6.友達の第一歩

物心がつく前から、お父さんの仕事の都合で、僕の家族は各国を回った。
幼い頃は海外で大学まで過ごすのかと考えていたけれど、僕が中学三年生の終わり頃に一家は日本へ帰国。
日本へ帰ってきた僕が一番驚いたのは、帰国子女に対する日本の子供たちの態度だ。
簡潔に言うと、漫画やドラマの影響を受けすぎだと思う。
一番堪えたのは「帰国子女なのに英語が得意じゃないんだね」といった、同級生の何気ない一言だった。
英語が得意じゃない?
当たり前だ、ずっと日本人学校に通っていたんだから。
買い物は両親がしていたし、外に出ることがあっても知らない人とは喋らないし、家での会話は全日本語だ。
お父さんは仕事で、お母さんは買い物で、それなりに英語を喋っていた。
でもって、幼い頃の僕も近所の子と英語で喋っていたらしい。
お母さんからの聞伝えで、自分では全然記憶にないんだけど。
ともかく、向こうでもあまり頭が良いと言えなかった僕が、帰国子女というだけでエリート天才バイリンガルな扱いをされたのだ。
勿論、彼らの期待は初テストで脆くも崩れ去った。僕の点数がお世辞にも良くなかったせいで。
同級生は僕に対する興味を失い、中三の途中で編入したせいか友達は一人もできず、ぼっちで卒業式を迎えた。
何故お父さんは、僕が中学を卒業するまで帰国を待ってくれなかったんだろう。
判っている。仕事の都合だ。
僕のお父さんは仕事一筋、趣味を持たないワーカホリック人間だ。
家族よりも仕事を優先する、そんな人だからこそ一家をあちこち連れ回して、挙げ句、卒業間近の学校を辞めさせたんだ。
あっちで卒業したかった。それなりに友達もいたし、きっと感慨深い卒業式になったことだろう。
帰国してから向こうの友達との連絡は途絶え、僕は独りぼっちになってしまった。
だから――高校では失敗したくない。友達を作って、小さかった頃みたいに楽しくやるんだ。

とにかく高校に行く、入って友達を作ることしか考えていなかった僕は、自分の学力を浅はかにも忘れていた。
高校受験は海外と日本の違いを思い知らされ、なんとか一校だけ合格をもぎ取った。
それが私立表坂高校だ。実際には定員割れだったというんだから、相当人気のない学校を選んでしまったらしい。
それでも入学式には保護者がぎっしり体育館の後方を占め、定員割れとは思えないほどの生徒が集まっていた。
僕のクラスは1−6、二階廊下の一番奥まった場所だ。
初日の自己紹介で「月見里 颯太やまなし そうたです」と名乗った後。
僕は向こうで初めて名乗った時に訊かれた「ツキミザトと書いて、何でヤマナシって読むの?」とか「珍しい苗字だね〜。どこ出身?」といった質問がくるだろうと身構えていたのだが、帰りのHRが始まる前も、下校時刻になっても、さらには翌日も、翌々日にも尋ねてくる人は誰もおらず、少々拍子抜けした。
この学校の生徒は他人の名前に興味がないのかな。
それとも、僕が地味なせい?
周りを見渡してみると、派手な子と地味な子の境界線が、くっきり浮かび上がる。
派手な子は大抵授業には遅刻してきて、授業中にも平気で断りなく教室の外へ出ていったりする。
地味な子は僕と同じく授業には遅刻せず、終業まで残っている。
派手な子は地味な子達から『ヤンキー』と呼ばれているようだ。
日本人なのにヤンキー?と一旦は首を傾げたけれど、派手な子たちが揃って髪の毛を茶色や金色に染めている点が由来かもしれない。
一ヶ月経つ頃には、僕にも表坂高校はヤンキーの巣窟だと他校で呼ばれているといった情報が回ってくるようになった。
全部、同級生の噂話だけど。三ヶ月が過ぎた今でも、友達は一人もいない。
先生の話だと、もうすぐ合同修学なる行事が始まるらしい。
三クラス合同で、男子も女子も等しく全員が家庭科を学ぶんだそうだ。
期間は三日と短いが、三日間、学校で寝泊まりする。うちと合同になるのは二組と四組。
一組と三組と五組は別グループだそうで、少しホッとした。一組はガラの悪い子が、たくさんいるって訊いたから。
さっき家庭科と言ったけど、正確には家事だ。掃除洗濯料理の三点セットを覚えるのが、この行事の要らしい。
僕にも出来そうな内容で安心した。海外で暮らしていた頃は、よくお母さんの手伝いをしていたし。
この行事で友達が出来るといいなぁ。この際、六組以外の子でもいい。


学校行事が近づくにつれ、教室でも廊下でも、その話題で持ちきりとなった。
皆、誰と班を組むか、寝る時はどの教室を使うのかといった、お気に入りの友達と一緒になれるのかどうかばかり気にしている。
そういった会話のできる相手がいない僕は、なんとなく昼休みを教室で過ごしたくなくて、屋上へあがってみる。
普段は先輩が占拠しているせいか扉も閉まっているんだけど、この日は何故か開いていた。
ワイワイと騒がしい声が聴こえる。ここにもいたのか、仲良しグループが。
仕方ない。屋上で弁当を食べたい子は僕だけじゃないだろうし。
そっと扉を開けると直線上、輪になって座る一団が見える。
真正面に座るのは小柄な子だ。あんな子いたっけ、入学式に。
でも、知らなくて当然か。
部活に入っていない僕は、自分のクラス以外の子を全然知らない。
部活に入らなかったのは……よく判らなかったんだ。どれが面白そうなのか。
小柄な子の隣に座るのは、格段に背の高い男子。
その子の隣に女子、男子、男子、女子、女子で輪になって座り、ほとんどの子の視線が背の高い子へ向かっているところを見るに、あの子がグループのリーダーなんだろう。
小柄な子は「にしても残念だなぁ!小野山のエプロン姿が見れるかと思ったのによ」と、はっきり女子だと判る甲高い声を発した。
「ばっちり写真に撮っといてあげるよ!」とは背の高い子の真正面に座る女子の弁。
カメラ撮影は禁止って栞に書いてあったと思うんだけど、彼女がルール破り上等派なのは派手な格好からも見当がつく。
女子は地味な子が三人。小柄な子も地味な部類に入るよね、黒髪だし。
男子は全員黒髪だ、背の高い子も含めて。写真云々と言っていた子だけヤンキーなのか、珍しい。
この学校では、派手な子と地味な子は一貫して別行動を取るんだ。恐らくは性格の不一致で。
性格が格好に表れるのかもしれない。
「それより包丁だよ〜?坂下さん、包丁使える?あたし、包丁握るの怖くってさぁ」と、三つ編み女子が言う。
地味な子は真面目が多いと思っていたけど、家庭科を苦手とする子もいるんだな。
「任せろよ!料理は得意中の得意だぜ」と小柄な子、坂下さんが元気よく頷く。
僕が思うに彼女は父子家庭で、お父さんを支えるためにヤンキーを卒業して真面目に生まれ変わったんだ。
口汚いのもヤンキーだった頃の名残だろう。口癖って、なかなか抜けないし。
「マジで?どんなの作れるの」
ツーブロック男子の質問に、坂下さんは「そうだな〜、いっちゃん得意なのは里芋の煮物だ」と自信満々に答えた。
日本家庭料理の定番だね。僕のお母さんのレパートリーでもある。
「え、煮物とかガチ和食じゃん……すご」と驚くショートボブ女子が、坂下さんに頼み込む。
「じゃあ、じゃあ教えて!合同で、煮物の味付けレシピッ」
「おう!いいとも、手取り足取り教えちゃるぜぃ」
坂下さんはニッコニコ、満面の笑みだ。よほど料理の腕を褒められて嬉しいと見える。
ここからだと中身までは見えないけど、多分あのお弁当は坂下さんの手作りなんじゃなかろうか。
ちらっと彼女の手元を覗き込む真似をして、五分刈り男子が天を仰ぐ。
「いいなー得意レパあんの。俺等も坂下にって、あー、一組は別グループかぁ、残念」
隣でツーブロック男子が笑う。
「奇数と偶数で分けるって斬新な発想だよな、この合同。お前の分まで俺が伝授してもらってくるよ」
女子は全員お弁当で、男子はツーブロックくんと五分刈りくんがお弁当、背の高い子だけ買ってきたパンだ。
きっと彼の家は、お母さんが忙しくて、お弁当を作ってもらえないのかもしれない。
というか、さっきから喋っているのは周りの子ばかりで、背の高い子は無言でパンを食べている。
てっきり彼がグループのリーダー格だと思ったんだけど、違うのかな。えらく無口だ。
「小野山、お前は料理できるのか?」と坂下さんに問われて、背の高い子――小野山くんは坂下さんへ目を向け、首を真横に振った。
「だよなー、できねーよなー、小野山も仲間でホッとした!」
一通り騒ぎ立てた後、「なんで家庭科なんだよなぁ、修学科目。他のでもいいじゃん」と五分刈りくんが口を尖らせる。
「まぁ、でも合同の成果は成績と関係ないって先生も言ってたし?」とは三つ編みの子。
そうそう、栞にも書いてあった。
合同修学は、あくまでも学ぶ行為が重要であって、結果は通信簿に響かない。
お泊り会はオマケだ。修学で頑張る子供たちへのご褒美ってなところだろ、多分。
サマーキャンプみたいで、ちょっとドキドキする。布団を敷くのかな、それともベッドを用意するのかな。
「考えようによっちゃ家庭科で良かったのかもしんねーぞ。数学や英語なんて言われたら困る奴だっているんじゃねーか?なぁ、小野山」
ニヤッと坂下さんが意地悪な笑みを浮かべる。
なるほど……小野山くんは英語ないし数学が苦手なのか。
そして、それを何故かクラスの違う坂下さんは知っている?
いや、何故かってことはないか。ここにいる一団は全員友達の間柄だ。
小野山くんが何か言う前に、ショートボブ女子と茶髪ヤンキー女子が同時に叫んだ。
「困るーそれ、すっごく困る!」「やだー!家庭科でいいっ、英語や数学じゃ補習と変わんないじゃん!」
まだ期末も中間もやっていないのに補習という単語が出てくるあたり、ヤンキーの子は過去の忌まわしき記憶が蘇ったのかな。
ショートボブ女子は一瞬キョトンとしていたけど、すぐ視線を小野山くんに併せて微笑んだ。
「小野山くん、合同じゃグループは違っちゃうけど……寝る前に絶対パジャマパーティしようね!」
パジャマパーティ、とは。
首を傾げる僕をよそに、一団は大いに盛り上がる。
「いいね、パジャマパーティ!お菓子って持ち込みオッケーだっけ」
「ダメーって書いてあったけど、こっそり持ち込んじゃえば判んないよ!」
「お菓子もいいけど、なんか音楽あったほうがいいよね。スマホは持ち込めるんだし、色々入れてくるよ。リクある?」
「そこは木村さんのオススメで!ねね、なんだったら今日の帰り、皆でお揃いのパジャマ買わない?」
「おそろいって、なんでだよ」
「なんででも!ほら、仲間のシルシに?どうせ一年しかない行事だし、林くんも弾けちゃおうよ」
……といった具合に。
騒いでいないのなんて小野山くんぐらいで、坂下さんも「パジャマパーティか!一度やってみたかったんだよなぁ」と嬉しそうだ。
その坂下さんが、至って気楽に言い放った。
「おーい、そこで見てる、お前!お前もコッチこいよ、一緒にもりあがろうぜ」
――誰に話しかけているんだ?
じっと坂下さんを見つめると、彼女が大きく頷く。
……え?
僕?
僕に言ったの?今の。
「えっ?誰かいたの」と驚く三つ編み女子、「ずっと見てたの!?やだ、キモーイ」と騒ぐヤンキー女子。
あぁ、まずい。延々覗き見していたのがバレて、屋上へ出づらくなっちゃった……
小野山くんが不意に立ち上がったかと思うと、ずんずんこっちに歩いてきた。
僕も背が高いほうだけど、彼は背が高いだけじゃない。腕や胴、足回りに筋肉がついている。
覗き見していた件で殴られるんじゃないかとビクつく僕へ小野山くんがボソッと呟く。
「一年か?」
「あ、は、はい……」
「合同修学、楽しみだな」と僅かに笑った小野山くんに手を差し出されて、そっと握り返した途端。
有無を言わせぬ力強さでグイグイ引っ張られていき、僕は小野山くんの隣に座らされた。
あぁ、皆の視線が僕に集中する。三つ編み女子とヤンキー女子の視線が痛い……
なんとなく全員から自己紹介を求められているようにも感じたので、仕方なく名乗った。
「い、1−6の月見里 颯太と申します。え、えぇと、皆さんが話しているのが聞こえて、会話を邪魔しては悪いかと思い、考えあぐねているうちに屋上に出そびれて……」
もそもそ言い訳を並べる僕を遮ってツーブロック男子、林くんが尋ねてくる。
「ヤマナシ?珍しい苗字だなー、どう書くの?」
続けてショートボブ女子、木村さんにも「六組なら小野山くんと一緒のグループだね!ねぇ、月見里くんは料理得意?」と微笑みかけられて、知らず頬が熱くなるのを覚えながら、僕は半年ぶりに同世代との会話を楽しんだ。

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