彩の縦糸

其の六 救出

その日の夜遅く――大婆様の屋敷に、数人の来客が訪れた。
門を叩くと、門の隅に蹲った黒い影が応える。
「あい、どちら様ァ?」
話しているのは小さな狛犬だが、声は聡子のものだ。
狛犬の形をした式神を通して、屋敷の中から話しているものらしい。
「夜分遅くごめんなさいねぇ、長門日ですぅ。大婆様、いてはりますかぁ?」
訪問者は、長門日夫婦と里見玲於奈であった。

中へ通され、座敷へ上がり込む。
大婆様は布団にくるまったまま、三人を見やった。
「えらい遅くに来よったの。して、何用じゃ?」
「すいません、何しろ急用でして」
そう言って源太が頭を掻く。
こちらの、とレオナを指さし、大婆様の顔色を伺った。
「こいつは山伏協会から来た里見玲於奈っちゅう者なんですが」
「ほぅ。山伏協会が人を送ってくるとは、珍しいのぅ」
山伏協会の総本山は出雲大国の首都、小高井高こだかいだかの山中にある。
普段彼らは、山奥で修行をしているらしい。
この国に悪しき影が現れるたび、若い修験者を各地へ派遣するのだそうだ。
「修験者が派遣された、ということは悪しき現象の前触れでも感じたか」
「はい」とレオナが頷く。
「総帥は、この地に鷹津禍流の復活を予期しました」
鷹津禍流と聞いて、大婆様が目を見開く。皺の間から、ぎょろりと目を剥いた。
「ひいては、猶神流の中で一番の若輩者。長門日吉敷の現所在地をお教え頂きたく」
「吉敷の居所を?どうして」
大婆様の問いかけに、横から源太が割り込んだ。
「若い連中では、吉敷が一番弱いからですよ」
まだ成り立てですからね、とも付け足して、再び頭を掻く。
「ふん」
佇まいをなおし、大婆様は呟いた。
「あれが、弱い?とんでもないわい」
聞き間違いか、とばかりに静が聞き返す。
「え?だって婆様、前に」
「あれの潜在能力、及び、あれしか持たぬ能力は、わしらの誰よりも秀でておるわ」
しばらく口を閉ざしていたレオナも、口を挟んできた。
「霊獣との交信能力ですね。でも」
きっ、と大婆様を真っ向から見つめて、一言一言はっきり伝える。
「その力、彼一人だけが持つ能力ではありません」
「それはそうじゃ」
頷き、だが老婆は、こうも続けた。
「だが猶神流で使える者は、吉敷しかおらん」
「そうですか……」
レオナは少し考え込むふうであったが、話を元に戻した。
「それで、彼の現所在地は?何か情報はありませんか」
返事は即座であった。
「知らぬ」

今いる場所は判らぬ。
だが、吉敷が今、引き受けている依頼なら教えてやる。
大婆様から伝えられた吉敷の依頼先は、ここ周辺を治めている地主の家だという。
「苑田家か」
呟く夫へ、静が尋ねた。
「どういう家なの?そこって」
「ん〜」
ぼりぼりと頭を激しく掻きながら、源太は応える。
「昔は貴族様だったらしいんだがな、今は貧乏もんじゃ」
「俗に言う、没落貴族ってやつだね」
レオナが言い、それに頷いた。
「没落貴族ねぇ。依頼料、安そ〜」
妻の正直な感想に、思わず源太が苦笑いを漏らした時であった。
目の前に、小さな光る玉が飛び出してきたのは。


頬に冷たい一滴を受け、吉敷は目が覚める。
――ここは、どこだ?
上に引っ張られるような感覚。
すぐに彼は、自分の両手が縄で縛られ、吊り下げられている事に気がついた。
足は自由だが、床からは離れている。
「お目覚めかい?長門日吉敷」
暗がりから声。ハッとそちらを見ると、あの女がいた。
黒スーツに身を包み、黒い影に乗っていた女だ。
女は近づいてくると、上から下まで吉敷を眺めて、ニヤリと微笑む。
「いいザマだね。とてもプロの霊媒師とは思えない」
口の端を歪めた嘲笑に、吉敷の顔は怒りで赤くなる。
足が届くなら、気取ったスーツに蹴りでも入れてやりたいところだ。
「こんなザマにしてくれたのは、貴様だろうがッ!」
すると女は笑みを消し、髪の奥から彼を睨みつける。
「あの場で、お前が霊獣を使えたならば。悪霊もろとも私を倒せたはずだよ」
使えたならば。女は、そう言った。
知っている――
この女は吉敷を知っている。
吉敷の能力を。そして彼がまだ、霊獣を使いこなせていないことも。
女の息がかかる。手を伸ばし、吉敷の顔輪郭をなぞりながら、彼女は囁いた。
「使えないんだろう?せっかくの能力、宝の持ち腐れだね」
吉敷は精一杯首を傾け、女の冷たい指から逃れようとする。
「余計な、お世話だ!」
だが縛られている身では、どうにもならず、指は輪郭から首筋を辿り胸元へと侵入してくる。
女の指が吉敷の乳首を軽く摘み、反射的に彼は仰け反った。
途端に、弾けるように女が笑い出す。
「あっははは!なんだ、男のくせに感じるのか?男のくせに、胸を触られたぐらいで!」
「ちッ、違う!!急に妙な真似されたんで驚いた、だけッ」
ぎゅッと強く抓られ、声が途中で跳ね上がる。
あからさまに反応してしまう自分の体を、吉敷は今ほど憎らしいと思ったことはなかった。
「あはははっ。強がりを言うんじゃないよ、面白い奴だなぁ!」
なおも、くにくにと吉敷の乳首を摘んだり撫でながら、女が耳元で囁いてくる。
「どうせ兄貴に、似たようなことを毎日やられてるんだろ?もう後ろの処女は捧げたのか?」
下品な物言いに、彼は全身の血が頭に上がってくるような衝撃を受けた。
こいつ、本当に女なのか?とても女とは思えないほど、品がない。
それに、あぁ、こいつの指の動きが、すごく嫌だ。
女の指が動くたびに、何かが体の上を駆けずり回っているような感触を受ける。
胸をいじられているだけだというのに、下腹部までいじくり回されているような、感覚。
股間が、むずむずする。
手で押さえたい。だが、両手はきつく縄で結ばれている。
きゅう、と知らず内股になる吉敷を見て、女がほくそ笑んだ。
「どうしたんだい、吉敷ちゃん。おしっこでも漏れそうなのか?」
それが判り、吉敷は、ますます怒りで頭が火照ってくる。
くそぅ。
手さえ自由になるならば、こいつに、こんな真似を許していないのに!
悔しさでギリギリと歯がみする彼を小馬鹿に見下しながら、女は言った。
「今、お前の命と流派の命。そいつを交換させるため、婆さんの元へ使いをやった」
婆さん?
「大婆様にか!?」
しわくちゃの顔が脳裏に浮かび、吉敷は焦りまくる。
初仕事で無様に捕まったあげく人質となった彼を、大婆様は許してくれるだろうか?
否。
絶対、許してくれそうもない。相手は、あの婆様だ。
普段は温厚な婆さんに見えても、怒ると鬼より悪霊より怖いことを吉敷は知っている。
よくて放置、悪ければ破門。或いは絶縁といった処罰か。
「安心しろ、猶神流は困っている者を救う流派なんだろう?お前を見捨てるほど、総領は無慈悲なお方ではないだろうさ」
そう言って、壁を見上げた。時計でもかかっているのだろうが、暗くてよく見えない。
「取引の時間まで、まだ余裕がある。それまでは、お前をいじって楽しむとしよう」
「楽しむなっ!!」
即座に怒鳴る吉敷を見て、また女が笑い声をあげる。
妙に甲高く、聞く者をイライラさせる笑いだ。
「お前は自分の立場を判っているのか?今のお前は人質、囚われのお姫様だ。男だから、囚われのお殿様か? ま、私がいじってもいいんだが、どうせなら」
女がパチンと指を鳴らすと、黒い影が闇からニョキニョキ生えてくる。
沼でも襲ってきた奴らだ。あれが彼女の使役する悪霊とやらか。
「こいつらに襲わせることにしよう」
ゆっくりした足取りで彼女が遠ざかると同時に、黒い影が数体、音もなく忍び寄ってくる。
「さぁ、吉敷ちゃん。ぎりぎりまで我慢して、私を楽しませてくれよ?」
暗闇で女は笑い、身動きできぬ吉敷の体へ、一斉に影がまとわりつく――!


突如飛び出してきた光の玉は、源太の周りをグルグルと飛び回る。
[源太!源太ぁ、吉敷が、吉敷が死んじゃう!]
その正体は、吉敷が常に懐へ忍ばせている聖獣、管狐だ。
無論、本来の姿は光の玉などではない。人差し指ほどの大きさの、小さな狐である。
だが源太ら普通の霊媒師には、彼を光の玉としか認識できない。
彼を狐だと目視できるのは、聖獣と話せて、手で触ることもできる吉敷のみであった。
めまぐるしく飛び回る光の玉に源太は困惑して、手で追い払う仕草をする。
「な、なんじゃあ!?蛍かぁ?」
いきなり妙なことを言い出した夫に、静は苦笑しながら突っ込んだ。
「源ちゃん、今は冬だよ?蛍なんて飛んでないって!」
それに、どこに蛍が?とばかりに目をこらす。
霊力の低い静には、光の玉ですら認識できないのだ。
[吉敷が、吉敷が黒い影に襲われてぇ!うぇぇん、このままじゃ殺されちゃうよぉ]
なおもビュンビュン飛び回るが、やはり管狐の言葉は源太には通じていない。
だが、しつこく飛び回る必死な姿に、彼は何かを思い出しつつあった。
「えぇい、ひょっとして吉敷のアレか?アレなんか!?」
弟が持ち歩いていた竹の筒。
大婆様から貰ったという筒だ。あの中には、光る霊が入っていたような?
「アレって何よ?ひょっとして、聖獣でも飛んでるってわけ?」
静には、源太が一人でバタバタ手を振ってるようにしか見えない。
管狐はというと混乱の極地にあり、言葉が伝わろうが伝わらなかろうが関係なく叫んでいた。
[お願い、源太!吉敷を助けて!悪霊がいっぱいいて、ボクじゃ助けらんないのォ!!]
不意にレオナが叫んだ。
「案内して!吉敷さんが襲われてるなら、助けに行かなきゃ!!」
「えっ!?」
管狐と源太、それから静がハモり。彼女に注目する。
「レオナァ。あんたまさか、聖獣の声が聞こえんの!?」
尋ねてくる静を手で制し、もう一度同じ事を光の玉――管狐へ聞いた。
「場所は何処?レオナなら、あなたを追いかけられる。だから、案内して!」
[こっちだよ!]
光の玉が源太から離れ、矢の如き早さで飛んでゆく。レオナが走り出した。
「源太も、しずさんも、ついてきて!レオナが案内してあげるッ」
「え、え、え。あ、あたしもォ!?」
走り出したレオナ、そして同じく後を追いかける源太に腕を掴まれて。
有無を言わせぬ状態のまま、静も走り出す。光る玉を追いかけて。

管狐に案内された場所、それは苑田家の屋敷であった。
ずかずかと押し入ってきた一行に驚くでもなく、家主は彼らを招き入れる。
聞けば、話は全て大婆様から聞いているという。式神でも飛ばされたか。
「その上で、皆様にお話があるのです」と、鉄五郎が膝を進めて言うことには。
「実は夜半過ぎ、娘が玄関から入ってきまして」
娘――小夜子は何日も床についていたはずであった。
その娘が何故か、玄関から入ってきたという。
慌てて部屋を覗いてみれば、窓は開けっ放しで、布団の中は、もぬけの空。
いつの間に外へ出て、そして戻ってきたのか。
それに、小夜子の格好。彼女は全身ずぶ濡れで、泥まみれになっていた。
青藻が着物のあちこちに張り付いている。
まるで着物を着たまま、沼で泳いできたかのようだ。
とにかく脱がせて、風呂へ入らせよう。そう思い、娘の体へ手をかけた時。
物言わず沈黙していた小夜子が、突然話し始めたのである。
「森厳神社にて、長門日吉敷を預かっている。返してほしくば猶神千鶴が一人で、神社まで来られたし」と。
朗々と語り終えたかと思うと、娘は糸の切れた人形のようにバタリと倒れた。
抱き起こしてみると、すやすやと寝息を立てている。
起こしては可哀想、と、濡れた着物だけでも脱がせると、布団へ寝かせてやった。
「うあっちゃー。思いっきり人質になっちゃったんだねぇ、よっしー」
静が天井を仰ぎ、源太は腕を組んで唸り声をあげる。
「それで、娘さんの様子は?」
尋ねる源太へ、鉄五郎は答えた。
「今は眠っております」
「体の調子は?」
「それが」
一瞬笑顔を浮かべ、すぐに地主は、それを打ち消した。
「ほとんど元通りになっておりました。えぇ、何事もなかったかのように」
「元通りに?」
「はい。酷く痩せおとろえていたはずの体が、元に戻っていたのです」
大婆様の話だと、小夜子には悪霊が取り憑いていて、酷い有様になっていたはずだ。
元に戻ったということは、もう小夜子には何も取り憑いていないということか?
「小夜子さん自体は囮だったんだよ。なら、何も不思議じゃない。猶神流の誰かを呼び寄せるのが、本当の目的だったんだから」
レオナが締め、傍らを飛ぶ光の玉にも話しかけた。
「大婆様は吉敷さんを、一人で助けに行ってくれると思う?」
[無理だと思う]「無理じゃろ」
管狐と源太の答えがハモッた。
「大婆様が未熟者の尻ぬぐいをして下さるとは思えん。よくて放置、悪けりゃ破門じゃろなぁ」
うむぅと唸り、傍らで静が「うぇ、冷たいんだぁ。猶神流って」というのには厳しく叱咤する。
「仕方なかろう、何人弟子がおると思っとんじゃ?吉敷だけを贔屓するわけにもいかんしの」
横で管狐もフォローする。といっても、静には聞こえないのだが。
[冷たいんじゃないよ!迂闊に大婆様が動いたら全体に動揺が走るから、それで]
なるほど、組織を構えるボスの都合というやつか。
しかし、それでは切られる下っ端が、あまりにも哀れではないか。
レオナは憤然として立ち上がる。唸り声を発する源太を見下ろし、はっきり断言した。
「だったらレオナと源ちゃんで助けに行くから、大婆様は待っていればいいよ」
それに。
猶神流というのは、困っている人を助ける流派ではなかったのか?
困っている人がいるというのに見捨てるのは、流派として道を外れた所業ではないのか?
「管ちゃん、大婆様にそう伝えておいて。さぁ、行くよ源ちゃん!」
いきなり源ちゃん呼ばわりされ、戸惑う源太の腕を無理矢理引っ張り上げると。
レオナは彼を引きずって、夜の砂利道へと飛び出していった。


声を出すまい、とすればするほど、黒い影が体にまとわりつく。
吉敷の快感スポットを、これでもかというほど執拗に攻めたててきた。
天井から吊り下げられた吉敷は、ほとんど全裸に近い。
絶え間なく影に擦られて、すっかり勃起した吉敷の陰茎に、尚も快感が送り込まれる。
攻められているのは、前だけではなかった。尻の穴を影が出入りしている。
源太の指ですら入り込まなかったような奥部を突かれるたびに、血液が陰茎に集中した。
「ん……ぁ、あぁ……ッ」
食いしばった口の間から細い喘ぎが漏れ、吉敷は赤面する。
暗闇で、あの女が笑って見てるのかと思うと、それも悔しい。
不意に尻の穴を出入りしていた、影の動きが変わった。
するり、と抜け出してホッとしたのもつかの間、影は堅く鋭いものへ姿を変える。
再び吉敷の中へ入り込むと、さらに奥へ、奥へと侵攻を始めた。
肉に手をかけて影が進んでいくのが、はっきり判り、吉敷の背筋に寒いものが走る。
「あ、ぁ、や、やめッ」
まるで女の子のように恥じらう声をあげてしまい、暗闇で笑われた。
「何だ、吉敷ちゃんは初めてだったのか?そうか、そうか……なら、待て」
女の制止に、奥へ潜り込もうとしていた影が動きを止め、するりと穴から姿を現す。
「奥を掻き回してやるのは、あの婆が来た時にやろう。愛弟子が壊れるさまを、あの婆に見せつけてやろうじゃないか」

  
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