Beyond The Sky

10話 嗚呼、儚くも散りゆき

島の最南端、しかも途中にルドゥの家を挟むとなれば、砂浜には誰も来ない。
「プライベートビーチか」と呟く斬を見て、バルが笑った。
「そうだ、ここはルドゥと俺だけが知る秘密の遊び場さ。アル、他の奴には教えちゃ駄目だぞ?」
「なんで〜?」と振り返ったアルの頭上に、ルドゥの怒りが降り注ぐ。
「ここの砂が最も芸術に適しているからだ!貴様らが踏み荒らしたら、土壌が汚れるワッ」
アルたちが毎日砂浜でマラソンしているのを、彼は知っているのかいないのか。
知ったら知ったで余計怒りそうだと斬は考え、ぶるっと身を震わせた。
「ハヤクー!早く、砂のゲイジュツみーせーてー!」
斬の杞憂など知ったこっちゃなくアルはマイペースに囃し立て、ルドゥが踵を返す。
「少し待っておれ」
ざぁっと勢いよく尻尾で砂を巻き上げたかと思うと、振り回した勢いで水を砂にかけて、その作業を何度も繰り返す。
ルドゥがクルクル回転するたびに砂は高く、堅く固められてゆく。
横に長い砂山を積み上げた後は、顎と鼻先を使って器用に削り始めた。
「なるほど、すでに頭の中に完成図があるのだな」
心底感心した様子の斬に、アルは尋ねた。
「完成図は頭の中にあるのに、なんで実態化できるノ?」
「……説明が難しいな」と彼は苦笑し、アルの髪を優しく撫でる。
「脳内にある完成図を脳で確認しながら作っているんだ。だから、動きに迷いがない」
「クルクルしてたのは何で?」とアルは斬に尋ねたのだが、答えたのはバルだった。
「ああやって砂と水を同時に運べば、無駄がないだろ。短時間で作れる技法だな!」
人間は濡れている場所を選ぶかバケツなどで水を集めるのが主流だが、ルドゥは水を汲んで固めるのを回転で効率化した。
話している間にも、ただの砂の塊だったものは建物の形となり、細部までもが精密に削り取られて浮かび上がる。
レイザースの城とメイツラグの城、どちらにも似ていないのに城だと判るのは、城壁の上に尖った屋根があるおかげだ。
城壁と城本体、城のてっぺんには旗まで立っていて、それらが全部砂で出来ている。
このように細やかな造形物を作ったのが人間ではなく、巨大なドラゴンだというのが信じられない。
だが、目の前で作られたのだ。信じる信じないもない。
中に入って遊べるんじゃないかと錯覚するほどの大きさは、ここが砂浜である事を忘れさせた。
「すごい……!まさに芸術と呼んで然るべきだ」
ぽろりと感嘆を漏らした斬を見下ろし、ルドゥは満足の鼻息を吹かす。
出来上がった砂の城は、無骨な脳筋でも感激できる出来栄えになった。
毎回違う城を作って遊んでいるのだが、今日の城は今までの中でも最高峰といっていい。
自分でも無意識のうちに気合が入っていたようだ。
誰にも馬鹿にされたくないといった意地と共鳴して。
「これを俺達だけが見るのは勿体ないな。美術館に飾っても遜色ない、いや、周りの美術品が色褪せる逸品となろう」
興奮する斬に、アルが首を傾げる。
「ケド、砂だから動かしたら壊れチャウヨ?これは、ここにあるからカッコいいんだヨ」
「そうだ、崩れてしまうからこそ美しい……できれば極力、崩して欲しくないが」
いろんな方向から眺めまわして瞳を輝かせる斬は子供みたいで、微笑ましくもある。
「お主も砂遊びぐらいできよう。試しに何か作ってみせよ」とルドゥが尋ねてみれば、斬は首を真横に「無理だ。砂遊びは、どうにも苦手で」と歯切れ悪く返してきた。
「苦手?砂を水で固めてペタペタするだけじゃん」
怪訝に眉をひそめるバルへは苦笑を浮かべ、斬は付け足した。
「どんな形で作ればいいのかが判らない。先も言ったが、俺は芸術に疎いのでな」
「最初からスゲーのを作ろうとするから、何も作れなくなるんだ。思いつくまま好きに作ればいいじゃないか」
バルは、しゃがみ込んで砂を集める。
水をかけない砂は、さらさらと指の間を抜けていったが、何度も集めては指の間をすり抜けていく様子を眺めてバルが言う。
「こうやって触っているだけでも面白いよな、砂遊びって。なんで皆、やらねーんだろ。子供っぽいとか馬鹿にして」
「そういえば」と斬も隣へしゃがみこみ、バルに尋ねた。
「青年期や成人期の亜人は、どんな遊びを趣味にしているんだ?」
「んー?色々だよ。ガーナは水浴びが大好きだし、アッシャスは雲を追いかけるのが好きかなぁ」
斬からすれば水浴びも飛行も砂遊びと大差ないように思えるのだが、亜人にしてみれば違うのだろうか。
「イドゥは木登りが好きダヨー。アタシは冒険が一番好き!」
元気よく叫んだアルへバルが「木登りなんて、まさにお子様の遊びじゃん」と子ども扱いするのをルドゥが微笑ましく眺め、さらに斬が優しい笑顔で見守って、四人でゆったりと過ごしていた、まさにこの瞬間を狙ったかのように、それは現れた。

ズシャッと、砂の芸術を足蹴にして。

「んなァッ!?」
突如空から降ってきた物体に、全員が驚愕で声を上げる。
ルドゥは驚くと同時に怒りも湧き上がる。
いとも簡単に最高傑作を踏み抜いて壊すとは、許しがたき罪悪だ。
空から降ってきたのは人間、まだ歳若い青年であった。
つややかな黒髪、袖口から垣間見えるのは青白く透き通った肌。
明らかにレイザース首都の人間ではない。
瞳が琥珀色ではないから、メイツラグ人でもない。
そもそも、どうやって亜人の島へやってきたのか。
空を見上げても海を見渡しても、彼が足とした乗り物は何処にも見当たらない。
青年は腰に差した剣を抜いて、刃先を斬に突きつけた。
「――お前がハンターの斬、か?魔族を生身で打ち倒したと聞いている」
ただ立っているだけのように見えて、青年には隙がない。
全身を覆うのは殺気だ。
アルを背中に庇い、斬は身構える。いつ斬りかかられても動けるように。
「打ち倒してはいない。撃退したまでだ」
「貴様、何者だ!」と吠えるルドゥを青年は一瞥し、低く囁く。
「異世界へ渡り牙の抜けた下等生物は黙っていろ。今は、そこの男と話している」
「か、下等生物だとぉ!?」と猛りまくったのはルドゥばかりではなく、バルもだ。
「亜人を馬鹿にすんなよ!人間よかぁ、ずーっと強ェんだからな、俺達は!」
――ひゅっと風を切る音がした次の瞬間、バルは後ろに強く突き飛ばされる。
突き飛ばしたのは斬だ。
片手で払ったにもかかわらず、バルは結構な距離をすっ飛んで尻もちをつく。
「あってぇ!?」と驚くバルなど視界にも入れず、青年が口元を歪めて斬を見た。
「今のが判るか。さすが魔族と互角にやりあえる強者よ」
「俺の噂を、何処で聞いた」と尋ねる斬へは顎で遠方を示し、にやりと笑う。
「レイザース国内でなら、何処でも噂になっている」
それが本当ならギルドへの加入希望者が増えてもよかろうもんだが、あいにくと一人も来た試しがない。
噂は出回れどギルド加入したくなるような憧れの的には、なりえなかったらしい。
目の前の青年も、噂を聞いて加入したくなったようには見えない。
触れたらザクザクに切られそうな鋭い殺気を向けている以上。
「噂を聞いて、会いに来たノ?」と、これはアルの問いに青年は頭を振った。
「違う」
「なら、何しに――」
「決まっている。倒しに来たまでだ!」
奴が次に飛び出すタイミングは判っていた。
判っていて、邪魔しない道理はない。
「愚か者がぁ!」
タイミングを合わせてバシッと尻尾で一閃したルドゥの攻撃は、容易く青年を捉えて大きく跳ね飛ばす。
「ナイス、ルドゥ!」
アルは両手喝采の大喜び。
彼女の前にいた斬は既に姿がなく、飛ばされた青年を追って宙で斬りかかる。
しかし青年も然る者、ギリギリの姿勢で小刀を弾き返すと身を捻り、足から地面に着地した。
「下等生物が……一度切り刻まれんと、身の程知らずだというのが判らんか」
ぺっと唾を吐いての憎まれ口に、ルドゥの怒りも増してゆく。
「下等生物は貴様だ!我が芸術を足蹴にした報い、その身に叩き込んでやろうぞ!」
続けてゴォッと放った炎のブレスは余裕で避けられて、海に入った青年がピュウッと指笛を吹く。
「下等と言えど三対一では分が悪い、か。斬、次はないと思え。必ず貴様を殺す」
そこへ、だーっと走ってきたバルが「泳いで逃げたって無駄だ!追いついてボコボコにしてやるっ」と勢いよく飛びかかるも、両手は宙を抱きしめる。
さぁっと飛んできた何かが青年を抱きかかえて、上空へと舞い上がってしまったせいだ。
「なんだと!?」
ルドゥは驚きに目を見張る。
空を飛ぶものは背中に羽根を生やして鱗に覆われた外見を持つ、亜人と瓜二つの生物だ。
だが、亜人ではない。
身体こそ亜人に瓜二つでも漆黒の顔は人間に近く、邪悪な笑みを口元に張りつかせていた。
「魔族……か?」
ルドゥの呟きは向こうに聞こえなかったのか、青年は答える代わりに名乗りを上げる。
「我が名はタオ!我ら暗黒武庸団は、必ずやワールドプリズ全土を滅ぼすと知っておけ!!」
「はぁぁ〜!?ふっざけんな、何が全世界を滅ぼすだ!俺達三人に尻尾まいて逃げ出したくせしてぇっ」
バルが騒げど異形の怪物は剣士を乗せてバッサバサと飛び去っていき、やがて水平線の彼方へと吸い込まれた。
「暗黒武庸団……人間同士のいざこざか?」とルドゥに尋ねられても、斬の返事はない。
オヤ?となって亜人は三人とも斬を見やると、彼は肩を震わせて砂の芸術を見つめていた。
正しくは砂の芸術があった場所だ。
これだけ激しく暴れれば当然、砂で作った城はグチャグチャに崩れて跡形もない。
崩れたきっかけは降ってきた剣士のせいだが、その後ルドゥ自身も尻尾とブレスで破壊に加わった。
まぁ、いい。いいのだ。砂の芸術は、いずれ崩れるからこそ完成した瞬間が美しいのだから。
完成は目に収めたのだし、ヨシとしようではないか。
自分を納得させるルドゥの耳に、斬の小さな「すまない。あれだけの大作、守り切れなくて」といった後悔の謝罪が聞こえた。
見上げた両眼には涙が溜まっていて、製作者たるルドゥが謝らなくてはいけない気分になってくる。
たかが砂遊びで作った城だ。壊されなくても、いつかは壊れていた。
ましてや斬は只の見物者、そこまで気に病むようなものではない。
剣士がゴメンナサイしていかなかったのは腹立たしいが、逃げられてしまっては如何ともし難く。
ルドゥは出来るだけ優しい声色で、斬を慰めた。
「気にするな。砂の芸術は一瞬だ。同じものは二度と作れず、前より傑作が生まれるものでもある。次は、もっと素晴らしい芸術をお目にかけよう」
鼻先を摺り寄せてペロペロと涙を拭ってやったら、ほんのり笑顔を浮かべた斬が鼻先を撫でてきた。
「……ありがとう、未熟な俺を許してくれて」
「礼には及ばぬ。お主こそ我の芸術を褒めてくれただろう。礼を言うのは、こちらだ」
斬とルドゥの間に生まれた温かい雰囲気の中、「あ、そういやさぁ」と全く空気を読まずにバルが割り込んでくる。
「俺達、お前を勧誘しに来たんだけど。空の防衛団、一緒にやろうぜ」
「なんだと……?」
たちまちピリリとルドゥの眉間には青筋が走ったものの、涙が渇ききっていない斬に「い、嫌なら無理しなくていいんだぞ!」と気を遣われては、逆に嫌だと断るのも癪だ。
アルの手前もある。
ここで断れば、この小娘が何を言ってくるか判ったものではない。
「よかろう!お主と我の友情に誓って、入ってやろうではないか!」
「え、バルとの友情に誓って?だったら最初から入ればよかったんじゃないノ」
案の定、小娘がケチをつけてきたのでルドゥは言い直してやった。
「違うわ、たわけ!主というのは、そこの人間、斬だッ。我は斬との友情を誓う、文句あるか!!」
顔が熱い。
恥ずかしくて誰の顔も見られない。
しかしルドゥの尻尾は彼の理性とは裏腹に、パタパタ激しく動いてアル達を喜ばせてしまったのであった。


21/08/05 update

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