Beyond The Sky

35話 混乱する情報

土間はアルを中心に水浸し、アンモニアの匂いが充満していた。
帰ってきた人物が鼻を摘むのも致し方ない。
しかし男が何か言う前に奥の襖が勢いよく開いて、わらわらと忍者が飛び出してくる。
「頭目、吉報でございます!タオ殿が、タオ殿が戻って参られた!」
その後をタオも続いて、土間へ戻ってきた。
「おかえりなさい、栄太郎」
タオを目に入れた途端、男の瞳は涙で潤み、頬には赤みが差してくる。
雇われ傭兵が戻ってきたというだけで、こんな反応を見せる奴は、まずいない。
「タッ……タオ殿……!タオ殿ォォォー!」
叫ぶや否や栄太郎はタオへ突進していき、勢いよく抱きしめようとした両手は、しかしながらタオが真横に避けるもんだから空をかき、栄太郎は壁に激突する。
「タッ、タオ殿、何故避けなさる!?」
「暑苦しいからに決まっているでしょう。相変わらずですね、あなたは」
二人の温度差には、成り行きを見守っていた斬たちも呆気にとられるばかりだ。
ぶつけて赤くなった鼻っ柱を撫でながら、栄太郎は改めてタオと向かい合う。
「いや、しかしタオ殿、無事で良うございました……反逆者めの部下は貴殿が死んだだの寝返っただのと告げてきたが、俺には如何とも信じがたく。やはり偽の情報でござったか。胸のつかえが取れ申した」
「そのジェスターですけれど、連絡が取れなくなったのは本当ですか?」
タオに尋ねられて、栄太郎が素直に頷く。
「左様。奴めはレイザース本土を狙う計画で我々を南洋諸島へ潜ませておきながら、突如通信機に応じなくなったのです。何度かけても全く出ぬ」
栄太郎が見せてきた通信記録を、タオも忍者と一緒に覗き込む。
最終記録はシュロトハイナムからの発信となっていた。
「タオ殿のほうにも連絡は?」と下忍の一人に尋ねられたので、タオは難しい顔を作って答えた。
「僕のほうでは状況が全く判りませんでした。ですから、こうして里まで戻ってきたのですよ」
タオが斬に破れる前、ジェスターと会ったのがクラウツハーケン。
栄太郎との通信が途切れたのは、シュロトハイナム。
どんどん首都から遠ざかっているようにも思われる。一斉攻撃に入るのは、まだ先の話だったのだろうか。
「奴は我らを捨て駒にするつもりでござらぬか」と不安がる下忍を見て、タオもそうではないかと勘ぐる。
同時に愚策だとも考えた。
手が足りないからこそ手を組んだのに、ここで手を切る意味が判らない。
「これまで、何を話したのです。具体的な決起日は尋ねましたか?」
タオの問いに栄太郎は頷き、決起日以外に現在の各地状況や増えた魔族についても尋ねたと答えた。
「最後に通話した時は強力な術師を仲間に加えた上、恐ろしく強大な魔族も召喚できたと自慢していたが……それっきり途絶えてしまったのです。もしや奴の身に何かが起きたのやもしれぬ」
あまりにも強大な魔族に殺されてしまったのかもしれない。ジェスター一味は。
それなら、めでたしめでたしのハッピーエンドになろうが、残った魔族がどうなったのかは気がかりだ。
タオが不在の間、ジェスターは配下の魔族に各地を襲わせていた。
大きく報道で取り上げられたのはクレイダムクレイゾンだけだが、辺境の地も被害を出していたようだ。
決起日は、当分先だと言われた。
まだ戦力が充分ではないから、引き続き無人島で待機していろと命じられた。
無人島で時間を潰すぐらいなら騎士団陽動に加わりたいと栄太郎は申し出るも、ジェスターには却下された。
何度も戦ったら、向こうも忍者を研究しつくしてしまう。
奇襲でこそ忍者が最大に生かせるのだと説き伏せられて、渋々従うことにしたのだが……
「やつは怖気づいたに違いありませぬ。やはり我らだけで悲願を達成すべきでござる」
息巻く下忍の言い分も一理ある。ジェスターのやり方は、タオが見ても合理的ではない。
「しかし魔族が使えないのは厳しいですよ。あれらは瞬間移動で直接城へ乗り込めますからね」と答えてからタオは、ようやく本題を切り出す。
いや、切り出そうとして栄太郎の背後で控えた人物に気がついた。
「栄太郎」
「は、はいっ!なんでございましょうか、タオ殿」
「あなたは僕がいなくても寂しくなかったんですね」
突然の切り出しには栄太郎も一瞬キョトンとなり、すぐにアワアワと弁解を始める。
「い、いや、何の話でござる!?貴殿がいない日々は火の落ちた灯籠、寂しかったに決まっておりましょう!」
「僕の代わりに二人も稚児を見つけていたじゃありませんか。その子が本命として、もう一人は予備ですか?」
タオの視線につられて、アルも栄太郎の後方を見やる。
そこにいたのは一人の少年で、口元には薄い笑みを浮かべていた。
黒髪だがタオや栄太郎の黒とも異なる、青みがかった黒だ。
こうして連れ帰ってきたからには拾った子供の一人、ジョージとモリスが目撃したバドに違いない。
背丈はバフよりも低く、アルとどっこいぐらいか。
見た目は少年そのものだが、どこか違和感を覚えるのは何故だろう。
「あなたがタオさん?へぇ、綺麗な人だね。性格は僻みっぽいみたいだけど」
そのバドが生意気な口を訊くものだから、驚いたのは斬一行のみにあらず下忍たちも唖然とし、栄太郎が慌てて窘めた。
「こ、こら、無礼を働くんじゃないっ。タオ殿が俺に僻みをぶつけるなど、あるわけがなかろう!」
タオも、すまして「今のは、ほんの冗談ですよ。真に受けるとは、見た目通りのお子様でしたか」と軽く流す。
子供と蔑まされて些かムッとなったバドを見据えて、こうも続けた。
「それにしても……栄太郎、あなたの何処に惹かれるのでしょうね、魔族は」
本人が答える前にバド、それから居間で大人しく座っていたバフが同時に声を揃える。
「優しいトコだ!俺は魔族じゃないけど」「栄太郎さんほど男の色気を漂わせている者はいない」
言った後、ようやくバドはバフに気づいたか「えっ?」と居間へ目を凝らし、栄太郎も「バフ?バフが何故、ここに」と今頃気づいたかのような声を出した。
「おう、俺だ。栄太郎、ただいま!」
無邪気に喜ぶバフを眺めて困惑する栄太郎へ下忍の一人が告げる。
「タオ殿が連れてきたのでございます。大怪我を負い、転がり込んだ先で見つけたのだそうで」
「大怪我を!?タッ、タオ殿、傷を、傷を負われたのでございますか!」
栄太郎は大怪我の部分に甚く反応し、タオをまたしても抱きしめようとして避けられる。
再び居間の壁に激突する彼を眺めながら、ソウマは知らずジト目になってしまう。
噂に聞いた忍者のイメージが、がらがらと音を立てて崩れていく。
どうも距離感を間違えているとしか思えない。タオに対する栄太郎の態度は。
雇い主でありながらタオより腰が低いのも気になるが、聞こうにも聞けない。声を出せない今は。
「タオ殿、その動き、怪我は完治いたしたようで何より……ッ」
「いちいち抱きつこうとしなくて結構ですよ、栄太郎」
ぴしゃりと栄太郎の賛辞を遮り、タオは本題を切り出した。
「僕は知ったのです。亜人はレイザース王国と手を組みました。それも一匹だけではありません、徒党を組んでの協力体制です」
「な、なんと!?」と驚く忍者勢を見渡して、バドだけ驚いていないのを確認がてら、タオは少々思案する。
先ほど魔族ではないかと鎌をかけてみたけれど、この子供は魔族の部分には無反応だった。
記憶喪失は本物だったのか、それともポーカーフェイスを装っているだけなのかが、いまいち判別しかねる。
今も栄太郎や下忍は動揺しているのに、彼だけ平然としている。
ひとまず栄太郎への勧誘を続けてみよう。
タオの企みに気づいた時、バドがどう出るかで、こちらの策も変わる。
「亜人は強敵です。僕も危うく命を落とすところでした」
「な、なんと!タオ殿は単身、亜人の島へ突撃したので!?」
「それもジェスターめの命令だったのでございますか!」
口々に驚く下忍へタオは頷きで返し、じぃっと栄太郎を見つめた。
みるみるうちに頬を真っ赤に火照らせる栄太郎を、斬一行も黙って見守る。
「亜人が王国の味方についた今、この戦いは勝ち目がありません。諦めるのです、栄太郎」
「し、しかし打倒レイザースは我らがジャネスの悲願、貴殿とて存じておられるはずだ!」
なおもジィィーッと栄太郎の瞳を覗き込んでから、ふいっとタオは視線を外す。
「あなたが死ねばバフや、そこの子は悲しみます。そして……あなたを失ったら、僕も、きっと生きてはゆけません」
長い睫毛を伏せて、これでもかというぐらい悲しそうな表情を作るとは、なかなかの演技派だ。
つい先ほどまで散々抱擁を避けまくっていた塩対応を見ていなければ、ソウマだって騙されそうなほどの。
感極まった栄太郎は、今度こそ思いっきりタオを両腕に抱きしめて叫んだ。
「貴殿を残して死ぬなど、できませぬ!判り申した、ジェスターとは縁を切りましょうぞ」
「と、頭目!それでは我らが悲願は……」と慌てる下忍を強い視線で黙らせる。
「タオ殿でも亜人には勝てなかったのだ。我らで勝てる相手ではない」
ずっと黙して会話を聞いていたのであろう里長が、襖をまたいで栄太郎の横へ並んだ。
「栄太郎、お前でも無理と申すか」
里長の問いを「あぁ。タオ殿に勝てぬ俺では、亜人に勝つのは至難の業だろう」と栄太郎は肯定し、なおもギュッとタオを抱きしめたまま、反乱の終わりを告げる。
「皆、悔しいだろうが我らジャネスが反旗を翻すのは今ではない。いずれ機を見て再び」と話す彼を遮ったのは、腕の中のタオで。
「いいえ、機はありませんよ、永遠に。亜人は長寿です。その種族がレイザースの守り神になったのです」
それよりも、と栄太郎の腕を抜け出して提案する。
「反旗を翻すよりも、観光地としての繁栄を求めるといいでしょう。古くからの文化を観光へ昇華させて。まずは交通機関を発展させた後、全ての情報誌に宣伝を出すのです、ジャネスの見どころを添えて。精力的に呼び込めば、興味を持つ者が現れます。カンサーが、かつてそうだったように。それに、このほうが首都へ恨みを募らせて生きるより前向きだと思いませんか?」
「その発展、タオ殿もお力を貸してくださるのでしょうな」と念を押してくる里長へ首を横に「いいえ。僕は契約切れですから、ここを去りましょう」と答えるタオへ絶望の目を向けたのは言うまでもない、栄太郎だ。
「タオ殿ォォォ!そのような無情を仰っしゃらず、俺の側に生涯いてくだされ」と追いすがってくる忍者の頭目をチラリ見やり、タオは悪戯っぽく微笑んだ。
「僕は腕試しの傭兵です。各地を放浪して、ジャネスの宣伝役を担いましょう。なんでしたら栄太郎も、ご一緒しますか?」
名指しでのお誘いに、栄太郎が鼻息荒く「同行して宜しいのでしたら、もちろん喜んで!」と叫ぶ側で、バドが口を挟んでくる。
「いいの?なんでか皆、絶大にその人を信頼しているみたいだけど、その人が連れてきたんでしょう?そこの土間に座り込んでいる亜人や人間を」
――この一言には長い間が空き、ややあって下忍が聞き返す。
「何を言っているのだ?土間にいるのはタオ殿の部下としてつけられた魔族だと」
「魔族?何言ってるの、思いっきり気配が人間と亜人じゃないか」とバドは蔑みの目で下忍を切り捨てて、栄太郎を見上げた。
「栄太郎さんなら、僕を信じてくれるよね?なんなら、黒頭巾を剥いで確かめたっていいんだよ」
思わぬ板挟みには栄太郎も困って、バドとタオの双方を何度も交互に見比べる。
彼としちゃタオを絶大に信じたいのだろう。
かといってバドも養子にしたいほど可愛い子供、そう簡単には切り捨てられない。
薄い笑みを口元に浮かべ、タオが指摘する。
「どうして魔族か否かの気配が、あなたに判るのです?あなたは記憶喪失だと、バフから聞いていますが」
そういや、そうだ。
記憶喪失だからこそ、栄太郎は哀れんで二人を拾ったのだ。
ハッとなって斬がバドを見やると、かの子供は唇を噛んで、あきらかにしまったという表情を浮かべた。
だが、それも一瞬で、すぐにバドは、ふてぶてしい顔つきに変わる。
「そうだ、俺は記憶を失っていない。やっぱ、魔族と行動を共にしていた奴が仲間にいると、やりづらいや」
「バド……?」と驚愕の栄太郎を一瞥して、ほんの少しばかりバドは下がり眉になった。
「ごめんね、栄太郎さん。俺は、あなたの監視役だったんだ。けど魔族だと名乗れば、あなた方は嫌がるだろうと思って」
「ま、魔族だと!そこの小僧が!?」
ようやく事態を把握した里長や下忍そっちのけで、バドとタオは睨み合う。
「それより、配下と偽って亜人を二匹も里へ連れ込んだのは何故なのかな?タオさん」
「決まっているでしょう、彼らは僕の仲間だからです」
「仲間!?ではタオ殿、タオ殿が寝返ったのは本当だったので!?」と驚く忍者たちは、すっかり蚊帳の外だ。
バドとタオの間で、なおも火花が飛び散る。
「へぇ、忍者に雇われている身なのにレイザースへ寝返ったんだ。栄太郎さん、かわいそー」
「仕方ないでしょう、僕が敗北したのは事実ですから。相手は亜人ではなく、一介のハンターですけど」
「ハンター!?ハンター如きがタオ殿を負かすとは、どんな姑息な手段を使われたのです!」
まだタオの肩を持っているあたり、どうしても栄太郎はタオが裏切ったと認めたくないようだ。
一体どれほどの信頼感があったのだろうと考えながら、斬は立ち上がって覆面を脱いだ。
「すまない。ここまではタオに一任していたが、情報が混乱しそうなので俺にも話をさせてくれ」
斬の髪が黒いのを見て、忍者に動揺が走ったのも一瞬で。
「貴様がタオ殿を騙し討ちで負かせた挙げ句、レイザースへ寝返るよう唆したハンターかッ!」と決めつけて栄太郎が殴りかかってくるのは、拳の届く寸前でタオが足払いをかける。
「あぁぁぁっ、タオ殿ォォォーー!??」
勢いが止まらない栄太郎は、土間に広がるアンモニアの海へ頭から飛び込んでいった。
「あーあ」と呟いて、ソウマも腰を上げる。
魔族のふりした置物ゴッコは潮時だ。正体がバレた以上。


22/06/27 update

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