斬&ジロ
最後に別れてから、斬はワールドプリズの仲間達と連絡を取る暇さえなかった。というのも引退を仄めかした直後から、お別れパーティと称してギルメンはおろか、あちこちのフレにも引っ張り回され、各地のダンジョンに潜りまくりな日々を送っていた。
斬と比べるとジロは暇全開だったのだが、こちらはこちらで神経をすり減らす出来事があり、やはり連絡を取れるような精神状態になかった。
引っ張りだこな斬へ、更に負担をかける存在が浮上してきたのだ。
言うまでもない。
ドンだ。
ギルドを作ってからは大人しくしていたと思ったのに、最近また距離ゼロが再発した。
「ねぇ斬、今日という今日こそは俺の求婚、受けてもらうよ?」などとジロの見ている前で平然と言う神経の太さには、ジロのほうがキリキリした。
ついにはマスタールームに忍び入るようになり、斬も、これには神経をすり減らして、今では、すっかりマイホームに鍵をかけて引きこもりっぱなしである。
図らずもドンのおかげで二人きりに戻れたわけだが、更なる衝撃が斬とジロを襲う。
引きこもり生活になってすぐ、サービス終了のお知らせが出たのだ。
サービスが終了すれば全員否応なく、このゲーム世界を追い出される。
もはや個人の引退がどうのという問題ではなくなった。
今からレベルアップするのも無意味だ。
ゲーム世界がなくなってしまうのでは。
「ログアウトできない俺達は、どうなるんスかね……」
通常、ゲームサービスが終了すれば全員が強制ログアウトで追い出され、アカウントも消去される。
しかし"アカウント"という存在ではない斬とジロは、どういう扱いになるのか。
予想もつかない。
最悪、リアルに死んでしまうのではと絶望に浸るジロを斬が励ます。
「ログアウトする方法なら幾つか見つかっている。片っ端から試そう。ジロ、希望は最後まで捨てるんじゃない」
相談しようと思った頃には、相談する相手が全員引退状態になっていた。
彼らは無事にログアウトできたようだ。
こちらに何の連絡もなく酷いッスとジロは憤っていたが、仕方のない話だと斬は思う。
こちらが先に音信不通になってしまったのだ。
向こうも連絡の取りようがあるまい。
ログアウトする方法は二つある。
一つはプロフィールの設定画面から普通にログアウトする方法。
もう一つは、強制スキルを使用してくるレイドボスと戦う方法。
斬とジロのプロフィール設定画面にログアウトの文字は現れなかった。
レイドボスにかけるしかない。
しかし一つ問題があった。
掲示板の動きが、あきらかに低下しつつある。
サービスが終わるというのでは、今後のプレイにやる気が出なくなるのは当然だ。
従ってパーティ募集もメンバーが集まらないで終了するものが多くなっていた。
しかもレイドボスの強制スキルには不具合があり、下手するとサービス終了の前にアカウントが消える。
今残っているのは、終了カウントダウンをしたい者ばかりだろう。
彼らを巻き込むのは、しのびない。
「ギルドメンバーやフレンドを巻き込むのは、あまり気が進まぬな……」
難しい顔をして考え込む斬を、今度はジロが促した。
「選り好みできる状態じゃねッスよ?巻き込んでも心が痛まない奴を選ぶッス」
巻き込んでも心が痛まない相手、というとジロは一人しか心当たりがいない。
ドンだ。
あいつがアカウント消滅しても、ジロは全然心が痛まない。
痛まないどころか、せいせいする。
もっと早くに発生させて欲しかったぐらいだ、この不具合を。
ちらっとジロが上目遣いに斬を見つめると、斬は困惑の表情を浮かべて視線を逸らす。
まだ迷っているようだ。ジロは駄目押しした。
「あいつには叔父さんだって迷惑してんでしょ?いいじゃないスか、どうせココを出たら二度と会わない相手ですし、そもそも、あいつの迷惑行為は運営通報モンですよ?叔父さんは優しすぎッス」
ジロの意見は非道だが、正論でもある。
ドンの迷惑行為は目に余るものがあった。
何度運営に報告してやろうかと思ったことがないでもないのだ、斬も。
顔が兄やジロに似ているといっても、やはり彼は全くの別人であった。
兄は斬を嫌ってはいたけれど、直接の嫌がらせは、してこなかった。
友人にやらせたり、彼女を寝取ってみたりと、いつも間接的に虐めてきた。
どちらがマシかと言われると悩むレベルだが、ともあれ同じ顔シリーズはジロ以外は全員外道という結論で落ち着いた。
「……なら、俺とお前とドンでレイドボスに挑んでみるか」
「おっけーッス」
斬のレベルは現時点で90越え。
クラスはキラーにチェンジ済である。
レイドボスは70台で楽々倒せるという話だから、やりすぎないよう注意が必要だ。
まぁ、ジロは未だレベル20前後だし、ドンも、あれだけ皆と出歩いている割に30台と低い。
足手まとい二人抱えてのレイドだ。
敵がスキルを発動させる前にジロがやられないよう、守ってあげなくては。
「君と二人っきりのパーティが最後に組めるなんて嬉しくて泣きそうだよ!」
「いや、俺もいるから三人ッス」
レイドボスの出現するフィールドにて、先ほどからドンが浮かれていてうるさい。
早くもジロの神経は、ぶっつりぶち切れそうである。
「ね、ここが終わったら何処で会えるかなぁ?斬は、どこに住んでるの?」
「何度も言うが、君の知らない異国の地だ……君とはもう、二度と会うこともないだろう」
ワールドプリズなどと答えられるはずもなく、斬は幾度となく繰り返された詮索を、いつものパターンでやり過ごそうとしたのだが。
「また、そうやって誤魔化すぅ。最後ぐらい教えてくれたっていいじゃない」
最後とあっては、ドンも、なかなか引き下がってくれない。
「他にゲームやってないならさ、リアルでたまに会おうよ。ね?」
「いや……だから……」
会おうにも会えない。
異世界とあっては。
ドンはハンターギルドと聞いて、狩猟を連想する世界の住民なのだ。
モンスター狩りが連想される世界の斬とは、何もかもが遠すぎる。
「あぁ、もう、教えてくれないならいいよっ」
ぷんっとむくれてそっぽを向くもんだから、機嫌を損ねたのかと思いきや。
「叔父さん、出たッス!」
ジロがモンスターの出現を教えるのと同時に、ドンが斬を押し倒す。
あまりに突然の行為で、斬も対応が遅れた。
「二度と会えないなら仕方ないよね、ここで一発ヤらせてもらうよ!?」
鼻息をフンガフンガと荒くして、斬の黒装束を脱がそうとしてくるではないか。
いや、もう既に上着はめくられ、ズボンもパンツも下に降ろされかかっている。
ここまで直接的に襲われたのも初めてで、斬は、まともに狼狽える。
今までのドンは愛の言葉を囁くだけで、一度も触ったりしなかった。
他の人達だって、そうだ。
セクハラ代表のイワちゃんだって、服を脱がそうとはしてこなかったのに!
「や、やめてくれ……ッ!」
ぐいと押してどかそうにも、乳首にチュウチュウ吸いつかれ、力が抜ける。
片手は斬のパンツの中に入り込み、指で尻の穴を穿られた時には悲鳴が出かかった。
咄嗟に両手を口元に当てて声を押し殺す斬に、ドンが耳元で囁いてくる。
「いいんだよ、ここにいるのは俺と君の二人だけだからね……可愛い声を聞かせておくれよォ〜!」
あまりにあまりな豹変を見せたドンには、ジロも反応が遅れてしまった。
「俺もいるって言ってるッス、わぁっ!」
我に返って怒鳴りつけようとした矢先、レイドボスの攻撃がきて、ギリギリでかわした。
危なかった。
いや、まだ危ない。
ターゲットは全部ジロに集中している。
斬とドンが戦闘に参加していないせいだ。
「ん、くっ、や、やめるんだ……今は、こんな真似をしている場合では」
全体重をかけて、のし掛かられているだけではない。
尻の穴を指でグリグリほじってくるわ、乳首も摘まれて弄られているわで、やられ放題だ。
幼少時、全く同じ目に遭った記憶が蘇る。
思い出したくもないトラウマだ。
兄の友人に襲われた時の。
不快と嫌悪で、吐き気が喉元まで迫り上がる。
まさかドンが、兄と瓜二つの彼が、こんな性癖を持っていただなんて。
今までの優しさは一体なんだったのか。
斬の瞳に涙が滲む。
「どうせ強制ログアウトと同時に引退しちゃうつもりだったんだろ?そうは問屋が卸しませんってねェ〜。君の穴にぶち込むまでは逃がさないよォ。好きなんだよ、君のこと!愛しているって何度も言っただろ?」
唇を塞がれ、舌が強引にねじ込まれる。
ドンは、どうあってもヤりたいのだ。
斬の気持ちなど、全くお構いなしに。
ならば――想いをかなえさせてやってから、戦闘に入るべきだったのか。
斬の瞳から抵抗の色が薄れていくのを見て、ドンは内心ほくそ笑む。
強気に出れば弱気な斬のこと、絶対途中で抵抗を諦めると思っていた。
彼はドンにとって、ずっと滅茶苦茶に犯してやりたい対象だった。
戦闘では強いのに普段は気が弱く、押しにも弱い、大人しい性格が気に入った。
どれだけ女性にモテまくっていても、どこか一歩退いている感があった。
心の奥に誰も踏み込んで欲しくない――そういう繊細さも伺えた。
とにかく、こちらの嗜虐心を煽ってくる対象であったのだ、斬という男は。
この顔が堪え忍んで泣くうちに、次第に恍惚とするさまを見てみたい。
その機会が、やっと訪れた。
こんな最後の最後になって。
「俺を……抱けば、君は満足する、と……?」
「そうだよ。ムチャクチャに犯してやりたいって、ずっと思っていた」
「……どうして……?」
「だからァ、君が好きだからに決まっているだろ?こういう愛もあるんだよ、世の中には」
グヘヘと下品な笑みを向けられて、斬は、ついに抵抗をやめた。
ドンが満足するまで我慢すれば、解放されるのだ。
なら、これ以上の苦しみを長引かせたくない。
すっかり無抵抗と化した斬を抱きかかえ、ドンは斬のパンツを引きちぎる。
「お前、いい加減に――」
我に返ったジロがドンへ掴みかかるよりも前に、奇跡は到着した。
「そんな愛は私が認めぬ!!」
凜とした声がバトルフィールドに響いたかと思うと、ドンの股間を激痛が襲う。
背後から奇襲、それも金属の臑当がついた脚で勢いよく金玉を蹴っ飛ばされたのだ。
ドンは悲鳴もあげずに一発昇天し、ゲートへと飛ばされていった。
誰かは知らないが、むごい真似をする。
――いや、声の主には心当たりがあった。
斬が身を起こした先には、イワードロフの優しい笑顔があった。
「レイドボスの強制スキル引き出し、私に任せてもらおう」
一体どうやって斬の行動を知ったのか?
考えるまでもない。
彼女も斬のストーカーの一人だ。
大方ギルメンから無理矢理話を聞き出して、ドンとジロの三人でパーティを組んだと知ったのだろう。
三人でパーティを組んで強制スキルを試すのは、前もってギルメンに話してあった。
「話は聞いたぞ、そちらのギルメンから。ログアウトが出来ないのだそうだな。それで強制スキルに目をつけたか」
ぶりっこ口調が改まっているのは、似合わないと斬が指摘したおかげだ。
気が弱くて大人しくても、きっちり意見を出すのが斬という男なのである。
「これで、お別れになるかもしれんが……斬、あなたとの冒険や雑談は楽しかったぞ。またいつか、別の世界で会いたいものだな」
「あぁ」と頷き、斬は腰に上着を巻いて立ち上がる。
「俺も楽しかった。君と話した時間は忘れない。それと今日、俺を助けてくれた事も……本当に、ありがとう」
フッと鼻で笑い、イワードロフが斬を見つめる。
その瞳が潤んでいるように見えたのは、誰の目にも気のせいではない。
「礼や別れを言うのはログアウトが成功してからだ。いや、ログアウトしてしまっては何も聞こえぬか……では先に言っておこう。さらばだ、斬!」
言うが早いか愛用の剣を放り捨て、素手でボスへ殴りかかる。
彼女自身が前に教えてくれたのだが、こうすると攻撃力に制限がかかり、一発で倒せてしまう敵の体力バーをチクチク削るのに、ちょうど良くなるのだという。
さすがは長期間遊び倒したベテランプレイヤー、システムも攻略しつくしている。
だが、ちくちく削る役を彼女だけに任せるわけにはいかない。
斬も攻撃に加わった。
「バー三本目以降が勝負だぞ!三本目に入ったら私は防御に徹するから、お前は、ひたすらスキルを待て!」
「判った!ジロ、イワードロフに例のスキルが向かったら、お前は間に割って入れ」
完全蚊帳の外にいたジロへ斬が声をかけると、ワンテンポ遅れて返事が来る。
「あ、判ったッス」
ドンをやっつけて斬を助けるつもりだったのが、イワちゃんの登場で、すっかり影も薄い。
ここで恩を売っておけば、戻った際にギルドでの待遇が良くなると思ったのに。
まぁいいや。
邪魔者は消え失せた。
あとは無事にワールドプリズへ戻るだけだ。
「丸い光線が、例のスキルだ!飛んできたら弾道上に入るんだぞ、判ったな、そこのマグロ目玉野郎!」
「ちょ、誰がマグロ目玉野郎ッスか!?」
見知らぬ廃プレイヤーに罵られて、ジロは目を丸くする。
気安く名前を呼んでいたから斬のフレなのだとは思うが、美麗な顔立ちと反して意外と口汚い人だ。
横を向いて斬が密かに笑いを噛み殺したのも、ジロの神経を逆撫でする。
「ちょっと叔父さん、何笑ってるッスか!」
「す、すまん。つい、笑いのツボに入ってしまって」
笑いをこらえる斬に向かって、丸い光線が飛んでいく。
これが強制ログアウトスキルか。
当たる直前、斬は叫んだ。
「さようならとは言わないぞッ。また、どこかの世界で会おう、イワードロフ!」
当たった瞬間、斬の姿が掻き消える。
名前欄を確認してから、イワードロフがジロへ向き直る。
「斬は上手くログアウトできたようだ。あとは貴様だな」
「お、おう。お願い、するっす」
気後れするジロをジロリと睨みつけ、イワードロフは吐き捨てた。
「フン。斬の友人でなければ、死んでもお断りだが……私が協力してやるのを、ありがたく思え」
おかげでジロのイライラも上昇し、思わず暴言を吐きかけてしまう処だったのだが、暴言がジロの口を飛び出るよりも前に例の光線がジロにぶち当たり、イワちゃんの見守る側でジロも無事にログアウトできたのであった。
「ジロ、ジロ、起きろ。そろそろ依頼の時刻だ」
頬をぺちぺち叩かれて、微睡んでいたジロが起き上がる。
「んあー……今何時だと思ってるッスか、叔父さん」
文句を言うと、文句が返ってきた。
「今日は夜半からの依頼だと言ったはずだ。さっさと着替えて出かける用意をしろ」
窓を見ると、外は真っ暗だ。
だが今日のエモノは夜にしか出現しないのだと昼間、斬が言っていたようにも思う。
「んあー、じゃあ叔父さんだけで行ってきて下さいス。俺は寝るッス」
ぐうたらな返事に、斬は溜息を漏らす。
「こんな時、彼女なら一も二もなくついてきてくれるのにな……」
ぽつりと呟いた一言に、ジロは耳をそばだてる。
彼女?
彼女って誰?
このギルドで女は二人しかいないが、エルニーは自分と同じ出不精だ。
「ルリエルっすか?」
「あぁ、そうだ。今後は彼女をサブマスターにして、お前らはお役後免といくか」
ジロは、すぐさま飛び起きるとパジャマを勢いよく脱ぎ捨てる。
がぼっとシャツを上からかぶれば、準備完了だ。
「いきましょうッス!早く、早く」
「行くのは構わぬが、準備は着替えだけではなかろう。スージとエルニーを叩き起こし、傷薬類をリュックに詰めなさい」
「はーい!」
後ろ前なシャツの甥を目で見守りながら、斬は、もう一度深く溜息をついたのだった。