※古い企画ゆえ、加筆修正前の内容になっています
act3 候補生
ラストワンの教室は教官名で仕切られている。
鉄男の担当する教室にも、でかでかと『辻鉄男』と書かれたプレートが下がっていた。
ガラッと勢いよく扉を開けた途端、頭上に落ちてきた何かを、反射的に鉄男は手で払いのける。
そいつは二度三度廊下をバウンドしながら、白い粉をまき散らして飛んでいった。
……どうやら、黒板消しであったらしい。
教室内からはチッという舌打ちと指を鳴らす音が聞こえ、鉄男が振り返ってみると。
三つ並ぶ机のうち、真ん中に座る異形の者が、さも残念そうに呟いた。
「わらわの罠に引っかからぬとは……やりおりますぇ。前の教官は思いきり油断をしておったというに。ほほ」
十二単を身にまとい、一人だけ古典絵巻から抜け出してきたような人物だ。
男らしい眉毛が個性的だが、どうやら、こいつは女であるらしい。
鉄男はツカツカと歩み寄ると、何の前触れもなく彼女に平手打ちをかました。
「なっ……!」
これには両隣に座っている少女がビックリしてしまい、桃色髪の少女は腰を浮かしかけ。
反対側、緑髪の少女はビクッと震えて、俯いてしまう。
だが。
「あいたッ!何をするのでござりまするか?父上にも殴られたことのない、わらわをッ」
殴られた当の本人だけは、威勢良く鉄男に怒鳴り返してくる。
「何をする、は此方の台詞だ。あれは貴様の仕業か?」
むすりとしたまま鉄男が言い返すと、十二単の怪物は、ぷぅっと鼻を膨らませてソッポを向く。
「だとしたら、何だと言うのでごじゃりまする。可憐な美少女の、ほんの悪戯でおあします。なにも、このように殴らずとも」
言いかける途中で、またも強烈にビンタを食らい、「はぅっ!」と自ら横っ飛びに椅子を飛び降りた。
「暴力で、わらわを屈服させようとは!見下げた男でございまするッ」
ところが新任教官も然る者、怪物の剣幕に怯むどころか威圧的に見下ろしてくるではないか。
「まだ口答えする気なら、何度でも貴様を殴る。さっさと罪を認め、大人しく謝罪しろ」
新米とは思えないほど、度胸が据わっている。
この諍い、半永久的に決着がつきそうにもない。
そう判断したのか、隣の少女が慌てて立ち上がり、二人の仲裁に入った。
「ま、まって下さい!あの、香護芽ちゃんが悪戯しちゃってすみません!ごめんなさい!止めに入らなかった私も悪いんです!香護芽ちゃんだけを叱らないで下さい!」
謝ったのは桃色の髪のほうだ。緑髪のほうは、じっと机を見つめて縮こまっている。
「ごめんなさい!あの、気に入らなければ私も殴って下さい!!だってクラスメートが起こした問題は、クラス全員の問題ですから!ですよね?」
一方的に頭を下げ、何度も謝罪する少女には気を削がれたか。
鉄男は、じっと彼女を見つめて何事か考えた後、小さく吐き捨てた。
「もういい。二人とも、席につけ」
「亜由美殿……わらわを心配して、自らを犠牲にするとは……さすが級友でごじゃりまする」
庇ってくれた相手へ、うるうると視線を潤ませると。何故か香護芽は頬を赤らめる。
「あ、ぎ、犠牲って。そこまでしてないから、気にしないで」
大袈裟な級友に、亜由美も照れて微笑み返した。
そんな二人の馴れ合い会話に厳しい目を向け、鉄男は低い声で命じる。
「さっさと席に着け。二度も三度も、同じ事を言わせるな」
「じゃから、わらわに命令するなと言うておりましょうぞ!」
言い返そうとする香護芽は亜由美に「いいから、早く席に着こうよ」と宥められ。
不承不承座り直すと、ぶっすーとふくれっつらでソッポを向いてしまった。
教壇に立ち、改めて鉄男が話し始める。
「今日から貴様等の担当を勤めることになった。朝礼で名乗った以上、自己紹介は省略する」
「は、はい、あの……辻教官、ですよね」
桃色髪の少女が愛想笑いを浮かべて、会釈する。
「私、釘原亜由美って言います。宜しくお願いします」
咄嗟の喧嘩仲裁といい、よく言えば気の回る、悪く言えば世渡りの上手な子だ。
ぶすったれた香護芽の反対側に座る少女を、鉄男は一瞥する。
この子は、先の騒ぎで一度も口を訊かなかった。
ひたすら俯いて、騒ぎが収まるのを待っていたようにも見えた。
「貴様の名は?」
話しかけると、緑髪の少女は一度だけ顔を上げたが、すぐさま下を向いてしまう。
脅えている。彼女は傍目に見てハッキリ判るほど、青ざめていた。
「――もし」
不意に横合いから香護芽の声が響き、亜由美がハッとして隣を見やった。
「か、香護芽ちゃん」
「なにゆえ女児を貴様と呼ぶのでござりまする?失礼でおじゃろ?」
友達の制止など聞こえぬふりで、香護芽が鉄男に問いかける。
しかし鉄男は悠然と彼女の問いを無視し、カチュアの自己紹介が聞けないと判るや否や。
今度は亜由美へ話しかけた。
「釘原。貴様は何故パイロットを目指す?パイロットになりたい理由を述べろ」
「あ、えっと、その」
亜由美は一応香護芽を気遣うように、ちらっと隣を一瞥してから、鉄男へと向き直る。
「お母さんとお父さんと、大切な皆を守りたいから……です」
「……ふん。模範回答だな」
褒められるかと思いきや、無愛想に呟かれ、亜由美は戸惑いの表情を浮かべる。
だが、すぐに彼女は、ぎこちない作り笑いで頭を下げた。
「すみません、月並みな理由で……」
何でもかんでも謝る癖が、ついているようだ。今のは全く悪くないというのに。
ぺこぺこ謝る亜由美を、じっと見つめていた鉄男の口元が、小さく動いた。
「釘原」
呼びかけられ、弾かれたように亜由美が顔を上げる。
「はっ、はい!?」
鉄男はボソリと吐き捨てた。
「安易な謝罪は却って誠意を感じさせない。覚えておけ」
「あ……は、はいっ!すみません」
また謝っている。
謝り癖がついているのは、あまり良いことではない。
香護芽へ目を向けた鉄男は、彼女も此方を見ていることに気がついた。
「……何用でござりまするか」
視線に気づいた彼女が、たちまち頬を膨らませるのなど気にも留めずに、先と同じ質問を放つ。
「香護芽、貴様はどうだ。貴様も皆の命を守る為にパイロットになりたいのか?」
香護芽の答えは、亜由美とは全く異なる内容だった。
「そちに言う必要など、ござりませぬなぁ」
真っ向から反発心を見せ、ぽつりと吐き捨てた彼女は、再びソッポを向いた。
どうやら最初の遣り取りで、すっかり鉄男を敵視してしまったものと思われる。
ツカツカと近寄ってきた鉄男に対し、肘をつくのをやめた香護芽が身構える。
「ま、まだ殴るというのであれば、こちらも徹底的にやり合うまでじゃ。覚悟いたしませよ、新教官殿」
警戒心バリバリな香護芽の隣までやってくると、鉄男は反対側へ声をかけた。
「ではカチュア、貴様に尋ねる」
「え?」とハモッたのは、香護芽と亜由美。
「カチュア、貴様がここへ来たのは何の為だ。何故、パイロットを目指す?」
香護芽のほうなど見もせず、鉄男の意識は全てカチュアに向けられている。
そう判った途端、無視されたという思いが、香護芽の脳内いっぱいに広がった。
ガタンッと勢いよく椅子を蹴って、香護芽が立ち上がる。
否、立ち上がったばかりではなく、鉄男へ勢いよく殴りかかった。
「わらわを無視とは、いい度胸!乙女の怒り、思い知れェ!!」
ごうっと風を切る拳の一撃には、亜由美もカチュアも首をすくめたが。
当の鉄男は、違った。
慌てて無様に避けるでもなく、香護芽の拳を手のひらで受け止めると、目線を反らさず受け答える。
「――貴様には、さっき聞いたばかりだ。回答を拒否。それが貴様の回答だろう?」
なんと、真っ向から受け止めるとは。漢らしい。実に、漢らしい。
前の教官なんかは、香護芽が何度手合いを申し込んでも、絶対首を縦に振らなかったというのに。
それまでバシバシ何度も殴られていた事実も忘れ、香護芽は、うっとりと鉄男を見つめた。
香護芽の熱い視線など総スルーして、鉄男は再びカチュアに尋ねた。
「モアロードを抜けだしてまで候補生となりにきたのは、何故だ?」
「…………っ…………」
真剣に耳を傾けてくる鉄男を、ちらっとすばやく盗み見してから、カチュアは答えた。
とても小さく蚊の鳴くような、それでいて鈴の音の如く透き通った声色で。
「わたし……を、受け入れて……くれたから」
「受け入れる?」
鉄男に聞き返され、僅かに頷き、カチュアが面を上げる。
何かに脅えたような、大きな瞳。綺麗な顔立ちをしていたが、どこか暗い影も感じられた。
「わたし……もう、何処にも居場所が……ないから」
答えと一時限目終了のチャイムが重なって、鉄男の耳には最後のほうが聞こえなかったけれど。
香護芽とも亜由美とも違う考えを持っているらしい、カチュアという少女に。
彼は、とても興味を覚えたのであった。