亜人の朝は早い。
「斬ーっ!朝ダヨー!特訓しよー!」
甲高い声に叩き起こされて、寝ぼけまなこの斬が起きたのは午前四時。
まだ朝日が昇ってもいない時間帯だ。
「アル……勘弁してくれ。皆が集まるのは七時だと昨日も言ったはずだぞ」
昨日も同じ時間で叩き起こされた。
いや、もっと正確に言うと賢者の庵で寝泊まりするようになってから、ずっとだ。
そのつど早すぎると説教して二度寝してきたのだが、いつになったら彼女は学習してくれるのか。
元気でやる気満々なのは良いけれど、有り余って余波が此方に来るのは、たまらない。
斬に追い払われたアルは、時間つぶしをかねて島の探検へ出かけた。
一面を森林に囲まれた小さな島だが、徒歩で歩き回ると結構な距離がある。
一時期は姿をくらませていた小動物も、賢者が戻ってきた後は、ちょこちょこ姿を見せてくれるようになった。
アルは、この島が大好きだ。
幼い頃から、あちこち歩き回っているけれど、毎日違った顔があって飽きることはない。
ただ一つ、難所があるのを除けば――
初めに島があった。
島は長らく無人であったが、ある日を境にドラゴンが舞い降りる。
異世界より時空移動で飛来した。
それが今の亜人の祖となるドラゴンだ。
亜人は最初から亜人を名乗っていたのではない。
亜人と名付けたのは、それより後に現れた人間どもであって、彼らは自らをドラグーンと呼んでいた。
しかし人間には定着せず、亜人で統一されてしまった。
今、島はドラグーンを名乗っていた昔を知らない若者で溢れかえっている。
長を気取るラヴァランドル――通称ラドルの教育不足だ。
歴史を重んじるルドラリドゥは密かに憤る。
ルドラリドゥがルドゥなんて愛称で気安く呼ばれるようになったのも、この世界で産まれた若者がこぞって人間の物真似をするようになったのも、全てはラドルが人間に媚びて妙な文化を亜人の島に盛り込んだせいだ。
ドラグーンは魔術に長けた種族だ。
魔族と対等に張り合える種でもある。
だが異世界へ渡って以降は、弱体化してしまった。
一時期は我がものとしていた大地の多くを人間に奪われて、亜人の島に隔離された。
代表同士が話し合っての結果だったそうだが、騙されたのではないかとルドゥは勘繰る。
亜人の島に隔離されたドラグーンは、集落を中心として暮らしていくはずだった。
しかし若者は集落での暮らしを堅苦しいからと拒み、そしてルドゥもラドルと主旨の違いで決裂して、島に家を構えた。
彼は、どうあっても嫌だったのだ。人間を模した擬態化を必要とするラドルの考えが。
擬態など取る必要はない。この島に、人間は入ってこれないのだから。
そう思っていたのに、禁忌を破る者がいた。賢者ドンゴロだ。
勝手にあがりこんだ上、あまつさえ庵を建てて住み着いてしまった。
人間との協定で取り決めたはずの掟を破った老人に激怒し、ますますルドゥは人間が嫌いになる。
日々燻ぶっていたところに空の防衛団の話があがり、さらに人間が一人増えた。
斬のことは、よぅく覚えている。
以前も島に入り込んできた不埒者だ。
あの時は島中が大騒ぎになった。
ひ弱な人間が、ひ弱のくせして戦いを挑んでくるのだ。騒ぎにならないわけがない。
ルドゥも戦いを挑まれた一人だ。
勿論、問答無用で真一文字に引き裂いてやった。
奴はその後、賢者が治したと風の噂で聞いたが、見舞いに行ってやる気などルドゥに起きるはずもなく、知らないうちに居なくなったとばかり思っていたのに、また戻ってきたとは懲りない奴だ。
集落に住む老人と女子供、それから若い衆と仲良くやっているようで、ルドゥの友であるバルウィングスも、ちょくちょく斬の話題を振ってくる。
不機嫌に顔を振り払うと直ぐにやめてくれるのが、バルの良いところだ。
バルはルドゥとだけ仲良くしていればいい。人間風情には勿体ない、素直な青年だ。
空の防衛団が結成されてから、迷惑事が、もう一つ増えた。
ルドゥの頭上、空域を勝手に飛び回られるようになったのである。
毎日、何事かギャーギャー騒ぎながら飛んでいくのだ。やかましいこと、この上ない。
いつぞやは頭にきて叩き落とそうとしたのだが、あいつらときたら逃げ足だけは早くて、旋回に次ぐ旋回で逃げ切られてしまった。
次こそは先頭のシェリル、あいつを叩き潰してやる。
己の巣に座り込み、ルドゥは今日も憎悪を燃やすのであった。
「斬はさぁ、いつになったらルドゥを勧誘しに行くんだ?」
砂浜ダッシュの休憩中、バルに話を振られて斬が答える。
「入りたいと思うのであれば、ルドゥは自分から申し出てくれるはずだ」
たちまちドルクが眉間に皺を寄せて、バルへ詰め寄った。
「あなた、まだ諦めてなかったのね。ルドゥはスカウトしないって方針だったじゃない」
「勝手に決めんなよ!」とバルも怒鳴り返し、険悪な目でドルクを睨みつける。
「仲間に入れる気ないんだったら、あいつの頭上をコースから外してやってくれよ」とは斬にも言った発言で、これには斬も腕を組んで思案する。
皆の嫌われ者ルドラリドゥとは、先日諍いが起きたばかりだ。
飛行練習中、突然飛んできた彼に奇襲をかけられた。
空域も自分の領土だと怒鳴りちらして手当たり次第に噛みつこうとするもんだから、皆、バラバラに逃げ回って事なきを得た。
しかし今後も妨害されるのだと考えたら、早急に対策を取らないと団員に怪我人が出る。
空域を外せと言われても、どこからどこまでが彼の領土か判らないし、そこだけ外して飛ぶのも無理だ。
一度じっくり腰を据えて話し合うべきか。
そうと決めた後の斬は行動が早かった。
この日の訓練を終えた足でルドゥの領土へ向かったのだ。
ルドゥは島の最南端に住んでいる。
斬としては穏便に近づきたかったのだが、そうもいかなかった。
アルがズンズン歩いていき、「ここダヨー!ルドゥの住処!」と騒ぎたてて、ルドゥに「また貴様か!アルニッヒィ、この性懲りもない小娘めが!!」と怒鳴りつけられる羽目となっては。
巨大な鼻先を突きつけられるのには慣れっこだが、最初から喧嘩腰では対話が成り立たない。
「無断侵入して申し訳ない。どうか怒りを鎮めてほしい」と謝る斬の横でバルも口添えした。
「ルドゥ、斬はお前の領土をどうにかする気なんてないんだ。ただ、お前と話がしてみたいだけなんだよ」
「貴様の都合など知ったことか、人間!我は貴様と話す時間など持ちえずだ」
ボゥボゥ火を吹いて威嚇するルドゥに、アルは肩をすくめてバルを振り返る。
「ホラ、ネ。いつ行っても、こうだモノ。ルドゥと会うだけ無駄だってミンナが思うのもトーゼンでショ?」
「お前が声をかけないでズカズカ入り込むからだろー!?」
己の非常識さを棚に上げた少女には、バルの声も、ついつい裏返る。
「斬、ルドゥの家は、あの花が目印だ。あの花の前で立ち止まって声をかけるといいぞ」と斬に教えるバルへもルドゥは怒鳴りつけた。
「余計な入れ知恵をするんじゃない!我は理解なき者と話す口を持たぬ」
「ケド、バルはアリなんでショ。どーしてバルはアリナノ〜?」とはアルの横やりに、バルとルドゥが声を揃えて答える。
「城を見たからだ!」「バルウィングスこそは我を理解する唯一の者なり」
声は同時に、しかし言っていることはバラバラだ。
要は、例の砂遊びか。
皆は幼稚だと一笑に付していたが、砂の芸術には斬も興味がある。
「……やはり見てみたいな」と小さく呟いた彼を見上げて、アルが確認を取る。
「見てみたいって、砂のゲージュツ?」
ピクリと片方の瞼を神経質に持ち上げて、ルドゥは小さき人間を見下ろした。
これまでに砂の城を見せたのはバルただ一人。
何故彼に見せる羽目になったかというと全くの成り行き、偶然に過ぎない。
一人で砂遊びしている現場を見られてしまったのだ。
だがバルはルドゥの作った砂の城を素晴らしいと盛大に褒め称え、人間の作った城よりもカッコいいと喜んだ。
褒められ慣れていないルドゥは素直に感激し、バルを友達として認めてやった。
島の若い衆は誰もがルドゥを嫌う。陰で悪口を言う奴が多い。
軽薄で歴史に疎い連中なんぞ、こちらだって、お断りだ。
バルだけは特別だ。
絶対馬鹿にされると身構えていたルドゥに、褒められる喜びを与えてくれたのだ。
「砂のゲージュツってお城?砂でダッタラ、人間の子供にも作れるよネェ」
現にアルなどは、見るからにテンションの下がった顔で馬鹿にしてくるではないか。
「作るだけなら誰でも出来るさ。けど、格好良く作るには技が必要なんだぜ。ルドゥは匠なんだ!」
小娘と比べてバルの可愛さときたら、さすがは我が友。
知らず優しい目つきになっていたルドゥは、斬に声をかけられて我に返る。
「貴殿の気が向いた時で構わないのだが、俺にも見せて貰えないだろうか」
「人間風情に芸術が理解できるとでも?」
鼻で笑い、ルドゥは顔を背ける。
こいつは所詮、人間だ。人間文化に慣れ親しんでいる。
見せたところで、人間の城のほうが優れていると判断するに違いない。
黒頭巾から目だけ覗かせて、斬が答えた。
「正直に言うと芸術は理解できない。だが、バルがそこまで称賛するのであれば見てみたいと思ったのだ。彼は俺にとっても大切な友だからな」
横で「斬……俺のこと、大切だと思ってくれてたんだ」とウルウルするバルを一瞥し、ルドゥは斬に視線を戻す。
判らないものを判らないと正直に答えたのには好感が持てるが、気に入らない。
何がって、斬に友達だと呼ばれて感激するバルの反応が。
自分と友達になった時だって、そこまで感激しなかったのに、斬が相手だと感動するのか。
バルと一番の仲良しでありたいルドゥは己の心の内に対抗意識を燃やし、そしてまた、ひ弱な人間如きに嫉妬する自分にも怒りを覚える。
生意気な人間だ。前に出会ったことも忘れているくせに。
あの頃は誰彼構わず喧嘩を吹っかけていたようだし、戦った相手を覚えられなかったのかもしれない。
それでも、あれだけ無残に敗北を刻ませたというのに忘れている彼に腹が立つ。
自分の爪と牙は、そこまで記憶に残らないものだったのか?
もう一度食らわせてやったら、ちっぽけな脳味噌でも覚えられるだろうか。
「ルドラリドゥ殿」
しばし沈黙を挟んだ後に黒づくめが顔を上げて、まっすぐルドゥを見つめてきたので、ルドゥも言葉を待つ。
「俺の記憶違いであれば申し訳ないのだが……俺と貴殿は昔、出会ったことがあったように思う」
今まさに、それを思い返していたルドゥは思わず「何っ!?」と声をあげてしまい、アルとバルに間髪入れず突っ込まれた。
「え?斬、前にルドゥと会っていたんだ」
「もしかしてー、武者修行時代に?」
「武者修行時代ってなんだ?」とバルはアルに尋ねて、アルが嬉々として答える。
「斬はネー、若い時この島に来たことがあったンダヨ!力試しだったんダッテ。いろんな亜人と戦って、ボロボロになって、マスターが怪我を治してあげたノ」
「……若気の至りだ」と小さく呟いて首を振り、改めて斬はルドゥに尋ねた。
「急速に力をつける理由として百番勝負を挑んだ。その中に、貴殿もいたように記憶している。力強い尻尾の打撃、鋭い牙と爪に敗れて、俺は砂浜に墜落した。頭の天辺から爪先まで真一文字に引き裂かれて」
「げぇー……荒修行にも程があるだろ、斬。よく死ななかったなぁ」とバルはドン引きしている。
まったくだ。
あれは武者修行などと呼べるような代物ではない。
喧嘩屋、或いは当たり屋と呼ぶに相応しい無謀行為だった。
あの頃にはアルが産まれていたのだからバルも産まれていたはずだが、バルは勝負を挑まれなかったらしい。
挑まれなくて幸いだった。
亜人の中には、彼を倒したことでトラウマを負った者もいたのだから。
人間との断絶理由は、人間がひ弱すぎる点にある。
不干渉を貫くことで人間との戦いを避けた。
だというのに圧倒的力の差で叩きのめしてしまったら、罪悪感で悩む者が出るのも当然と言えよう。
亜人は勇敢だが、誰彼構わず殺しまくるような種族ではない。
戦って後悔することもある。
ルドゥは斬を完膚なきまでに叩きのめした一人だが、罪悪感は沸かなかった。
むしろ、己の実力を弁えず亜人へ戦いを挑んできた身の丈知らずに不快感が沸いたぐらいだ。
十数年の時を経て、再び会うことになるとは当時は予想してもみなかったが。
「……それで、なんだ?恨み節でも吐きにきたのか」とルドゥが睨みつけてやると、斬は首を真横に振る。
「いや、そうじゃない。あの時、真剣に戦ってくれてありがとう。ずっと礼を言いたかったんだ」
「礼?」
おかしなことを言う。礼なら、怪我を治した同族に言えばいい。
「貴殿は亜人でありながら、ひ弱な人間である俺と真剣に戦ってくれた。ぶしつけな挑戦であったにも関わらず、無視したり断ったりしなかった。今の俺があるのは、あの時の百番勝負が元だ。だから……感謝している」
不意に、ある事に気づいたルドゥは息を飲む。
あの頃の自分は、戦いを挑む人間を馬鹿にせず相手にしてやった。
なのに、今は聞く耳もたずで無視しようとしている。
これは駄目だ。
過去の己に言い訳が立たない。
常にドラグーンの誇りを忘れたくないルドゥとして、人間に弱みや過ちを見せるのは我慢ならない。
いいだろう。見たいと言うのであれば、見せてやろうじゃないか。
その上で感想を聞いて気に入らなければ、また真一文字に切り裂いて二度と上空を飛べない身体にしてやる。
「――ついてこい。砂の芸術、貴様に見せてやる」
踵を返して海岸沿いへ歩いていくルドゥに三人は一瞬ポカンとなったが、すぐにバルが斬の手を引っ張って「や、やった!ルドゥがやる気になってくれたぞ、なんでか全然わかんねーけど!」と騒ぎ立て、アルも反対側の腕を取って走り出す。
「ヤッター!なんだかワカンナイけど、チャンスダヨ!滅多に見られないモノが見られるヨ」
二人に引っ張られるようにして斬も走り出し、大股に歩いていくドラゴンの背中を追いかけた。