4.光の森

その日の夜。ロイス王国の配属戦士全員に召集がかかり、新たな命令が下される。
これまでに判った情報を元に、改めて姫様探索隊を組むという内容であった。
探索隊といっても、全ての兵を向けるわけにはいかない。
防衛の為に残しておく手数は必要だし、近々開かれる三国同盟会議の準備もあるわで。
結局、光の森へ進軍するのはヨセフ率いる騎士団とティル、そしてソロンだけとなった。

王の座を退室し、ティルと並んで歩きながら、ソロンは何気なく尋ねてみた。
「ところで俺の寝床なンだが」
「寝床?部屋が欲しいってこと?」
「あァ。兵士宿舎ッてのは、何処にあるンだ?場所を教えてくれ」
「私の部屋」
会話が繋がらず「ン?」と首を傾げるソロンへ、ティルはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「だから。ソロンの部屋は、私と同じ部屋なの」
「…………いや、待て」
軽く目眩を覚えながら、ソロンも再度聞き返す。
「お前は俺の上司なンだろ?だッたら、俺は雑魚兵士と同じ部屋になるンじゃねェのか」
部下と上司が同部屋なんて、いくら何でもありえない。
隊を組んでいるぐらいなのだから、ティルの部下はフィリアやソロンだけではないはずだ。
他の兵士が寝泊まりしている場所は何処だと尋ねると、彼女は何故かプゥッと頬を膨らませてオカンムリ。
「東の塔だけど……ソロンは入っちゃ駄目」
「なンでだよ?同僚に挨拶ぐらいしてきたッていいだろ?」
するとティル、じろっと睨み上げ「だって私の部下は全員、女の子なんだもん」と答えた。
「こんな夜中に素敵な男の人が来たら、みんなビックリしちゃうでしょ?だから、ダ〜メ」
なるほど、不機嫌の原因はそれか。
要するに部下は全員女なので、男のソロンと会わせたくないのだ。
彼を取られてしまうと心配しているのであろう。
それにしても、誰が素敵な男性だって?
ティルの目には、どうもソロンが美形フィルター五枚重ねぐらいで見えているらしい。
二十四年目にして待望のカレシなわけだし、浮かれる気持ちも判らないではないが……
「じゃあ、騎士でもいい。雑魚騎士が寝てンのは何処だ?そいつらも全員女で東の塔にいンのか?」
なおもソロンが食い下がると、今度のティルは悲しげな目で見つめ返してよこした。
「ソロンは、そんなに私との相部屋が嫌なの……?」
「イヤッてんじゃねェが」と渋るソロンの腕を取り「なら、いいじゃない」とティルは笑顔で彼を見る。
「どうせザイナロックに居た時も一緒の部屋だったじゃない。何を今さら嫌がってるの?」
「あの時、お前は俺の捕虜だッただろ。今は逆だが」
「なら、あなたが私の部屋に監禁されていても、おかしくないわけよね?捕虜なんだし」
結局なんだかんだで言い負かされ、ソロンは大人しくティルに従うことにした。

ティルの部屋は一人用個室といってもいい広さで、ベッドも当然シングルだった。
そこをソロンが指摘すると、ティルは待ってましたと言わんばかりに壁にとりつけられたベルを押す。
即座に「は〜い、お呼びでしょうかぁ?お嬢様ぁ〜」と声がして、パカッと天井板が開く。
ひらりと舞い降りてきたのは、背丈がティルの半分ほどもない小さなフェアリーであった。
驚くソロンにティルが説明する。
彼女はティルの小間使いで、召喚師でもあるのだと。
「はじめまして〜。ライムって言いますぅ〜」
「……小間使いも女なのかよ」
ポツリと呟くソロンの独り言など聞こえなかったようで、ティルはさっそくライムへ命じた。
「ライム、さっそくだけどベッドを一つ用意してちょうだい。できるだけ大きなやつがいいわ、二人寝られるぐらいのね」
「はぁ〜い。わっかりましたぁ、お嬢様ぁ〜」
「お嬢様?」と尋ねるソロンへ振り返り、ティルは苦笑して答えた。
「私はお嬢様でも何でもないのよ。あれはライムが、そう呼びたがってるだけ」
その妖精ライムは、なにやらウームムムと唸りながら、手元に魔術書を広げている。
かと思えば小声で呪文を唱え始め、杖を天井へかざした。
『いでよ!ラブラブカップル専用・天蓋付ダブルベッドー!!』
直後、ドバーンッ!と部屋の中央で白煙が爆発し、その中からダブルベッドが現れる。
「……これが、召喚?」
噂に聞く召喚魔法とは違う気がする。だが、ライムもティルも頷いた。
はぁはぁと大きく息を切らせ、ライムは輝く笑顔をティルへ向けた。
「どうでしょう〜?ご注文のベッド、無事に召喚できましたぁ〜」
新しいベッドは周りとの調和を乱すことなく、やはり何処か古ぼけてアンティークだ。
一目見てティルが「素敵!」と叫んだことからも、古ぼけた家具は彼女の趣味なのだろう。
「古いベッドは、いかがいたしましょう〜?精霊界へ召還しちゃいますか?」
「精霊界の……何処に召還すンだ?」
ソロンが口を挟めば、ライムは顎に指をやり考え込む。
「ん〜。どっかへポーイッとしちゃえば〜いいと思いますぅ〜」
よくない、よくない。
ティルが脳筋なら、この小間使いは天然か。
とんでもないことを平然と言うものである。
「ポイしちゃうなんて可哀想なことを言わないで」
ティルも首を振り、小間使いを叱る。
「長年一緒にやってきたんだもの。最後は綺麗な場所へ連れて行ってあげて欲しいな」
どこかズレた説教だと思いつつも、魔法に関する知識のないソロンは黙っていることにした。
ライムが再び詠唱に入る中、窓から東の塔を確認する。
ロイス王国の城には東と西、両方に高い塔がそびえている。
正面には正門があり、門を抜けた先には城下町が広がっているようだ。
また白煙があがったので、ソロンはそちらを見やる。
シングルベッドが何処かへ消え失せていた。
「それじゃ〜ごゆっくり〜。うふふふ」
ついでに小間使いも不気味な笑いを残して、天井へ姿を消す。
「あいつ、いつも天井に住んでンのか?」
「天井に戻って、さらに妖精界へ帰るのよ」
ソロンの問いには首を振り、そう答えてから。
ティルは新しいベッドに腰掛け、隣へ座るよう彼を誘った。
そして上目遣いにソロンを見上げ、そっと呟く。
「……して?」
だが彼女の精一杯なお色気大作戦も、相手に気づかれないのでは台無しだ。
「ン?してッて、何をだ?」
まるで空気の読めていない返事をすると、ソロンは大きく伸びをする。
疲れた。なにしろ、今日は色々ありすぎた。
むかつく尋問から始まり、ティルの衝撃告白、そして奇天烈な妖精小間使いとの出会い。
窓を見れば満天の星空が輝いている時間だし、今日はもう、さっさと寝てしまいたい。
あくびと共に布団へ潜り込むソロンの腕を引っ掴み、ティルはプンスカ憤慨する。
「もうッ!してほしければ言えっていったのは、そっちじゃない!どーして寝ちゃうのよッ!!」
だが腕を振り払われ、ソロンは、さらに深く潜り込んでしまった。
「あーうるせェ、何をしたいンだか知らねェが、明日だ明日」
後はもう、ティルが怒鳴ろうが髪を引っ張られようが意識は夢の中へ。


翌日。
光の森へ出発するべく中庭に集合した騎士達は、ずっとティルの顔色を伺っていた。
彼女は朝から機嫌が悪く、始終むすーっとしている。
「おい、ティル様はどうして、ああも機嫌が悪いんだ?」
「俺が知るわけなかろう」
そんなヒソヒソ声も聞こえたが、ティルの機嫌を取ろうという勇気ある者はいなかった。
やがて今回の作戦隊長であるヨセフが姿を現わし、一同は姿勢を正す。
「今日は良い日和ですね」
空を見上げ独り言を呟いた後、ヨセフは部下の顔を見渡した。
……一人、足りない。
予想していたとはいえ、悪い結果が予想通りになるというのは些か気分の悪いものだ。
彼は穏やかに問いただした。
「ティ、彼は……ソロンは何処ですか」
やっぱりムスッとしたまま、ティルが答える。
「同僚に挨拶するんだって、朝早くに部屋を出てっちゃいました」
眉根を潜め、ヨセフは幼なじみを咎めた。
「彼の監視は貴女の仕事でしょう。目を離されては困ります」
「そんなこと言ったって」
ぷぅっと頬を膨らませ、ティルは、ますます拗ねてしまう。
彼女が起きた時点でソロンの姿は既になく、枕元に置き手紙だけが残されていたのだ。
いくら監視といったって、寝ている間は、さすがに無理である。
それともヨセフは、四六時中睡眠を削ってでも監視しろと言いたいのか?
「それで挨拶に行ったとして、どうしてまだ戻ってこないのですか」
「そんなの知らないわよ!私が聞きたいぐらい――」
ヒステリック気味にティルが言い返した時、中庭へ出る門からソロンが姿を現わした。
「よォ、悪ィな。遅くなッちまった。俺が最後だったか?」
悪びれず歩いてくる彼を見て、騎士達も機嫌を悪くしたようだ。
中には露骨に嫌そうな視線を向けてくる者もあったが、ソロンは平然としている。
「騎士サマ、俺の剣はドコだ?アレがねェと、満足な働きもできやしねェぜ」
「貴方の剣は私が管理しておりました。どうぞ」
ヨセフの手から剣をもぎ取ると、ソロンは腰に己の長剣を差す。
抜き身の剣だ。鞘がないから危ないこと、この上ない。
「その剣に合う鞘が見つかりませんでした。量産されている長剣とは違うようですね?」
尋ねるヨセフへは肩を竦め。
「そうなのか?よく知らねェンだ、こいつは貰い物でね」
答えるソロンに、いきなり横手から平手打ちが飛んできた。
――が。
「うおッ!危ねェッ」
ソロンは直前でかわした上、平手打ちを放ってきた相手の腕を掴んで、逆ひねりに地へねじ伏せる。
ほとんど本能的な動きで、無意識にやったと見ていい。
これには、平手打ちを放った方もビックリだ。
「きゃ!い、いたたたっっ、ソロン、痛い痛い、放してぇっ」
悲鳴をあげる相手を見て、殴ろうとしてきたのがティルであるとソロンにも判ったようである。
慌てて腕を放し、涙ぐみながら腕をさする彼女へ謝った。
「わ、悪ィ。けど何で、いきなり俺を殴ろうとしたンだ?」
途端、キッ!とソロンを睨みつけティルは顔も真っ赤に怒り出す。
「あなたが遅刻してくるからでしょ!」
「なら口で言えば判るぜ?何も殴る必要なンかねェだろ」と、相手は全然反省していない様子。
ティルがさらに何か怒鳴りかけた時、喧嘩にマッタをかけるが如くヨセフが全体号令を下した。
「もう、いいです。全員揃ったことですし、そろそろ出発しましょう。光の森へ向けて進軍開始です」
足並み揃えて騎士がぞろぞろと歩き出し、癇癪収まらぬティルも口をへの字に曲げたまま後に続く。
怒りっぽい彼女に呆れつつ、騎士団の背中を追ってソロンもノンビリ歩き出した。

ロイス王国とザイナロックとの間にある広大な樹海は、古来より光の森と呼ばれている。
樹木が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに森の中は薄暗い。
『光の』と名がつくにしては、不気味で肌寒い雰囲気を醸し出していた。
「光の森ッて言う割には不気味な場所じゃねェか?」
なのでソロンは素直に感想を言ったのだが……
「なんだ、貴殿はザイナ生まれなのに何も知らぬのか」などと、あしざまに騎士には笑われる。
嘲笑う部下に代わり、ヨセフが説明してくれた。
「かつては『光の森』という名にふさわしく、光と緑に溢れ小動物の息づく森でした。しかし第二次魔導大戦が勃発した際、森は魔族に支配されてしまったのです。戦争が終わっても、この森に光が取り戻されることはなく現在に至ります」
「何でだ?戦争が終わったなら、妖精達も森に戻ってきたンだろ?」
ヨセフは、ふぅ、と溜息をつき、ソロンを見た。
「確かに妖精達は戻ってきました……ですが、魔族が変えてしまった森の空気。それを戻す方法が、彼ら妖精にも判らなかったのです。今、森の奥深くに集落を作っているのは、妖精の中でも人間に近い者だけ。純粋なる妖精族は、地上へ戻ることなく精霊界に住んでいると言われています」
森の入口で一旦足を止めた軍勢が再び歩き出し、歩きながらソロンは尚も尋ねた。
「人間に近い者ッて?混血か何かか」
「いいえ。今、光の森に住んでいるのは、人間に荷担し魔戦を戦った妖精達です。人間に近いというのは……人間寄りの考え方をする妖精、とでも言い換えましょうか」
あなたはザイナロックの生まれでしたね、と前置きし、ヨセフはソロンを見つめる。
「ザイナロックに生まれたのならば、この地の歴史も知っておくべきです。あなたの母国が過去に何の大罪を犯したのか……それを知る義務が、全てのザイナ住民にはあるのです」
いくら地下生まれとはいえ、ザイナ地方で起きた戦争ならソロンだって多少は知っている。
魔族と妖精が、互いの思想の違いから引き起こした戦争だ。
初代ロイス王は妖精の女王を妻にしていたが故に、妖精側へ荷担した。
一方のザイナロックは魔術研究において魔族の恩恵を受けていたから、魔族側へ荷担した。
始めは魔族有利だったものの、ファインドらと同盟を結んだロイスが優勢となり、妖精側の勝利で終結。
だが犠牲を多く出した妖精の一部は精霊界へと引っ込み、魔族もまた、魔界へと逃げ去った。
――そう、幼い頃に読んだ絵本には書いてあった。
だから、ソロンは思うのだ。
責められるべきはザイナの民だけではない、と。
戦争を引き起こした全ての者。
妖精、魔族、人間は全て、過去の戦争の責任を負うべきであると。
しかしロイス人に囲まれた場で、それを主張するのは厳しいだろう。
なので黙って頷くと、ヨセフはそれで満足してしまったようだった。
さらに「あなたは素直でいい人ですね」などと褒められる。
「なンだよ、唐突に」
面食らうソロンへ、ヨセフは微笑んで言った。
「あの組織の者達は皆、強情でしてね。姫の居場所を吐かせるのも一苦労でしたよ」
言われた瞬間ソロンの脳裏に、幼なじみの顔が浮かんでは消える。
一番仲の良かったキーファ、喧嘩っ早いラー、おしゃまなレイ、お人好しのクー。
彼らも死んでしまったのだろうか。
ザイナロックの魔術師とロイスの騎士に襲われて……
「といっても、実際の拷問はザイナ魔術師の方々にお任せでしたがね。ですが、彼らが頑張ってくれたおかげで姫様の居場所を知ることができたのです」
話を続けるヨセフの袖を引っ張ったのは、ティルだ。
彼女はソロンを気遣うように、声を潜めた。
「ヨセフ、駄目よ。ソロンに組織の話をしないであげて」
言われて彼も思い出したのか、ソロンへ目をやりコホンと咳払いを一つ。
「……失礼。あなたにとっては辛いお話でしたね」
ソロンは、ぶっきらぼうに応えた。
「構わねェよ。あンたらにとっちゃ朗報だからな、姫様の居場所が判ったッてのは」
同情されるのは嫌いだ。例えそれが故郷の話であっても。
組織が非合法な商売であることは誰もが承知の上だったし、いずれこうなるであろうと判っていた。
同情される謂われなど、ないのである。
組織が壊滅したのは自業自得なのだ。
幼なじみが命を奪われたのだって、悪い組織に与していたのだから仕方のない話。
ソロンだけが生き残ったのも、たまたまティルの気まぐれによるもので偶然に過ぎない。
「さァ、行こうぜ?姫様が囚われてる洞窟ッてのも、場所は割れてンだろ」
颯爽と歩き出すソロンを追いかけ、ヨセフは頷く。
「えぇ」
どこか浮かない顔で頷く彼を見て、ティルが尋ねる。
「どうしたの?何か問題でも」
「我々の調査で場所は判明しています。ただ困ったことに、銀狼族の集落そばなのですよ」
ヨセフは弱々しい笑みを森の奥へ向け、囁いた。

銀狼族、またの名をシルヴァニア・ウルフともいう、この種族は。
普段は人間と変わらぬ姿をしているが、自らの意志で狼に変身できるという。
銀色の毛並みであることから、銀狼と呼ばれた。
彼らは誇り高く、他種族を見下す傾向にある。
故にロイスの住民もザイナの住民も、銀狼とは極力干渉せずに過ごしてきた。
地下を本拠地にする組織の奴らが、どうやって銀狼の敷地内へ入り込んだのかは判らない。
だがザイナの魔術師が組織のボスから聞き出した洞窟は、確かに銀狼族の住む地域と一致していた。
「敷地内へ入る際に、銀狼の長に一応挨拶しておきますが……彼らが何と答えようと、洞窟へは突入します。姫様達を、これ以上無体な目に遭わせておくわけにはいきません」
足を止めて整列した部下の前で、ヨセフが宣言した時。
不意にソロンが、正面に広がる藪へ向かって走り出した。
「ちょ、ちょっとソロン!勝手に団体行動を乱しちゃ駄目でしょ!?」
ティルは慌てて叫ぶが、彼は「今、何か動いたンだ!追ってみるッ」と答え、藪の中へ飛び込んだ。
「何かが動いただと!?まさか、今の話を誰かに聞かれていたのかッ」
騎士達も油断無く辺りを見渡し気配を探る。だが、ソロンのいう何かの気配など見つからない。
「……彼一人では危険です。ティ、私達も後を追いましょう!」
ヨセフが指示を出した直後、藪がガサゴソ動いたかと思うと、当人が戻ってきた。
ただし一人ではなく、片手に小さな少年の襟首を捕まえて。
「はなせ!はーなーせーよーっ!!犬ッコロみたいに人の襟首捕まえやがって、苦しいだろ!?」
捕まっているというのに、少年は元気にジタバタ暴れている。
少年の髪の色を見て、騎士団の面々はハッとなる。
銀髪だ。
ザイナ地方で銀髪といえば、真っ先に思い浮かぶのは銀狼族しかいなかった。
「犬ッコロみたいに草むらで息潜めて立ち聞きしてたヤロウが、よく言うぜ」
ソロンも言い返し、ヨセフへ指示を仰ぐ。
「このガキが話を盗み聞きしてやがッたみてェだ。どうする?」
「そのまま捕らえておいて下さい。彼は……よい交渉手段になりそうです」
目線を少年に向けたまま騎士は答えた。
「でも、襟首を掴むというのは可哀想だわ。せめて手を繋ぐぐらいにしてあげたら?」
とティルが提案し、ソロンは嫌そうに肩を竦める。
「俺がガキとお手々繋ぐッてか?冗談じゃねェな」
「ならいいわ。ねぇキミ、私と手を繋ぎましょ?」
そう言ってティルが少年に手を差し出すが、手を繋ぐ前にソロンは少年をひょいっと持ち上げた。
「うぁっ、何すんだよ!せっかく、このねーちゃんが手ぇ繋ごうって言ってくれたのにィ」
またしても少年はジタバタし、ティルも非難がましい目でソロンを見る。
「ちょっと!意地悪しないであげて、可哀想じゃないっ」
ソロンは少年をヨセフの元へ押しつけてから、むすっとした様子で答えた。
「捕らえろッつった本人が手を繋いでやればいい。だろ?騎士サマ。なにもティが手を繋ぐこたァねーんだ」
判りにくい嫉妬にヨセフは苦笑し、ティルは首を傾げるばかり。
ともあれ姫様捜しの軍団に一人が加わり、一行は、その足で銀狼族の集落へと向かった。

奥へ奥へと進んでいくと、やがて少し開けた場所に出る。
そこ一帯は木漏れ日で照らされて、光の森という名もふさわしいように思えた。
銀狼は、人間のような住居を建てない。木々の間に隠れ住むのが普通である。
途中の道で出会った少年の肩をがっちり掴みながら、ヨセフは声を張り上げた。
「銀狼族の長よ!我等はロイス王国騎士団である。この奥の洞窟に、我等が姫君が囚われているとの情報を得た!洞窟へ行く許可を与えて頂きたいッ。我等が姫君を無事、国元へ送り返す為に!!」
風がざわざわと木々を揺らし、どこからともなく声が聞こえてくる。
「人間よ……貴様らの愚かな争いを、森にまで持ち込むというのか。貴様らが目指す洞窟には、魔物が住み着いておる。貴様らの愚かな仲間、人間どもが洞窟に魔物を置いていきおったのだ。迷惑な話よ」
姫様が逃げ出さないように、モンスターを見張りに置いていったものらしい。
銀狼の長が言うように迷惑な話である。
木々を見上げ、ソロンが呟く。
「へッ、お約束のパターンじゃねェか。モンスター上等、全部ブッ倒してやるぜ」
ヨセフも上空を見上げ、さらに叫んだ。
「では、我等が魔物を取り除いてご覧に入れよう。それで良いか、銀狼の長よ!良いのであれば、洞窟へ入る許可を頂きたい!!」
さわさわと枝は揺れ、梢に幾つもの目が光る。
銀色の狼が木の上に何匹も座っており、それらの全てが地上を見下ろしていた。
「よかろう。ギィ!」
名を呼ばれ、ヨセフにしっかり肩を掴まれていた少年が飛び上がる。
「ハイ!」
「ギィ、お前は人間どもを見張るのだ。こやつらが魔物を倒すまで、しっかりとな」
「わっかりましたぁ、長老様!」
ギィは直立不動で敬礼し、ちらっと背後のヨセフへも目を向けた。
「そーゆーわけだから、そろそろ肩を放してくれる?ちょっと痛いんだよね」
長老を前にして、ヨセフも緊張していたのだろう。ギィに指摘され、彼は照れたように手を離す。
「すみません。気づかないうちに力が入っていたようです」

許可を与えられた一行は、姫様の囚われし洞窟へと向かう。
しかし入口付近には、モンスターらしき姿など見あたらない。
もっと奥で待ちかまえているのか。
一行はヨセフを先頭に騎士軍団、少年、ソロンと続き、最後尾にはティルがつく。
「ソロン、あなたの腕を皆に見せつけるチャンスよっ」
後ろから気合いを入れられ、ソロンも気をよくして答えた。
「あァ。見ていろ、どンなのが出てこようと俺が一発でブチのめしてやッからよ」
前を歩く騎士は「地下育ちが何か吠えておられるな」と嘲笑してきたが、気にしない事に決めた。
「……静かに」
ソロンを含めた部下全員を制すると、先頭のヨセフが立ち止まる。
どうやら、目的の姫様を見つけたらしい。
そっと岩陰から覗き込むと、自然に空いた穴に鉄格子をつけた牢屋らしきものが三つほど見えた。
中に入っている人影までは見えないが、牢屋の前に立ち塞がるのは異形の者達。
四つ足のものもいれば、二足歩行で背中に悪魔羽を生やしたものもいる。
あれこそが、見張り番のモンスターに違いあるまい。
さっそくソロンは腰の剣へ手を掛けるが、騎士に行く手を塞がれる。
「単独行動はいけません。様子をさぐり、油断した瞬間を狙って奇襲をかけましょう」
ヨセフにも言い含められ、ソロンは渋々従うと、岩陰に寄りかかった。
「……油断してる瞬間なンて、今しかねェと思うンだがな」
しっかり文句を言うのも忘れぬ彼に苦笑し、ティルは隊長へ質問する。
「でも、あいつらが油断しなかったら、どうするの?」
ヨセフは彼らしくもない黒い笑みで、ギィを見た。
「その時は、囮を使って油断を産ませるまでです」
「へ?」
キョトンとしたギィだが、見る見るうちに、さぁーっと青くなり、ざざっと後ずさる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!俺、やだよ?囮になるなんてッ」
「大丈夫。痛いのは最初のうちだけですから」と、訳のわからない道理を振りかざす隊長。
「駄目よ、ギィを酷い目に遭わせるなんて」
ティルも反対し、ちらりとモンスターを一瞥する。
奴らは、どれも体格から見てオスのようだ。
オスなら、メスが行けば油断してくれるかもしれない――
そんな考えが脳裏に浮かんで、彼女は言った。
「いざとなったら、私が囮になるから。それでいいでしょう?」
ヨセフはティルの幼なじみだ。
当然断るだろうと思っていたソロンは、騎士の返事を聞いて仰天する。
なんと彼はコックリと頷き、こう答えたのである。
「わかりました。いざという時には頼みますよ、ティ」
そればかりか部下までもが「ティル様なら大丈夫だろう」と納得しているではないか。
「お、おいッ!冗談じゃねェぞ、ティ!お前が囮ッて、バカ言ってンじゃねェッ」
慌てて止めるも「シッ!声が大きいわよ、ソロン」とティルに注意され、岩陰に押し込められる。
窮屈に岩陰で身をかがめる中、ティルが皆には聞こえないよう小声で囁いてくるのが聞こえた。
「もし危なくなったら、その時はソロン。あなたが助けにきてね?」
「あァ」
即座に頷いてやると、背後からはホッとしたような溜息が漏れる。

――それ以前に、お前一人に囮なンざ、させられねェけどな――

そう言おうとしたが、反論すればティルを怒らせるだけである。
己の行動は直前まで胸の内に秘めておこうと決めた、ソロンであった。

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