Beyond The Sky

46話 記憶は、もう

栄太郎がバドを説得するまでの間、レイザース騎士団も、ただ傍観していたわけではない。
空の防衛団との連携練習を繰り返していた。
レイザース王宮跡地には今、奇妙な塔がそびえ建っているとの情報を受けている。
まずは防衛団を先行させて奴らの手勢を探った上で、魔族の下っ端を出してくるようであれば、シェリル率いるソルバット軍団とレイザース騎士団が攻め込む。
もし栄太郎がバドの説得に成功したら、二人をバフに乗せて防衛団とは逆方向から攻めさせる。
地上で騎士団と下級魔族がやり合っている間に傭兵部隊は塔へ潜入し、ラブラドライトの居場所を突き止める。
魔族の結界を解く鍵は、ラブラドライトが握っているのではと騎士団はアタリをつけた。故の確保だ。
彼を捕まえる前にベリウルが出てくるようなら、魔術師を乗せた防衛団で牽制する。
――そういった作戦に決まりつつあった。
「そういやぁ、さぁ」とジロがポツリ呟き、空を見上げる。
「バフが南の島で擬態を取っていたのは、記憶喪失でドラゴンに変身できなかったからなんだよな?」
空からスージへ視線を移すと、ジロは尋ねた。
「変身できるようになったってことは、記憶、戻ったのか?」
「それがねぇ……」と、スージの歯切れは悪い。
「記憶、失ったんじゃなかったみたいなんだよね」
しばしの間を置いて「……はぁ!?」と、ジロのあげた素っ頓狂な奇声が大空に響き渡った。


メイツラグへ到着早々、栄太郎とバフは研究所に足を踏み入れる。
初めて見る施設に目を奪われるバフとは異なり、すぐに状況を把握した栄太郎は研究者へ合図を送った。
「よし、起こしてくれ」
「判りました」と頷き、研究者がバドに何事かを囁きかける。
するとバドの瞼がパチリと開き、鎖に繋がれたままの眷属は身を起こした。
「……ここは……」
意識の覚醒。
そうだ、あの時。男の声が脳裏に流れてくるや否や、思考を完全にジャックされた。
殺せ、憎め、破壊せよ。声は負の言葉を繰り返し唱え、ぷっつり意識が途切れた後は何も覚えていない。
こうして厳重な鎖で繋がれているからには、人間と敵対して破れたに違いない。
視点があい、バドは「栄太郎さん!?それに、バフも!?」と声を上げる。
クリアな反応に、その場にいた全員がホッと安堵の溜息を漏らし、栄太郎がバドの肩を軽く叩いた。
「難儀だったな。バド、お前はラブラドライトに操られたのだ。そこにいる斬が、お前の暴走を止めてくれた」
意識を失う前に聴いた声、あれがラブラドライトか。
自分が奴の眷属だったと知ってもバドに驚きは少なく、眷属だからこそ呼び出されたのだと納得する。
それよりも怒りの感情が湧き上がり、これまで何の興味もなかったラブラドライトに初めて嫌悪を抱いた。
いくら眷属とはいえ、バドの意志を無視した強制的なやり方で無理やり従わせるとは。崇めるにも値しない。
「騎士団は、もうレイザース跡地に攻め込んだのかな?」と尋ねてくるバドに答えたのは斬であった。
「まだだ。お主の説得が終わるのを待ってから、攻め込むのだとハリィは言っていた」
「なら、もう終わったって伝えて。俺も戦うよ、あいつらとね」
説得するまでもなく、バドはベリウルらと戦う気満々だ。
理由を問うと、ラブラドライトに腹が立ったからだとバドは答え、あんなのは主人の風上にも置けないと鼻息が荒い。
「俺は奴の眷属かもしれないけどね、奴の道具になった覚えはないんだ。自分の意志を持つ生き物なんだよ。俺は俺の意志で、栄太郎さんと一緒に戦うって決めたんだ。言うなれば、俺の主人は栄太郎さんだ。ラブラドライトなんてチンピラ魔術師じゃなく」
魔族召喚できる魔術師をチンピラ呼ばわりだ。
それだけ魔族としてのプライドを、いたく傷つけられたのであろう。
「ベリウルの結界は俺が中和してやるよ。お前らにゃ無理だろうしさ」
斬に言い放つ傍ら、バドの視線がバフを捉える。
「バフ、お前がココにいるってこたぁ、お前が栄太郎さんを連れてきたのか。ドラゴン化できるんだったら、もう判ってんだろ?」
何を判っているというのか。
首を傾げる人間達を横目に、バフの体がビクリと震える。
無言で睨み返してくる亜人の子供へバドは蔑むような表情を浮かべて、核心を突いた。
「いつまで自分の殻に引きこもっているんだ?もう判っているはずだ、お前にだって今がそんな状況じゃないことぐらい。さぁ、さっさと殻を破って出てこいよ。いじけていたって誰も助けちゃくれねーぞ!」
「い……」
バフの唇が震える。
「い……や、だ……っ」
激しく首を振り「嫌だ、嫌だ、嫌だっ!」を繰り返すバフへ向けて、なおもバドは怒鳴りつけた。
「ダチが皆かまってくれなくて寂しいか!知らない奴らが島へ入り込んだのが、そんなにショックだったのか!世間知らずは、もう終わりだ。世界がひらけた今、お前も幼馴染と同じ場所へ飛び込んでみろよ!怖い?苦しい?死ぬかもしれない?そんな心配は無用だぜ、斬が隊長をしている限り!」
「嫌だーーーーーーーーーーーーーッ!」
あらん限りの大声で叫び、涙を流して首を振り続けるバフの肩を掴んで、栄太郎が抱き寄せる。
「どうした、バフ!しっかりしろ、一体何が嫌なんだ!?」
「――そうか!」と、栄太郎よりも先に思い至った斬は叫んだ。
「バフ、お前は記憶を失ったんじゃない……自ら記憶を封じ込めてしまったのか!」
「な……なんだってェ!?」と驚愕の声が上がる中、「その通りさ」とバドは肩をすくめる。
「アルとイドゥだったか?あいつらがバフをほったらかして防衛団とやらに入っちまったのが、そもそもの発端だろうぜ。置いてけぼりにされたのが寂しくて、悔しくて、でも追いかけるには勇気が足りなくて、そいつは自分自身を心の底に封印しちまったんだ」
バファニールは記憶を失ってレイザースの港へ彷徨い出たのではない。
一刻も早く、自分を取り巻く孤独から逃れたかった。
アルニッヒィのこともイドゥヘブンのことも全部忘れたかった。だから、島を出た。
でも人間の金を持っていなかったから食べ物を得られず、腐ったゴミを漁るしかなかったのだ。
バドとバフが一緒にいたのは偶然だ。
栄太郎を待ち伏せするバドと、食べ物を求めて彷徨うバフが、たまたま同じ場所で出会った。
ゴミ捨て場に潜むバドの真横でゴミ漁りを始めた少年に興味本位で話しかけ、名前しか覚えていないと言い張るバファニールを見て、バドは一計を案じる。
自分も記憶喪失ということにしておけば、魔族だと名乗らなくても済むのではあるまいか――
バドは、いつ、バフが記憶喪失ではないと気づいたのか。
斬の問いにバドは「一緒に暮らし始めてから、かな。けど、こいつが何処で何の役目を担ってんのかが判らなかったし、俺も魔族だとバレるまでは下手な動きをしないほうがいいと踏んだからね。だから栄太郎さんにも黙っていたんだ」と答える。
栄太郎の腕の中でバフが小さく呟いた。
「どうして……どうして、ほっといてくれないんだ……俺なんて、いてもいなくても同じだろ、あの島じゃ。俺も栄太郎と一緒にいたい。亜人の島なんて、二度と戻りたくない……残りの一生をジャネスで暮らしたいんだ、栄太郎と一緒に、死ぬまで一緒に!」
最後のほうは悲鳴に近く、たまらずソウマが口を挟む。
「バフ、お前がジャネスに住みたいなら、そうすりゃいいさ。ドラゴン化を永久封印して擬態で暮せば、人間とだって共存できるはずだ。けど、お前、本当にそれでいいのか?アルやイドゥと永遠に会えなくなっても!仲良しだったんだろ、友達だったんだろ?親だって、そうだ。まだ生きているんだろ?お前の親は!」
ソウマの瞼に浮かぶのは生前の両親、ラブラドライトに惨殺されるまで両親と共に暮らした穏やかな日々の記憶だ。
昔の想い出に浸ってラブラドライトへの怨恨を忘れて生きる選択肢も、あるにはあった。
けれど、彼はそうしなかった。
どうしても許せなかったのだ、自分から幸せを根こそぎ奪っていった奴が。
「親なんて……!」と言いかけるバフの肩を掴んで、ソウマが畳み掛ける。
「こんな中途半端な別れで本当にいいのか!?あいつらが、お前の親が、お前をどれだけ心配したと思っているんだ!何より、お前自身、ずっと世間に背中を向けて生きていくつもりなのか!寂しいなら言えば良かったんだ、あの二人に。それでも二人がかまってくれないようなら、親に甘えたって良かった。黙って島を出ていくよりも簡単だっただろ!」
「言い争いは後でも出来る」とソウマの勢いを止めさせたのは斬で、バフを抱きしめる栄太郎をも促した。
「バドが出られるのなら、今すぐハリィに連絡を入れて出撃の号令をかける。準備は万全か」
「俺は、いつでも出られる」と頷く栄太郎に続けてバドも頷く。
「俺もいけるよ。バフに乗らなくたってユーゲルハイトで、ひとっ飛びすりゃ一瞬さ」
彼が片目を瞑るのと、背後の箱がバキンと大きな音を立てて真っ二つに割れたのは、ほぼ同時で。
「――えっ?」と驚く研究員の頭上を黒い影がヒュンッと飛んでいき、バドの頭上で停止する。
槍を繋いでいたはずの鎖や箱は、いともたやすく粉々に粉砕されて、「じゅ、呪文で封じたはずなのに」と青ざめる研究員を蔑みの視線で見つめながら、バドは吐き捨てた。
「こんなチャチな呪文もどきでユーゲルハイトを封じたって?冗談やめろよな」
かと思うと斬へ向かって、ニヤリと不遜な笑みを浮かべる。
「ラブラドライトも結界を使えるぜ。あんたらは、どうやって奴を捕縛するつもりなんだ?」
「傭兵部隊にはルリエルも同行する。彼女は結界内に魔法を転送できるんだ、その魔法で束縛を試みる」との答えに「ルリエルが!?聞いてないぜ、危険じゃないか!」とソウマが大声をあげる。
斬は「俺もそう思うんだが、本人が志願したとハリィは言っていた」と困惑気味に口ごもり、ますますソウマを「危険も危険、傭兵じゃ彼女を守りきれないぞ!?今すぐ戻って止めないと!」と、いきり立たせた。
それらを横目に、栄太郎がバドへ尋ね返す。
「お前こそラブラドライトと戦えるのか?また奴の呪文をくらったら操られてしまうんじゃないのか」
「二度目は効かないよ」と、バド。
「人間の血が濃い奴に許すのは一回きりだ。純血魔族をナメたら、どんな目に遭うのかを思い知らせてやらないとね」
それに、とチラリ斬を見て意味ありげに笑う。
「アルテルマだったか、必殺の剣。あの剣でだって、ぶった斬れるんじゃないか?奴ごときの結界ならさ」
あの剣は、ぶった斬るのではなく、振り回して跳ね返すのではなかったか。
そう突っ込む栄太郎へ微笑むと、バドは訂正する。
「跳ね返すってのは正しくないな。魔力を吸収した上で倍の威力にして撃ち出すんだ。結界なら斬りかかれば吸収できるはずだよ」
たったの一回戦っただけで武器の性能を見抜いたバドに、ついでだからと栄太郎は尋ねてみた。
「あの武器は、伝承だと巨大化するとも聞いている。これは、どういった仕組みなのだ?」
「巨大化?」
バドは少し考える素振りを見せ、しばしの間の後で答える。
「実際に見てみないと判らないけれど、威力や範囲如何では増幅手段を変えるカラクリなのかもしれないね」
二人が話している間に斬とソウマの言い争いにも一段落ついたのか、斬が再度、栄太郎を促してきた。
「向こうは出撃準備が整ったそうだ。俺達も出るぞ」
「なら、斬とソウマはバフに乗っていけよ」
バドは身軽な動きで槍の上に腰掛けると、栄太郎をも槍の上へと引き上げて、口の端を吊り上げる。
「俺と栄太郎さんはユーゲルハイトで攻め込むぜ」
「駄目だ!栄太郎は俺と一緒に攻め込むって約束したんだ」
すかさずバフが反論するも、それを押し留めたのは当の栄太郎で。
「それは、お前が記憶喪失だった場合の約束だ。ずっと覚えているなら、共にいずとも問題あるまい」
「だ、だって……!」と涙目のドラゴンを重ねて説き伏せる。
「どうせ戦場は同じ場所だ。ならばバドとお前で連携を取って戦ったほうが、より効率も良かろう」
栄太郎は忍者だ。
ドラゴンの背中に乗せっぱなしよりも、小回りの効く槍の上へ乗せておいたほうが戦いやすいのかもしれない。
「そうだね、そのほうが栄太郎さんの勇姿も、よく見えるだろうし」
バドの一言を聞いた途端、バフは即座に頷いた。
「判った!よーし、ちゃんと俺に併せろよ、バド!」
「それは、こっちの台詞だぜ」とやり返しながらも、バドはバフには判らない程度に片目をつぶり、栄太郎も苦笑で応える。
街を離れた広い場所にてドラゴンの背へ乗った二人を見、いざ出発の段階となった時にバドが一言、声をかけてきた。
「いいか、斬。レイザース城跡上空に到着したら、アルテルマを思いっきり一閃するんだ」
「アルテルマを?」と首を傾げる黒ずくめに「それで最初の結界は壊せるはずさ」とバドが答えた直後、槍が一気に砂埃を巻き上げるもんだから、側にいたバフはたまらない。
「ぶへぇ!ゲホ、ゴホッ、何するんだバドォ!!」
「ほらほら、ぐずぐずしてっと置いてっちまうぞ!」との声を頼りに、ドラゴンも大空へと舞い上がった。


24/01/17 update

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