恐怖!ニィカフェカの茶葉に意識が芽生えるの巻
茶焙師の朝は早い。まだ外が薄暗い時間に起きだしたニィカフェカは、自分の肌を、そっと撫でる。
堅い手触りに、そっと溜息を漏らした。
この頃は苦い茶葉ばかりが生えてくる。
暮らしに困っているわけでも、これといってストレスがあるわけでもないのに、だ。
茶葉で一番よく売れるのは甘味で、辛味は特定の客を持つ薬師が好んで買い占めた。
苦味を好む住民は少ない。
当分の売り物に困る未来を想像して、もう一度、溜息を漏らした時。
ふと、茶葉が手の中で動いたような気がした。
「え?」
否、動くわけがない。
茶葉は自分の身体から生えているのだ。
だが、もう一度触って軽く引っ張った直後、鋭い叫びが耳を劈く。
「痛っ!引っ張らないで、抜けちゃうよ」
「えぇっ!?」
ニィカフェカは掴んだ茶葉を、じっと眺める。
茶葉は風もないのに、さわさわと揺れて身体の持ち主に文句をたれた。
「まだ収穫しないでくれる?もう少し経てば、苦味が抜けて甘くなるんだからね」
「えっ、でも。苦味は収穫時にも苦味のはずだけど」
きっぱり言い切る茶葉には、本人も困惑しきりだ。
茶葉の味が途中で変わるなんて有り得ない。
役割に目覚めた時から、ずっと収穫を繰り返しているのだから間違えようもない。
今じゃ手触りだけで味が判るようになった。
それとも、この思い込み自体が間違っているとでもいうのだろうか。茶葉にしてみたら。
いや、いや。そもそも、だ。
何故この茶葉は話しているのか。
これまでの経過を振り返っても、ニィカフェカは喋る茶葉など一度も見た覚えがない。
当たり前だ。茶葉は自分の身体の一部なんだから。
しかしながら茶葉は今の段階で収穫されるのが不服なのか、手の中でモゾモゾ動いている。
「もう少し経てばって、あとどれくらい待てばいいんだ?」
極力刺激しないよう、手の力を抜きながらニィカフェカは尋ねた。
本来なら青々と葉っぱがついた今の段階に収穫しないと風味を損ねてしまうのだが、少し興味を持った。
茶葉自身が考える収穫時期とやらに。
もし、本当に苦味が甘味に変わるんだったら万々歳だ。
どうせ収穫するなら売れない苦味よりは、甘味のほうが自分も嬉しい。
「えぇっとね。今日はさ、月の衛士さんが窓の外を通りかかると思うんだ。だからね、彼に話しかけてみてよ。きっと良いことがあるはずさ」
「良いこと?いや、僕が聞きたいのは君の収穫時期なんだけど」
月の衛士とは型番月の衛士、つまりユェンシゥンのことだろうが、ニィカフェカは彼と懇意ではない。
とあるお得意様のために救出作戦を手伝ったりもしたけれど、普段、茶焙師と衛士は不干渉の立場にある。
衛士は茶葉を買ってくれないし、もっぱらの商売相手は薬師に限られた。
「収穫時期は月の衛士さんと話した後に来るよ。そら、もうやってきた」
茶葉がワサワサ揺れた直後、窓の外では足音が近づいてくる。
ニィカフェカが、ひょいと窓の外を覗いてみると、ちょうどこちらへ歩いてきたユェンシゥンと目があった。
「もう起きていたのか、茶焙師」
「まぁね。それよりも、君がこっちへ来るなんて珍しいじゃないか。ここは君の見回りルートじゃないだろう?」
「あぁ。だが、今は見回りの時間でもない。一つ聞いておきたいが、今日、俺以外の衛士は訪ねてきたか?」
「いや、今日この路地へ入ってきた衛士は君が一番最初だよ」
窓を挟んでの会話というのもなんだし、とユェンシゥンを家へ招き入れるとニィカフェカは椅子を勧める。
積もりに積もった枯葉を軽く払い落として古ぼけた椅子に腰掛けると、衛士は、さっそく本題を切り出した。
「新しい年明けに、新たな市場が開かれる」
「市場?」と首を傾げる茶焙師へ頷くと、ユェンシゥンはニコリともせずに続ける。
「こいつは例の冠士が言い出した話なんだが、新茶葉市を開くそうだ。茶焙師と商人は強制参加だそうだから、お前も売りたい茶葉を持っていくといい」
冠士とはチィンダィン、一度しか出会ったことのない相手だが、醜く肥えた姿がニィカフェカの脳裏に浮かび上がる。
冠士は全ての役割を管理する役割だと聞いている。
それを商人伝てに聞いた時は、よく意味が判らなかった。
しかし今、目の前にいる衛士が語るところによると、冠士には決まり事を発動させる力もあるらしい。
新茶葉市は次の年に発生する予定の決まり事だ。
「その市場では、苦味も売れると思うかい?」
ニィカフェカの問いに「役人は苦味が好きだと聞いたぞ」と答え、ユェンシゥンは腰を上げた。
「薬に混ぜるんじゃない。茶として売るんだ」
薬に混ぜるのが当たり前になっていた日常では逆になかった発想で「な、なるほど」と、ニィカフェカは強く頷く。
「たくさん売れるのを期待してするがいいさ」
ユェンシゥンにも微笑まれ、出ていく背中を見送りながら、ニィカフェカは「よしっ」と小さく呟いた。
来年までに、いっぱい苦味の茶葉を乾かしておこう。
役人が大量に買ってくれる未来を想像して、にっこり微笑む。
ふと、握っていた茶葉の手触りがおかしいことに気づき、彼は「ん?」と首を傾げる。
先ほどまで葉っぱの先が尖って掌に刺さっていたはずなのに、丸くなっているじゃないか。
もう一度手の中を除いて確認してみれば、苦味だったはずの茶葉は甘味に変わっていた。
「えっ、どうして?」
驚くニィカフェカに、茶葉が答える。
「そりゃあ、きみ、きみの今の気持ちと照らし合わせてごらんよ。きみ、とてもワクワクしている」
大儲けできる未来にワクワクしていたのは事実だが、どうして、それが茶葉の変化に繋がったのか。
少し考え、ニィカフェカは自身の中で納得に至る。
あぁ、そうか。
茶葉の味は茶焙師の感情に左右される。ワクワクは喜び、甘味の茶葉を生やす。
自分がワクワクした時点で苦味は抜けて甘味になった。
これまでに収穫時期に達した茶葉の味が変わるなど、ありえなかった出来事だが、この茶葉はお喋りもできるし、普段の茶葉とは一味違うのかもしれない。
「大儲けは逃したけど……まぁいいか」
ぼそっと呟く本体に茶葉が茶化す。
「いいじゃないか。甘味は一番売れ筋なんだから。さぁ、早く抜くといいよ。気持ちが変わらないうちに」
ぷつっと引き抜くと、それ以降、茶葉はウンともスンとも喋らなくなる。
不思議なこともあるもんだと考えながら、ニィカフェカは、すっかり高くなった太陽の下で収穫したばかりの茶葉を並べた。
End.
【あとがき】
茶焙師の茶葉は人間でいうところの体毛です。
喋る体毛……軽くホラーですね(笑)