Beyond The Sky

33話 斬の故郷

「そういやぁ」とテントの中でソウマが尋ねる。
「マスター、あんたの両親ってな、まだ生きてんのか?」
斬は今年で四十ニ歳、親が死去する年齢には早い。
「何故それを尋ねる?」と返した彼へ「クレイダムクレイゾンが襲撃されたじゃないか。あの街がマスターの故郷だってんなら、親が心配になるもんだろ」とソウマは答え、斬の顔色を伺った。
黒頭巾に包まれているから表情の変化は判らないものの、動揺していないのが却って不自然に感じる。
あまり触れられたくない話題だったんだろうか。
ソウマの両親は、もういない。とある事情で家族と呼べる人間は全員滅してしまった。
色違いの瞳も、その時に患った。生まれついてのオッドアイではない。
「悪い、変な詮索だった」と謝るソウマへ斬は「いや」と短く遮ると、幾分穏やかに言い直す。
「両親の心配をする――それが、本来は普通なのだろう。君の配慮には感謝する。だが、俺への心配は無用だ」
彼には甥がいるんだから、兄夫婦も何処かに住んでいるはずだ。
あの街かもしれない。
両親の件では心配無用と断られてしまったが、兄夫婦に関しちゃどうなのだろう。
やはり無用の詮索で片付けられてしまうのか?
「失ったら、二度と会えなくなるぜ」
そんな言葉がポツリとソウマの唇を零れ出る。
はっとなった瞳を斬に向けられて、初めて本人も気づいたように唇の辺りを手で抑えた。
「……悪い、なんでもない。忘れてくれ」
「いや。すまない、こちらこそ気遣ってくれたというのに素っ気ない反応で」
お互いに謝り倒した後、どちらともなくフッと苦笑する。
どちらも家庭の事情は複雑だ。だというのに、お互いの家族が気になって仕方ない。
「クレイダムクレイゾンにはジロの両親もいる。ジロは何も言わないが、心配しているはずだ。優しい子だからな」
ジロが優しいかどうかは、さておくとして、兄夫婦の安否は斬も気にしていたようでソウマはホッとする。
自分の信頼するマスターが完全無欠の冷血ではなかった点に。
「なぁ、クレイダムクレイゾンへ行ってみようぜ」と持ちかけるソウマへ、ジェナックが横入りしてきた。
「寄り道している暇があるのか?」
「無用な騒ぎを起こすつもりですか」と、これはタオの嫌味にもソウマは持論を曲げずに斬を誘う。
「お前らは先にジャネスへ向かえばいいさ。俺とマスターだけで様子を見てくるんだから」
「お前は何故、斬の家族を、そこまで心配するんだ?」
ジェナックの疑問にも肩をすくめて、「友人の家族だぞ?気にならない奴のほうが、どうかしている」とソウマは返して斬を見た。
「それにクレイダムクレイゾンの損害を調べておく必要もある。件の魔族だったか?奴とも、いずれ戦うハメになるんだろうしな」
「その調査、どれほどかかりますか」と、タオ。
「手短に終わらせるさ」とソウマは答え、最終案を斬に委ねる。
「マスターが嫌だってんなら、俺一人で調べてくるけど」
「いや、君一人では危険だ。俺も一緒に行こう」と斬は即答して、他の面々を見渡した。
「すぐ追いつくから、早まった真似だけはしないでくれ」
「勿論です」と打てば響く返事をタオがして、傍らではジェナックも納得の意思を見せる。
「お前らが追いつくまで、適当にジャネスの様子を眺めておこう」
子供たち三人は、というと既に夢の中だ。道理でおとなしいと思った。


翌日、斬とソウマの二人は一行と別れてクレイダムクレイゾンで足を止める。
アルとイドゥは最後まで駄々をこねて一緒に残ると騒いだのだが、バフを引き合いに出されては言うことを聞かないわけにもいかず、渋々タオの後に続いて歩いていった。
「なんか、ほんと、亜人はあんたに首っ丈だな。どうして、そんなに懐かれているんだ?」
呆れるソウマへ大真面目に「判らん」と斬は答えると、厳しい目線を街の入口へ向けた。
故郷へ足を踏み入れるのは久しぶりだ。
十七歳で旅立ち、それ以降は一度も戻ってきていない。
二度と帰るまいと思っていた。全ては兄との間に起きた出来事のせいで。
入口周辺に人影はない。
襲撃があったばかりなせいか店という店は軒並み閉まっていて、表通りも閑散としている。
警備隊らしき人物が二人を呼び止めてきた。
「あぁ、そこの。観光客か?」
万が一を考えて、二人とも黒装束は脱いでいる。
それでも呼び止められるからには、部外者の立ち入りが禁止されていると見ていい。
「いや、ここの出身だ。襲撃されたと聞いて、慌てて帰ってきたんだ。家族が心配で」と斬が身元を明かす。
彼が身元を明かしたのに驚きなら、即興の大嘘にもソウマは驚かされた。
警備隊員はジロジロ無遠慮な視線をソウマと斬にまとわりつかせて、顎をさする。
「ふむ……?諸君らの顔に見覚えがないんだが、どれほどの期間、帰ってきていないんだ」
「何十年も」と淀みなく答えると、斬は「家族の安否を確かめたいんだ、もういいだろうか?」と繰り返した。
警備隊員も退かず、「身元を確認できるようなものは持っていないのか?」と尋ね返してくる。
躊躇するかと思いきや、斬は懐からハンター免許を取り出して彼に手渡した。
「これで、どうだろう」
「ふむ……」
ハンター免許は、正式にハンター資格を取得した者だけが持つ身分証明書だ。
裏側には本名と出身地、現住所が記載されている。
よほどのことでもない限り、普段は提示を要求されないから、本名も知る人ぞ知る情報だが。
「そちらの彼は?」とソウマに向けられた疑惑は、斬が即座に「彼は俺の友人で、傭兵をやっている。俺を心配して一緒に来てくれたんだ」と断った。
傭兵に身分を証明できるものは何もない。
資格は存在するのだが、実は資格を取っていなくても傭兵を名乗れてしまう。
あえて名乗らなくても銃ないし剣を持っていりゃ、勝手に周りが傭兵だと認識してくれる。
ハンターと比べると些か曖昧な職業だ。
ともあれ、ソウマも素直に名乗りを上げた。
いつまでも、ここで押し問答をしている暇はない。
「俺の名はソウマってんだ。普段は首都の研究機関と契約を結んで稼がせてもらっているんだが、聞き覚えあるかい?」
すると警備隊員はポンと手を叩き、意外な反応を見せた。
「その名前は見たことがあるぞ!第一危険種猛獣誌で」
ハンター免許にも目を通し、「クレイマー家か、なら、そうと先に言ってくれればよかったのに」と小さく呟く。
「有名な家なのか?」と興味本位で尋ねたソウマへ「有名といやぁ、有名だな。この街有数の資産家と親戚になったんだから」と警備隊員は答えて、二人に道を開ける。
「通っていいぞ。今、この街は観光客の立ち入りを禁じているんだが、出身者なら話は別だ」
素早く左右に目をやりながら人っ子一人いない大通りを、斬は迷いもせずに歩いてゆく。
後ろを続くソウマは、聞き出したくて仕方がない好奇心を押さえつけるので必死になった。
クレイマーはジロの苗字でもあるが、警備隊員が知るほど有名な家柄だったのだ。
それにしては、ジロや斬から実家の自慢を聞いた記憶が一度もない。
謙虚な斬と違ってジロはお喋り、あの無能が唯一自慢できる自慢をしてこないとは、どうしたことだ。
大通りを抜けて住宅街へ入っていくと、やがて大きな屋敷が見えてくる。
有数だという資産家の、いずれかの家だろうか。
斬は門扉の前を素通りして、住宅街の奥へ早足に歩いていく。
ここではないようだ、目的地。いや、クレイマー家は資産家と親戚なだけだったか。
しかしクレイダムクレイゾンは長らく観光地との認識しかなかったが、こうやって歩いてみると住宅街の広さに驚く。
何十年ぶりの帰郷だというのに、全く迷わないで突き進む斬にも。
実家は生まれてから今に至るまで、一度も引越していないのか。だからこそ、警備隊員も知っていたのか?
首都は住民の入れ替わりが激しい。
貧民街以外は、税金の都合で移住者が後を絶たない。
都外からの移住者が代わりに入ってくるおかげで寂れず済んでいるが、昔からの住民は非常に少ない。
サキュラス家が首都にあったのを覚えている住民も、あの中で何割いることやら。
不意に斬が足を止める。
目の前には、何の変哲もない一軒家。表札にはクレイマーの文字が彫られている。
「本当に」
ぽつりと斬が呟いた。
「何も変わっていないな」
「マスターが家を出た時から?」とソウマは尋ねたのだが、斬は答えず戸を開く。
ノックなしで開けてしまっていいのかと慌てるソウマを背に、大声で呼びかけた。
「誰かいるか?死んでいなければ返事をしろ!」
恐ろしく無作法で、安否を心配しての呼びかけではない。
たどたどしい忍び足が近づいてきて、恐々と顔を出した者がいる。
ところどころに黒が残った白髪の老人だ。
死んだ魚のように、どんより濁った目をしていて、パッと見の面影は斬よりもジロに近い。
「誰かと思えば、ギィじゃないか……お前、なんで戻ってきた?」
こちらも、何十年かぶりに会う息子への問いじゃない。
もしや勘当された身だったのか?温厚な斬と勘当は、何をどう考えても結びつかないのだが。
「クレイダムクレイゾンが襲撃を受けたと聞いた。被害は如何程だったのか?」
他人行儀な質問に老人は首を傾げる仕草を見せ、ややあってポツリと答える。
「被害を受けたのは観光客が概ねと聞いている。犯行現場は大通りだけで、住宅街には来なかった。だから我々も無事だったんだ。ネイトレット家にも被害は出ていないし、アリシアも無事だ」
「そうか」と呟いた斬が天を仰いだのも一瞬で、すぐに踵を返す。
「行こう、奴らの狙いは陽動でクレイダムクレイゾンを壊滅する気はなかった。それだけ判れば充分だ」
「えっ!?い、いや、いいのか?被害者から話を聞かなくて」
ソウマの問いへも「被害は観光客が概ねだと今、そこの男が言っただろう。なら、もう街を出ているはずだ。この街の救護施設は小さいのでな」と斬は答えて、さっさと戻っていくもんだから、ソウマは挨拶もそこそこにクレイマー家を後にするしかない。
「一応、会ったほうがいいんじゃないか?住民にも一部被害が出たって」
「大通りで被害にあった住民か?だが、あの男が名前を出さないのであれば、誰も重要な情報を掴まなかったということだ」
何故、あの男と呼ぶんだろう。自分の父親なのに。
気になる。けれど彼の眉間に寄った皺を目に入れてしまっては、とても聞けない。
「被害を受けた者は全て死んだ……遺族は何も知り得まい。傷口を深めるだけだ、会わないほうがいい」
赤の他人は気遣えるのに、自分の家族への心配は一切ない。
アリシアってのは、ジロの母親だとエルニーか誰かから聞いた覚えだ。
彼女が無事なら、その夫も無事なのであろうが、しかし父親が片方の名前しか出さなかったのは不思議だ。
悶々と考え込むソウマを見て、斬が口調を和らげた。
「……すまない。兄や父とは長らく疎遠だったものでな。つい、辛辣になってしまったようだ」
「お母さんは?」
うっかり好奇心が首をもたげて、聞いた後でソウマは慌てたのだが、斬は案外素直に答える。
「今の母は後妻だ。今だって出てこなかっただろう?俺を嫌っているらしい」
「らしいって」
「と、父が言っていた」と付け足して、斬は些か早足になった。
「両親は無事だったとジロに伝えておこう。情報収集は終了だ。あの耳年増が何も知らないのであれば、他の住民とて何も知るまい」
大通りで生き残ったのは、少年ただ一人だけだった。
斬の結論は正しい。
住民は家に引っ込んで何も見ちゃいまい。
そして斬の様子を見る限り、実家で一晩泊めてもらうのも難しそうだ。
「――そうだ、ネイトレット家で泊めてもらうってのは」との閃きも、一瞬で一蹴される。
「どうも、あの警備員は勘違いしているようだな。クレイマー家とネイトレット家は親戚じゃない。クレイマー家はネイトレット家に恨まれているのでな……門をまたぐのすら無理難題だ」
恨みを買ったんだとしたら、それは斬の仕業じゃないとソウマは考えた。
ジロの両親が原因だ。おそらくは駆け落ちか何かで、ジロを産んだに違いない。
いずれにせよ、街有数の資産家から恨まれているんじゃ実家へも戻りづらかろう。
こちらの思いつきで安易に連れてきてしまって、重ね重ね申し訳ない。
「ごめんな、マスター。俺の我儘で無理やり連れてきちゃって」
謝るソウマに何を謝るのかと斬も慌てる。
「いや、こちらこそ家庭の不備で君の気を悪くさせたのではないかと……すまない」
「マスターは悪くないだろ」とソウマは首を振り、一般論の押しつけをも謝罪した。
「親が心配ってのは仲良しに限るよな。こんなの個人差があって当然なのに、気が回らなくてゴメン」
「……ソウマ。君は、ご両親と仲が良かったのだな。それが、普通なんだ。だから」と目を合わせて、斬が改めて頭を下げる。
「君が謝る必要はない。俺の家庭が失敗ケースだったというだけだ」
ソウマも、他人へ話すのは躊躇してしまうほど複雑な事情を抱えている。
下手したらクレイマー家とネイトレット家の間で起きた確執よりも悲惨だ。
なんせ一族の中で、レイザースへの裏切り者が出たんだから。
ふと、アレンの顔がソウマの脳裏に浮かぶ。
あれも兄が反逆者ではないか。今の仲間は、複雑な家庭の者ばかりだ。
ソウマの両目についても、本当はマスターも気になっているのではないかと思う。
なのに過去形で捉えて、それ以上は踏み込んでこない。
やはり他人への気遣いは自分の上をいく。
これも年の功なのかとソウマは考え、今一度、斬への信頼を深める。
魔族と互角に戦えるほどの実力者なのに首都じゃ無名も無名、三人の無能を抱えて働く彼の力になってあげたい。
そのためにも――まずは急ごう、ジャネスまで。
「そうだ、この格好なら馬車にも乗れるんじゃないか?急ぐなら、馬車で行くのが一番だろ」
斬を促して、ソウマは乗合馬車へ駆け込んだ。


22/06/01 update

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