
ナゴヤ城の足元に、見回り組の駐屯所はあった。
屋根には、筆で豪快に書かれた【見回り組】の看板が打ちつけられている。
駐屯所には常に、二、三人の隊員が詰めていた。
見回り組の隊員は一様に揃いの羽織を着込んでいる。
背中に【見回り組】と書かれた羽織を。
その駐屯所には地下がある。
うすぐらい廊下を歩いていくと突き当たりに出るので、正面の壁を一回転させれば、さらに奥へと続く地下牢があった。
見回り組隊員の聖に案内され、楼は突き当たりのどんでん返しを抜ける。
壁の向こう側には空の牢屋と、地下へと続く穴が掘られていた。
穴の中では、縄ばしごが頼りなげに揺れている。
「地下牢に、地下二階か……」
「地上に塔をおっ建てると殿様がギャーギャーやかましゅうてかなわんさけ、地下を掘り下げたんや。地下なら、なーんも言われへん」
聖と名乗った隊員は楼を案内がてら、自慢げに話した。
「キョウの城が落ちた時、降魔の連中は捕まえなかったのか?」
「一旦は捕まえたんやけど、佐久間の阿呆が油断して逃げられよった。なんや佐久間の話やと、犬の仮面被ったオッサンが邪魔したーちゅう話やで」
父の情報と一致する。
獣人が降魔に加担したのは間違いないようだ。
「さ、いくで。この下に隊長がおってん」
真っ暗な穴の中を、聖はひょいひょい縄ばしごをつたって降りていく。
楼も彼の後に続いて降りていった。
穴の底は暗い。
だが、次第に目が慣れてくると地下の様子も判ってきた。
蝋燭の灯りが左右を照らし、細長い道の先に壬生は居た。
座布団の上で腕組みをして、目をつぶり坐している。
足音が近づくと、彼は目を開いた。
「聖か。どうした?」
思ったよりも若い声だ。
「隊長に会いたいっちゅーお客人を連れてきたんやけど」
楼は壬生を間近で眺めた。
細面に吊り目の瞳、腕についた筋肉は逞しい。
見た目から推定できる年齢は二十代前半ぐらいだろうか。
髪はざんばら、着物の袖は肩の付け根から引きちぎっている。
真面目な侍の格好とは言えない。風来坊と言った方が正しいように思えた。
挨拶もせずに無言で立っている楼の脇腹を、聖が突っついてくる。
「ほら、はよぅしてや。俺ぁ見張りに戻らなアカンのやし」
「あぁ……俺の名は柳一族が頭目、楼」
楼を頭のてっぺんからつま足まで眺め回してから、壬生が答える。
「伝説の忍者か。その体術を受けて生きてた者はいねぇとされる……だが聖が通したってことは、聖、お前は信じた。そうだな?」
壬生の問いに、聖は口から唾を飛ばしながら弁解する。
「こいつ、俺の刀をあっさり受け止めよったんやで!特攻隊長の、この俺の刀を!特攻隊長が認めるくらいやからぁ、こいつは凄腕やでぇ。ホンマ!」
「ふん。腕がなまってきてるんじゃねぇのか、聖」と隊長に鼻で笑われて、聖は天井を仰ぐ。
「そらあんまりでっせ、隊長〜っ」
壬生の視線は再び楼へ戻った。
「この場所を知ったからには、てめぇも今から俺達の仲間だ。聖の顔に免じて、てめぇを信じてやるよ。だが、判ってんだろうな?もし見回り組を裏切るような真似をすれば……柳の里は皆殺しだ」
人をも殺せそうな鋭い視線を向けられても、楼は臆せず応える。
「それは見回り組の行動次第だ。柳一族が見回り組の味方につくのは、ジパンを鎖国から解放しようというナゴヤの殿様の心意気に胸を打たれたからだ。お前達が欲得に走るようであれば、いつでも後ろから討たせてもらう」
もちろん、この理由は楼が今しがた思いついた嘘に過ぎない。
ナゴヤが首都になろうがジパンが開国しようが、柳一族にとっては大した問題ではない。
彼らは独自にインディゴで静かな生活を送っているからだ。
ただ、楼個人としては何としてでも今の内乱を鎮めたいと思っている。
以前に起きた内乱でも、多くの人が死んだ。二の舞は御免である。
だから今回の首謀者であるナゴヤ自体を内から崩そうと、一芝居に出たのだ。
必要であれば、見回り組だけではなくナゴヤの殿様も討つ覚悟があった。
「強気な奴は俺も嫌いじゃねぇ。いい働きを期待してるぜ」
壬生は気づいているのかいないのか、凛と言い放つ楼をにやにやと眺めている。
「ほな、さっそくナゴヤの警備に当たってもらおか。いくでぇ」
「判った」
聖に促されての去り際、ちらりと壬生を振り返る。
壬生は再び目をつぶっていた。
こんな地下牢で一人、彼は一体何をしていたんだろう……?
楼は疑問に思ったが口には出さず、地上へ出ていった。
見回り組の味方についた楼の初仕事は、オオエドとキョウを結ぶ検問の警備であった。
「何故、オオエド間の検問を見張る必要があるんだ……?」
不思議に思い、楼はお目付け役の隊員へ尋ねてみた。
すると、すぐに答えが返ってきた。
「オオエドの殿様がこっち向こうとるらしーねん。さっきオオエドにいる神八はんから、そーゆー情報が入ったんや。せやから、検問の警備を厳重にしたろ思うてなぁ」
オオエドからナゴヤへ直接抜けることができないように、ナゴヤからもオオエドへ行くには一旦キョウを抜ける必要がある。
二段重ねの検問で調べていけば、顔の割れているオオエドの殿様のこと、必ずどちらかで弾くことができる。
「俺らとしちゃー、堀田はんと井妻之はんが和解されちゃ困るんや。何のために戦争起こしたんだか判らへん。絶対に井妻之はんをナゴヤに入れんよう、きばって見張りしぃや」
「判った。オオエドの殿様は追い返すだけでいいのか?」
少し考えた後、隊員は笑顔で答え、楼の背中をポンポンと叩いた。
「そやな。オオエド住民を敵に回すのも得策やないし、とりあえず追い返すだけでエェわ。頼んだでー」
そうこう話しているうちに、最初の検問が見えてくる。
ナゴヤとキョウの地域境だ。
だが、どうにも様子がおかしい。
検問の前で、何やら隊員と揉めている男がいる。
「なぁなぁ近藤はん、どないしたん?」
男の襟首を掴んだまま、見回り組隊員が振り返る。
「こやつ、自分をチャイナロウス生まれだと言い張りおる。だが今、トラベータは封鎖されておる。こやつがキョウから戻ってくるとは考えにくい。怪しい奴だ」
男も負けじと、襟首を掴まれたまま捲し立てる。
「内戦が始まる前に行って、戻ってきたー言うとるやんか!何回言えば判るねん、この石頭!」
男を指さし、隊員は楼へ囁いた。
「まぁ、ちょっとでも怪しい奴はこうやって弾いてや」
「……判った」
お目付役は、あまり揉め事に関わりたくないらしい。
楼も彼に従い、揉め事には関わらないようにした。
「昭輔、そっちの男は何だ?新入りか」
近藤に尋ねられて、お目付け役の昭輔が頭を下げる。
「そや。柳一族の楼やて。ホンマかウソかは、すぐに判るわ。これからコイツ連れてオオエドの検問行くねん」
「そうか。すぐに戻ってこいよ……殿様がお呼びだ」
「判っとるわい、こいつ送ったらすぐに戻るわいな」
見回り組と連れ立って検問を出ていく楼を、人混みに紛れて見送った忍びがいた。
もっとも今は忍び装束ではないから、言わなければ誰も彼が忍者とは気づくまい。
いなせな着流しに身を包んだ劫火は、人混みをそっと抜けだし走っていった。
向かうのはナゴヤ城。
急いで堀田に知らせなければならない。
柳一族が見回り組についたという事実を。
ここで、ナゴヤという地域について少し説明しておこう。
城が建つのは、堀田 清志狼が治めるナゴヤの中心部にあたる。
城を囲むように城下町が広がり、少し離れた処に小さな川を挟んでチャイナロウス。
そしてその反対側、山脈の向こうにはインディゴがある。
ナゴヤは東大陸ジパンの中で、もっとも広大な土地だ。
それ故にナゴヤの中にありながら、インディゴとチャイナロウスは堀田とは別の者がその区域を取り仕切っていたし、形の上では堀田の部下となっているはずの見回り組も、命令違反を多々起こしていた。
ナゴヤは良く言えば自由、悪く言えば無法地帯といってもいい。
とはいえ堀田とて、その状態を、いつまでも放置しておく気はない。
この日、彼は配下の一つである甲賀忍群を呼び寄せていた。
「見回り組は本気で謀反を起こすつもりです。キョウを制圧しただけでは飽きたらず、柳一族までも引き込む……これ以上の暴走を許したとあっては、堀田様の威信にも関わります!」
いきり立つ女忍びをマァマァとなだめながら、堀田は立ち上がり窓の外を見る。
ナゴヤの城下町は一見平和であった。
だが往来を行き来する民の姿はまばらで、どこか寂しい。
トラベータが封鎖され、外からの冒険者も旅行者も入ってこなくなった。
「戦が起こりゃあ、こうなるのは判っていたはずなのになァ。なんで俺の言うことば聞かないんかなァ、壬生の莫迦は」
背後に控えていた忍者の一人が膝を進める。
「恐れながら奴らの狙いは堀田様、貴方様の失脚です。ジパンを開国させる……そう言えば、貴方様のお許しが出ると。壬生でなくても、そう考えます。殿は壬生に気を許されすぎたのでございます」
「……言葉が過ぎるぞ、鳶猿」
仲間の忍びに睨まれ、前に出た忍者は押し黙った。
堀田は黙ったまま窓の外を見ている。
下の大通りを誰かが猛スピードで走っていくのを見ながら、ぽつりと呟く。
「井妻之殿は無事にナゴヤへ入れただろうかなァ〜。劫火、おンしの部下を何人か検問にやっちょくりィ」
名を呼ばれた劫火は、ハッと顔をあげる。
「は、はい……しかし、ここを手薄にしては殿の御身が」
「壬生はよォ、まだ動かないと思うけん。少なくともオオエドからの使者が到着するまでの時間は稼げようよ」
自身ありげな殿を見て、女忍びの琴音が首を傾げる。
「井妻之殿を囮になさるおつもりですか?」
堀田はニヤリと微笑んだ。
「当然や。俺はよ、オオエドがうまく泳いでくれるのを期待しちょる。でなきゃ〜危険を冒して使者を飛ばした甲斐がなかと」
かと思えば、飄々とした顔で再び窓の外を見た。
通りを走る男の背は、とうに見えなくなっていた。
「殿、実は……トラベータが封鎖された後、配下の者を一人、外の国に飛ばしておきました」との劫火の発言に「ホ?」と堀田は驚く。
初耳だ。
トラベータを使わずに外へ出るとなると、交通手段は限られる。
海路か、空路か。あるいは地下も有り得る。
「甲賀ではありませぬが、優秀な侍です。奴は地下船を所持しております……」
堀田はポンと手を打った。心当たりがあったようだ。
「あぁ!久我の小倅か。で、商家のボンを外に飛ばして、何をさせる気じゃ?」
「……冒険者を捜すよう命じておきました」
「外の者達の力を借りるというんか。ふむ……しかし、それは」
渋る殿の背を押すように、琴音が進言する。
「殿。今はジパンの体面をお考えになっている場合ではありませぬ。すでに奴らは柳一族を仲間に引き入れ、何事かを企てている様子……戦の火種がジパン全土を焼き尽くす前に、我らは手を打たねばなりませぬ。その為にも異人を仲間に引き入れ、そして降魔の生き残りを捜してみては如何でございましょうか」
「降魔?降魔を、仲間に?」
訝しむ堀田に、劫火も口添えする。
「そうです。奇襲をかけられたとはいえ、彼らがそう簡単にくたばるとは思えません。必ず、生き残りがいるはず。もし頭目級の生存者を我らの味方につけることができれば、柳一族にも匹敵する戦力を手に入れる事となりましょう」
「とはいえ、兵を探索へ出す余裕もあらへんぞェ。どうするんや?」
劫火は少し考えた後、自ら申し出た。
「配下の者は城へ残し、自分が行きます」
「ん〜。しかし降魔が民は、もしかすッとキョウを抜けとるやもしれんきに。おンしは、どの辺を探す気なんじゃァ?」
殿の懸念にも、劫火は淀みなく答える。
「まずは検問。検問まで出向き、オオエドの殿がいないかどうかを確認がてら、キョウの城を通ってオオエドとキョウ境の検問まで行ってみます」
「遠出じゃの。あまり遠くへ行くと、戻ってこれなくなるけん」
「その為に配下を残してゆくのです」
真摯な眼差しを真っ向から受け止め、堀田はふぅと溜息をついた。
「止めても無駄かいのォ〜。ならしゃーない、行ってこいや」
「御意……必ず戻って参ります」
堀田が劫火から窓へ視線を移した直後には、劫火の姿は部屋から消えていた。
堀田が窓の外を眺めた時に、大通りを疾走していたのは月斗であった。
見回り組の様子を探りに行くはずが、柳一族を見かけて、とんぼ返りしたのだ。
月斗の足は、まっすぐチャイナロウスに向かっている。
この内乱は興味本位で首を突っ込むと死にかねない。
要は楼の参戦を知り、怖気づいての退散だった。
月斗が去った後、入れ違い気味にナゴヤの大通りをのんびり歩いてゆく者がいる。
黒髪を幾重もの輪に結い上げ、薄紅色の着物を身にまとった少女こそは、久しぶりの帰郷を果たした封魔忍者の刹那だ。
楼や月斗よりも、かなり遅れてナゴヤへ飛ばされた彼女は、物珍しげにあたりを見渡した。
なにしろ彼女の故郷はオオエドで、オオエド以外の町へ足を運んだことがない。
これが初のナゴヤ来訪、真っ先に目に入ったのは見回り組の駐屯所であった。
隊員ともすれ違ったが、彼らは刹那を只の小娘と捉えたのだろう。
特にイチャモンをつけるでもなく、通り過ぎていった。
揃いの羽織を着た軍団が通り過ぎていった後、今度は一人の男が城の方角から歩いてくる。
前をはだけた着流しで、一見は遊び人風味な格好だ。
男は、まるで見回り組が行くのを待ってから現れたようにも見える。
「ねぇ、あなた。ここは何の建物なの?」
刹那が呼び止めると、男はひょいと肩をすくめて教えてくれた。
「見て判らねぇか?見回り組の駐屯所だ」
男の視線を辿ると、屋根の上にて【見回り組】と書かれた看板が目に入った。
「ってか、知らないのかよ。お前もジパン人だろうに」
「わたし、オオエド以外は見たことないもの」と答え、刹那は早足で立ち去ろうとする男を追いかける。
「あなたは、あの羽織を着ないの?」
「あ?」と人相悪く睨まれて、思わず刹那は一歩引く。
先ほどまでの愛想の良さは何処へやら、眉間に青筋を立てて男が怒鳴りつけてきた。
「てめぇ、俺のどこが見回り組に見えるってんだ?ガキだからって人を馬鹿にするんじゃねぇ!」
「え、あ……ごめんなさい」
――と、その時。
ナゴヤ城の方角から、ゴゴゴゴゴ……という轟音が聞こえてきた。
地の底から聞こえてくるような、奇妙な音だ。
男はそちらに目をやり、小さく呟いた。
「……やっと戻ってきやがったか」
再び、ジロリと刹那へ視線を戻す。
「おい。俺についてくるんじゃねぇよ。お前にかかわっている暇なんざねぇんだ。検問まで急がにゃなんねぇからな」
日が傾き始めている。
刹那も、そろそろ何処かで宿を取ったほうがいいだろう。
「検問?そこに何があるの」
「あぁ?なんだって、お前に言わなきゃなんねーんだよ。関係ねぇだろうが!」
空の色を見て本来の目的を思い出したのか、男の走るスピードが速まった。
「おっと、こうしちゃいられねぇ……じゃあな、あばよ」
男は遊び人と思えないぐらいの早足だが、忍びである刹那がついていけない速さでもない。
ナゴヤとキョウの間には検問があった。
元々は領土境を通行する旅人を審査する為にあったのだが、現在は見回り組の隊員が占拠という形で我が物顔に陣取っている。
刹那の追いかける男は、検問の少し前まで行った辺りで速度を緩めた。
しかし検問を通る人影の少なさに舌打ちをかますと、ゆっくり検問の方へ歩いていく。
見張りの側まで行った時だった。連中に声をかけられたのは。
「よォ……劫火様じゃねェか。ヘッヘッヘ、検問に何の用だ?ここはお前様みてぇな殿様の腰巾着が来る場所じゃねェぜ」
男の名は劫火というらしい。
「ナゴヤの住民が検問を通ったらいけねぇのか?てめぇらに一つ聞きたいんだが、まッ、素直に答える気はないんだろうな」
「判っているじゃねェか……さっさと失せろ」
劫火と見張りが睨み合う中、別の見張り達も煽りに混ざってくる。
「いやいや、劫火様のことだ!素直に吐きたくなるよう力尽くで来られるかもしれねぇよ?」
「怖い怖い、さすが殿様の草はお強いねェ。この大人数を相手に一人で健闘ってかァ」
劫火はペッと地面に唾を吐いた後、踵を返した。
「誰も力尽くで聞き出そうなんざァ思ってねーよ。だが、お前らの態度で聞き出したいことへの答えは出たさ。ありがとよ」
負け惜しみともとれる態度に、去りゆく彼には数々の罵声が浴びせられる。
「お優しいねェ、劫火様!その調子で今度は城の明け渡しも頼んますぜ!」
「そん時ァ、殿のお首も一緒にな!約束だぜェ〜」
劫火が刹那の元へ歩いてくる。
すれ違う寸前、足を止めて小声で囁いてきた。
「……おい。見回り組に興味があんのか?ないんだったら、家に閉じこもって震えてやがれ。あるんだったら理由を教えな。奴らに味方しようってんじゃない限り、相談に乗ってやってもいいぜ」
「内乱を、止めたいの」
ぽつりと刹那が答える。
「教えて。誰が、ジパンをかき回しているのか。わたしにできることがあったら、それも知りたい」
「てめぇみたいなガキにできること、だァ?ヘッ、そんなもんは自分で考えな」
あきらかに小馬鹿にした調子で劫火は吐き捨てると、さっさと去っていく。
「お前に教えられるのは一つだけだ。ジパンを乱す輩は見回り組ってんだよ、覚えておけ」
ぼんやり佇み、刹那は検問を見やる。
お揃いの羽織を着込んだ軍団は、どの顔にも品性を感じられない。
とはいえ、近寄りさえしなければ絡まれることもあるまい。
そっと物陰へ潜り込み、なおも様子を窺っているうちに、遠くの方から奇妙な音楽が聴こえてきた。
♪ねぇ 誰なの?
心の襖を そっと叩いてくるのは
聞こえる?麻呂の心臓の鼓音
まるで雪山を覆う雪崩れみたいに
ドクンドクンって いっているので お・じゃ・る
教えて お月様
新月の陰りが 見えてくる頃
麻呂の大事な あの人は
月の駕籠に揺れられて 白い兎を引き連れて
麻呂を 迎えに来てくれるのでおじゃろ?
白い白馬の お殿様
麻呂を早く 迎えにきてたもれ♪
およそ、この場にそぐわない――
いや、合う場所などあるのかどうかも判らない怪歌詞が、不協和音の旋律にナヨナヨした男の声で奏でられているのだ。
「な、何じゃァ!?こりゃあッ」
しかも、歌声はどんどん検問へと近づいてくる。
やがて見えてきたのは、御輿だ。
褌一丁の屈強な体格の大男が、四人で御輿を担いでいる。
歌っているのは御輿の上に乗っかった人物で、これまた奇妙な出で立ちだ。
黒髪を結い上げ、てっぺんで束ねている。
顔面を真っ白に塗りたくり、歯を真っ黒に塗っていた。
眉は筆で描いたのだろうか、小さな丸が二つ点々と。
とどめはキンキラと目映いばかりに輝く、黄金の着物だ。
「ま、まさか、オオエドの殿ッ……!?」
「いやッ、でもッ、お忍びだって聞いたぜ?いくらなんでも、ありゃあねぇだろうよ!」
見回り組の連中がオタオタしている間に、御輿は検問へ到着した。
屈強な男達が御輿を低く下げ、上に乗った人物は悠然と地に降りる。
「ほほほ。お迎えご苦労であるぞよ」
ぽかーんとしていた見張りの一人が我に返った。
「な、何がお迎えだッ!てめぇ、ナニモンだ!?」
「ほほほ、苦しゅうない、苦しゅうない。麻呂は……そうじゃの、謎の公家ご一行とでも名乗っておくかの。ナゴヤを統治する堀田殿に会いたくて、会いたくてたまらなくなった故、こうして忍んで参ったのじゃ」
堀田の名前を聞いた途端、見回り組は全員が殺気立つ。
――そして。
この直後起きた戦いにより、幾人かの褌男が見回り組の凶刃により刀の露と消える。
謎の公家は見回り組の手に堕ち、検問は何事もなかったかのように静まりを取り戻した。
これらの一部始終を見ていたのは、物陰にいた刹那ばかりなり。
-参の陣へ続く-