Beyond The Sky

7話 将来計画

初日は体力不足を補うべく、全員砂浜ダッシュで特訓が終了した。
「ふぇ〜……飛ぶより、きっちぃ……」
終わる頃には全員が汗だくのヘトヘトで、砂浜に寝転がる。
「……あ、そうだ」
かと思えばドルクが、むくりと身を起こして斬を見上げた。
「どうした?」と尋ねる斬へ、無垢な瞳を向けて彼女が言うには。
「斬は、私の事好き?それとも嫌い?」
斬は何と答えるか迷っていたようだが、やや間をおいて質問で返してくる。
「それは、絶対に答えないと駄目な質問か?」
「うん」と頷く相手を見下ろし、眉間に皺を寄せて答えた。
「……なら、好きでも嫌いでもない。お前とは出会って日が浅いからな、アッシャスやアルのように気心が知れていない」
「じゃあ、詳しくなったら好きになってくれる?」
「そうだな……」と曖昧な返事の相手へニッコリ笑いかけ、ドルクは立ち上がった。
「毎日いっぱい特訓して、私のこと、早く詳しくなってね。それじゃ、また明日!」
元気に走り去る背中を見送り、バルが呆れたようにポツリと呟く。
「……なーんだ、ありゃ」
「悔しいんだよ、きっと」とはガーナの推理で「俺達と自分とで、斬との距離が違うのに気づいたんだぜ」
「へー。だったらイドゥやアルみたいにベタベタつきまとえばいいのにな」とバルが言うのには、斬本人が苦笑で断った。
「アルやイドゥと彼女を一緒くたにされては困るぞ」
「どうして?」と聞き返す亜人二人は本気で判っていない。
「女子は年齢が上がると、体も発育してくる……だから密着されるのは困るんだ、俺が」
少しばかり視線を逸らして呟く斬を見てもバルとガーナは首を傾げていたが、シェリルは物知り顔でウンウンと頷き、斬の困惑を受け止める。
「そうだね、人間の女子は慎み深いもんね。斬が困惑するのは、よく判るよ」
「いや、慎み深いとは、ちょっと違うんだが」と小さく否定しつつも、斬は唯一の理解者へ微笑んだ。
「きみからドルクへ伝えておいてくれないか?人間の男と抱き合っていいのは恋人だけだと」
「いいけど」と、あっさり引き受けたシェリルが悪戯っぽい目を向ける。
「恋人だけでいいの?人間は、仲間や家族とだって抱き合ったりするじゃない」
「その辺を混ぜるとややこしくなるから、ひとまずは恋人限定で頼む」と言い含められて、肩をすくめた。
「判った。あの距離感だと、そのうち一緒に水浴びしよ!なんて言い出しそうだしね、彼女」
「そりゃ、さすがにねーだろ」と突っ込んだのはバルで、やっと斬が何で困惑しているのかに気づいたようでもある。
「要するにドルクが女だから扱いに困るって話だろ?けど困るこっちゃねーぞ、あいつにだって一応境界線ぐらいあっからな」
「境界線?」とシェリルが尋ねるのには、こう答えた。
「そうだ。寝起きなのを気にしたり、みだりに裸になったりしない最低限の礼儀は、あいつにもあるぞ」
本当だろうか。何の警戒心もなく抱きつかれたように思うのだが。
斬の眉間に浮かんだ縦皺を見て、ガーナも付け足した。
「ドルクは強い奴にしか興味ないんだ。それで斬に興味持ったってことは、将来の旦那候補に斬を入れたんじゃないか」
「えっ!?」と驚く斬を見て、アッシャスが冷やかしてくる。
「えって驚くってこたぁ、もしかして斬ってば全然気づかなかった、いや眼中にもなかったってか?」
「い、いや、眼中以前に異種族だぞ!?」と、なおも動揺する斬へはシェリルが畳み込む。
「別にいいんじゃない?亜人と人間との間にだって恋ぐらい生まれるでしょ」
亜人と人間との混血な本人が言うと、妙な説得力がある。
「ただ、斬がドルクをどう思っているかによるよね。今後そういう展開に発展しそう?」
斬は「あるものか!」と思わず力いっぱい拒絶してしまったが、これまで考えてもみなかったのは事実だ。
人間と亜人の混血はシェリルが初ではあるまい。
初だったら、そして禁じられていたら、彼女は亜人の島へ足を踏み入れることすら許されないはずだ。
過去に何組もの異種族間カップルが誕生したからこそ、シェリルは島で暮らしていける。
亜人と人間とで恋に落ちる行為自体を批判する気はない。
だが――自分が亜人と恋に落ちる。あり得ない。
亜人に好意は抱いているが、あくまでも異種族との交流意識でしかない。
生態の全く異なる種族へ恋愛感情を持つこと自体が考えられない。
完全拒絶した斬に驚いたのか、それとも引いてしまったのか、亜人は全員沈黙し、場の空気変化に気づいた斬が何か言い訳するよりも早く。
「それは人間全体が、そういう考え方なの?」とシェリルが尋ねた。
「い……いや、俺個人での話だ」と斬が咄嗟に否定したのも、シェリルがあまりに悲壮な表情を浮かべるせいだ。
そういや、彼女は人間の誰かを探しているのではなかったか。
もしや、その人間に恋しているのだとしたら、不用意な発言をしてしまったと斬は臍を噛む。
人間側ばかりの理解を求めていたが、真に判りあうには、こちらも亜人側への配慮をしなきゃ駄目だ。
しばらく大人しかったイドゥとアルも、ひょこっと起き上がって会話に混ざってくる。
「斬って今、恋人いるのか?」
ド直球なイドゥの質問に斬が言葉を失い、絶句している間にバルやアッシャスが乗っかってきた。
「そいつぁ俺も気になってたんだ!斬の仲間って子供と男ばっかだもんな。ギルド内にゃいないのだけは、俺にも判るぜ」
「子供と男ってか、全員子供だろ」とアッシャスがバルに指摘を重ね、暮れかかって薄暗くなってきた空を眺める。
「斬と同じぐらいの奴が周りに全然いないし、話にも出てきた覚えがないから、恋人はいないんだと勝手に思っていたけど……いるのか?」
亜人全員に興味津々見つめられ、斬は視線を逸らしてボソッと答えた。
「いや……いない。だからといって恋人を募集してもいないが」
「そうなんダ!」
ぱぁぁっと顔を輝かせてアルが叫ぶ。
「フリーってやつなんだネ。なら今後、斬を誰かが好きになって斬もその人を好きになったら恋人もあり得る?」
「けど、斬は亜人との恋愛禁止なんだろ」とバルがアルの喜びに水を差し、あてつけがましく吐き捨てた。
「アルやドルクが、どんだけ斬を好きになっても斬は好きになってくれねーんだ」
「そうは言っていない!」
売り言葉に買い言葉で、先ほど自分で放った発言を覆す斬へバルが意地悪く突っ込んでくる。
「さっき斬が自分で言ったんだぞ?今後ドルクとの関係が恋愛に発展するのは、ありえないって」
その通りだ。だが、斬は改めて自問自答する。
本当に亜人との間で恋愛感情が発生しないのかどうかを。
ドルクに抱きつかれて困るのは、斬の持つ雄の本能が女体を意識してしまうせいだ。
所詮擬態と割り切っているつもりでも、異種族の肉体を異性だと、はっきり認識している。
異性に抱きつかれて困る、これ自体が恋愛感情だともいえる。
恋愛対象だと捉えていないのであれば、誰に抱きつかれたって平気なはずだ。
「……すまん。少し訂正させてくれ」
足元に視線を落としたのも一瞬で、すぐに斬は顔をあげると全員の顔を見渡した。
「俺は今まで亜人を恋愛対象として見ていないと自分では思っていたんだが、この認識自体が間違っていたようだ。アルに抱きつかれても平気なのにドルクだと躊躇してしまうのは、俺が彼女を思春期の少女だと意識しているせいだ。未来に自分が誰を好きになるかなんてのも、今の自分に判るはずもない。恋愛とは、そうしたものだからな。だから、全否定を取り消したい」
「そう言うってことは」
これまでの意地悪さは影を潜め、悪戯っぽく笑ったバルが結論づける。
「斬は過去に恋愛した経験があるんだな!」
「すごーい、さすが斬!どんな恋愛だったんだ!?」と皆の興味はそちらへ移り、ますます雑談が盛り上がりそうになるのへは通信機の着信音が遮った。
「――はい。承諾致しました。すぐに帰還します」と通信機に向けて答えていたかと思うと、斬が通信を終えて号令をかける。
「皆、そろそろ解散だ」
「えーまだ斬の恋愛武勇伝、聞いてない」と渋る面々を急き立てて、アルと一緒に賢者の庵へ帰路を急いだ。


色々ありすぎて目が回りそうだったが、ようやく一日が終わろうとしている。
賢者の庵に帰った斬は一息つく暇もあらば夕飯の準備を始め、自慢の料理を食卓に並べた。
「ほぅ、これは美味そうじゃのぅ」と喜ぶ賢者には、親切な解説のオマケつきで。
「今、レイザース首都で流行っている飯です。これは山菜の卵とじ、その隣が山雉の餡かけ。それから小どんぶりに入っているのが女性に一番人気メニュー、草桃と海藻のサラダです」
食材はドンゴロの食糧庫に山ほど貯め込まれていた。
とても一人分とは言い難い量に驚く斬へ賢者が言うには、アルの食べる分も含まれているのだとか。
亜人と人間とでは味覚が異なるのでは?との問いにも賢者は呪術で味覚をごまかせば一緒に食卓を囲めると答え、それで今日の夕飯はアルもご相伴と預かった。
「ウワ〜、おいし〜ッ!このタレ、アマーイ」
アルは真っ先にサラダを選び、草桃だけを皿に取ってモリモリ掻っ込んでいる。
桃とついているが草桃は果物じゃない。
海の幸、桃色に輝く鱗を持つ魚だ。
身をほぐして海藻と混ぜて、甘い味付けのドレッシングをかけたサラダが首都で流行している。
ギルドの仕事で首都へ出ることの多い斬は、どんな些細な情報も余さず集めてまわった。
全ては駄目な甥っ子ジロが近い将来誰かと所帯を持った時、豆知識として伝授せんが為に。
魚のみ平らげるアルを微笑ましく眺めていた斬が、賢者へ向き直る。
「その……飯の最中にする話ではないかもしれませんが、一つ質問があります」
「なんじゃ、言うてごらん」と促され、少し躊躇いを見せたのちに斬が切り出した。
「亜人は所謂卵生動物なのに、人間との混血が産まれるのは解せません。一体どうやって」
「どうもこうもないわい」と賢者は笑い、斬の耳元でコソッと解を囁く。
「母親が亜人であれば人間の男が性を注ぎ、その逆も然り。愛し合うのは擬態でも出来るでな。生まれる形が卵であろうと幼体であろうと混血は混血よ」
擬態を取っていたからこそ、シェリルの両親は愛し合えたのかもしれない。
だが、その後、彼らはどうなったのか。
シェリルは一人暮らしだった。両親は別の場所に住んでいるのだろうか。
考え込む斬を見て、賢者がポツリと呟く。
「シェリルの身の上を案じておるのかね?」
「賢者殿は、何かご存じなのですか。彼女の両親について」と質問で返してくる友を優しい目で受け止め、「知っておるよ、末路もな。住民からの聞き伝えだが」と返した。
「人の母から生まれ、亜人の父は怪獣に襲われ命を落とした。母は故郷で亡くなったと聞く。ラドルはシェリルに両親の顛末を伝えておらんそうじゃ。シェリルが怪獣や人間に敵意を持たぬよう、気を遣ったのであろうな」
気を遣っているのは賢者の返事もだ。
母親は故郷で苛めか村八分に遭って、精神的に追い詰められて死んだと思われる。
たとえ過去に例があったとしても、やはり人間社会では、けして許されない存在なのだ。
もし斬が亜人の誰かと恋に落ちるような事態になれば、二度とレイザース領には戻れなくなる。
そうなったら、亜人の島で永住してしまおうか。ジロたちも、こちらへ呼び出して。
一瞬浮かんだ楽観的な計画を、ぶんぶん頭を振って斬は脳裏から追い出す。
駄目だ。こんな孤島じゃ仕事が取れない。
都会慣れした三人組が自給自足で暮らしていけるとは思えないし、ソウマだって不満を漏らすに決まっている。
自分一人なら島暮らしも問題ない。
だが、ジロと永遠に会えなくなるのはツライ。
どんなに情けなくて頼りなくても可愛い甥っこだ。
彼を一人前のハンターにする夢も、まだ叶えていない。
恋愛感情があるのは認めるが、恋愛は無理だ。バルになんと罵られようとも。
再び難しい顔で黙り込んだ斬に、賢者がそっと助言を添える。
「……過去には幸せに暮らした混血児もおったそうじゃ。ちゃんと両親の死も看取ってな。人間は人間社会での生活を捨てることになるが、完全に遮断されるわけじゃない。いつでも故郷へは戻れるんじゃ。必要以上に情報を漏らさなきゃ、どうってこたぁない。知らなければ迫害しようにも出来んからの」
そこへアルが皿をベロベロ舐めまわしながら「何ナニ、何のハナシ―?」と割り込んできたので、賢者は彼女の頭を優しく撫でてやりながら答えた。
「人間と亜人の共同生活について、な。アルは将来を考えておるかの?」
「アルはねぇー、斬のお嫁さんになりたイ!」
予想外の返事にブゥッ!と口に入れたばかりの卵とじを吹き出す斬へ、すかさず水の入ったコップを手渡してやり、賢者が笑顔を崩さず問いかける。
「アルは人間の町で擬態を取って暮らすのと、島に斬を招くのとでは、どちらが幸せに暮らせると思うかのぅ?」
「ンーとねぇ」
一瞬は迷うフリを見せたものの、アルの返事は即答で。
「基本は島で暮らして、時々レイザースに里帰りすればイイヨ!アタシもジロやルリエルと会いたいシ?」
「だそうじゃよ」とウィンクし、賢者はゲホゲホ咽る斬の肩を軽く叩いてやった。
「臨機応変じゃ、何事もな。シェリルの母親は人間を過信しすぎていた、だから失敗してしもうた」
もし亜人と恋に落ちたとして、無理に亜人の島が永住の地だと覚悟する必要はない。
アルの言う通り気軽に里帰りしていいし、賢者が言うように個人情報をバラ撒かなければ誰にも叩かれない。
それに斬が亜人と仲良しなのは、傭兵のハリィや騎士団のグレイグも周知の事実だ。
斬が亜人と結婚しても、彼らなら案外おめでとうと祝福してくれそうな予感がした。
「シェリルを案じるのであれば、人間ルールを押しつけるのではなく人間ルールでの上手い生き方を教えてやるとよかろう。あの子なら、きっとどちらでも上手く生活してゆける」
こちらの悩みとは掠りもしない、だが、まんざら的外れでもないアドバイスを受け、斬は素直に頷いた。
将来どのような展開に転がり込もうと亜人との交流は続けたいし、人間社会での暮らしを捨てる気もない。
異種族間の混血について腑に落ちたところで先ほどのアルの発言が脳裏で蘇り、ちらりと斬がアルを伺うと。
アルは、にっぱぁ〜と満面の笑顔を浮かべて、こう言い放った。
「そうだヨ!だから、斬も気兼ねなくアタシと恋愛シヨ!今日は一緒に寝よ?」
「そっ……それとこれとは、話が別だ!」
庵周辺に斬の叫びが木霊する。
――無論その晩、賢者の結界により、斬とアルの寝床が分けられたのは言うまでもない。


21/06/25 update

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