この日、目覚めて一番最初に斬が驚いたのは、六時半に起きるまでアルに妨害されることなく安眠できた点だ。
亜人の島で同居するようになってから、一日と欠かさず朝四時きっかりで起こしに来ていた彼女が?
ようやく学習してくれたのか。防衛団の訓練は朝の七時から始めるのだと。
……等と独り言ちながら賢者の庵を一歩出て、斬は本日二度目の驚愕に出くわした。
庵を一歩出た先は、結婚式場になっていた。
目の錯覚ではない。何度瞼を擦っても消え去ってくれない以上。
白い花で飾りつけたアーチが向かう先にはドでかい鐘が吊り下がっている。
アーチの側には来賓用のテーブルが並び、鐘の前に置かれているのは三段重ねの巨大ケーキだ。
呆気に取られて佇んでいると、テーブルの上を拭いていたイドゥが駆け寄ってくる。
「斬、オハヨー!」
「イドゥ……これは、なんだ?」
茫然とする斬に気づいているのかいないのか、イドゥは満面の笑顔で答えた。
「あのさー、今日はアルの誕生日なんだ!だから皆で盛大に祝ってやろうと思って」
誕生日を祝う風習が亜人にもあったとは意外だ。
アルは斬が初めて出会ってから今に至るまで、ずっと幼年期である。
一体何歳になったのか。いや、何年で一歳と数えるのか。
ワールドプリズに人間よりも早く存在していながら、亜人の生態は今の時代でも解明しきれていない。
難しい顔で椅子に腰かけ、斬はイドゥに尋ねた。
「それで……なんで、このセッティングなんだ?」
「なんでって?」
「いや、だから誕生日を祝うんだろう?だが、このセッティングは、どう見ても」
「バージが教えてくれたんだ!」と予想外の名前を持ち出されて、斬はポカンとなる。
バージというのは通称バージニア、ハリィのチームに所属する傭兵だ。
誕生日を盛大に祝うには、どうすればいいかと相談したら、会場を華々しくすればいいと教わった。
では華々しい会場とは、どんなのかと尋ねたら、こうなったのだとイドゥは言う。
バージにしては、おかしな提案だ。何の意図があって、誕生日会場を結婚式スタイルにしたのか。
斬が座っている間にも、ぞろぞろと防衛団のメンバーがやってきて、次々空いた席へ腰かけてゆく。
やがてジロやソウマらハンターに混ざって傭兵たちも顔を出したので、斬は本人に直接尋ねた。
「バージ、少し質問がある。どうして会場を結婚式仕様にセッティングしたんだ?」
「あぁ」と笑い、バージは鼻の頭をかく。
「亜人の風習を聞いた限りだと、こっちのほうが似合うんじゃないかと思ってね」
「亜人の風習?一体どんな風習だというんだ」と首を傾げる斬の耳に、バルの大声が轟いた。
「パンパカーン!本日、誕生日を迎えるアルニッヒィの入場です。皆、拍手、拍手ぅ〜!」
勢いにつられて椅子に腰かけた面々が拍手をする中、いつもと同じ小汚い格好のアルが両手を振って登場する。
晴れの日であろうと着替えてこないあたりが、如何にも彼女らしい。
「じゃ、さっそくだけど蝋燭を吹き消そうぜ、アル!」
イドゥは三段ケーキの至る場所へ、ぐさぐさと無造作に蝋燭を突き立てて火をつける。
せっかく綺麗に作ったケーキだというのに、今や全身串刺しの火だるまだ。
これではケーキを焼いた人も、さぞ悲しんでいるだろうと斬は考え、自分まで悲しくなった。
皆の前でドラゴン体形に戻ったアルが、大きく息を吸い込む。
「ブフゥーーッ!」と勢いよく吐き出されたのは炎のブレスで、三段ケーキは、あっという間に丸焦げの消し炭と化す。
またまた呆気にとられた斬だが、ポカンとしているのは彼だけで。
「イェーイ!誕生日、おっめでとーアル!」と亜人は全員手を叩いて大喜びしているし、傭兵やハンターなど人間の誕生会をご存じな輩でさえも、会場のノリに併せて「ヒューヒュー♪」と口笛を吹いている有様だ。
「いやー、すごいっすねぇ、叔父さん」
斬の肩を叩いて、ジロが話しかけてくる。
「これが亜人の誕生日の祝い方だそうッスよ!あのケーキは燃やす為に作るんだそうで、材料は何だと思います?海藻のクズや木切れを集めたもので、要はゴミの塊なんス。食べもんじゃないって聞いた時は、ちょっとガッカリしたんスけどね」
「……燃やすことに、何の意味が?」と棒読みな質問にも、ジロはキラキラした瞳で語った。
「成長の程を調べるんだそうッス。全部一息で燃やせたら、順調に育っているって証拠になるんス。面白いッスよねぇ、俺らの誕生会とは全く別モンのイベントっすよ」
異種族文化に初めて触れて、興奮しているのだろう。ジロの鼻息は荒い。
斬も初めて間近に見たアルのブレスには圧倒されてしまった。
しかし、まさかケーキが燃やす為のオブジェに過ぎなかったとは予想外だ。
では、アーチの向こうに構える巨大な鐘も人間の結婚式とは異なる意味が込められているのか?
斬が思案している間にも、アルが鐘に突進していく。ドラゴンのままで。
頭から勢いよく突っ込んで、ゴワ〜ン、ワンワンワン……と音高く鐘を鳴らした。
「さぁ、皆、今日はお祝いの日よ!お腹いっぱい食べましょう」と両手に料理の皿を持って現れたのはドルク。
今のは食事開始の合図だったようで、集落の女子供も入り混じっての給仕が次々テーブルに料理を運んでくる。
「うはー!人間の酒いっただきィ!」
料理は亜人用だけではなく人間用も含まれているから、バルやアッシャスなんかはハリィ達の座るテーブルで飲み物を奪い取っての大騒ぎだ。
がふがふ肉の塊にかぶりつくジロや、サラダを食すルリエルと談笑するソウマ、亜人の若者と飲み比べで競い合うボブやジョージなどを一通り見渡した後、斬は主賓のアルへ近づいた。
「誕生日、おめでとう。今日が誕生日だとは知らなかったぞ、アル」
擬態へと姿を変えたアルは、嬉しそうに微笑む。
「エヘヘー。斬を驚かせたかったから、日にちから段取りまで全部ナイショにしといたノ」
会場のセッティングは傭兵の他に、ジロ達にも手伝ってもらったらしい。
つまり斬以外は全員事前に知っていたわけで、自分だけ仲間外れかと考えると多少もやっとしなくもない。
が、アルの望んだサプライズというんじゃ仕方ない。
「プレゼントは何がいい?今は手持ちがないが、後日贈ろう」と提案する斬に、アルは「プレゼント?」と首を傾げる。
「人間の風習では誕生日にプレゼントを贈るんだ。亜人にはない風習かもしれんが」
「じゃあ、じゃあーチューしてぇ!」
話半分に、にゅーっと唇を突き出されて斬は即座に断った。
「ただし、プレゼントは物品オンリーだ!」
「いいじゃん、チューしちゃえばぁ〜?大丈夫だよ、この島で起きたことは余所に吹聴したりしないから」等と近くのテーブルからはレピアの冷やかしが飛んでくるも、斬は頑と無視してアルに言い渡す。
「具体的な物品で欲しいものはあるか?予算の都合がつく範囲でなら何でも買ってやるぞ」
「ンーとねェ……」
しばし考えたアルは、にっぱぁ〜っと笑って斬を見上げる。
「じゃあネ、斬が使っている道具で一番古いのちょうだい?」
「一番古いの?」
「そ。一番古いってコトは、一番大事にしてるってコトだから」
よくわからない要求に斬は困惑したものの、自分の手持ちで一番古いと言えばコレしかない。
懐からクナイを取り出して、アルに手渡した。
「俺がニンジャに憧れた頃から所持している中で一番古い小刀だ。古くとも手入れは万全、切れ味に問題はないと思う」
「ニンジャに憧れた頃……って、イツ?」とアルに尋ね返され、即答する。
「八歳だ。アカデミーの課外授業で、初めてニンジャを知った」
「え、そんな早くからニンジャにかぶれてたんだ」と、いつから聞き耳を立てていたのかモリスが小声で突っ込むのも聞こえた。
「じゃア、このクナイは斬と一緒に育ったんダね……」
ぎゅっとクナイを抱きしめて、ぽつりとアルが呟く。
「アリガト!想い出のクナイ、ずっと大事にするネ」
満面の笑顔で喜ばれては、あげた斬としても嬉しくなってくる。
優しくアルの頭を撫でてやり、彼は元気に宣言した。
「今日は一日、一緒にいよう。年に一度の誕生日だ、夜まで盛大に祝おうじゃないか!」
そして本当に丸一日をどんちゃん騒ぎに費やした一同は、翌日、酷い二日酔いと胃もたれに悩まされたという……