黒い夜

◆4◆ 怪獣ソルバッド

 レイザース領土内――サンサード樹海。

「やめて!この人達、悪くないよ!だから……暴れないでェ!!」

 悲痛な叫びが樹海に木霊する。だが現れた怪物は動きを止めるどころか、叫んだ当のシェリルに襲いかかってきた。

「危ないッ!」

 誰かが横っとびに飛びつき、さっきまでシェリルの居た場所は、怪物の一薙ぎで根こそぎ持っていかれる。怪物の腕からは血が流れ出している。見張りに立っていた騎士がつけた傷だ。その傷をつけた騎士は怪物の一撃により首を持っていかれ、味方が集まってくる頃には既に絶命していた。

 奴は、怒り狂っている。威嚇の咆吼をあげながら、怪物が後ろ足で立ち上がる。あまりの巨大さに威圧されながらも騎士達は油断無く剣を抜き、斬りかかった。なおも説得を続けようとするシェリルの眼窩を塞いだのは、一人の女性騎士。兜の隙間からは、美しいブロンドが見え隠れしている。

「手負いの怪物に説得など、無駄ですわ。戦えない子供は下がってなさい」

 言い捨てるが早いか、彼女もまた怪物に向かっていく。押しのけられてシェリルはぺたりと座り込んだまま、足元を見る。怪物に葬り去られた騎士の頭が転がっていた。首を薙いだ一撃で勢いよくすっ飛んだものらしく、頭は意外にも綺麗なままで転がっていた。逆に胴体のほうは怪物に散々踏みつぶされ、もはや原形を留めていない。シェリルは騎士の頭をそっと拾い上げると、見開かれたままの瞼を閉じてやった。

「……ごめんね。あたしが感知するの遅かったから……ごめんね」

 だが、彼女の感知が遅れたのは、何も彼女だけの責任ではない。責任を問うなら、隊長以下その他の騎士達にもあると言っていいだろう。彼らは雑談をしていたが為に、怪物の発見に遅れてしまったのだから。


 怪物が見張りに発見されるよりも、少し前――

「なっ、何よぅ!どうして笑うの!?」
「だ、だって、お嬢ちゃん、あ、あいつが格好いいだって?」

 ゲホゲホとむせる騎士達にくってかかるシェリル。なんで笑われているのかが判っていないといった憤然顔の彼女に、騎士の一人が答える。

「キリーが格好いい?随分と変わった価値観の持ち主だね、君は」
「変わってなんかいないわ。普通に格好いいじゃない」
「それが変わってるっていうのさ」
「大体、あいつは君が思ってるような格好いい騎士じゃないぜ」
「そうそ。顔は悪いし、女に見境ないし、卑怯だし、怠け者だし」
「えらそーに口出ししてくる割には弱いしな。邪魔だよ、あいつ」

 一人の批判をきっかけに、火でもついたように全員が全員、くちを揃えて非難する。キリーという男は、どうやら仲間全員から嫌われているようであった。本来なら止める立場であるはずの隊長でさえ、くちを挟もうとしない。それでも一通り批判の嵐が止んだところで、シェリルは隊長に尋ねた。

「アレックスも、キリーのことが嫌いなの?」
「え?……いや、まぁ」
「そんなの、駄目だよ。仲間なんだから皆、仲良くしなきゃ!」

 歯切れの悪い隊長、そして他の騎士達もばつが悪そうな顔をした。

「仲良くしたいと思ってても、あれはなー……」
「向こうも仲良くしたいと思ってくれなきゃ、仲良くなれねぇよ」

 なんて声も聞こえてきて、シェリルは、きっと声のしたほうを睨みつける。

「仲良くするのに見返りを求めちゃ駄目でしょ。誠意を持って、こちらから何度でも。跳ね返されても諦めずに何度でも心を割って話せば、きっとキリーとだって仲良くなれるわ!」

 そこまでしてキリーと仲良くなりたくもないよなぁ、と互いの顔を見やる騎士達。困惑が場の雰囲気を支配した、その時。少し離れた場所から、仲間の絶叫が響いてきた。一瞬にして、騎士達の顔に緊張が走る。

「出たぞ、怪物だッ!! う、うわ、こっち来るな!ぐはぁッ!!」

「し、しまった!」
「えっ、もう出たの!?」
「全員、急げ!ただちに怪物の討伐に向かうッ」

 誰かが たき火をかき消し、真っ先に隊長が声の方角へ走り出す。他の騎士達も慌てて剣を手に取り、彼の後を追った。シェリルもまた、テフェルゼンを追い越さんばかりの勢いで走り出す。

 だが、到着した時には既に時遅く。見張りの騎士は絶命しており、怪物は傷の痛みと怒りで猛け狂っていた。怪物の腕に切り傷を見つけたシェリルが叫ぶ。

「攻撃しちゃったの!? 正気かどうか調べなきゃ判んないのにっ」

 シェリルの言葉に反応したのはテフェルゼンだけだった。他は、初めて見る怪物の姿に動揺し、緊張し、それどころではない。

「正気?どういうことだ」
「あのね、この子達の中には操られてるのと、そうじゃないのがいるの!話しかければ判ってくれる子だっているのよ、なのに先に攻撃しちゃったら話し合いする機会もなくなっちゃうじゃない!」
「話……?言葉が、通じるのか?」

 隊長が なおも尋ねるが、シェリルは構わず飛び出した。怪物の目の前へ。

「おい、危ないぞ!下がれッ!!」
「やめて!この人達、悪くないよ!だから……暴れないでェ!!」


 キリーが到着した頃には、ほぼ全員の騎士が場に集結していた。多勢に無勢、一斉に斬りかかられているにもかかわらず、怪物が弱ったようには見えない。むしろ手傷を増やされて、怒りが余計ヒートアップしているようにも思える。

「遅いぞ、キリー!何していたッ」
「アレン、理由を聞くのは後だ!キリーは攻撃に参加しろ!!」

 キリーは、ざっと場の状況を確認する。暴れている怪物は、腕、胸板、太股、尻、背中に傷を負っている。あちこちから流れ出る血の量は少なくないが、それほど弱ってる風にも見えない。どちらかというと斬りかかっている仲間達のほうに、早くも疲労が見え隠れしているようだ。

 アドバイザーとやらに任命されたシェリルは、後方でへたり込んでいる。その側に転がるのは、人間の首。あれはジョンか。弱いくせに一人で無理でもしたんだろう。馬鹿な奴だ。奴の身体が見あたらない。怪物に食われたか、あるいは踏みつぶされてグチャグチャになったか。

 一番手前で頑張ってるのは、隊長テフェルゼンとアレン。それからセレナも奮闘している。ジェーンは少し離れた場に下がっては斬りかかり、再び間合いを取るといったヒットアンドアウェイ戦法で、マイペースにやってるようだ。さすがは元傭兵、肝が据わっていやがる。

 冷静なジェーンと比べてセレナの戦い方は、普段より無謀だ。目茶苦茶に斬りかかればいいってもんじゃない。黒騎士団きってのじゃじゃ馬でも、やはり緊張してるんだろう。なにせ、今までに見たこともない怪物が相手だから。

「おい!聞こえてるのか、キリー!参戦しろと言っているッ!!」
「へいへい、判りましたよ」

 分析はそこまでにして、キリーも戦いに加わった。といっても、真っ向から怪物に切り込んでいくほど彼も無謀ではない。へたり込んでるシェリルの元へ走り寄ると、彼女に尋ねた。

「おい!怪物は何に弱いんだ?火か、斬撃か?」
「え……あ、火ね!火に弱いけど、でも、起こせる?火」
「起こせるさ。無駄に斬りかかったりしていかなきゃな」

 ポケットをまさぐり火打ち石を取り出しながら、彼女に再度尋ねる。

「で、火を、どうやって使えばいい?薪に火でもつけて投げつけりゃいいのか」
「それでもいいし……剣に火の力をつけて、斬りかかれば!」
「火の力を、つける?魔法じゃなきゃ出来ないぜ、そんなこと」
「うぅん。剣を火の中に突っ込んで!そうしたら、後はあたしがやってあげる!!」

 二人が何かしているのは判っていた。だが隊長もアレン達も、怪物の一撃を避けるのに必死で、じっくり見ている暇はなかった。だからシェリルが彼の剣に何を施したかなど、誰一人目撃していなかったのである。キリー以外には。

「たき火、できたぜ。で、どうやるんだ?剣を突っ込めばいいのか」
「うん」

 次の瞬間、火の中に突っ込まれたキリーの剣が、ぼうっと明るい輝きを放つ。シェリルだ。シェリルが何事か呪文を唱え、キリーの剣にかけたのだ。

「魔法だと!?お前、魔法が使えたのかよ!」

 驚愕したキリーが問えば、シェリルはキョトンとして首を真横に振る。

「魔法?魔法じゃないよ、今の」
「じゃ、何だってんだよ!」
「今のはね、精霊の加護。火の精霊の力をキリーの剣に貸してもらったの」

 精霊の加護。そんな力、初めて見た。そもそも精霊が、この世界にいるなどといった話も聞いたことがない。だがキリーの剣は灼熱の赤に輝いているし、シェリルの言うことは、まんざら嘘というわけでもなさそうだ。

「……お前、何者なんだ?なんで、こんな真似が」
「話は、あとあと!早く、あの子を倒しちゃって!」

 話を途中でぶった切られ、背中を押されて仕方なくキリーは怪物の元へ向かう。テフェルゼンやアレンでも苦戦しているようで、確かに話し込んでいる場合ではなさそうだ。それ以前に黒騎士団が総勢で斬りかかっているというのに、怪物は未だ疲れの色を見せていない。なんという体力の持ち主。こういうタフなバケモノには、ちまちま斬りかかるより一気に弱点でも攻めた方が正解だ。

「どいてろ隊長、アレン、セレナ!一気にぶった切る!!」
「なにッ」
「よせ、飛び込むな!迂闊な行動は死に繋がるぞッ」
「そうですわ!貴方ごとき雑魚の勝てる相手では――」

 言いかけたセレナのくちが、ぽかんと開く。後方から走ってきたキリーが怪物の腹を横一文字に斬りつけた途端、目もくらまんばかりの閃光と、怪物の咆吼が辺りに木霊したからだ。それは、あまりにも悲痛な絶叫で、聞く者さえも痛みを錯覚して顔をしかめてしまうほどの咆吼であった。

「なんだ、これ……」

 斬りつけた、当のキリーも唖然としている。見る見るうちに、腹につけられた傷からあふれ出た光が怪物の体を包み込み、ぼぅっと派手な音を立てて着火した。燃えさかる炎にのたうち、苦しみながら転げ回る怪物。一番最初に我に返ったのは、さすが元傭兵とでもいうべきか、ジェーンであった。

「馬鹿!森の中で火を使うなんて、キリー、あんた自殺する気か!?」
「いや、見ろ!あれをッ」

 別の誰かが怪物を指さす。ごろごろと草に転がって火を消そうとする怪物だが火は全く衰えを見せず、かといって草に燃え移る気配もない。火は怪物の体だけを燃やしていた。

「な、なんで燃え移らないんだ……?」
「大丈夫だよ。火の精霊さんに、あの子だけ燃やすよう頼んであるから」
「シェリル!?君か、あれをやったのは!何をやったんだ!?」

 キリーの後ろから、のんびりと歩いてきたシェリルは、転げ回る怪物を悲しそうに見つめながらポツリと答えた。

「火の精霊の力を、キリーの剣に付加したの。……ホントは倒したくなかったんだけど、正気に返りそうになかったし……」
「火の、精霊?精霊って、何だ?」
「お、おい、見ろ!怪物がッ!!」

 再び、ごうっと炎の力が強まったかと思うと、長く尾を引く断末魔を残して怪物の動きが止まる。あっ、と思う暇もなかった。怪物の動きが止まった瞬間、炎が奴の体を完全に飲み込んでしまったのだ。ようやく皆の金縛りがとけた頃には、炎も、怪物の死体も、跡形もなく消え去っていた。

「魔法でも、あんなに続かないぜ、効果」
「だから、魔法じゃないんだって」
「じゃあ!何だって言うんだよ、キリーッ!」
「火の精霊の加護だとよ」

 ちら、と皆がシェリルに目をやると、にっこり微笑んだ顔と目があった。

「ねっ。あたし、役に立ってる?」
「立った、立った!すごいよ、シェリルッ!」
「精霊の加護?について、もっと詳しく教えてくれるかな!?」

 わっ、と彼女の周りを囲んで大絶賛する騎士達。を横目に、テフェルゼンは何事か考え込む。彼の様子に気づいたセレナが尋ねると、隊長は顔をあげ、ぼそりと答えた。

「どうか致しまして?隊長」
「……改めて彼女の素性を調べておく必要があるな。セレナ、ジェーンを呼んでくれ。彼女に調べさせよう」
「確かに、あの子供の素性は気になりますわね。宜しければ、わたくしが調べてまいりましょうか?」
「いや。調査ならジェーンのほうが適役だ。君は、それとなく彼女を監視して様子を探って欲しい」
「了解ですわ。どのような性格か、見極めれば宜しいのですわね?」

 頷いて、セレナはシェリルを取り囲む黒い輪に目を向ける。彼女は今の一件で、すっかり皆の英雄にされていた。アレンがシェリルの武勇伝――最初に出会った時の事を皆から促され、話しているのが見える。皆が盛り上がる中、キリーだけは何故か浮かない顔でソッポを向いていた。

「お気の毒ですこと」
「……なにがだ?」
「倒したのはキリーですのに、英雄扱いされるのはシェリルですのね」
「あぁ。直接倒す原因を与えたのは、シェリルなのだから当然だろう」

 それで、彼は ふてくされているのだろう。いい気味だわ、とセレナは思った。普段から彼の素行は気に入らない処ばかりなのだ。それでいて、キリーはセレナにも対等の口を利く。はっきり言って、セレナはキリーが嫌いであった。それも大がつくほどに。キリーのことを考えていると胸くそが悪くなる。セレナは気分を変えようと辺りを見渡しているうちに、ふと気づいた。

「あら?そういえば、マリエッタがいませんわね」
「なんだと」
「あの子、キリーと同じ方角で見張りをしていたはずですのよ。一緒には来なかったのでしょうか」

 言った側からテフェルゼンとセレナの脳裏を、嫌な予感が走り抜ける。森に潜んでいる怪物は、一匹だけではないのでは?直ちに、隊長は全員に集合をかけた。退治した安堵から気のゆるみがちな面々を見渡した後、厳しい面持ちで新たなる命令を下す。

「マリエッタが戻ってこない。最悪の場面も想定される、全員直ちに捜索に当たれ」
「はい!」
「あぁ……あいつなら、そのうち戻ってくると思うぜ?」
「何?キリー、お前は彼女の行き先を知っているのか」
「あぁ、まぁ、ちょっとチョッカイかけたら動けなくなっちまったみたいでな」

 またかよ、みたいな舌打ちを誰かが漏らす。あからさまに嫌悪の表情を浮かべている女騎士もいて、シェリルは困惑する。

「ねぇ、どうしたの?皆、なんだか雰囲気悪いよ?」
「あいつの悪癖が出たってだけの話さ。シェリルちゃんも気をつけろよ?」

 言い捨て唾を地面に吐いた騎士は、さっさとテントの中へ引っ込んでいった。他の者達も、思い思いに剣の手入れをしたり、休む準備を始めている。マリエッタを探しに行く、という命令は、キリーの一言で無に返されてしまったらしい。

「ね、ねぇ。探しに行かないの?マリエッタ。心配じゃないの?」
「大丈夫だろ……戻ってくるさ、体の火照りが取れたらだけど」
「アレックスも!探しに行こうよ!」
「いや、今は彼女に会わない方がよかろう。彼女にもプライドはある」

 ただ一人、わけが判らない、といったシェリルを残し。全員装備の点検と寝る準備を始めろ、と隊長は皆に命じると、己のテントに入っていった。
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