彩の縦糸

其の二十 終焉の刻

東、西、南、北、それぞれの点を線で結ぶと、街全体を大きな正方形で囲む形となる。
九十九と源太が各地点で符を置き終えた瞬間、正方形の大きな結界は発動した。

「おぅ吉敷、こっちじゃ」
兄と九十九の姿を見つけ、吉敷は走り寄る。
九十九は源太の傍らに立ち、源太は岩に腰を下ろしており、しきりと股間を揉んでいた。
「なんだ?金玉でも蹴られたのか」と怪訝な顔をする吉敷へは、九十九が代わりに答える。
「ヤブ蚊に刺されたそうだ。敵は――」
「吹っ飛ばしてやったわい」
源太が笑う。
二人が視線で示す方向を何気なく見やって、吉敷は唖然としてしまった。
一直線に木々が大きく薙ぎ倒されている。草木は根こそぎ吹き飛ばされ、地面が見えていた。
照れたように源太は頭を掻く。
「ちょっと勢いが良すぎてのぅ」
やるにしても、程度というものがあろう。後で大婆様に何と言われるやら。
「仕方あるまい。どのみち敵には既に侵入を知られていた」
吉敷の不安顔をどう受け取ったか九十九まで見当違いの援護をし、よいしょと源太が立ち上がる。
「それよりも今、結界を張り終えた。奴の居所が割れたぞ」
「えっ、ど、どこですか?」
「お前もプロなら自分で探してみろ」
肩を竦め九十九は、さっさと歩き出した。
仕方がないので、吉敷は神経を研ぎ澄ます。
が、それよりも早く、懐に忍ばせてある竹の筒がカタカタと震えた。
[吉敷、吉敷!こういう時こそ、誰かの出番なんじゃないかと思うんだけど?]
だが吉敷は声を無視した。管狐の出番は、ここではない。
管狐に探して欲しいのは狐遣いの居場所ではなく、小夜子の監禁されている場所だ。
それまでは彼の能力、及び存在を敵に伏せておく必要があった。
吉敷は目を閉じ、気配を探る。
人の気配が一箇所に集まりつつある。
それとは別に、人々が目指す地点には大きな霊力を感じる。
気配の方向を見つめる吉敷へ目をくれ、九十九も頷いた。
「地図を見せただろう、向こうには礼拝堂がある。今はもう使われていないらしいが」


「来ましたか」
薄暗い礼拝堂の中、髪の長い男が一人、ぽつりと呟く。
仲間は既に、誰も残っていなかった。
九鬼と暁は猶神流の霊媒師に殺され、陽炎も死こそ免れたものの、重傷を負わされた。
「あなた方の、負けです」
不意に背後から、鈴を鳴らすような可憐な声が聞こえる。
ちらと声の主を一瞥し、九郎は頷いた。
「そのようですね」
声は、小夜子のものであった。
苑田小夜子は九郎と同じ場所、礼拝堂にいた。
それでいて吉敷に察知されなかったのは、彼女が閉じこめられているからであろう。
彼女は目に見えない檻――結界に閉じこめられていた。
「彼らが、ここまで強いとは思ってもみませんでした。どうやら出直す必要がありそうです」
「……あなた方の、最大の誤算は」
小夜子が面を上げる。
震えてはいたが、彼女の瞳に怯えの色はなかった。
「長門日吉敷様を新米と侮ったこと。あの方は、猶神千鶴様直属の愛弟子です」
それに、と彼女は言葉を続ける。
「長門日家は、戦国の時代より生き残る霊媒の血筋。弱いわけがございません」
「よくご存じでいらっしゃる。さすがは苑田、元地主の娘ですね」
小夜子の言ったことなら、九郎も知っている。
長門日家が、その昔、この地で権力を欲しいがままにしていたことなど。
そして鷹津禍に破れて落ちぶれた後は、猶神の元についたということも。
「あの方のご両親も、優秀な霊媒師でした……吉敷様に、その才能が引き継がれておらぬはずなど、ないのです」
だが彼女の言い方には知識以上の信頼、いや信頼以上の熱がこもっていた。
九郎は首を傾げ、小夜子の顔を覗き込む。
「随分と弟に肩入れをするのですね?才能があるのは、兄の方かと思いますが」
対して小夜子は首を振り、頬を薔薇色に染めて応えた。
「いいえ。源太様の霊力は所詮、人としての霊力しかございませぬ。ですが吉敷様は、生まれつき神の下僕とされる聖獣に愛される御方なのです」
「そして、あなたにも――?」
そろりと囁くと、小夜子はハッとした顔で九郎を見つめ、すぐに赤くなって俯く。
吉敷を語る弁に熱が入りすぎたと、ようやく自覚したらしい。
「……なるほど」
いざとなれば、彼女を人質に逃げだそうと考えていた九郎であるが。気が変わった。
人質としてつれていくよりも、もっと有利な使い道を見つけたのだ。

古ぼけた礼拝堂の前には、人が群れを成して待ち受けていた。
レオナが打ち逃がした男達である。どいつもこいつも半裸、或いは全裸だった。
その格好を見ただけでも、彼らが正気であるはずもないと断言できる。
「南樹の話ではな、」
数珠を拳に巻きつけながら、九十九が切り出す。
病院で聞いてきた彼女からの助言を、今、話そうというつもりらしい。
「奴の狐は、吉敷、お前の聖獣とよく似た性質なのではないかという話だ」
「俺の……ですか?」
たかが使い魔如きの狐と聖獣が似てる、と言われてもピンと来ない。
眉を潜める吉敷を一瞥し、すぐに男達へ視線を戻すと、九十九は頷いた。
「怨狐は単騎でも戦える。そして贄なり餌を与えれば強くもなる。取り憑かれた人の数が多いのは、餌を与えた後だからではないかと南樹は言っていた」
贄とは物騒な話だ。
だが取り憑かれた男達以外の住民を見かけないのも、餌にされたと考えれば納得がいく。
取り憑かせても戦力になりそうもない女衆は恐らく、残らず全滅させられたのだろう。
狐の餌、つまり霊力にするための糧となり。
「ひどいことをしよるわい」
ぼそっと呟く源太に、吉敷も無言で頷く。
「奴は、どうあっても死罪を免れない。ならば、俺達の手で葬ってもいい相手だ」
白く光る拳を構え、九十九は二人に檄を飛ばした。
「いくぞ!雑魚は長門日、貴様が斬れ!一人とて逃がすなッ!!」
「何故じゃ?」
走りながら源太が聞く。
「雑魚など放っておいても――」
群れの中に飛び込み、一人を思いっきりぶん殴ってから九十九は叫んだ。
「雑魚も怨狐の一部だからだ!追い出すのではなく、完全に消滅させるのだッ」
なるほど、吉敷の大太刀ならば、それも可能だ。彼の刀は衝撃ではなく斬撃。
霊波をぶつけて肉体から追い出すのではなく、斬って霊体だけを消滅させる。
肉体から追い出された霊が本体へ戻るのを防げるのは、吉敷しか居ない。
「ならば吉敷、ここは任せるぞ!」
吉敷は、その場に急停止し、傍らを九十九と源太が一陣の風となって駆け抜ける。
男衆が詰め寄ってくるのを体で制し、吉敷は大声で叫んだ。
「さぁ、かかってこい!一匹残らず昇天させてやるッ」
そうしながらも、脳裏では別のことを叫ぶ。どこかに身を潜めているはずの聖獣達へ。
ここは俺に任せ、兄貴と十和田先輩を守ってあげてくれ、と。


礼拝堂の戸には、何重にも木片が釘で打ちつけてあったのだが。
怒りに燃える重量級の源太と、九十九を止めるには、さして障害にもならなかった。
体当たりに任せて強行突破した二人は、霊気の波動が示す場所へ一直線に駆けつける。
神経を研ぎ澄ます必要がないほど、邪悪な気配は、はっきりと一つの場所に固まっていた。
「覚悟せぇッ、闇陰庵!ここが貴様の墓場じゃぁッ!!」
だが飛び込んだ瞬間、彼らの目に入ってきたのは無垢な白さの肌。
小夜子が、一糸まとわぬ姿で床に寝ころんでいる。
「だぁぁっっ!?げ、源太、見るんじゃないッ!!」
ゴキッと景気の良い音がした。
九十九に勢いよく首を捻られて、源太が抗議の声を荒げる。
「何すんじゃぁ、九十九!敵は俺じゃない、あっちじゃろが……ン?」
指をさした後で、まじまじと前方を見た。いるのは狐遣いじゃない、小夜子一人だ。
小夜子が一人、床に裸で寝転がっている。その口元には妖艶な笑みを含んで。
「だから、見るなと言っているだろうが!」
もう一度首を引っ張られる前に、源太は九十九へ向き直る。
「一体どういうこっちゃ?なんで、ここに小夜子殿がおって、敵は居ないんじゃ」
困惑する源太だが、九十九にだって訳がわからない。
ここへ来るまでに感じた気配は、非常に邪悪なものだった。明らかに人のものではない。
なのに駆けつけてみれば、いるのは小夜子で、狐など影も形もない。
狐を操っているはずの術師ですら、姿を消していた。
それでいて邪悪な気配は消え去っていないというのだから、二人も困惑しようというもの。
この気配、まさか小夜子が漂わせているとでもいうのか。
それに、彼女の様子も変だ。解放されたのなら、さっさと逃げればいいものを。
大の男二人に裸を見られて、十九の娘が恥じらいさえしないなんて。

「九十九様……」

柔らかいものに背後から抱きつかれ、九十九は危うく大声をあげるところであった。
耳元で小夜子の声がする。
「九十九様、抱いて下さいまし」
「なななな、なにをおっしゃっているのですかっ!?さよ、小夜子殿っっ」
見る見るうちに九十九の顔が真っ赤に染まるのを、源太は面白そうに眺めた。
「お?なんじゃ、九十九。モテよるのぅ」
同僚を冷やかしながら、目は真剣に小夜子の様子を探る。
何かに取り憑かれている、という風には見えない。しかしながら、正気とも言い難い。
源太やレオナの見立てでは、彼女は吉敷が好きなはず。
なのに今の小夜子は、ぴったりと九十九に胸を寄せ、耳元で甘く囁いている。
「ばっばっばっばっ、馬鹿!!俺が、もてるわけないだろうが!!」
なら、さっさと振り解けばいいものを、九十九は赤くなるだけで動けないようだ。
小夜子の細くて可憐な指先が彼の胸をなぞるたび、九十九の体はビクリと震えた。
「なんでモテないと断言できるんじゃ?こーの色男が」
九十九の様子を眺めているのも、それはそれで面白いのだが、今は仕事中である。
からかうふりを続けながら、源太は神経を集中させて小夜子の気を探ってみた。
先ほどから、ずっと嫌な気配が消えていない。
それを小夜子の体から感じるというのは、気のせいなのか、そうでないのか。
「南樹にも相手にされない俺が、モテると思うか!?」
九十九の声は裏返っている。
全裸の美少女に抱きつかれているのだ、緊張する気持ちは判らないでもない。
だが三十の男がとるにしては些か、みっともない態度であった。
ふぅ、と大きな溜息をつくと、源太は肩を竦めた。
「さすがは猶神流が誇る、ミスター鈍感さんじゃのぅ」
「な、なんだって?」
聞き返す彼へ、源太はチッチッチと指を振ってみせた。
「南樹がお前に気があることぐらい、照蔵も甚平も大婆様も俺も、皆知っておったわ。知らぬは本命ばかりなり、とは南樹も可哀想なやっちゃのぅ」
「源太、お前まで俺をからかう気か!」
これが本気で怒っているのだから、始末に負えない。
南樹は、つくづく可哀想な奴じゃのぅ。
彼女の気持ちを考えると、源太は暗雲とした気分になった。

確かに、彼女は面と向かって九十九へ愛を示したことなど一度もない。
だが彼の知らぬところでボロを出すことは、たびたびあった。
大婆様や他の仲間が知っているのは、そのせいである。
それに南樹は恐らく、初めての人は九十九と決めていたに違いない。
なのに彼女は見知らぬ男達、それも操られた人々に乱暴されてしまった――
それを当の想い人が判ってやれないというのは、何とも不憫な話ではないか。

「ま、とにかく。さっさと小夜子殿をふりほどかんかい、吉敷や南樹の為にもな」
促すと、ますます真っ赤になって「そっ、そうはいうが、しかし」と九十九はどもる。
小夜子の温もりが、そんなに名残惜しいというのか。
それとも女の子を突き飛ばすのは、彼の紳士道が許さないとでも?
――いや、そうじゃない。
なにげなく視線を下にやり、九十九がどもった原因を源太は知った。
小夜子の白い指が着物の上から、しっかりと握っているのだ。九十九の大事な部分を。
源太の視線の先を小夜子も知ったようで、彼女は源太へ薄く笑いかける。
そして九十九の耳を、軽く歯で噛んだ。
「ひぅっ!?」といった悲鳴を彼が両手で押さえ込むのを横目に、指を上下させる。
可哀想に九十九は抵抗も出来ず、下から来る快感に体をびくつかせているばかり。
やれやれ。
この反応は、どこかで見たことがある。そう、吉敷の反応と、そっくりだ。
源太はポリポリと頭を掻き、なすがままに弄られている同僚へ尋ねた。
「九十九。お主、もしかして未だに童――」
「うるさいっ、黙れ源太!悪かったな、童貞でッッ」
九十九は涙目で怒鳴り散らした。何も泣くほどの事でもないのだが……
「ま、気持ちいいのは判るんじゃが、小夜子殿でもない奴にされてて嬉しいか?」
源太の呆れ声に「な……にッ?」と九十九は背後を振り返り、小夜子を見た。
小夜子は笑っていた。
その唇から、彼女のものではない声が紡がれる。
「さすがは長門日源太。私が此処にいると、判ってしまいましたか」
やや高いが、まぎれもなく男の声だ。それが小夜子の口から漏れている。
「何者だっ!」
えいっと勢いよく腕で振り解くと、九十九も大きく飛びずさった。
「ですが、私は私であって、苑田小夜子でもあるのです。判りますか?私の言う意味が」
ニタリと笑う彼女へ、面白くもなさそうに源太は頷く。
「あぁ。貴様、小夜子殿に乗り移ったのじゃろ?狐の力を借りて」
「なんだって!?」
驚愕の九十九へ、視線も向けずに源太が応える。
「いや、乗り移るというのは的確ではないのぅ。正確には」
「苑田小夜子と私を取り込んだのですよ、私の狐の中へ……ね」
小夜子であったものが、答えた。
「お初にお目にかかります、猶神流の方々。私の名は、闇陰庵が最後の一人、宝和九郎と申します」
彼が名乗ると同時に、邪悪な気配が一気に膨れあがって部屋中に満たされた。


苑田小夜子は霊媒師ではないが、高い霊力を持っていた。
生まれついてのもので、そのせいで彼女は闇陰庵に狙われ続けたとも言える。
おまけに術師である、九郎の霊力も併せて取り込んだのだ。
怨霊狐が、さらに強くなっているというのは、改めて気を探るまでもないだろう。
「管狐、小夜子殿の居る場所は判るか?」
吉敷が問う。
彼の足下には、裸の男達が山積みとなっていた。誰も彼も気を失っている。
大太刀を振り回すのではなく、向かってくる敵にぶつけるという手段を取った。
その結果、腕力の乏しい吉敷でも、なんとか全滅まで追い込めた。
[ん……っと。あのね、すごく言いにくいんだけど……]
竹の筒から身を乗り出し、鼻をひくつかせていた管狐が吉敷を見上げる。
「なんだ、まさか死んだとでも言うつもりじゃないだろうな?」
[ん……似たようなものかも]
ぽそぽそ呟く管狐は、次の瞬間、怒りの吉敷に摘み上げられ悲鳴をあげた。
[吉敷、怒らないでェ!]
「これが怒らずにいられるか!言え、ちゃんと言え!小夜子殿は、どうなった!?」
しょんぼりと項垂れて、管狐は答えた。
[魂が、混ざってるの]
意味が判らず、吉敷は怪訝に眉をひそめる。
[小夜子と、怨霊と、術師の霊気が、ぐっちゃぐっちゃに混ざってて]
「なんだって……?まさか、小夜子殿は生け贄にされたというのか!?」
青くなる吉敷へ、管狐は首を傾げて[うぅん、食べられたわけでもないみたい]と呟く。
[大きな場所いっぱいに怨霊狐がいて、その中に小夜子と術師の魂を感じる]
わかる?と黒い瞳で見つめられたが、さっぱり判らない。
[……やっぱり、わからないよね。言ってるボクも、よくわからないもの。ただ、]
吉敷の持った霊刀を見つめ、こうも呟いた。
[吉敷の刀だったら、固まった霊気を、三つに分断することは出来るかも]
また霊刀か――
よくよく、この霊刀を拾っておいて良かったと思わざるをえない。
「じゃあ、その三つがいる場所を教えてくれ。礼拝堂の中でいいのか?」
尋ねると、管狐はコクンッと頷いた。
「なら行くぞ。ここでボーッとしている暇もないんだからな」
筒の中へ白い狐を押し込むと、吉敷は全壊した入口をまたいで中に入っていった。


今まで色々な敵と戦ってきたが、今度の敵ほど戦いづらいものはない。
源太と九十九に出来たのは、降り注ぐ無数の針から逃げまどうことだけであった。
針と思いしものは針ではなく、正確には狐の毛だ。
霊気を通して硬化した毛が、天井から降ってくる。
そいつを部屋の机や椅子で防ぎながら、九十九は怒鳴った。
「源太!何かいい手はないのか!?」
似たような狂乱の叫びが、すぐさま返ってくる。
「ないッ!」
頼りにならない同僚だ。
とはいえ九十九も打つ手がないのだから、源太ばかりを責めるわけにもいかない。
部屋一杯に広がった怨霊など、初めて戦う相手だ。
符は既に切らせていた。術を使うこともできない。
霊気を込めた数珠で殴るにしても、どこを殴ればいいのやら。
源太が壁や床を殴っていたようだが、あまり効いているとは思えなかった。
しかも敵の話を信じるならば、狐の中には小夜子が取り込まれていると言うではないか。
下手な攻撃をして狐を倒してしまったら、彼女を助けることも叶わなくなる。
一応、策はあるには、あった。
鍵となるのは吉敷だ。
長門日吉敷の持つ、あの霊刀。
肉体から悪霊だけを切り離し、成仏させることのできる優れた霊具である。
あれで部屋全体に広がる気配を断ち切れば、小夜子の霊を切り離せるかもしれない。
彼を表に残してきたのは、失敗だったようだ。早く追いついてくれると良いのだが……
ふと源太に目をやると、彼が霊気を溜めているのに気づき、ぎょっとなる。
「おい!早まった攻撃はよせ、小夜子殿を救えなくなるぞ!!」
だが九十九が止めるまでもなく、源太は毛の集中攻撃にあい、精神を乱した。
体を包んでいた霊気のオーラが掻き消え、彼は片膝をついた。
肩や首、手足太股と至る処に細い針のような毛が、ぶすぶすと突き刺さっている。
「ぬぅぅっ……くそ、狐の奴め、目はちゃんと見えておるようじゃのぅ」
あの源太が咄嗟の結界も張れないとは、げに恐るべしな相手である。
「無理するな、お前は只でさえデカイんだ!攻撃はやめて防御に徹しろッ」
机や椅子を盾にしても、体のはみ出る源太は格好の的だ。
おかげで彼は絶えず結界を張っていなければならず、消耗の度合いは九十九の比ではない。
膨大な霊気といえど無尽蔵ではない。いつかは気力が果てて、結界も張れなくなる。
源太に、目の前で死なれるのだけは御免であった。
「しかし、防御ばかりしていても敵は倒せんぞ!?」
毛の刺さる腕を押さえて源太が騒ぐ。
その彼の頭上に、ふわりと輝く光が出現した。
今度は何だ?叫びかけた九十九だが、すぐに相手が何なのか判り、言葉を飲み込む。
あの光は、いい光だ。
神々しく、それでいて暖かい、優しい光。
[行くよ風来、雷角、水蛇!源太と九十九の援護をするんだッ!]
[あぁ!][了解][いきましょう]
残念ながら彼らの声は聞こえないが、姿だけは目で確認することが出来た。
真っ赤な炎に包まれた馬と、竜巻を身に纏う少女。
その傍らには稲妻を飛ばす少年と、透き通った大蛇の姿もあった。
思わず九十九は怒鳴っていた。言葉が通じるかどうかも判らぬ聖獣達へ向かって。
「狐は攻撃するな!吉敷が到着するまで時間を稼ぐんだッ!」
獣たちが一斉に頷く。九十九の目には、確かにそう映った。

[気配が膨らんだ!吉敷、あいつが最後の攻撃に出るのかもしれないっ]
管狐の言葉に吉敷は頷き「あぁ。金剛!」と地を進む友達へ声をかける。
[なんでごわす?]
地中から返事が聞こえ、吉敷は命じた。
「俺の援護を頼んだぞ!」
[委細承知]
地表が盛り上がり、たちまちのうちに大岩となる。聖獣の一匹、金剛だ。
[頼まれるまでもない、吉敷の体は儂らが守る。吉敷は安心して戦うと良い]
やがて大きな扉が見えてくる。吉敷と聖獣は、その中へ転がり込んだ。
飛び込むと同時に天井から降ってきた毛の針は、金剛が身を挺して防いでくれる。
「吉敷!」
机の影から椅子の下から、彼を呼ぶ声がした。
彼の到着を心待ちにしていた、そんな期待を含む弾んだ声。
素早く兄と九十九の無事を確認した吉敷は、宙を舞う聖獣達へ呼びかける。
「今から気配を一刀両断する!お前らは危ないから、隠れていろ!!」
[でも、ヨシキ――]
火霊が言いかけるのを制したのは、筒から顔を出した白い狐。管狐だ。
[いいから、ここは吉敷に任せて!一閃で片を付けるからッ]
次々と聖獣の気配が消えていくのを感じながら、吉敷は金剛に囁いた。
「すまんな、お前だけは俺と道連れだ。だが……消滅だけは、しないでくれ」
部屋いっぱいに広がる気配を断つ。
聖獣を追い返したのは、彼らをも断ち切ってしまうのではという懸念であった。
聖獣といえど霊は霊。神聖か邪悪かぐらいの違いだろう。
金剛は目を細め、頷いた。
[吉敷を守れるのは儂だけばい。簡単に消えたりせん]
「よし」
吉敷も頷き返し、刀を正眼に構える。
その時、部屋の空気が動いた。
『させるかぁッ!!』
ごう、と霊波が吉敷目掛けて吹き荒れる。が、彼は吹き飛ばされたりしなかった。
直前で彼の盾となる者が居る。金剛が体を張って吉敷を守っているのだ。
金剛に守られたまま、吉敷は目を閉じた。
意識を刀へ集中させると、何も聞こえなくなった。視界を邪魔するものも、ない。



――吉敷様、今です。
断ち切って下さい、私に繋がれた狐の尾を――


耳元で、小夜子の声が聞こえたような気がした。
吉敷は気合い一閃。一刀両断、何もない空間を切り裂いた。
どさっと何かが落ちる音を聞いた。


ゆっくりと目を開ける。
最初に見えたのは、近すぎる位置での源太の笑顔であった。
「ようやった!でかしたぞ、吉敷!!」
ぶっちゅぶっちゅと立て続けに接吻され、慌てて吉敷は口元を拭う。
「ば、馬鹿!何やってるんだ、馬鹿兄貴ッ」
そうだ、小夜子殿は――探す吉敷に九十九が話しかけてくる。
「小夜子殿なら、ここだ」
彼の近くには、意識を失って倒れている小夜子の姿があった。
勿論、彼女の上には九十九の上着が掛けてある。
ホッと安堵の溜息を漏らす吉敷へ近寄ると、九十九も彼を祝福した。
「よくやった。この依頼を解決したのは俺でも源太でもなく、お前だったな」
笑顔で褒められ、少し照れくさくなり、吉敷は視線を外す。
「……いえ。頑張ったのは俺じゃないです。聖獣と皆のおかげで勝てました」
「みんな?」と聞き返す兄貴を真っ向から見つめ、吉敷は頷いた。
「あぁ。レオナや兄貴、それから十和田先輩が敵を引きつけてくれたおかげで」
「謙遜するなぁ、吉敷っ」
兄はまだ興奮しているのか、人前ということも忘れて抱きついてくる。
「お前はホントに自慢の弟じゃぁ!」
その兄を、ぐいと押しやり吉敷は九十九へ尋ねた。
「狐遣いは、どうなりましたか?」
九十九は「居ない」と短く答え、だが、とも続けた。
「邪悪な気配も消滅した」
部屋一杯に広がった怨狐を斬った際、九郎の魂も一刀両断した、ということだろう。
「小夜子殿までぶったぎらなかったのは、どうした理由じゃろうのぅ?」
源太が物騒なことを尋ねるのへ、憶測だがと前置きしてから九十九は答えた。
「その霊刀は吉敷の意識を増幅して、切れるものと切れぬものを選別するのではないか?いや、もっと言ってしまえば、その霊刀。霊具ではなく、吉敷。お前の霊力が具体化されたものではないだろうか」
きょとんとする兄弟へ、「お前、山に登った時、それで縄を斬ったと言っただろう」と九十九に尋ねられ、源太は頷く。
「うむ。言ったが、それがどうした?」
「その霊刀は霊体だけを斬る刀であるはずなのに何故、縄は切れた?そして霊体となった小夜子殿は成仏しなかったのに、何故九郎と狐は昇天した?」
「それは……」
考えあぐねる源太に代わって、答えたのは吉敷だ。
「俺が、望んだから……?」
「そうだ」
九十九は頷き、吉敷の手元を見やる。
「本を正せば、その霊刀が現れたのも吉敷が切るものを欲したからではないか?霊気の具体化と考えれば、大きさの割に馬鹿みたいな軽さにも納得がいく。まぁ、あくまでも俺の憶測でしかないが……な」
九十九は笑い、呆然とする吉敷の肩を軽く叩く。
「お前の霊刀は、お前自身の力だ。これからも頼りにするぞ、吉敷」
新米である霊媒師、長門日吉敷の力が先輩に認められた瞬間であった。


こうして、長門日吉敷の新米としての物語は幕を閉じた。
その後も彼は猶神流の霊媒師として、順調に名を挙げてゆく。
だが、その話は、またの機会に――




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