Dagoo

ダ・グー

1.前調査

緑 秋吉が秋葉原を訪れてから、一週間が過ぎた。


「よぉ。ご依頼の件、調べてきたぜ」
件のプレハブハウスへ、ぶらりと入ってきたのは一人の中年。
顎を覆い尽くす無精髭に、ヨレヨレのワイシャツ。
目元に被さった前髪が鬱陶しいこと、この上ない風貌だ。
「ありがとうございます、御堂さん」
この怪しい中年にダグーは笑顔で労をねぎらうと、古ぼけたソファーへ座るよう、促した。
「このクソ暑い中、身を粉にして駆けずり回ってきたんだ。礼金は、たっぷり弾んで貰うぜ?所長サン」
御堂 順は内ポケットから扇子を取り出し、忙しなく扇ぐ。
「えぇ、勿論ですとも。それで――」
さっそく話を聞こうと、ダグーが対面に腰掛ける。
「緑 秋吉くんの通う学校は、どんな様子でしたか?」
「おう、あの野郎、見かけによらず、お坊ちゃんだぜ。私立の高校に通っていやがった」
年季の入った鞄から、くたくたになった封筒を取り出す。
さらに書類を引っ張り出すと、テーブルの上に投げ出した。
「常勝学園、だそうだ。ハッ、名前だけはご立派だな。学校側は揃ってイジメを否定しやがったが、生徒達に聞いた話だと、確かに虐められているってよ」
書類を手に取り、ダグーは小さく唸る。
ミミズの、のたくったような字が走り書きされていた。
御堂が書いたんだろうが、これじゃ書いた本人にしか読めなかろう。
酷い報告書もあったもんだ。
ダグーは読むのを諦め、書類を机の上へ置き直す。
「学校がイジメを否定するのは、仕方ありませんよ。イジメがあったと判れば、学校の評価が落ちますからね」
「……ったくよォ」
ランカに差し出された麦茶をがぶ飲みし、御堂がぼやく。
「評価だなんだ、イジメがなんだってなァ最近の学校は最悪だな。まるで監獄じゃねーか」
ダグーも真面目な顔で言い返す。
「まるで、じゃありません。虐められっ子にとっては、監獄そのものです」

閉鎖空間は、人間の本性がもっとも正直に表される場所だ。
表から見ただけでは、何が行われているか判らない。
第三者に見られないという安堵が、大胆さにすり替わる。
やがて心の闇は表に出て、イジメという形で他人に害をなす。
やられる者と、やる者。
無論、周りで見ている者もいる。
だが彼らは、あえてイジメを黙認する。
迂闊に正義心で止めれば、次にイジメの矛先が向くのは自分だ。
そう考えると、止める勇気が出ない。
臆病だ、卑怯だと、傍観者を責めるのは容易い。
だが、言うは易く行うは難し。
現場に立ってみなければ、彼らの気持ちは理解できまい。

「虐めている奴らの名前も判ったぜ。一応そっちの書類にも書いといたが、主犯格は三人だ」
例のミミズ文字がダグーの脳裏をよぎり、彼は即座に御堂へ尋ねた。
「ほぅ。誰と誰と、誰ですか?」
「一年、森垣 正一。それから後二人は、どっちも三年、雪島仁志と淀塚 龍騎」
「リュウキとは珍しい名前ですね。何と書くのです」
「ドラゴンのリュウに、騎士のキだよ。ヘッ、完全に名前負けってやつだ」
吐き捨てると、御堂は立ち上がる。
窓の外を眺め、日差しがまだ強いと知るや、露骨に眉をひそめた。
炎天下の中、帰っていく自分を想像して、ウンザリしたのだろう。
「秋吉ってお坊ちゃんは必ず、またココに来ると思うか?」
「来ますよ。俺の予想では、そろそろじゃないかな」
「どうして判るんでぇ」と御堂が聞き返した時、扉が音を立てて開く。
「やぁ、お久しぶり」
ダグーが手を挙げ挨拶し、入ってきた人物も軽く会釈する。
つられて御堂が振り返り、来訪者を無遠慮に眺め回した。
「こいつぁ、おめぇの知りあいか?それとも、お客さん?」
訪れたのは、うら若き青年だ。
夏の盛りだというのに、黒服を身にまとい、手には小箱を持っている。
柔らかな黒髪は緩くウェーブを描き、肩の辺りで留まり。
優しさを携えた黒い瞳が、御堂とダグーの双方を見つめていた。
「犬神くんですよ、前にもお話ししたと思いますが」
ダグーが応える。
「そうだったか?」
御堂は首を傾げ、どうにも思い出せずにいたようだが、やがてぽんと手を打った。
「あぁ!もしかしてあれか?以前のヤマで、お犬様と手を組んだって言ってたやつか!?」
ダグーが答える前に、犬神が二人の間へ割って入る。
「おいぬ様の話を……したのですか?この人に」
物腰静かだが、目は笑っていない。
「あぁ、まぁね」
仕方なくダグーは頷き、御堂を横目で睨む真似をした。
「この人が、しつこく聞いてくるもんだから。とても誤魔化しきれなかったんだよ」
「そうですか」とだけ頷いて、犬神が御堂へ視線を移す。
「お初にお目にかかります。僕は犬神 死狼、新宿界隈を根城としております」
視線だけで人が殺せるんじゃないかってぐらい、冷え切った表情だ。
愛想皆無な態度に怯むことなく、御堂は不貞不貞しく笑った。
「犬神さんね、噂はかねがね聞いているぜ。あんた、若いのに結構なやり手だそうじゃないか」
「――僕の職業も、ご存じでしたか」
なんとなくだが部屋の温度が、一、二度下がったような気がする。
ダグーは内心、冷や汗をかいた。

御堂なんかに犬神の話をするんじゃなかった。
否、今日は犬神が来ると予め判っていたんだから、せめて御堂に口止めするなり、先に帰らせるなりすれば良かった。
犬神は、大がつくほどの人嫌いなのだ。
幼い少女のランカにだって、愛想を振りまく真似をしない。
何故かダグーにだけは、とても親切にしてくれるのだが。
そして彼は、ダグーが自分の存在を他人に話す事を、とても嫌がった。
誰だって、自分のあずかり知らぬ場所で噂をされたら気分のいいものじゃない。
だが、犬神のそれは、少々度が過ぎているようにダグーには思えた。

「まァな、それとなく。じゃあダグー、用事も済んだことだし、俺ァおいとますんぜ」
部屋のヤバイ気配は御堂も感じたのか、彼はそそくさと出ていき。
完全に姿が見えなくなってから、犬神が机の上の書類を手に取った。
「これ、さっきの男が書いたものですか?」
「そうだよ」
部屋の気温が元に戻ったような気がして、ダグーの緊張も解ける。
犬神は書類に目を近づけ、小さく溜息をついた。
「酷い字ですね……いや、字ではなく暗号、或いは絵なのかもしれません」
大真面目に言うもんだから、ついプッとダグーは吹き出してしまった。
「正真正銘、文字だよ。ただし、書いた本人にしか読めないだろうけど」
「これ、報告書でしょう?御堂という人は意地悪ですね。あなたに読めない文字で、書類を提出するなんて」
本気で言っているのか、冗談なのか。
――いや、これが犬神の『普通』なのだ。
つきあい始めて三ヶ月、ようやく彼の性格を掴みかけてきた。
なおも犬神は報告書を眺めていたが、やがて判別可能な文字を二つ見つけ、神妙な顔つきになる。
「新宿……次の依頼先は、新宿にある学校ですか」
ダグーは頷き、先を促した。
「そんな顔をして、新宿に何か想い出でもあるのかい?」
「いえ――ただ、新宿には厄介な人物がいます。願わくば、あなたの任務に彼が絡んでこないと良いのですが」
犬神の呟きを聞きながら、ダグーはチラリと時計を一瞥する。
時計は正午を回ったところだ。
緑秋吉が来るとしたら、午後だろうか。
「次の依頼は学校内だよ。そいつが学生か教師でもない限り、絡んでこないと思うけどね」
肩をすくめるダグーを見、犬神が、ほんの少し口元を緩める。
「そうですね。僕の杞憂であることを祈ります」
それよりも――と、ようやく本題に入った。
「僕が本日呼ばれたのは、その依頼と関係しているのでしょうか」
まずはソファーへ座るよう促し、彼が座るのを待ってから。
自分も対面へ腰掛けて、ダグーは切り出した。
「場所が学校内となると、一般人のままでは動きづらいからね。教師か用務員になって潜入しようと思うんだが、君はどう思う?」
「そうですね……僕なら、ガードマンとして学校へ売り込みます」
「ガードマン?どうして、また」
「教師や用務員は場所に囚われますが、ガードマンなら警備と称して自由に動き回れます。あなたの依頼が学生の頼みなら、そのほうがうってつけでは?」
「よし」
膝を叩き、ダグーは前のめりに犬神の瞳を覗き込む。
「君の案でいこう。履歴書諸々の書類作成は任せたよ」
「お任せ下さい」
犬神もダグーを見つめ、ニッコリと微笑んだ。
「でも、その少年……本当に来るのでしょうか?」
彼の疑問へ応えるかのように、扉が二、三回ノックされる。
ダグーが声をかけた。
「言っている側から、いらっしゃったようだよ。入ってこいよ、緑くん。君が来るのを、待っていたんだぜ」

一瞬、躊躇うような気配がしたものの。
ややあって、緑 秋吉は扉を開けて足を踏み入れた。


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