Beyond The Sky

21話 呼ばれた気がした

記憶を失ったバファニールは亜人の集落へ送られた。
親子で暮らして記憶の補充を行うのだと長ラドルに告げられて、彼を送り届けたジロ達は宿舎へ戻る。
記憶の補充とは、要するに親が何度も言い聞かせて思い込ませる方法だ。
具体的な治療はラドルにも思いつかなかったと見える。
「あんなんじゃ、また島を抜け出すんじゃないか?」と心配するジロに、スージが楽観的な答えを返す。
「集落全体で見張るから大丈夫だよ、きっと」
バフの記憶が戻るかどうかはさておき、集落の門はラドルが命じない限り、滅多なことでは開かれない。
「つぅか、アルやバルが抜け出すなら判るんだよ。なんでバフは島を抜け出したんだ?」
ジロがアルから聞いた限りだと、バフはイドゥの後ろをついて歩くような臆病な子だという話だ。
彼の島脱走は、亜人の誰もが予想しえない意外な出来事だった。
「さぁ……アルやイドゥが構ってくれなくて寂しかったのかもしれないね」
スージは肩をすくめて閉じた門を眺めていたが、やがて踵を返して防衛団の宿舎へ歩き出す。
「そんなら自分も防衛団に入りゃ〜よかったのに。アルやイドゥから多少は聞いてんじゃないのか?叔父さんの噂」
そんなふうに口を尖らせたジロに文句を言われたって、スージの知ったことではない。
「自分に置き換えて考えてみなよ。死ぬかもしれない軍隊に幼馴染が全員入っちゃった状況を」
具体的な例を出したら、ジロも「あー……」と天を仰いで、ようやく納得したらしかった。
島を出てから記憶喪失になるまでの間に何が起きたのかは、スージにも判らない。
亜人の島からレイザース領へ渡るには、海路しかない。
空を飛ぶには、やや距離があるし、臆病なバフが一人で飛行したとは考えにくい。
この謎は、バフ本人から詳しい話を聞けば解けるのだろうか。

自分と同じ種族だと何度聞かされても、バファニールには、そうは思えなかった。
親を名乗る亜人とも引き合わされたが、まるでピンとこない。
入ってきた時の門は閉ざされ、戻ることも叶わない。
いや、栄太郎には追い出されたのだ。彼の元へは二度と戻れない。
バフは栄太郎が好きだった。
記憶がない自分たち二人に優しくしてくれた上、バフが怠けていても叱ったりせず自由にさせてくれた。
バドは記憶がないと気づいた時、たまたま身近にいた人物だ。
他に頼れる相手がいないから仕方なく一緒に居ただけで、別れた今も特に思う処はない。
港で意識を取り戻すまで、バフは自分がどうやって此処へ辿り着いたのかも覚えていなかった。
バドも同じだと言っていたが、本当かどうか。
バフを迎えに来た亜人曰く、バドは亜人ではないらしい。
かといって人間でもなく、じゃあ、あれは何者だったのか。
まぁ、いい。二度と会うことはない相手だ。
ジェスターとかいう奴に直接会ったことはない。
栄太郎が四角い箱を通して話すのを見たっきりだ。
栄太郎はジェスターに信頼を置いているようでありながら、反面、恐れてもいた。
彼の持つ怨恨が、いずれジャネスに災いをもたらすのではないかと心配していた。
栄太郎はジャネスの出身で、故郷についてバフとバドに話してくれた。
それによるとジャネスは昔、レイザースの一つではなかった。
レイザースとは異なる文化を持つ独立した国で、サムライとニンジャとゲイシャが住んでいた。
栄太郎の家系はニンジャだ。しかし、ニンジャという職業はレイザースが占領した時点で消滅した。
年々レイザース文化に浸食されていき、ジャネスの独特文化は失われつつある。
古き良き文化を愛する人々は、このままでは駄目だと危機感を抱いた。
栄太郎がレイザース王宮に反旗を翻したのは、年寄りの希望を背負ってのことだ。
その途中経過でジェスターと知り合い、手を取り合った。
ジェスターはレイザース王宮に個人的な恨みがあるらしい。
彼に取り次いでもらえば、栄太郎とも再び会えるだろうか?
だが、連絡手段が何一つない。
島を出る方法も思いつかない。
門は閉ざされた。
この島にバフの幸せは、どこにもない。
家族を名乗る亜人にも亜人の長を名乗る老人にも、感情が沸かない。
自分の居場所は、やっぱり栄太郎の側だと記憶のない少年は考える。
栄太郎率いるニンジャ軍団は、この島を知っているような態度だった。
彼らがジェスターと共同して島を襲撃してくれたら、外に出られるんじゃなかろうか。
いつか彼らが迎えにきてくれる日を脳裏に描きながら、バフは自分の家とされる建物の奥に引っ込んだ。


ジャネス出身の忍者軍団はジョージやモリスが予想した通り、各地に潜伏して攻撃開始の合図を待つ身にあった。
打倒レイザース王国の指揮を執るのは元黒騎士ジェスターだ。
忍者は凡そ五、六人で編成を組んで各地に散らばったのだが、それとは別に単独行動を取る者がいた。
タオだ。
彼は今、レイザース領北方にある港に来ていた。
今から密航船を雇って、亜人の島へ向かうつもりでいた。
魔族の背に乗って飛ぶのは、あとでジェスターに告げ口されるので厄介だ。
タオは元より忍者ではなくジャネスの出身でもないから、レイザースに恨みはない。
忍者に雇われたのだって力試しが目的で、ジェスターへ信頼や陶酔を寄せてもいない。
それでも一応は奴の命令通り、クラウツハーケンでハンターや傭兵を蹴散らしてやったが、全然物足りない。
群れていないと何もできないような弱小ハンターを蹴散らしたところで、王家はノーダメージだ。
真に王国を潰したいのであれば、騎士団かグラビトン砲を狙うべきだ。
タオから見ると、ジェスターのやり方は甘いと思う。
何で呪術師を味方に引き入れた時、グラビトン砲を潰しておかなかったのか。
何で下級魔族を味方につけた時、宮廷内に乗り込んで王の命を取りにいくよう指示しなかったのか。
せっかく仲間にした怪獣を黒騎士団潰しなんかに費やして、無駄死にさせている。
全怪獣を宮廷へ差し向けていれば、騎士団ごと葬れたものを。
本気で王家を転覆させる気があるのか、甚だ怪しい。
あの調子では、今度も失敗するだろう。
忍者は分散させるよりも、軍団のまま宮廷へ差し向けたほうがいい。
忍者たちも、何故あんな行き当たりばったりな命令に従っているのかが解せない。
いくら目的が同じとはいえ、奴は元騎士団、打倒王国において信用できる人物ではない。
おまけに亜人まで乱入してきて、打倒王家は険しい道のりとなった。
空の防衛団だとか名乗っているそうだが、あれは早めに潰すべきだ。魔族が良い武器となろう。
防衛団を詳しく調べるうちに、判ったことが幾つかある。
彼らはレイザース騎士団と連携を取って、レイザース全域を防衛する空軍になるのが最終目的だ。
構成メンバーは亜人だけではない。総団長は人間だというではないか。
総団長の名は斬。
一般の民には無名でも知る人ぞ知る有名人で、モンスター捕獲に長けたハンターである。
何故ハンターが亜人に与しているのかは知る由もないが、魔族と戦って撃退したこともあるとの噂だ。
タオは剣術に自信がある。
これまでに腕に覚えがある傭兵を襲っては、闇に葬ってきた。
しかし、魔族との戦いは未経験だ。
魔族の目撃情報自体が少ないし、今一緒にいる魔族は味方だから戦えない。
魔族と互角に戦えるハンターなら、タオの力試しに持ってこいの相手だ。
密航船は、すぐに見つかった。
海軍が始めたメイツラグの逆賊退治が終わるや否や、連絡船と一緒に復活し、堂々と看板を出している者までいた。
もちろん非公認の商売なのだが、田舎じゃ騎士団の監視も届かない。
タオは『亜人の島こっそりツアー』と書かれたノボリの下で契約を交わし、数人の密猟者と共に海を渡った。
あんな小さな島で何が取れるのかと疑問に思ったが、彼らの話を盗み聞くに、本土では採れない珍しい薬草があるそうだ。
やがて島への上陸が解禁されて、今より人間が多く渡るようになったら、一面荒れ野と化すのはタオにも予想できる範囲だ。
そうなっても、亜人は人間に味方するのだろうか?

賢者の庵ではハリィと斬が各地に散らばった仲間との通信に勤しんでいたのだが、不意に斬が腰を上げたかと思うと何処かへ歩いていこうとするので、ハリィは呼び止めた。
「どうしたんだ?まさか今からシェリルを助けに行くなんて言わないだろうね」
シェリル小隊は、レイザース首都の貧民街で怪しい黒服軍団と交戦した。
しかし途中で騎士団の仲裁が入り、みすみす敵を逃したばかりか謹慎を言い渡されて、今は宮廷内に拘束されている。
ハリィに問われた斬は首を真横に「いや、彼女たちは騎士団に任せておくのが最良だと判っている」と答え、庵の背後に広がる森林へ目を傾けた。
「――今、誰かに呼ばれた気がしたのだ」
「え?」
彼が何を言っているのか判らず、ハリィは怪訝に眉を顰める。
「俺は呼んでいないよ。空耳じゃないか?」
「そうかもしれん。ただ、嫌な予感がする……胸がざわつくのだ」
視線を森林に向けたまま、ぼそっと囁く黒装束を眺めてハリィも本音を吐き出した。
「シェリルが拘束された以上の揉め事が何処かで起きると言うのかい?杞憂であってほしいね」
シェリル小隊と行動を共にしていたルクも、騎士団に連行されて尋問された。
騎士団長と面会できたおかげで一人だけ先に釈放されたものの、足がなくては島に戻れない。
引き続き首都に滞在して、亜人たちが釈放されるまで待つとの報告を受けている。
考え事をするハリィと斬の耳が、甲高い咆哮を聞き取った。
この声は――亜人か?
誰かを鋭く威嚇していながら相手への怯えも含んだ、これまでに聞いた覚えのない奇妙な鳴き声だ。
声は遠く、森林の向こうから聞こえたように感じられる。
それ以上は考える猶予を与えられなかった。
斬が弾丸の如し勢いで庵を飛び出していき、ハリィは、あっという間に置いてけぼりを食う。
「ま、待て!一人じゃ危ないッ」と叫んだところで斬の戻ってくる気配はない。
仕方なく、ハリィも銃を手に取り森へと駆け出した。


21/12/10 update

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