Beyond The Sky

37話 この世の終わり

巨大怪物の奇襲を受けて、レイザース城は防衛を余儀なくされる。
防衛というよりは、城から一歩も出られないといったほうが正しい。
一歩でも出れば即座に怪物がブレスを吹きかけてきて、一瞬にして塵と化す。
白騎士に何十人か死者を出した後、白騎士団は一路撤退、今は籠城状態にあった。
レイザースが所有する必殺のグラビトン砲、通称グラガンは騎士団の撤退後すぐに発射されたのだが――
「なんてやつなの!」と憤慨するレンの視線につられるようにして、他の魔術師たちも城の窓から外を見やる。
怪物は未だ城の外でボンボンと絶え間なく魔光弾を放っており、結界を張っているにも関わらず衝撃が城を揺らしてくるものだから、場内にいる人々を震えあがらせた。
「このまま打つ手なしでは、レイザースが滅ぼされてしまうぞ!」
誰かのあげた悲鳴に、怒号が覆い被さる。
「不吉なことを言うんじゃない!王なら……王であれば、必ずや打開策を立ててくださるはずだ!!」
この絶望においても白騎士団の意欲は衰えず、しかし敵は上空とあっては魔法も剣も届かない範囲だ。
おまけにグラガンまで弾かれたとあっちゃ、いくら歴戦のレイザース王といえど為す術がないのではなかろうか。
魔術師のみならず、騎士にしても窓の外から様子を伺うしかない。
「隊長、このままでは……」
どの顔にも焦りが浮かぶ。
今は城のみが集中攻撃を受けているが、城が崩壊すれば次に狙われるのは城下町、そして近郊の街とて無事では済むまい。
レイザース全土が怪物の手で滅ぼされる前に、打開策を練らねばと気は焦るばかりで何も思いつかない。
白騎士団長にしてレイザース陸軍総隊長、グレイグ=グレイゾンは苦み走った表情で怪物を睨みつける。
場内に重苦しい空気が立ち込める中、外から呼びかける声が聞こえてきた。
『どうした、栄えあるレイザース王国の諸君。必殺の手を封じられた程度で城へ引きこもるとは、諸君らしくもない。もっと醜くあがいてみせては、どうかね?』
「一体誰だ、こんな時に!」と窓に走り寄って身を乗り出した騎士と、怪物の目が合う。
たちまち硬直する騎士を眺めて、怪物がニヤリと笑った。
『戦闘意欲は衰えていないようだな、結構。場内に引っ込んだのは王の命令か、なら奴に伝えておけ。城ごとふっ飛ばされたくなかったら王自らが指揮を取り、俺と戦え、とな』
「こ、こいつ!」「喋れるのか!?」
場内は騒然とし、怪物が初めて名乗りを上げた。
『我が名はジェスター=ホーク=ジェイト。否、ジェスター=ホーク=ジェイトは過去の名だ。今の我はベリウル。我が力をもって、今日をレイザースの終焉としよう。共に滅びの道を』
ベリウルの名に聞き覚えのある者は居ない。それよりも問題は、その前に告げられた名前だ。
「ジェスターだとォォ!?」
反逆の黒騎士は、レイザース史における汚点と言っていい。
一時は黒騎士の団長を勤めておきながら、王国に反旗を翻して、幾度となく闇の眷属を引き連れて城を襲撃してきた男だ。
「取り込まれた……?」
ぽつりと呟いたレンを振り返り、フィフィンが意味を質す。
「レン様は、ベリウルという怪物に反逆者が食べられてしまったとおっしゃりたいんですか?」
「違うわ、食べたんじゃなくて合体したのよ。魔族がジェスターを取り込むことで」とレンが推測を話す傍ら、窓際に集まった騎士が口々に怪物を罵った。
「貴様、ジェスター!性懲りもなく、また攻めてきたのか」
「その姿はなんだ!?貴様、とうとう人間を止めてしまったんじゃあるまいな!それとも何か、怪物に食われて取り込まれたのか!!」
すると怪物はニヤリと口の端を吊り上げて、そうとも取れる返事を寄越してくるではないか。
『察しが良いな、諸君。そうとも、ジェスターは力を欲した。故に我が一体となり、奴に力を貸してやったのよ』
「やっぱり吸収されたのね」と、レン。
窓の外を睨みつけて、吐き捨てる。
「ジェスターを吸収する際、知識も吸収したから、こっちの事情を知っているんだわ。あの怪物はジェスターじゃない、ベリウルってのが本体よ」
ベリウルについて何か知っているのかというフィフィンの問いにも、レンは苦々しい表情を窓の外へ向けて答えた。
「あいつ、何度か魔族とつるんでいたわよね。だから多分、あれも魔族なんじゃないかしら」
これまでに見たことのない怪物故に、誰もが納得の結論だ。
「――そうだ、隊長!空の防衛団とやらは、どうなったんですか」
不意に思い出した誰かの叫びにつられるようにして、人々は口々に「亜人の部隊か?しかし、魔族相手に戦えるのか!?」「出来たばかりの烏合の衆だろう、我々よりも質が悪い!」と、ざわめき立つ。
それらを一喝しようとグレイグが口を開きかけた時、甲高い咆哮が辺り一帯を劈いた。

レイザース城へ到着する直前、先頭のシェリルが眼窩に収めたのは、これまでに見たこともないような巨大な怪物の姿であった。
ひと目見て彼女は直感に至る。あれはジェスターの差し向けた魔族だ。
「皆、気を引き締めて!あそこに浮かんでいるのは魔族に違いないわ。強敵よ、一斉雪崩攻撃をかけましょう」
シェリルの号令で、全部隊に緊張が走る。
魔族に関して何度も噂で聞いているが、実際に戦った経験があるのはアルとシェリルぐらいで、他は今回が初めてである。
近づくに従い、敵が予想以上に巨大だと判って、ドラゴンの背に跨った傭兵やハンターは身震いした。
「なんと禍々しい……で、あります」
黒騎士の中で唖然としたのはコックスだけで、他の面々は苦虫を噛み潰す。
あれは魔族だ。シェリルの言う通り。
これまでに何度も反逆者が差し向けてきた、どの怪物とも殺気が段違いだし、過去に戦った魔族と似た雰囲気を漂わせている。
遠目にアレックスは城の損害状況を確認する。
城壁は激しく削られており、あの様子では恐らくグラビトン砲も効かなかったのであろう。
表に出ている騎士は一人もいない。空に対抗する手段を持たないんじゃ、王が籠城を命じるのは当然だ。
「迂闊に近づいて大丈夫なのかヨ!?旋回して様子見したほうがいいんじゃねーのか!」
セレナの後ろを飛ぶドラゴンの背で、傭兵のボブが喚いている。
後ろの騒音を一切無視して、彼女は傍らで並行するドラゴンの背を見やった。
アレンの様子が気にかかったのだ。
彼はジェスターの実弟、魔族を城へ向かわせて本人が来ないとは到底考えられない。
ジェスターと対面した時、彼は冷静でいられるだろうか。頭に血がのぼりすぎて、ドラゴンの背を転がり落ちないと良いのだが。
視線に気づいたのか、アレンが此方へ視線を向けて微笑む。
ひとまずは冷静だ。だが、油断はできない。
先頭のドラゴンが射程距離に入った直後、アレックスがシェリルに命じる。
「……いくぞ、シェリル。ビヨンドスカイ、これより雪崩攻撃を開始する」
「オッケー!」
どこか弾んだ声のようにも聞こえたのは幻聴だろうか。
シェリルは元気に頷くと、飛ぶ速度を速めてゆく。
彼女の部隊も後を続き、怪物の手前でシェリルが大きく口を開いた。
「これでも、くらえぇーっ!」
あっという間に白銀のブレスが巨大怪物を包み込み、効いたかどうかを確認する間もおかずに「次、俺達の番だな!よっしゃー!」と叫んでバル小隊が突撃していったかと思えば、今度は「いくわよー!」とドルク小隊が突っ込んでゆき、お次は「堕ちよ!この化け物がァッ」とラドル小隊がブレスを吹きかける。
並の生き物なら骨も残さず溶け落ちる怒涛のブレス攻撃だ。
しかし――
「危ねぇっ!」と叫んでガーナが大きく旋回する。
巨大な塊が彼らが直前までいた場所を薙いでいき、遥か遠くの山脈で大爆発を起こした。
「えぇっ!?全然効いてないっ」
悲鳴を上げたのはレピアで、彼女を乗せたドラゴンも間一髪で飛んできた何かを避けきった。
激しく旋回するドラゴンの背で彼らが見たのは、最初と同じ場所で空中停止した巨大怪物であり、奴は何処にも傷を負っていない。
焼け焦げてもいなければ、凍りついても、毒を受けたようにも見受けられない。
「嘘……私達のブレスが効かないなんてこと、ある?」
ドルクが呟くのへは、背に乗ったカズスンが首を緩く振る。
「違う、多分、多分だが……あれが魔族なら、結界を張って防いだんだ」


レイザース首都が未曾有の危機を迎えていた頃。
クレイダムクレイゾンも武装軍団に襲われて、窮地に立たされていた。
以前の襲撃で警備隊員は勿論、雇われ傭兵の数も増やしたというのに、全然歯が立たない。
「きゅ、救援は、騎士団の救援は、まだなのか!?うわぁぁぁっ!」
及び腰になった者や立ち向かう覚悟のある者、武器を手にした者が、片っ端から斬り伏せられる。
相手は、たった一人の剣士だ。
上から下まで黒一色に身を固め、防具らしきものは何も身に着けていない。
だというのに、剣はおろか銃でも彼を捉えることは適わない。
「逃げたきゃ逃げろよ、逃げるんだったら命まで取りゃしねぇ。その代わり、俺が王城へ向かうのを止められなくなるけどな」
嫌な笑みを張り付かせた剣士に「抜かせ、この悪党が!」と斬りかかった傭兵が、一閃の元に首を撥ね飛ばされる。
手にした剣は一般に売られている量産型ロングソードのようでありながら、恐ろしいほどの切れ味を見せていた。
あっと思った時には誰かが斬りつけられて、地に伏せる。一撃必殺、絶命の剣だ。
「弱ェ、弱ェなぁ。僻地だからって怠けてんじゃねーぞ?警備隊の皆様よォ!」
男に嘲られても、次に斬りかかる勇気のある者は居ない。
一歩、一歩と後退していき、ついには皆の恐怖が爆発した。
「か……勝てねぇ……逃げろォォォっ!」
一目散に逃げ出したのは民間人や傭兵ばかりにあらず、警備隊員もだ。
逃げる背中を追うでもなく突っ立って眺めていた剣士が、ややあってポツリと呟く。
「ヘッ。本当に逃げりゃ命を取られないと思ってんだったら、とんだアマちゃんだぜ」
一歩踏み出した瞬間、剣士の姿がぶれる。
足音一つ、追いかけてこなかった。
なのに「ぐぎゃぁ!」と叫んで倒れた傭兵に、えっ?と背後を振り返る暇も警備隊員には与えられず。
次の瞬間には自分の断末魔を耳にしたのが、警備隊員の最後であった。
次々と、立ち向かった者たちが斬り伏せられてゆく。
斬りつけられた瞬間に致命傷を負うもんだから、地へ倒れる頃には全員が事切れている。
辺り一面には血飛沫が飛び散り、剣士の全身を瞬く間に真っ赤へ染め上げた。
――やがて、息をするものが剣士一人になった頃。
ゆっくり近づいてきたローブの人物が、剣士へ声をかけた。
「どうかな?我が魔術で強大な能力を得た感想は」
「最高だぜ」と答えて、剣士がニヤリと笑う。
「では、首都へ向かうとしよう。立ちふさがる障害は、全て切り捨てて」
先に歩き出したローブの人物を追いかけて、剣士も歩き出した。


クラウツハーケンやカンサーに現れたのも、たった一人の傭兵であった。
戦える者を残らず殺しまわり、首都を目指すと言い残して街を去っていった。
ファーレンを襲ったのは、海から奇襲をかけてきた忍者軍団だ。
海軍が討伐にあたり、街の住民は戦いの行方を恐々見守った。
「くそ、こんな時にジェナックがいないなんて……!」と愚痴ったのも一瞬で、カミュ少尉は意識を切り替える。
ニンジャが如何に強かろうと、こちらの船はレイザースの最新型、向こうは木のボートだ。
要は白兵戦に持ち込ませなければいい。
「砲撃用意!目標は木のボート、三隻!第一小隊、砲撃を開始。第二小隊と第三小隊、海賊諸君は包囲網を展開せよ」
通信機による命令で、艦隊がカミュの指示通りに動く。
カミュの乗る本艦は後方に控え、木のボートを四方向から囲い込む形で砲弾を浴びせる展開を想定していた、のだが。
予想外だったのは、最初の砲弾にボートが煽られた瞬間、黒ずくめ軍団が一斉に「ハァッ!」と叫んで海へ飛び込んだ点だ。
「えっ!?」
身投げか、それとも別の思惑なのかを図りそこねて、カミュは判断が遅れる。
ほんの数秒の動揺が瞬く間に驚愕、恐怖へ塗り替えられたのは、水面を割って姿を表した巨大生物の登場であった。
「な、なんだ、あれは!」と少尉に叫ばれたって、誰も答えられようがない。
出てきたのが、誰にも見たことのない怪物とあっては。
水飛沫をあげて怪物が空へ舞い上がる。
そこから先は海上へ次々放たれる魔光弾の数々に艦隊の動きは乱れに乱れ、助っ人参戦した海賊にも対抗手段がないのか、早くも黒猫海賊団の船が撤退を始めた。
「待て、海賊団!退治に手を貸す約束を反故にするんじゃない」
度を失ってカミュが怒鳴りつけると、負けず劣らず動揺を隠しきれないキャプテンの怒号が返ってくる。
『俺達が頼まれたのはニンジャ退治だ!バケモノ退治は含まれてねぇっ』
空を見上げて、マリーナは舌打ちする。
レイザース製の船には対空砲が備え付けられていたけれど、魔物には全く当たらない。
機械操作で照準を併せても、追いきれない速度で逃げ回られてしまう。
木製ボートなんて粗末な船で突撃してきた時に気づくべきであった。
彼らが何の対策もなく、突っ込んでくるわけがないことに。
対空砲は一切当たらず、軍艦や海賊船は一方的な攻撃を受け続けている。
こんな時にジェナックがいたら、何か打開策を立ててくれるだろうか。
自分たち常識人には及びもつかないような行動を取る男だ。
なにかしら妙案を閃いてくれそうな予感がする。
否、何も思いつかなくたっていい。
彼が一緒にいてくれるだけで、安心できる。そういう人だ。
ぐらぐら揺れる軍艦の中で、マリーナはジェナックの帰還を待ちわびた。


22/08/01 update

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