Beyond The Sky

41話 確執

ヒスイとソウマの戦いは膠着状態にあった。
互いに踏み込めず、さりとて引き離せず、斬りあいを続けるしかない。
ソウマは魔法を仕掛けるタイミングを狙うが故に深く斬り込めず、ヒスイも相手の動きを用心して大胆な攻撃に出られない。
一瞬たりとも気の抜けない戦いに身を置きながら、ソウマは今か今かと待ち続けた。
斬、或いはタオのどちらかがアルテルマを入手したとの連絡を。
事前に打ち合わせたわけではないが、彼ら二人なら必ず気を利かせて連絡をくれるはずだ。
伝説の魔具――アルテルマに関しては、よく知っている。
以前、魔族の二人組と戦った時に戦局を一閃でひっくり返したのが、この魔具であった。
一振りするだけで巨大な剣へと姿を変えて、どんな攻撃でも跳ね返す。
敵が強大であればあるほど威力を発揮する魔具だ。
今回の敵にうってつけであろう。
現在の所持者は斬に縁がある人物、世界の危機を持ち出せば借り受けるのは容易い。
問題は、魔具を持ち去るのを敵が見逃してくれるか否かだ。
まず見逃されまい。必ず第二、第三の追手が放たれる。
魔具を扱うのはグレイグ=グレイゾン、レイザースが誇る最強の騎士だ。
彼のもとまで運ぶには街を出てすぐ、アルの背中に乗ってひとっ飛びするしかない。
そちらにも当然、追手が予想されるから、三人のうちの誰かが本拠地へ連絡を入れてアルの護衛を頼むしかないのだが、ソウマには、あいにくと通信機を使う余裕がない。
一撃当たれば致命傷間違いなしの剣撃を避けるので精一杯だ。
これも斬かタオに賭けるしかない。
大丈夫だ。あの二人なら、必ず手を打ってくれる。
タオとは出会って数日しか経っていないというのに、ソウマは彼を絶大に信頼している自分に気づき、ふと口元を緩める。
何故だか判らないが、信頼できる確信があった。
同じ剣士、同じ傭兵という立場から見た確信なのかもしれない。
それとも――斬へ寄せる信頼の共感か。
タオは絶対に斬を裏切らない、そんな気がするのだ。
ともかく、この確信が外れないことを祈るしかない。ヒスイの足止めを買って出た以上は。


ソウマを残して散開した二人も、すんなり魔具を借り受けられたかというと、そんなことは全くなく、交渉は難航していた。
否、交渉したのがネイトレット家の一人娘であれば、どこまでも頑固に跳ね除けられる展開に持ち込まれはしなかったであろう。
上から下まで黒づくめの怪しい黒装束であろうとも、声を聴けばスレイブス=ネイトレットには斬が誰なのかが即座に判り、そして交渉は難航したのである。
クレイマー家とネイトレット家には確執がある。とても根深く、底の見えない溝だ。
ネイトレット家には、目に入れても痛くないほどに可愛がられている一人娘がいた。
その一人娘を強姦したのがクレイマー家の長男で、たったの一回だというのにアリシアは妊娠する。
これには家族も頭を悩ませた。
ネイトレット家は街一番の名家であり、良い縁談は多々あったし、なにより彼女には当時、恋人がいた。
心身ともに優秀な青年で、彼ならネイトレット家の跡継ぎにしても良いとスレイブスは認めていたのに、しかし恋人はダンがアリシアを強姦した翌日に消息を断ち、アリシアは泣く泣くダンの元へ嫁ぎ、夫婦はネイトレット家への出入りを禁じられる。
一度の過ちが、ネイトレット家とクレイマー家の間に大いなる遺恨を残した。
斬の過ちは、アリシアの元に残らずクレイダムクレイゾンを去ってしまった点だ。
ギィ=クレイマーは誰にも見つからない薄暗い陽のうちに街を出て、何一つ証拠を残さない鮮やかな失踪を遂げた。
ネイトレット家の財力を持ってしても、彼の足取りすら追えなかったのだ。
何故、アリシアを置いて逃げた。
何故、彼女を慰めるなり庇ってやろうとしなかったのか。
ギィはアリシアの恋人だったのに……
そのギィが突然のこのこ戻ってきた上に世界の危機だなんだと大風呂敷を広げ、つまるところは家宝を渡せというのが用件らしいのだが、そんな与太話を鵜呑みにして家宝を渡してやるほどスレイブスも素直な人間ではない。
過去の遺恨を抜きにしても、ハンターなんてものは傭兵と同じぐらい信用できない。
雇われ主次第でコロコロ考えを変える連中であり、所詮は余所者、胡散臭いこと、この上ない。
アルテルマを扱うのがレイザース騎士団長だと聞かされても、証拠を見せてもらわない限りは信じられない。
騎士団が依頼主であれば、透かし刻印入りの証書を持っているはずだ。
そう問い詰めるスレイブスに対し斬は言葉を濁し、使用後は家宝を返しに来るの一点張りで話が全く進まない。
追い出そうにも相手は入口で踏ん張って動こうとしないし、警備隊は二度の襲撃で使い物にならず、さて、どうしようかとスレイブスが考えあぐねていると、表門のチャイムが鳴り響く。
「誰だ、この忙しい時に。丁重に追い払え」
ただちに召使いへ命じると、スレイブスは今一度迷惑な訪問者と向き合った。
「何度でも言ってやる、アルテルマは貴様に貸せん。貴様が信用のおけない人物であるのは私の娘が生ける証明だ。騎士団長が求めているというのなら、本人を連れてこい」
居丈高な物腰に、斬は覆面の奥で眉をひそめる。
やはりスレイブス=ネイトレットは一生、クレイマー家を許す気がないようだ。
それもそうだろう、蝶よ花よと慈しんで育ててきた一人娘を嫁入り前に妊娠させられてしまっては。
直接の原因は兄だが、罪は弟にもある。彼女の恋人でありながら、彼女を捨てて逃げ出した罪が。
証拠を見せろと言われてアレックスに通信を繋ぐも繋がらず、何度かけても通話中の音が鳴るばかりな通話機を斬は睨みつける。
これだけ長時間、誰かと通信をやり取りするとなると、向こうでも何か非常事態が起きたというのか。嫌な予感がする。
敵は常に同時多発攻撃を仕掛けてきている。
クレイダムクレイゾンに伏兵が置かれていた状況を踏まえると、他の場所だって兵が派遣されないとは限らないではないか。
亜人の島が心配だ。だが、まだ戻るわけにいかない。
なんとしても、魔具を借りなければいけない。頑なに人の話を聴く気がない家主を説得して。
いざとなったらスレイブスを叩きのめしてでも、アルテルマを強奪するしかない――
などと、斬の思考が些か物騒になってきた頃合いを見計らったかのようなタイミングで、誰かが奥の部屋から顔を出す。
「ギィ……?この声、もしかしてギィなの?あぁ、あなた、やっと戻ってきてくれたのね!」
「こら、奥にいろと言ったはずだぞ!」
誰何と叱咤が重なり合い、叱られたのを物ともせず斬の横へ座った彼女こそはアリシアの母、ミジェンタ=ネイトレットではないか。
斬がまだネイトレット家を出入りしていた頃、懇意にしてもらっていた相手でもある。
当然だ。あの頃は、いずれギィがネイトレット家を継ぐ予定だったのだから。
「ねぇ、ギィ。この人はともかく私は怒っていないのよ。いいえ、あなたが街を去った時には酷く悲しんだりもしたのだけれど」
夫のほうなど見もせずに斬の手を熱く握りしめるミジェンタには、スレイブスがお怒りだ。
「おい、こら、お前が出てくると話が拗れるじゃないか、奥へ引っ込んでいろ!」
そう怒鳴られてハイと頷くような素直な妻だったら奥の部屋から出てくるはずもなく、ミジェンタは夫の怒りを右から左へ聞き流すと、ますます熱い眼差しで斬を見つめる。
「安心して。家宝は代々、子の夫が継ぐことになっているの。でもねぇ、ダンときたら日がな一日飲んで寝ての暮らしでしょう?襲撃事件の時だけだったわね、迅速な動きを見せたのは。だからね、家宝の管理はアリシアに任せようと思っているの」
「なんだって!?」と叫んだ黒ずくめに、老夫婦は首を傾げて聞き返す。
「どうしたの?アルテルマの管理がアリシアで、何かご不満?」
「待て、アリシアは勘当だ!アルテルマを継ぐのは、いずれ養子で迎える予定のジェスだと言っただろう!」
否、スレイブスの叫びは妻へ向けられたもので、口から泡を飛ばしての異論にミジェンタは肩をすくめる真似をする。
ジェス=アンダーソンはクレイダムクレイゾン一の勤勉と謳われた若き警備隊員だが、二度に渡る襲撃事件の際には二回とも街を留守にしていた。
何処に行っていたのかというと、隣町まで遠征しての娼婦遊びをしていたというんだから、勤勉が聞いて呆れる。
そのおかげで命拾いしたのだと夫は彼を庇ったが、ジェスを跡継ぎにするのはネイトレット家の終焉を意味しよう。
いざという時に家にいない家主なんて、なんの為にいるのか判ったもんじゃない。
「あれを家に迎えるのは、ダンに家宝を継がせるのと同じでしょう。私は断固反対です」
「何をいうか!咄嗟の判断で街を出たおかげで命が助かったんだ。娼婦遊びは彼の照れ隠しだ、私には判る!」
「何が照れ隠しなもんですか。警備隊が守るのは自分の命じゃなくて、街の人の命でしょうに」
放っておいたら延々続きそうな夫婦喧嘩に割り込むと、斬は今一度ミジェンタへ確認を取る。
「誰に継がせるかは後で決めていただくとして、家宝は今、何処にあるのですか?」
「それは勿論」「ここに決まっておろう!」
夫婦の答えに、さらに被せて声が響く。
「――ここにあります。えぇ、私が母から受け継いだんですもの、私の手にあるのは当然よね?ギィ」
名乗りを上げられなくても、言ったのがアリシアなのは顔を見れば判る。
だが、何故彼女が此処にいるのだろう?夫共々、実家を勘当されたはずなのに。
斬の目はアリシアの真横へと流れ、無精髭の男に一点集中する。
男はボリボリ汚らしい髪を掻きながら大きなあくびをかますと、ぽかんと呆ける黒装束へ言い放つ。
「おうギィ、久しぶりじゃねぇか。俺に感謝しろよ?この家までアリシアを連れてきてやったのは、他ならぬ俺なんだからな」
アリシアの横に立つ男こそ、斬の兄にしてジロの父。
アリシアの夫でもあるダン=クレイマーが、だらしない格好で立っていた――


23/01/03 update

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