レーチェとワーグの夏祭り
一週間後。プライストン家の庭にて、夏祭り予行練習が開催される。
古来のファーストエンドでは、各地の祭りごとに異なる祭衣装があった。
その中でも特にレーチェの興味を惹いたのは――
「下着厳禁っつぅからよ、尿意が来た時どうすんだって思ったんだけど、案外快適じゃん?」
ぐるっと一回転するグラントを見て、レーチェが笑う。
「グラントはユカタよりフンドシのほうが似合いそうだよね」
褌ならソマリ提案のお神輿を担ぐ際に下男たちが締めていたが、ワッショイの掛け声と共に裏庭へ歩いていったっきりだ。
「冗談じゃね〜ぜ、あんなの!だって、おケツ丸出しじゃねーか!」
即座にグラントは拒絶して、しみじみ己の身体を見下ろした。
「あんな格好で歩き回るぐれぇなら、ユカタのほうがいいって絶対」
グラントの着ているユカタは紺の地に、掠れた白の縦線が入っている。
ソマリのユカタも紺色だが、こちらはワンポイントで裾の辺りに魚が描かれていた。
フォースのは紫と赤の縦線が交互に入り、レーチェは白地に桃色の縦線、そしてワーグのユカタは灰色の無地だ。
それぞれ好みの布を選び、裁縫屋で特別に仕立ててもらった。
レーチェとしては、フォースの派手な柄に驚かされたし、ソマリとグラントの色の好みが一緒なのにも驚いた。
ワーグには、もっと明るい色が似あうと思うのだが、本人が選んだんじゃ下手な文句も言えない。
自分のだけ、やけに明るい色調で浮いた結果になってしまった。
まぁ、いいや。自分に似合うと思えない色にしたって楽しくないもんね。
もう一度グラントを見て、レーチェは密かに嘆息する。
着る前から予想できていたのだが、お腹のぽっこり感が強調されて、格好悪い。
やはり、この服は無駄な脂肪のない身体のほうが似合う。
「よっしゃ、んじゃあ、この格好で赤瓜でも食べるとしようや!」と言い出したのは、意外にもグラントではなくワーグで、「赤瓜?」と首を傾げる四人には、皿に盛った現物を差し出した。
「叔父貴に聞いたんだ、屋台に使えそうな珍しい食べ物がないかどうか」
赤瓜は森林地帯に生える植物で、夏に丸い実をつける。
果肉はシャクシャクした食感を持ち、それでいて瑞々しく夏場の水分補給にも使われたそうだ。
ただ、今は森林地帯まで出向く現役も少なくなり、入手が難しくなっている。
故にワーグの叔父、ブレイヤは学者の手を借りて自家栽培へ踏み切った。
「こいつはまだ試作の段階だが、味は試食した俺が保証する」
「美味しかったんだね」「どら、俺にも食わせろ!」
レーチェとグラントは手を伸ばし、それぞれ赤瓜へ齧り付く。
噛みついた瞬間、じゅっと甘い汁が口の中へ広がり、シャクシャクした果肉と混ざり合う。
「うっめぇ!いや、うんめぇ!こりゃなんぼ出しても損しねぇ!」
ジャリジャリ頬張っては黒い種をプププと吐き出すグラントへ、さも汚いものを見るかのような視線を向けながら、一歩引いてソマリが呟いた。
「美味しいのはいいけれど……食べ方が下品ね」
「なら、もっと細かく切ってもらうか?台所にまだ半分残ってっから、頼んでこいよ」とワーグに言われて、ソマリ、それからフォースも台所へ歩いていくのを見送りながら、「何?二人ともお上品だねぇ」と呟いたレーチェへ「あぁ、全くだ。豪快に食ってこそ、祭りの醍醐味だろうによ」とワーグも相槌を打ってきて、それでこそ彼だとレーチェは独りごちる。
五人は全員が富豪の生まれだが、富豪だからといってマナーに縛られた生き方が、時折窮屈に感じないでもないのだ、レーチェには。
「ま、汁でベチャベチャになるし、潔癖症なソマリにゃ耐えらんねーかもだ」とは、グラント。
見れば顎から胸にかけて汁がしたたっており、しかし汁に関してはレーチェも人のことを言えない。
「あ、やだ、種がユカタの中に入っちゃった」
「ユカタの何処に入ったんだ?取ってやるよ」
手を伸ばしてくるグラントに、レーチェもユカタの前を併せて「やーだ、変態!」と二人してじゃれあっていたら、いきなりバシャアッと水をぶっかけられて、揃ってずぶ濡れになる。
「ぴぇ!?」と驚いて水の飛んできた方向を見やると、桶を持ったワーグと目があった。
「ベトベトして気持ち悪いだろ、水浴びで流しちまおうぜ」
「や、だからって桶で水ぶっかけんでもよォ」
文句を言うグラントと違い、レーチェの行動は迅速で。
「やったな〜!」
すぐさま近くに転がる桶を手に取り、庭の管で水を汲むや否や、お返しにぶっかけてやった。
「ぶわ!」
やり返されるとは思っていなかったのか、ワーグは真正面から水を受け止めてずぶ濡れになった。
「おめー、やり返すとかさァ。もっとソマリを見習って、おしとやかになったらどうだよ」
呆れるグラントに、レーチェも鼻息荒く言い返す。
「それ言ったら、女の子に水ぶっかけるワーグこそ、どうなのよ」
頭から、びっしょりずぶ濡れで、少しでも身動きするたび、靴の中がジャブジャブする。
透けるような布地じゃなかったのだけが幸いだ。
「なんだ、俺に手を突っ込んで取ってもらいたかったってか?レーチェは」
ワーグの茶化しにも、濡れ鼠のまま言い返す。
「誰も言ってないでしょ、そんなことは。服ごと水浴びさせるんじゃなくて、お風呂に案内してくれればよかったって話をしてんの!」
せっかくのユカタが台無しだ。
こんなびしょ濡れじゃ、もう神輿も舞踊も楽しめない。
むくれる彼女に少しでも悪いと思ったのか、ワーグは肩をすくめて謝った。
「気が利かなくて悪かったな。なら、ユカタを乾かすついでに、風呂にも案内してやるよ。グラント、お前も行くか?」と振り返ったワーグの目に入ったのは、全裸でユカタを絞るグラントの姿で。
「キャー!なんてカッコしてんの、バカー!」
つい一緒に振り返ったせいで、レーチェまで見たくないものを見てしまった。
「だって、しゃーねーじゃん。この下マッパなんだしよォ。まぁ、俺は乾かすまでもねぇや。こうやって絞って着なおせば、そのうち乾くだろ」
いくらレーチェがお上品な女子ではなかったとしても、さすがにこれは真似できない乾かし方だ。
大人しくワーグに従って、風呂場まで案内してもらった。
プライストン家の風呂場は、碧の色調でまとめられた涼し気な内装であった。
「一緒に入るか?」
思わず勢いよく見上げたレーチェにワーグがニヤリと笑みを浮かべる。
きっと、また冗談で言っているのだ。
彼は此方が断るのを見越した上で、こういった冗談を飛ばしてくるけれど、もし冗談じゃなくしてやったら、どういう反応を取るんだろう。
いつもは「やだー、スケベ」で断る場面だが、レーチェはあえて言ってやった。
心なし恥じらいの表情を浮かべて上目遣いに「いいよ?」と。
一瞬虚を突かれた顔になったが、ややあってワーグは「へぇ……」と呟き、ユカタを脱ぎ捨てる。
てっきり、「ばか、冗談だよ」といった答えではぐらかすと思っていたレーチェ的にも予想しえなかった展開だ。
ユカタの下に隠されていた腕が、胸板が、引き締まった腹が、なにかの拍子でめくれて見えたりしないかと期待していた太腿が、そして見えちゃ駄目な部分まで見えた瞬間。
「やだー、もぉー!バカ、ワーグのバカーッ!」と叫んでレーチェは風呂場を飛び出した。
「なんだよ、一緒に入るっつったの、お前だろ?」
腰にユカタを巻き付けて、茶化した様子で追いかけてくる彼の方など見もせずに「冗談に決まってんでしょー!バカバカ!」と叫ぶのが精一杯。
顔が熱い。
きっと自分は耳まで真っ赤に染まっているんだろう。
いくらワーグの裸を見てみたいと妄想していたとしても、やはりレーチェとて富豪の娘たる慎みを一応持ち合わせており、お互いの裸を見せ合うのは、きちんと交際を始めてからだと考える。
「お前って、割と純情だよな」
背後でワーグに言われ、両目を覆った格好でしゃがみながらレーチェも怒鳴り返す。
「なによ、割とって!」
「――今なら二人っきりだ。誰に止められるでもなく」
なんだ、彼は何を言いたいのだ?
振り返るよりも先に、ワーグに背後から抱きしめられてレーチェは息が止まるかと思った。
力強い腕だ。ぬくもりを背中越しに感じて、心臓がバクバク高鳴る。
あぁ。この音が、どうか彼に伝わっていませんように。
「ずっとガキだと思っていたけどよ、普段と違う格好ってだけで色っぽくなるなんざ反則だろ」
ぼそっと耳元で呟かれて、え?と振り返る間もなく、腕からは解き放たれる。
「レーチェ、先に風呂に入れよ。俺は外で待ってる」
「え、ちょっとぉ!」と引き止めても、ワーグは、さっさと出ていってしまい、レーチェは脱衣所に一人取り残された。
なんなのよ、今の意味深な独り言。
……独り言、だよね?
普段はガキっぽいと思っていたけど、ユカタを着た私にときめいたってこと?
あのワーグが?言っちゃなんだが、本人に直接言われたとしても信じられない。
それに二人きりで誰に止められることもないからって、何をするつもりだったの?
もしかしてワーグも、隙あらば私とイチャイチャしたい欲望を抱いていた、とか?
「なんて、ありえないでしょーっ!」
レーチェは大声で叫ぶと、水の張られた風呂桶へ勢いよく飛び込んだ。
すっきりさっぱり、ベタベタする汁を洗い落としてユカタも絞って脱衣所で吊り下げた後、いつの間にか洗い籠に用意されていたローブへ袖を通す。
そっと風呂場を出た途端、廊下で待っていたワーグとはち併せる。
「お風呂ありがと」
お礼を言う彼女に「ん」と頷いて風呂へ入りがてら、腕を引っ張られたワーグが振り向くと。
「あの、その、ワーグも格好いいよ、ユカタすっごく似合ってる。や、普段も格好良いんだけど!」
最後は怒鳴るようにして、ぽっぽこ赤くなったレーチェは走り去っていった。
そんな様子を目で見送りながら、ワーグは苦笑する。
やっぱり色っぽく見えたのはユカタ効果であって、あいつの内面はガキのまんまだ。
告白に近いことを言ってやったのに、全くの無反応たぁ。
「あいつが自分の気持ちに自覚ってなぁ、できるのかねぇ……」
やれやれと肩をすくめて、ユカタを脱衣籠へ放り込むと、ワーグも風呂へ浸かった。
End.