まさかのシズルが女体化です
その日、ワ国の宮廷は、ほんの少しだけ違う朝を迎えた――「ヤイバ、ヤイバは、いるかぁぁっ!」
ドバーン!と勢いよく王座の間、その扉を蹴破る勢いで走ってきたシズルに、何事かと全員が眉をひそめる。
このワ国水門守神大臣は庶民あがりのせいか毎日騒がしく、貴族への敬意は勿論、帝への敬意もゼロなのだが、今日は、いつも以上に度を失っているではないか。
「そのように慌てて、どうしました守神大臣。どこかの水門が故障でもしたのですか」
座した一人が問うと、シズルは室内を落ち着きなく見渡した後、玉座に帝が鎮座しているのを確認して、大きく息を吐きだす。
「あー、いた。ヤイバ、ちょっといいか?来いっ」
かと思えば、帝の手を引っ張って何処かへ連れ去ろうとするもんだから、座の全員で引き止めた。
「お待ちなさい、守神大臣!会議は既に始まっております、どこへ行こうというのです!?」
朝の時刻は毎日会議を開いており、各部門の大臣が額を突き合わせて国内の問題を解決しようとしているのに、シズルは毎日のように遅刻してくる上、さきも言ったように年功序列の基本構えがないから、周りのウケも悪い。
今だって年配の貴族大臣が、これでもかってぐらい眉間に縦皺を寄せて説教しているというのに、シズルは「うるせぇな!緊急事態なんだよ、ヤイバを借りていくぜ」と遠慮も礼儀もない一言を残して、帝と一緒に出ていった。
これでは、シズルを大臣に推薦した自分の立場がない。
私室まで連れ去られた帝――ヤイバは重たい溜息をついて、一つ二つ小言を垂れようとしたのだが。
話しかけるよりも先に「ヤイバ、コレ見てくれよ、コレ!」と上着の前をはだけたシズルと真っ向見つめ合った直後、目が点になった。
「なっ……なんだ、それ、は」
「そう〜なんだよ、驚きだろ!?」と膝を叩いて、シズルが言う。
「朝起きたら、こんなんなってたんだ!なぁ、これ、何の病気だと思う!?」
上着の下にあるシズルの身体には、超ド級サイズの胸がついていた。
元々その部分は分厚い筋肉で盛り上がっているのだが、今、見えているのは明らかに筋肉ではない。
柔らかい弾力のありそうな、お椀型の胸だ。
「病気……なのか?」
胸が柔らかくなる病気など、とんと聞いた覚えはない。
さりとて本人に聞いても、原因になりそうな行動はないしで、ヤイバは一つ提案した。
「素人が見たところで判るまい。医者へ診せてみよう」
ところがシズルときたら「い、嫌だ!」と即座に拒否ったばかりか「巷の医者が判るかよ、こんなもん。俺はお前の博学に期待していたんだぜ?」などと言ってくる。
「いい歳して医者が怖いのか?」と嘲ってやったら、シズルは首を真横に「ち、違ェよ!ただ、こんな身体を他人に触られるのが嫌だってだけで」とブツブツ呟いた。
他人に触られるのが嫌なのに、自分には相談したのか。
よほどの信頼感か、それとも幼馴染ゆえの気安さだろうか。
しばし考え込んだ後、ヤイバが尋ねる。
「下も……そうなのか?」
「そう、って?」
「いや、だから……下も、女性になってしまったのか?」
しばし沈黙して、ややあってシズルがぶわっと泣き出すもんだから、ヤイバは慌てて慰めた。
「そ、そうか、つまり完全な女体になってしまったんだな……!」
こうなったら国内全ての薬師や医者に声をかけて、徹底研究せねばなるまい。
男ではないシズルなんて、こちらとしても調子が狂ってしまう。
「そうなんだよぉ……パンツが血まみれで気持ち悪いったらないぜ」
ぐずっと鼻水をすすって本人が愚痴る。
生理まであるとなると、今のシズルには出産能力があるのか。
ふと脳裏に赤ん坊へお乳をやるシズルが浮かんで、ヤイバは苦笑する。
そこを本人に見咎められて、怒られた。
「笑いごっちゃないだろ!俺の一大事だぞ」
「いや、すまない。だが、これでお前にも女性の気苦労が判ったんじゃないか?」
この友は普段、女性に絶大な敵意を燃やしており、女性への悪口が次から次へと飛び出してくる。
それが母っ子だったヤイバには心苦しくもあり、不快さえ感じているというのに、一向に改めてくれない。
何故、女性が嫌いなのか。
尋ねても、学生時代に嫌な思いをしたとしか教えてもらえず、詳しい理由は不明だ。
もしかしたら、今の惨状は女性蔑視するシズルへの神罰なのかもしれない――
そこまで考えて、非現実的な結論にヤイバは自分でも首をふる。
「そりゃあよ、朝起きてパンツ真っ赤なのはビビッたけど、これで俺が女に同情すると思うなよ」
シズルは、ぷいっとそっぽを向いて反抗的な態度だ。
神様ではなく自分が神罰を下したくなったヤイバも、自然と風当たりが強くなる。
「そうか。女官に頼んで生理用の下帯を貸してもらおうと思ったが、お前には不要だったか」
「生理用の下帯ィ?なんだそれ、そんな下着があんのかよ!」
生理用下帯はワ国の女性専用の下着で、基本は使い捨ての紙製だ。
使用済み下帯は袋にまとめて、下帯専門の回収業者に渡せばいい。
かつて母がそうしていたのを思い出しながら、ヤイバは何も知らない無知な友人に、とくとくと説明する。
「業者の手まで煩わせて何様のつもりだよ、女ってやつはぁ」
残念ながら、ヤイバが説明すればするほどシズルの女性嫌悪は高まるばかりで逆効果であった。
「下着を無駄にしたいなら止めはしないぞ」
ヤイバの苛つきを一ミリも察しないで、シズルは肩を竦める。
「その前に治してくれよ、この国の総力をかけて」
「……そう思っていたが、気が変わった」
気遣いすらしない上、女性蔑視を直さない奴に、何故こちらが必死にならねばいけないのか。
治してもらって当然な態度が頭にきたヤイバは、こう言ってやった。
「お前は一生その姿でいろ。そして女性の大変さを己が身で受け止めるといい」
「はぁッ!?」
親友の急変には、さしものシズルも素っ頓狂は奇声をあげるしかない。
いや、この友人が母子家庭で育ったが故に母親を崇拝しているのは知っている。
いるがしかし、その崇拝を認められなかったからってヘソを曲げるとは何事だ。
自分で宣言したことを途中で放り投げるのは、人として最低じゃないか。
ましてやヤイバは帝、国の頂点に立つ男である。王が約束を反故にしてはいけない。
「だったら、今後は女として接してやるぞ!いいのか!?」
あまりにも怒りが頂点に達したせいで、シズルは自分でも思ってもみない言葉を吐いた。
「女として?シズルに女のいろはが判るのか?」
完全に見下した口調なヤイバの肩にガッシと掴みかかり、引くに引けない勢いで「判るさ」と断言する。
女なんてのは判りすぎるほど判っている。
好きな男には色気全開ですり寄るくせに、どうでもいいやつには塩対応なんだろ?
そんでもって、相手が嫌がろうとお構いなしに性的行為をかまそうとするんだ。
軍にいた頃は副官を見てりゃ、嫌ってほど体感できた。
むにゅんと胸を押し当てられて、唇がくっつくんじゃないかってぐらいの顔接近に慌てたのはヤイバだ。
喧嘩の勢いだと高をくっていたが、まさかシズルのやつ、本気で副官の真似をするつもりか。
副官――ヤイバがワ国第38小隊空撃部隊で指揮を取っていた頃の部下で、名を羽佐間 由季子といったあの女性は、女性の悪い部分を一箇所に集めたような恥知らずで、女性を尊敬するヤイバでも羞恥でいたたまれなくなる言動を繰り返していた。
退役後は副官と二度と顔を合わせなくて済む安堵感に包まれたのを思い出す。
ヤイバでさえ、こう思ったのだ。
女性嫌いのシズルにしてみれば、彼女の存在自体が苦痛だったろう。
「ん〜〜……」
シズルの顔面が口づけしようと迫ってくるが、よく見りゃ頬は真っ赤だし、額にこれでもかって量の汗が浮いている。
引くに引けない性格なのは幼少の頃より知っているが、そこまで無理しなくてもいいのに。
意地っ張りな彼に苦笑する反面、そろそろ止めてやろうかと思っていたら、唇を塞がれて時が止まる。
引き剥がそうにも、しっかり両手を背中に回しての拘束で振りほどけない。
シズルの呼吸を間近に感じる。
過去ここまで接近した覚えがない。
当たり前だ、普段は男同士だし、接吻などするはずもない間柄なのだから。
一定のリズムで吐く、吸う。
彼が息を吸うたびに、すうっと魂が吸い込まれてしまうような感覚に囚われた。
直前まで真っ赤にテレていたくせに、接吻してからの時間がいやに長く感じる。
でも、嫌ではない。
ずっと、こうして唇を重ね合わせたまま抱き合っていたい――
己の脳内に浮かんだ意識に、ヤイバは自分でも驚いた。
馬鹿な。相手は親友だぞ、恋人ではなく。
それとも、俺はシズルが女体になったから浮かれているのか?
男女であれば、恋人になれるかもしれないといった期待で。
やがて双方の口から、ほぅっと淡い息が漏れる。
「……やべ、めちゃくちゃ興奮する」と呟いたシズルに、ヤイバは食って掛かった。
「お、お前、なんでいきなり接吻をっっ」
「あぁ?女として接してやるって言っただろーがッ」
また額の汗と頬真っ赤が復活した。
している間は平気だったのに、離れたらテレるって、どういう心情なんだ。
「さぁ、つぎは、このデカパイで、お前のブツをパイズってやるぜぇ!」
言葉の意味は理解できずとも、ズボンを下に降ろされそうになったら、彼が何をやろうとしているのかぐらいの見当はつく。
「ま、待て!女性として生きていくつもりなら恥じらいも身に着けろ」
「生きていくつもりなんざねーよ!お前が俺を見捨てっからいけねぇんだ」
女体になったはずなのに、ズボンを引き下げる力はヤイバよりも強い。
ゴリラは女体化してもゴリラなのか。
改めて見つめ合ってみると、シズルの両目には涙が浮かんでいた。
「シズル……」
「なんで、そんな酷いこと平気で言うんだよ……女として生きろなんて、俺は、男なのに」
なんでって、かっとなった勢いに他ならない。
確かに酷い発言だった。自分が言われたら、今のシズルみたいに号泣するであろう。
否、学生時代は同級生にオカマっぽいだの女なんじゃねーのと馬鹿にされることも多かった。
生まれ持った性別を否定される悲しさは、誰よりも知っていたはずなのに……
「すまない、シズル。必ず男に戻してやるから、泣かないでくれ」
「う、うん……頼むぜ、ホント」
ずびびっと鼻水をすする親友を、ぎゅっと抱きしめて慰めているうちに、ヤイバは気がついた。
胸に当たる柔らかい感触が、徐々に柔らかくなくなっていったのに。
「シズル……」
失礼ながらも、そっと股間を触ってみて「うびょわぁぁ!?」と叫ぶ親友へ微笑む。
「お、おまっ、何イマどこ握って!?」
「よかったな。研究する前に戻ったようで」
何事もなかったかのように離れていく身体に余韻を残しながら、シズルは今しがた起きた驚愕の出来事、ヤイバの繊細な指に己のブツを握られた感触を思い出すのであった――
End.