斬は声の方角目指して、まっすぐ森を突き進む。
後を追いかけるハリィは内心、舌を巻いた。
背の高い藪や木々の合間をすり抜けなきゃいけないというのに、走るスピードを全く緩めない斬の動きに。
次第に引き離されて、こちらの息も切れてきて、やがて森の中で立ち止まる。
何者かの襲撃があったにせよ、こんな疲労困憊状態では加勢したって無駄だ。足手まといにしかならない。
何度も深呼吸してあがった息を整えると、ハリィは通信機を懐から取り出した。
かける先は賢者ドンゴロだ。彼なら、何処にいようと援軍をつれて急行できる。
襲われているのが亜人で助けに向かったのが斬とあらば、他の亜人も本気で手を貸してくれよう。
遥か彼方にハリィを置き去りにして斬が駆けつけたのは、森を抜けた先の海岸であった。
一番最初に目に入ったのは、浜辺に血まみれで横たわるドラゴンだった。
見るも無残に鱗が剥ぎ取られた部分からは皮膚が見えており、血が滴っている。
背中から尻尾にかけてザクザクに切りつけられた跡があり、浜辺のあちこちに血が飛び散っていた。
見た目は派手だが、致命傷ではない。しかし、自力で身を起こす元気はないようだ。
その横に佇む青年に向かって、斬は問いかけた。
「……何故、傷つけた?」
真っ黒な髪の毛。
細い身体を黒服に包み、口元には薄く笑いを浮かべて。
片手に抜身の剣をぶら下げる彼こそは、以前、亜人の島を襲撃してきたタオとかいう青年ではないか。
周囲に魔族の姿はない。彼が亜人を傷つけた張本人で間違いなかろう。
彼一人で?
亜人は人間が一人で戦うにあたり、生半可では倒せない相手だ。
ましてや、量産型のロングソード如きで亜人の鱗を剥ぎ取るなど。普通ならば考えられない。
タオが答えた。
「貴様を誘き出す為に、やった。駆けつける前に死にそうだったので多少、手加減を加えてやったがな」
「愚かな真似を……」
斬は覆面の下で眉をしかめる。
自分のせいで酷い目に遭ってしまった亜人へ深く同情した。
ドラゴンに変身しているから誰なのかイマイチ判らない。集落の外にいるとなると防衛団のメンバーか。
いや、今は全員が出払っているから、防衛団には入っておらず且つ集落外に住む若者の誰かなのか?
ほとんどの若者が防衛団に入ったはずだが――と、斬が考えていたら、ドラゴンが薄目を開けて首を傾けた。
「あ……斬、来てくれたんだ……」
声を聴いて、やっと誰だか判る。
こいつは防衛団に入ったイーゴクロース、略してクロスじゃないか!
だが、彼なら今の時間帯はルドゥ小隊として海上を飛び回っていないとおかしい。
さては、サボリか。ルドゥの目を出し抜いて途中で戻って来たところをタオに襲われたのだ。
しかし弱々しく笑うドラゴンを見た斬の口を出たのは、小言ではなく労りであった。
「クロス、遅くなってすまない」
「うぅん……助けに来てくれて、ありがと……」
「貴様こそ、何故亜人に味方する?」と割り込んできたタオへ振り返り、斬は眉を吊り上げる。
「亜人は俺の友だ。友なら守って当然であろう」
「友、だと?異種族なのにか」
斬は「そうだ」と頷き、低く構える。
剣をぶら下げて棒立ちだというのに、タオには一分の隙もない。
これまでに出会ったことのある、どの傭兵とも異なる。
なんと言えば、いいのか――
彼の持つ殺気は人よりも亜種族、魔族に近い性質だと斬には感じられるのだ。
ここにいるのは、人であって人ではない。
全身が殺気そのものだ。
迂闊に間合いに入れば、ズタズタに切り裂かれそうなほどの。
クロスも恐らくは人間の傭兵だと油断していたが為に、なます切りにされてしまった。
亜人の多くは戦闘未経験、外敵がいないが故の実戦不足だ。
外敵ではないにしろ、亜人に生身で立ち向かおうとする猛者は滅多に見かけない。
亜人は人間より強い。それが世界の認識なのだから。
つい最近、魔族の襲撃があったものの、揉め事は人間が片付けたので、亜人は戦う暇もなかった。
タオは戦闘に慣れていない者が勝てる相手ではない。
とはいえ、強敵不足なのは人間も同じ事。
一体どこで、この傭兵は有り余る殺気を身につけたのだ?
一瞬、斬の脳裏をかすめたのはニンジャ軍団の存在だった。
だが、すぐに彼は思考の切り替えを余儀なくされる。
タオが一気に間合いを詰めて、斬の懐へと飛び込んできたからだ。
両眼を潰しに突き出された剣の刃先を寸前で避けて、掴みかかろうとする腕は片手で振り払い、後ろに飛びのいた。
間髪入れず砂を蹴って飛び込んでくるのへは身を捻ってかわして、反対側に転がり込む。
頭上へ剣を振り下ろされるまでには斬も立ち上がり、無駄のない動きで躱した。
当たりはしないが、引き離せもしない。なにより、自分の動きについてこられる傭兵は初めて見た。
タオはスピードで翻弄して一撃必殺を狙う、斬と同じタイプの戦法だ。
獲物の長さの分、向こうのほうが間合いは広い。
しかし近接戦なら、こちらに分がある。そのはずなのに、こちらの攻撃も当たらない。
フェイントからの二段斬りも不意討ちの暗器も見切られて、さすがニンジャ軍団と行動を共にしていただけはある。
ニンジャ由来の武器は駄目だ。軌道を見破られている。
斬は即座に小刀を放り投げ、大きく後ろへ飛んで間合いを外す。
間髪入れず突っ込んできたタオ、その懐を狙って再び地を蹴った。
両者は激しくぶつかりあい、「かッは!」と血を吐いて仰け反ったのはタオのほう。
衝撃で剣を取り落とすのも構わず、首筋、それから腹をも押さえて憎々しげに斬を睨みつける。
「貴様……ッ」
手の隙間からは血が、どくどくと流れ落ちたが、タオの殺気を削ぐまでにはいかなかったようだ。
再び突っ込んでくるも、先ほどより速度が格段に落ちている。
斬は難なく躱すと、タオの肩を掴んで引き寄せた。
「勝負はついた。出血多量で倒れる前に治療しておこう」
「なっ!?」と驚いたのはタオのみにあらず、彼にやられて息絶え絶えになっていたクロスもだ。
「斬、どうして……?」
クロスが驚愕の視線を注ぐ眼下では、タオも「貴様、情けをかけるつもりかッ!」と暴れたのだが、如何せん宙ぶらりんに胴体を抱きかかえられているんじゃ体勢が悪い。
斬は懐から取り出した傷薬を、タオの傷口へ塗り込んだ。
続けて取り出した包帯を口で咥えて長く引きだすと、片手で器用に首筋へ巻きつけてやる。
ぶつかりあった瞬間、手刀で頸動脈を狙った。
同時に腹にも一撃加えたおかげか、彼の突進スピードを殺すのに成功した。
タオは防具類を身に着けていない。一撃必殺スタイルを信条とする戦士にありがちな弱点だ。
かくいう斬も防具は瞬発力を鈍めるので身に着けていないのだが、まさか自分に追いつく傭兵が出てくるとは。
まだまだ修行不足だと実感させられた。
ジタジタ暴れて抜け出そうとするタオを、しっかり抱きかかえて、斬は彼の頭を優しく撫でる。
「俺には君と戦う理由がない。クロスの件は……まぁ、哨戒をサボッた本人にも問題があるしな」
「うっ」と言葉に詰まる亜人を横目に、タオは尚も暴れた。
「僕は逆賊の一味だぞ!?レイザース王家とつるんでいる防衛団の隊長なのに、戦う理由がないと抜かすつもりか!」
「……だが、ここへ来たのは逆賊に命じられたからではないんだろう?」と言い返されて、タオも言葉に詰まる。
なんでだ。何故、命令じゃないのがバレたんだ。
タオがジェスターの立場なら、打倒王家の邪魔になりそうな強敵は残らず片付けておく。
強敵は騎士団だけじゃない。ハンター、傭兵、戦える手勢は全てが討伐対象だ。
斬は、自分が誰かの討伐対象になりえると考えたことがないのか?
これだけの強さを持ちながら、ただの一度も?
「君がジェスターに忠誠を誓っているようには見えない」と、斬は言う。
「君は腕試しが目的で彼らに雇われてやっているのだと俺は踏んだんだが……違うか?」
暴れるのをやめたタオは、大人しく話を聞いた。
治療を施した上で、彼が自分をどうするつもりなのか知りたくなったのだ。
「それに、ジェスターが命じるなら必ず魔族をバックアップにつけるはずだ。万が一にも君が寝返るような事があったら、たまったもんじゃないからな。君が一人できた事自体が、奴の命令ではないと言っているも同然だ」
逆賊ジェスターと斬が戦った記録は一つもない。
現に、ジェスターは斬の存在そのものを知らなかった。
知らないばかりか、一介のハンターだと見くびって切り捨てた。
だというのに斬は知りもしない赤の他人ジェスターの思考を、ここまで見事に言い当てた。
あの黒騎士が余程単純なのか、それとも斬が人を見る目に長けているのか。
前者もあろうが後者でもあると、タオは考える。
「その通り、です。あなたを狙ったのは僕の独断でした……強い奴と戦うのが僕の目的、ですから」
ポツリと呟いたタオの頭を、もう一度軽く撫でてから、斬は彼を地に降ろしてやる。
「腕を磨くには強敵と戦うのが一番だ。かつての俺も、若い頃は同じように考えて亜人へ戦いを挑んだ……故に友情が芽生え、亜人は俺の友となった。君は、どうする?」
どうする、とは?
突然の問いにキョトンとするタオへ、斬が笑顔で聞きなおす。
「君の強さは本物だ。ジェスターなんかと運命を共にするのは勿体ないと俺は思う。だから、聞こう。君は、これからどうするんだ?奴の元へ戻るのか、それとも」
考えるよりも前に、タオは答えていた。
「――あなたの元で腕を磨きたい。そう、思います」