いました?」
聞き返す佐熊の眉間には、縦皺が幾つも刻まれている。
デキの悪い生徒をなじるような口調で締めくくった。
「俺は、身近にあると言ったんです。つまり俺達の体内に含まれているんですよ」
「俺達の!?」
ダグーと御堂の声がハモる。
そうです、と満足げに頷いて佐熊が皆の顔を見渡した。
「探偵さんは、やつらを狂人にしたいようですが、俺は彼らが狂っているとは思いません。罪が軽いとはいえ、逮捕されれば前科がつきます。与太で毎晩、不法侵入する人がいるでしょうか?ただの悪戯にしてはリスクが高いと、俺は思います。なにより、こんな真似をするメリットがない」
御堂が、ふてくされたように呟いた。
「別にキチガイに仕立て上げたいたァ言ってねーよ」
ずっと黙っていた犬神が、口を挟む。
「人は自分の常識を外れた出来事が起きると、それを拒絶しようとする理性が働きます。ですから御堂さん、あなたの反応は極めて普通です」
視線をダグーへうつし、犬神は静かに微笑んだ。
「ダグーさんは、どう思われます?佐熊くんと御堂さんの、どちらを信じますか」
「俺は……」
双方を見比べてから、ダグーは答える。
「どちらとも言いかねるよ、今の段階では。でも、もしキエラ達が悪魔だったとしたら俺達は、どう対処すればいいんだ?悪戯なら警察へ突き出せば済む話だけど、悪魔じゃ人間の法では裁けない……だろ?」
「なぁに。そいつに関しちゃ、簡単だ」
ふてくされていたはずの御堂が顔をあげる。
落ち込んでいるかと思いきや、彼はニヤニヤ笑っていた。
「公にしたら、他の警備員が困るんだろ?だったら、俺達で秘密裏に叩きのめしちまえばいい」
「そう、簡単にいきますかねぇ」
やる気を削いでくれる一言を漏らしたのは佐熊だ。
だが、彼はこうも付け足した。
「ま、俺も手を貸しますよ。どうせ乗りかかった船だ」
まるで、やる気がなさそうに。
「叩きのめすのは結構ですが……」
ふぅ、と溜息をついて犬神が御堂を軽く睨む。
「学校の器物を破壊するのは、程々にして下さいね」
キエラとの一戦で御堂がぶっちらかした器物らは、皆で手分けして夜通し元に戻して回ったのだ。
おかげで全員寝不足だ。
犬神と佐熊の二人は、涼しい顔をしていたけれど。
「わぁってるよ」と、うるさそうに御堂が手を振って、次に見つけたら叩きのめすという方向で話し合いは一段落した。
やることがあるからと御堂が事務所を発った後、すぐに佐熊も姿を消した。
目的は買い物だという。
捕物帖に使う道具が必要だとは、本人の談であった。
二人だけになったところで、犬神が席を立つ。
「ダグーさん、お茶をお入れしましょうか?」
御堂と佐熊には水すら出さなかったくせに、甲斐甲斐しい。
「あ、俺がやるよ」
立ち上がりかけるダグーを手で制し、犬神が微笑む。
「いいえ、ダグーさんは僕のお客さまなのですから座っていて下さい。紅茶と珈琲、どちらがお好みですか?」
「じゃあ、紅茶で」
ダグーは、ふかふかした椅子に座り直す。
犬神事務所の調度品は、どれも落ち着いた色合いで上品だ。
自分の事務所、いやプレハブ小屋とは大違いである。
……比べる方が、間違っているか。
それとなく事務所を見渡しながら、犬神の経営を考えた。
上品にまとめられているが、個々の家具は高そうだ。
目の前に置かれた机だって、叩くと重みのある音が響く。
仕事は軌道に乗っているようだ。
ならば、それなりに忙しいのではないだろうか。
にも関わらずダグーを手伝ってくれているんだとすれば、彼には何度感謝しても、したりない。
「どうぞ」
紅茶を置いた犬神の手を握り、ダグーは微笑んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」と、柔らかな笑みが返ってくる。
「犬神くんは、優しいね」
唐突な言葉に、犬神が目をぱちくりさせる。
「い、いえ。これぐらいのことは当然です」
紅茶の件を言われたと思ったのだろう。
さりげなく手を抜き取る彼を見つめ、重ねて礼を述べる。
「紅茶もだけど今までの分も含めて、だよ。ありがとう、俺にいっぱい協力してくれて」
くすり、と犬神が笑う。
「まだ、お礼を言うのは早いのでは?どれも解決していませんよ」
「それはそうなんだけど」
犬神は、いっぱい協力してくれている。
だけど、ダグーは何も返せるお礼がない。
何をお返しすれば、犬神は喜んでくれるんだろう?
不意に何かを思いついて、ダグーが犬神を呼んだのと。
「たのもー!」
元気のよい声と共に入り口の扉が吹っ飛んだのは、ほぼ同時で。
「は?」
おかげで、ダグーは何を言おうとしていたのか忘れてしまった。
「犬畜生!ダグーを大人しく返すのだぁー!!」
蝶番をはね飛ばす勢いで扉を開けたのは、見覚えのあるツインテール。
腰には水筒をぶらさげ、背中にリュックを背負っている。
「これはこれは……誰かと思えば、ランカさんではありませんか」
「馴れ馴れしくランカの名前を呼ぶな、この狼藉者!ダグーを返せ!返せったら返すのだ〜っ」
まるで誘拐犯扱いだ。
駄々っ子のように腕を振り回すランカには犬神も辟易したか、ダグーを振り返ると、苦笑を浮かべて助け船を求める。
「彼女には今回の依頼、説明していなかったのですか?」
ダグーはポカンと口を開けたまま眺めていたのだが、ややあって我に返ると小さくぼやいた。
「いや、しばらく留守にすると言ったはずなんだけどね……」
留守にするとは言ったが、理由までは話していなかったかも。
頬をふくらませて、今にも犬神へ殴りかからんとする少女へ声をかけた。
「ランカ」
途端にランカは瞳を輝かせ、嬉々として応える。
「なんなのだ?帰ってくる気になったのか!?」
「まだ当分、帰れそうにないんだ。犬神くんの事務所でお世話になるから、お前は」
見る見るうちにランカの笑顔はしぼみ、ぷーっと頬が膨らむ。
「嫌なのだ!もう、独りぼっちの留守番は嫌なのだー!!」
「独りぼっち?あのプレハブに一人で留守番を?」
咎めるような犬神の視線が痛い。
「一人でも平気だって言うから、ランカ本人が……」
しどろもどろなダグーを軽く睨み、犬神は溜息をつく。
「少女一人の留守番は危険です。今は物騒な世の中ですし」
かと思えば、むくれるランカの側へ膝をつくと、優しく話しかけた。
「どうでしょう、ランカさん。あなたも僕の事務所で寝泊まりしては、如何ですか?」
「い、犬神くん!しかし、それじゃ君に迷惑が」
慌てるダグーをウィンクで黙らせると、重ねて問う。
「この事務所には二つ私室があります。ダグーさんと同部屋が、おいやでしたら」
犬神は最後まで言わせてもらえなかった。
「ダグーと一緒にお泊まり会!?」
さっき以上に瞳をランラン輝かせたランカが叫んだのだ。
「いいのだ!ナイスアイディアなのだ〜!!決めた!今から泊まる!世話になるのだ!」
「おっ、おい、ランカ!」
「ランカはダグーと一緒の部屋がいいのだ。それで?夜は布団なのか?ベッドなのか?」
こうなってしまうとダグーの制止も耳に入らずで、ぐいぐい近寄られた犬神は、やや引きながらも答えた。
「ベッドをご用意してあります。簡易ベッドで宜しければ、ランカさんの分もご用意できると思います」
「そんなのいらないのだ!ランカはダグーと同じベッドで寝るから心配ご無用なのだ〜♪」
言うが早いか、居間にリュックの中身をぶちまける。
困惑の犬神の足下には、歯ブラシや寝間着、コップが転がった。
「こんなこともあろうかと、お泊まり一式を用意してきて良かったのだ。備えあれば憂いなし!ダグーの言うとおりなのだ」
もはやダグーが何を言おうと、泊まる気満々だ。
ダグーは犬神を見、ランカを見ると、緩く頭を振る。
申し訳なさそうに犬神が囁いてきた。
「すみません、でも、ランカさんを一人にしておくほうが、もっと厄介な状況に陥りそうな予感がしたものですから……」
申し訳ないのは、こちらのほうだ。
部屋のあちこちに転がるランカの私物を拾い上げ、ダグーも囁いた。
「いや……いいよ、君の気遣いに感謝する。ちゃんと説明しておかなかった俺が悪いんだ」
悩みの種は、チョロチョロと犬神の仕事机に近づいて勝手に引き出しをグイグイ引っ張っている。
「あれ?開かないのだ。鍵でもかけてるのか?」
「こらっ!勝手な真似をするんじゃないっ」
それに気づいてダグーは彼女を押さえ込もうとしたのだが、それよりも前にランカが机の上のメモに目を留める。
「あれ?なんなのだ、このメモ」
しまった。
さっきの話し合いで取ったメモが、出しっぱなしになっていた。
「え、と……校舎、魔……力……?」
メモを手に取り、ランカは読もうと四苦八苦。
「返しなさい!」
ダグーは彼女から引ったくろうとするも、見事に失敗。
勢いあまって机の角に頭をぶつけ、目の中には星が舞う。
「だ、大丈夫ですか?ダグーさん」
犬神に助け起こされるダグーの耳を、ランカの甲高い声が劈く。
「キエラ!こんなトコで名前を見るとは思わなかったのだ!!」
ランカときたら、頬を上気させて喜んでいるではないか。
「知っているのか!?キエラをッ」
ダグーの問いにランカはコクリと頷き、無邪気に笑う。
「知ってるも何も、ランカの兄ちゃんなのだ。もう何百年も会っていなかったけど、元気なのか?」
あまりにも、あっさりと言われたので、ダグーも犬神も、しばらく次の言葉が出てこなかった。
呆然とする二人を現実に引き戻したのは、ランカ当人だ。
「どうしたのだ?二人とも、氷みたく固まって。キエラがランカの兄ちゃんだと、何で驚くのだ?」
「に……兄ちゃん、だって?」
「そうなのだ」
「けど……キエラは魔族、かもしれないって……え、えぇっ?それじゃランカさんは!?」
何に思い当たったか、犬神がずざざっと後ずさる。
青くなる犬神に首を傾げ、ランカは、あっけらかんと言った。
「魔族?それがどうかしたのだ?キエラ兄ちゃんもランカも魔族だぞ。もしかして、ダグー。気づいていなかったのか?」
言葉が出てこず、ダグーは何度もコクコクと首を振る。
全然気づかなかった。
というより、思いつきもしなかった。
だって魔族なんて、今まで身近に一人もいなかったんだもの!