Un-known

19話

音もなく部屋に潜り込んだ風は、眉をひそめた。
目の前で、びくびくと体を痙攣させる、しゅういちの哀れな姿に。
両手は手錠で拘束され、壁に繋がれていた。
しかも、全裸だ。
近くに衣類もなし、これでは逃げたくとも逃げられまい。
せめて狼変化できれば逃げ道もあっただろうが、本人は出来ないと言っていた。
こちらが隠密行動で目を離していた隙に、なんと無体な真似をする。
いや、マスターを捕らえたのが奴ならば当然か。
目を離したが故の失態であった。
ひとまず尻に刺さったバイブを抜いてやると、しゅういちが身を起こして、こちらを見た。
「カ……カゼ……?」
こくりと風は頷き、しゅういちの側に跪く。
彼の手首に嵌められた手錠は堅くて、道具がなければ壊せそうにない。
自由にしてやるのは、奴を捕らえるなり処分した後になろう。
「助けに、来てくれたんだ……」
しゅういちの瞳が潤むのを見ながら、風は小さく囁いた。
「俺も奴には用がある。ずっと追いかけていた、それが今日見つかった」
「奴……?君は、あいつを知っているのか?」と驚くマスターへ、こうも答える。
「そうだ。テラー=アンバー、奴は過去に大罪を犯した。少年少女に暴虐を働き、無惨に犯して殺した。その数、五百は下らない」
そんな話は初耳だ。
しゅういちの知る養父テラー=アンバーは、ラグナラントの商家で街一番の金持ちだ。
若い頃より地主を勤め、地元民にも一目置かれる存在であったはずだ。
だが奴は銀狼族の子供、しゅういちを誘拐した犯人でもある。
なら過去に同じような罪を犯していたとしても、おかしくないのか?
それにしては時間の流れがおかしい。
ここを離れて大罪を犯したのは、いつ頃なのか。
首を傾げるしゅういちに、風は苦虫を噛み潰したような表情を向ける。
「まさか、逃げた先の異世界でも同じ非道を繰り返していようとは……すまないな、マスター。俺達の不手際で、お前に迷惑をかけてしまった」
「ちょ……ちょっと待ってくれ!」と思わず叫んでから、しゅういちは声を落とす。
「あいつも君も、異世界の住民だったのか?」
「出身世界は同じではないが」と断ってから、風が頷く。
「奴も俺もファーストエンドの外から、やってきた。奴が、この世界の未来へ渡った処までは調べがついていた」
どうして風が追いかけることになったのかも、言葉少なに語ってくれた。
「奴は人を殺しすぎた。故に、死ぬ運命と定められた。だが、とどめを刺す前に逃げられてしまった。奴に手を貸した者のせいで。俺は、仲間の不手際を引き継いで奴を探した。お前のギルドに身を置いたのは、隠れ蓑の意味もあったが……やっと見つけられたのは、お前が奴と繋がりをもっていたおかげだ」
誘拐犯の足取りを追う途中で探していた罪人が関わっていると知り、策を変更したのだとは本人の談。
恐らくは、しゅういちを使ってテラーの油断を誘い、バッサリやるつもりだったのであろう。
「それなら何で、奴を捕まえる前に俺を助けてくれたんだ?」と、しゅういちが微笑む。
「まだ助けていない」と無表情な風に、重ねて礼を述べた。
「今さっき、助けてくれたじゃないか。尻に突っ込まれた何かを抜いてくれただろ。ありがとう。もう、ほとんど感覚がバカになっていたんだ。あれ以上ほっとかれていたら、きっと屈服して、あいつの言いなりになっていたよ」
「あれは……そのっ」
あきらかな動揺を浮かべて、風は視線を逸らす。
「苦しむお前を見るに忍びなかった。あぁ、それだけだ」
「優しいんだな」と、しゅういち。
「優しくない」と風は頑なに否定し、しゅういちの側を離れて呟いた。
「マスター。悪いが俺は、テラーの処刑を優先する。お前を助けるのは、海賊ギルドの仲間達がやってくれる」
「皆、気づいてくれるかな?俺の失踪に」と不安そうなマスターには、ほんの僅かに眼を細める。
「去り際、ミトロンが逃げるのを見た。あいつなら必ず逃げおおせて、仲間に、この件を伝えているはずだ」
不意に、かたん、と戸口で音がした。
慌ててしゅういちが振り返ると、ずかずかとテラーが入ってきて、しゅういちの腕を掴む。
「えぇい、忌々しい海賊どもめ!来い、カイ。時間をかけている暇はなくなった」
「な、なにを」と言いかけるしゅういちは無理矢理立たされ、続けて手錠も外される。
いきなり、どうしたというのだ。
ほんの数十分前までは、屈服するまで放置するような事を言っていたのに。
テラーの眉間に無数の縦皺を見て、何か予想外の出来事が起きたのだと、しゅういちは予想する。
それも、この男が泡を食って苛立つほどの緊急事態だ。
もしかしてソルト達が助けに来てくれた、とか?
しかし港町とラグナラントがいくら近いと言っても、徒歩では往復で一時間以上かかる距離だ。
ミトロンが仲間をつれて戻ってきたとしても、いくらなんでも早すぎる。
――そこまで考えて、しゅういちの脳裏に閃くものがあった。
そうか。あれを使えば時間は半分以下に短縮される。希望を持っていいのかもしれない。
強引に手を引っ張られて部屋を出る寸前、しゅういちは背後を振り返る。
風の姿は、どこにもなかった。

拉致を命じた部下からの報告で『一人逃げた』のは聞かされていたが、まさか海賊どもが、こうも早く奪還に動いてくるとはテラーにも予想外であった。
最低でも一日経過してから準備が終わると踏んでいたのだ。
これでは、迎撃もままならない。
部下の半分以上を街へやったが、それでも不安だ。
こうなったら、婚姻を急ぐしかない。
結婚してしまえば、海賊といえど手出しできまい。
ファーストエンドの社会ルールは、一通り学んだつもりだ。
昔、違う世界に住んでいた頃、様々な異世界の歴史と記録を収めた書物館で知った。
ファーストエンドという世界の存在を。
大昔から戦いの絶えない、野蛮な世界だ。
だが自分のような人間、世界の常識から外れた存在には紛れこみやすい場所でもある。
そして、結婚には大きな意味が込められていた。
それこそ大昔、ファストの時代から。
一度結婚してしまえば、誰にも夫婦の仲を引き裂く権利は与えられない。
不倫なんぞしようもんなら、誘った側が打ち首死刑になってしまう。
反面、異性愛のみならず同性愛も存在しており、少年少女への愛を叫ぶ年嵩の者も多数見た。
それを他人に咎められる事もなく。
要するに他人の手さえついていなければ、何を愛しても自由ということだ。
結婚して、何か特別な手当を受けられるわけではない。
ただ、二人の愛が保障されるだけだ。
しかし、それこそはテラーが産まれた世界で手に入れたくても得られなかったものだ。
彼は少年少女が好きだ。今でも大好きだ。
だが、どれだけ可愛がろうと少年少女は彼を拒み、いつも逆上しては失った。
殺すつもりなんて全然なかった。
結果として、死んでしまっただけなのだ。
その数が五百を越えた辺りで彼の首に懸賞がかかったかして、命を狙われるようになった。
テラーは逃げた。
逃げても逃げても、命を狙う輩は諦めずに追ってきた。
味方してくれる人など一人もいないと思っていた世界で、手を差し伸べてくれた者がいた。
好きな世界へ飛ばしてやるから、絶対に生きるんだ――と、その者は言い、ずっと行ってみたいと思っていたファーストエンド、それも未来の時空へ飛ばしてもらった。
末期ファーストエンドの記録は、あの館の書物にも、なかったけれど、自分の生まれた世界よりは絶対に住みやすいだろうという確信が、テラーにはあったのだ。


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