幼い頃の想い出は、ろくなものがない。
自由騎士スクールに通う前の記憶は、永遠に封印したい黒歴史ばかりだ。
ジャンギが引っ越したのは、なにもウィンフィルドのストーカー行為だけが原因ではない。
あの一家と毎日顔を併せなくて済むような、ちょいと離れた列で暮らしたかったのだ。
あの一家とは現町長率いる一族、ダムダム家である。
アーシスが作られた時に一番最初の町長だった家系で、それ以降、代々長男が町長を勤めている。
ダムダム家と比べるとアスカス家は両親が自由騎士ってだけのよくある裕福一家に過ぎず、幼い頃は嫌でも近所のダムダム一族と遊ばなくてはいけない状況に陥った。
ジャンギと同い年の子供は、ミストという名の少女であった。
三人きょうだいの真ん中で、ほっそりした身体と長く伸ばした水色の髪が可憐な美少女を印象づけてくる。
しかし幼い頃の彼女は見た目通りの可憐な美少女ではなく、ジャンギの理解を越えた不思議ちゃんであった。
「さぁ、今日は何をして遊びますか?ジャンギくん」
今日もダムダム家に呼び出されての強制時間が始まった。
何をするかと尋ねられても最終的な選択権はジャンギに与えておらず、いつもミストが方向性を決める。
双方ともに九歳。
七歳からのつきあいだが、七歳の時点でミストには婚約者がいた。
だが婚約者といるよりは、近所の男の子と遊んでいるほうが楽しいらしい。
それも、そうだろう。
ジャンギと遊ぶのは、逆らえない子犬に好き放題するようなものなのだから。
「じゃあ、公園で遊ぶ……ってのは?」
「公園はタチの悪いチンピラが出没するから行きたくありません。従って、今日は我が家の庭で遊びましょう」
といった具合に、何を提案してもミストの意にそぐわなければ却下される。
彼女は極端に外出を嫌がり、何かと理由をつけてはダムダム家の庭で過ごす羽目になる。
今日は、じゃなくて今日も、じゃないか。
文句は心の中で呟いて、ジャンギは表面上「それじゃ、庭で何して遊ぶ?」と明るく切り返した。
なにしろ七歳の頃から親には厳しく言い渡されている。
ダムダム家には逆らうな。
身分の差は幼子であろうと関係なくのしかかり、ご両親は勿論のこと、自分より年下のウィンフィルドにも敬語で話しかけなければいけない。
ミストだけは何故か敬語を逆に嫌がって、タメで話せと強制された。
それでいながら、ジャンギには敬語で話しかけてくる。
大人の作った暗黙ルールには絶対従わない、自由な少女であった。
知り合って間もない頃は本を読んだり人形で遊んだりと比較的おとなしめの遊びでジャンギも安心したのだが、最近のミストは此方を驚かせるような遊びばかり提案してくるのが悩ましい。
この日も彼女が提案してきたのは「お医者さんごっこをしましょう」とのことで、服を脱いで全裸で横たわれと言われては、ジャンギも絶対服従の暗黙ルールを放り投げて必死の抗議に回った。
「全裸って、庭で!?誰か通りかかったら、恥ずかしいじゃないか!」
「うちの庭を横切る他人なんて存在しないから大丈夫ですよ」
「きみんちの下男下女や家族が通りかかるかもしれないだろ!」
顔を真っ赤に怒鳴っても、ミストはシレッと言い返してくる。
「私が庭で遊んでいる時は誰も入るなって言い渡してあるから、大丈夫ですってば。ほらほら、早く病状を見てあげますから裸になって横たわりなさいって」
「嫌だといったら、い・や・だ!大体、なんでいきなり医者ゴッコなんだ!?」
ジャンギは彼にしては強く突っぱねて、ジロリと幼馴染を睨みつける。
昨日は医者とは全然関係ない遊びで、彼女の作った理不尽スゴロクを二人で楽しんだ。
散々コチョコチョ身体中をくすぐられて、今も少々脇腹が痛い。
「兄さまから昨夜、聞いたんです。幼馴染の男女なら、お医者さんごっこは必ず通る道だって。お前たちは、まだやっていないのか?って超上目線で偉そうに聞かれたんですよ、腹立たしい」
よほどムカついたのか、ミストは眉間に皺を寄せて吐き捨てる。
彼女には一歳年上の兄がいてウェルバーグというのだが、常に上目線の嫌な富豪意識丸出しで、見栄が服を着ているような駄目兄貴にバカにされたんじゃミストが腹を立てるのも道理だ。
「まだやっていないのかって、ウェルバーグさんに幼馴染の女の子なんていたっけ……?」
怪訝なジャンギに「脳内にいるそうですよ」とミストは答えて、くすっと微笑んだ。
「兄さまは想像上の子としか友達になれないけど、私にはジャンギくんがいてくれて良かったです」
この少女は時々ドキッとする発言でジャンギの胸をときめかせてくるから、反応に困る。
しかも笑った顔が異常に可愛い。ポイズン発言と斜め上行動さえなきゃ最高の幼馴染である。
「ね、だからジャンギくん。とっとと全部脱いで全裸になりましょう。レッツお医者さんゴッコですよ!」
しかしながら、この幼馴染は不思議ちゃんがトレードマークなのを忘れてはいけない。
否応なしにズボンを降ろされそうになったジャンギは、必死の抵抗に戻るしかない。
「は、恥ずかしいからダメー!」
「なんですか、恥ずかしいって。お風呂に入る時は全裸になるでしょう?」
「ここ、お風呂じゃないし!庭だし!!」
野外で全裸になるのは、勿論恥ずかしい。
だが何が一番恥ずかしいって、ミストに裸を見られるのが恥ずかしい。
アスカス家は富豪であるが故に、共同銭湯に入った経験はない。
幼馴染とて、他人は他人。家族以外に裸を見られるのは抵抗があった。
「ほぅ、では、お風呂でなら服を脱げると?」
「うん……でもミストは入ってきちゃ駄目だよ」
「何でです!?お医者様が診察できなきゃ、お医者さんごっこにならないじゃないですか!」
逆上するミストに、ジャンギは頬を真っ赤に反論する。
「逆に考えてみてよ!ミストが患者だったとして、俺に全裸を見られるのは平気なの!?」
言った直後、ミストはビクッと激しく身体を震わせて黙り込み、庭には沈黙が訪れた。
下向き加減に俯いてしまった様子のおかしさに、ジャンギはオヤ?と首を傾げて、不安にもなった。
あまりにも必死になったせいで、彼女の機嫌を損ねてしまったのだろうか。
もし両親に今日の出来事をチクられたりしたら、自分の親へ何らかの報復が与えられるのでは――
不意にミストが顔を上げて、ポツリと呟く。
「……ジャンギくんなら、構いませんよ?見られても」
視線をそらして、恥じらった表情のオマケつきで。
ゴクリと音を立てて、唾がジャンギの喉を通過する。
だったら、お風呂、一緒に入っちゃう……?
いや、いやいやいや。
そんな真似をしたと彼女のご両親に知られたら、タダじゃ済まない。
良くて一家全員仲間外れ、悪ければ町から追放されよう。
彼女の婚約者だってジャンギを許すまい。八つ裂き斬首死刑は待ったなしだ。
幸いなことに、ジャンギが血迷った真似をしでかすより先に、ミストが行動を起こした。
「まぁ、そういうことなので。さくっと脱ぎましょうか、患者さん」
ずるんとズボンを真下に降ろされて、我に返ったジャンギは「わあぁぁっ!?」と叫んで股間を両手で覆う。
ばっちり見られてしまった。恥ずかしい子供用の真っ白パンツを。
「わぁ〜、かわいい。わぁぁ〜だって。ジャンギくん、今のリアクションは最高でしたよ!」
ミストはケタケタお腹を抱えて笑っており、さっきの恥じらいポーズは一体何だったのか。
なんのことはない。
意識するジャンギをからかおうと、わざと取った演技に違いあるまい。
「ジャンギくんは健康体ですから、これ以上の診察は無用ですね。お疲れさまでした」
ぽむと肩を叩かれてオシマイにされたって、ジャンギは返事が出来ずにいた。
恥をかかされたのは悔しいし、情けない悲鳴をあげてしまったのも屈辱だ。
ミストは何だって、ジャンギと遊びたがるのだろう?
連日誘ってくる割に、一度として好きだと言われたことがない。
使い勝手のいいオモチャだと思われているんだとしたら、もう、消えてなくなりたい。
知らず、じわっと涙がジャンギの双眸に浮かんできて、いけない、こんな泣きっ面を晒していたら、また彼女に馬鹿にされてしまう。
何度もゴシゴシ瞼を擦るジャンギの耳元で、ミストが囁いた。
「さぁ、次はジャンギくんの番ですよ……お医者様役、やってみたいんでしょう?遠慮なくどうぞ」
「へぅっ?」と間抜けな返事で顔を上げると、超近距離にミストの顔がある。
しかしジャンギの胸は高鳴ったりせず至って正常、どこか冷めた自分を自分のうちに感じていた。
きっと、また色気で引っ掛けといて肩透かしするつもりなんだろう。
そう何度も引っかかってやるもんか。
いっそ嫌われてしまったほうが、楽になれるかもしれない。
ミストのことは好きだけど、彼女が此方を好きになってくれないんじゃ、一緒に居ても辛いだけだ。
ぷいっと視線を背けて無言のまま、ジャンギは庭の出口へ歩き出す。
だが、去りゆく途中で腕を掴まれて、たたらを踏んだ。
「なんだよ、もうオシマイだろ!?お医者さんごっこは」と叫んで振り返ったジャンギの唇に柔らかいものが触れて、ほんのひと時、時間が止まる。
再びジャンギに時間が戻ってくる頃には、ミストも離れて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ジャンギくんは無欲ですねぇ。これが、うちの兄さまだったら遠慮なく私を全裸に剥いている処ですよ」
「そ……そ、そ、そんなわけないだろ?実の兄妹なのにっ」
泡を食って反論しつつ、しかしウェルバーグの性癖など、今はどうだっていい。
今、ちょんっと軽く触れてきた柔らかいものは、もしやミストのクチビルなのではあるまいか?
あのミストが、一度も好きだのとリップサービスしてくれたことがない上、始終無茶ぶり遊びばかりで割と塩対応だった彼女が、まさか自分からジャンギへキスを致すなど!?
ぼっふーん!と、一気にジャンギの心拍数は急上昇。
真っ赤に染まって硬直した彼をじっくり眺め、その反応に満足したミストは小さく呟く。
「無欲なのも悪くないですが、もう少し駆け引きを覚えたら強気になってくれますかねぇ……?」
独り言は小声すぎてジャンギには聞き取れず、ぽっぽこ赤くなっているうちに庭の外へ追い出された。
さよならを言いそびれたが、構わない。
明日も明後日も、彼女と遊ぼう。少しでも好かれていると判ったのだから――
そして月日は流れ、自由騎士スクールへ入学した後。
ジャンギにまさかの恋人が出来た時、ミストは人生で一番後悔したという。