2.監獄

それから数日は試合もなく、ソロンは部屋で訓練の日々を過ごした。
ある日、扉をノックされ出てみた彼は、驚くべき人物と再会する。
「あー……突然だが、お前にプレゼントがある」
切り口的な口上と共に現れた同僚は、手錠をはめられ、ぶすくれているティルを連れてきた。
「どうしたンだ?そいつ。売れ残ったのか」
もう一人巨乳の女フィリアと一緒に、性奴隷として商品に回されたはずである。
「いやぁ〜……売れ残ったというか、不良品というか」
なんでも同僚曰く、ティルは客に暴行をふるうため商品にならなかったそうだ。
手錠で両手を拘束されていても抵抗凄まじく、相手の鼻に噛みつくわ、急所を膝で蹴り上げるわ。
これというのもソロンがきっちり教育していなかったせいだ、と彼の責任になり、彼に押しつける形となった。
それで今、こうして送られてきたというわけである。
用がないなら早く解放してよとばかりにプーとふくれた彼女を押しやると、同僚はさっさと退散していった。
ここへ来る途中にも抵抗があったのだろう、押しつけ完了して帰り際の彼は妙に晴れ晴れとしていた……

なんてこった。
ティルが不良品なのはソロンのせいじゃあるまいに。
こいつは元から不良品だったんだ。

そうは呆れながらも、彼女が奴隷として売られていかなかったことにソロンは安堵した。
とんでもなくトンチンカンで無知なこの女を、彼はすっかり気に入ってしまったのだ。
フィリアは早々に、好色スケベオヤジが買っていったそうだ。
どちらもスパイとして国に捧げられなくて、本当に良かった。
そうなっていたら処刑は免れない。
「ま、とにかく入れよ」
そっぽを向いて精一杯の抵抗を見せるティルを部屋に連れ込むと、床に座らせ、自分はベッドに腰掛ける。
ソロンの部屋は簡素なもので、その質素っぷりときたら牢屋といっても過言ではなく。
家具なんて呼べるのは石造りのベッドぐらいなもの。
あとは本が数冊と、やたら大きな石が数個転がっていた。
「……ずいぶん貧相な待遇ね?」
「あァ?そうでもねェさ」
ぽつりと問うティルへ気楽に答えると、ソロンは改めて彼女を見る。
この数日、ボスもこいつを売るために、散々な苦労を重ねたのであろう。
一応、女性らしくフリルのついた可愛らしい服を着せられている。
下は膝までも長さのあるロングスカート。
やはりフリルがビラビラで、少々動きにくそうな感じだ。
上下どちらも、あまり似合っているとは言えなかった。
というか、服に着られている。
何かのイベントで、無理やり親に着飾らせられた子供みたいな出来上がり。
ティルの腕や太股には、数カ所かすり傷があった。
大暴れして、その時できた傷か。現場を見てみたかった。
結局、苦労も実を成さなかったようだが、脳筋格闘家なんぞを性奴隷にするっていう計画の方が間違っている。
フィリアが即売したのは、まぁ、あっちは男がいたという話だし、男慣れしていたのが仇になったって事で。
「何、じろじろ見てるのよ。何かしたいんだったら、すれば?」
ふてくされ、投げやりな彼女に「なンだ?何かされたいのか」と問い返すと。
「されたいわけ、ないじゃないッ!」
途端に、逆ギレしてソッポを向かれた。面白い反応だ。
「ま、俺も何かしたいわけじゃねェしな。だが同居するからには、大人しくしててもらうぜ。あァ、そうだ。ベッドが使いたいなら、ちゃんと言えよ?替わってやるから」
闘技場を離れたソロンは意外や気さくで、ティルを困惑させる。
てっきり寝るのは床前提で、毎日エッチなことを強制されるとばかり思っていたのに……
どう見ても、ただのいい人だ。
目つきが悪いことを除けば、悪い人では無さそうな錯覚さえ起こさせた。
ともすれば、うっかり気を許してしまいそうな自分を叱咤しながら、ティルは尋ねる。
「いつまで、ここで同居してればいいのよ?」
ソロンは「さァな?」と肩を竦め、ごろりと横になった。
「ボスの気が変わって、明日にはまた奴隷にしようと思うかもしれねェ」
「嫌よ!冗談じゃないわッ」
「或いはスパイを報告した報酬ほしさに、ザイナロックの大臣へ密告するかもしれない。ま、それは万に一つもありえねェが」
「なんで?」
……まさか、なんで?なんて聞き返されるとは。
ちょっと考えれば判りそうなもんなのに。
ソロンは呆れて身を起こすと、自分でちっとも考えようとしない脳筋娘へ目を向けた。
「俺達は非合法な組織なンだぜ?そんな奴らが国の偉い奴らの前に、のこのこ姿を出せるかよ」
「一般人を装って、差し出せば済むじゃない」と、まだ彼女は判っていない様子。
「どうやッて、お前を捕まえたのか。どうして、ロイスのスパイだと判ったのか。状況から結果まで全てを説明しなきゃいけねェんだぞ?絶対、途中でボロが出る。尻尾だって掴まれちゃいけねェのに、なんで自ら危険な橋を渡らなきゃいけねェんだ?」
すると彼女、「ふぅん?」と意地悪な目をして、「意外と意気地がないのね」などと罵倒してくる。
それには取り合わず、ソロンは言ってやった。
「非合法な真似してるから臆病なのさ。堂々と乗り込んで来られる、ロイスのスパイとは違う」
「スパイじゃないわよ!」と怒鳴り、憤慨するティル。
では一体どういうつもりで敵国ザイナロックに、乗り込んできたというつもりか。
彼女の身元は割れている。
ティル=チューチカは、ロイス王国では相当な有名人であった。
格闘家として強い上、可愛いから国民人気も高い。
組織の仲間が、ちょっと街で聞き込んだだけでも、人々はベラベラと語ってくれたのだ。
それも、得意げに。
彼女達がロイス出身だと判ったのは――出場申請用紙を見れば一目瞭然で。
出身地の項目に、堂々と書いてあったのだ。ロイス王国、と。
よほど自分の腕に自信があったのか、或いは考えなしの馬鹿なのか。
たぶん、後者であろうとソロンは考えた。
「闘技場で戦って、あわよくば剣士を一人とっつかまえて、情報を吐かせるつもりだったの」
「捕まえて、情報を吐かせる?情報ッて、さらわれた姫のか」
ティルがハッとなる。
どうして知ってるの、とでも言い出しかねない顔をする彼女に続けて尋ねた。
「俺が何も知らなかったら、どうするつもりだったンだ?」
「その時は……また試合を組んでもらって、別の奴を捕まえる予定だったのよ」
ソロンは呆れた。
「お前……ここのルール、知らねェで潜り込んできたな?」
組織に与するソロンは勿論知っているが、チャレンジャーが挑戦できるのは一生につき一回。
たった一戦だけの、命を賭けた娯楽ってやつだ。
試合が終われば闘技場からは追い出され、勝てば賞金を口止め料としてもらってサヨウナラ。
それが暗黙のルールとなっており、参加する者達も承知の上であった。
そう説明してやるとティルはしばしポカーンとしていたが、やがてプンスカ怒り出した。
「……だから冒険者の言う事なんて、アテにならないって言ったのに!」
なるほど。ここの闘技場が怪しい、という情報を掴んだのは雇った冒険者だったのか。
冒険者なら何処にでも出入りできるし、怪しい情報を集めるのも、お手のものだろう。
それを真に受けて部下を動かしてしまうほどロイスの王様も焦っている、ということになる。
姫君達がさらわれて、何日目だ?
ティルに尋ねると、すぐさま答えが返ってきた。一月経過しているという。
ここの情報を掴むまでに、一ヶ月費やしてしまったらしい。
意外とロイスの諜報員も無能である。
「けどよ」
むくれる彼女を宥めようと、ソロンは言った。
「俺ァ、ずっと此処で暮らしてるが、そんな姫っぽい奴ら、見たことねェぜ?」
「お姫様っぽい子が、いつまでもお姫様っぽい格好でウロウロしてるとは限らないでしょ」
なんとしたことか、脳筋なんかに突っ込まれた。
ティルにも一応、考える脳味噌はあったようだ。
「だが姫ッてことは、かなり可愛いンだろ?」と尋ねれば、何故かティルは怒って頷く。
「ソコソコの奴は随時追加されてるが、それほどの上玉は、ここ最近入荷されてねェ。断言できる」
人を人とも思っていない彼の言い方に、ティルがブチ切れた。
「追加って、入荷って、あなたねぇ!」
鼻息荒く詰め寄るも、ソロンには華麗に流される。
「じゃァ、なんて言やァいいンだよ?それに、言葉を直したところで人さらいは人さらいだろ」
流された上に開き直られた。
さすが悪党の手先、根っこの先まで腐った根性をお持ちのようで。
「ところで」
あまり姫には関心もないのか、早々にソロンは話題を変える。
先に姫の話を出したのも彼だが、姫君がどうのというよりは姫を捜すティルに興味があったのだろう。
「薬は毎日飲ンでたのか?」
「薬?……あぁ、媚薬ってやつ?飲まされていたみたい」
「みたい?」
「食事の中にね、時々おかしな味のするものが含まれていて……気づいた時は食べる振りをして、あとでトイレで吐いてたんだけど。だいぶ飲んじゃったわね」
混ぜものに気づけるようになっただけ、少しは成長したようだ。
しかし、飲んでいて客に暴行か。
あまり薬が効いていないように思えるが、もしかしたら薬に対し抵抗力が芽生えたのかもしれない。
毒に耐性をつけるため食事に少しずつ毒を混ぜるという、東国ジパンの特訓みたいに。
「どッかおかしな処はねェか?体が熱いとか、頭がボーッとするとか」
それでも一応尋ねてみれば、ティルは自分の上着を、ちょいと引っ張って答えた。
「特にないわね。強いて言えば、この服が暑いぐらいで」
と言われても半袖だし、フリルがビラビラついていて鬱陶しいかもしれないが薄手のシルク地である。
暑いと文句を言われるほど、暑い服装ではないはずだが……
ここへ来た時のティルの格好を思いだし、こういう服は嫌いなのかなとソロンは想いを巡らせた。
彼女が着ていたシャツは薄手の麻地で、しかもヘソチラの丈短めだった気がする。
動きやすいといえば聞こえは良いが、反面、露出度が高いとも言える。
かといって、彼女が自分のスタイルに自信を持っているようには思えない。
胸が小さいと冷やかした時の怒りようは、ハンパじゃなかった。
或いは、体にぴっちりした服が嫌いなのかも。
シルク地は体に密着するから、それが嫌なのか。
「そう言われてもな……換えの服なンか、ないぜ?」
とりあえず新たな処遇が決まるまでは、その格好でいてもらうしかない。
ソロンの答えに、不満ながらもティルは納得したようで「あっそ」と呟くと、壁側を向いてしまった。

一日目が過ぎ二日目も過ぎ、一週間が経っても、ソロンはティルを放置した。
毎日盛っているほど女に飢えているわけでもなし、闘技場で戦うのが彼の本職なのだからして。
リングの上でピーピー泣きわめく彼女に同情してしまったというのも、多少はある。
あの時は仕事だからと割り切って抱いたが、今のティルは不良在庫であり娼婦見習いでもない。
抱く理由がない。
彼女の新たな処遇も気になる以上、無下に扱うわけにもいくまい。
――いや、彼女は預けられたのではなく、ソロンの所持物になったのだ。
というのは一日目の夕飯を取りに部屋を出た時に、同僚から教えられた最新情報。
正式にソロンのものになったのだから、ソロンがどう扱おうと勝手にすればいいとも言われた。
ひとまず抱く理由が出来たような気もするが、今は特に、そういう気分にならない。
そんなわけで放置した。
一方、放置されたティルの方は落ち着かない。
何事にもさっぱりした性格の彼女、虐待するならする、しないなら解放と白黒ハッキリして欲しいのである。
「好きにしろ」と自由を許されたものの、部屋の外には出ることもかなわない。
ここから逃げ出すことも考えたが、試合であれだけの能力差を見せつけられている。
逃げ切れるとは思えない。
試合のない日――というか、試合のない日のほうが圧倒的に多いのだが――ソロンは部屋で訓練ばかりしている。
大きな石は何に使うのかという疑問も、そこで判明した。
訓練用の器具だ。石を腹に乗せて腹筋したり、担いで筋力を鍛えているのである。
端で見ていても、よう飽きんわというぐらい熱心に鍛錬を続けている。
声をかけなければ一日中、やっていそうなほど。
彼は気さくで、こちらが声をかければ会話に応じてもくれたし、食事もちゃんとティルの分まで持ってきた。
寝る時は、言えばベッドを貸してもらえた。
ただし石で出来たベッドは堅くて、寝心地最悪だったけれど。
ソロンは、いい人だ。
とても、あの試合でティルを酷い目に遭わせた人物と同じとは思えない。

ある日、彼女は何気なく聞いてみた。
「ねぇ」
「なンだ?」
「……どうして、何もしないの?」
するとソロンは決まって、こう返す。
「何かされたくなッてきたのか?」
いつもなら、ここで「そんなわけないでしょ!」と怒鳴り返すティルだが、今日は違った。
「私って、そんなに魅力ないのかな……」
ここ数日。少し、考えていたことがあった。
フィリアが見知らぬ男に買い取られ、自分だけが売れ残った理由をだ。
自分で言うのもなんだが、ティルはブサイクじゃないという自信があった。
絶世の美女とまではいかないが、それなりに、下の上ぐらいは可愛いんじゃないかと思う。
それが、どうしたことか奴隷商品としては売れ残り、ソロンには存在を無視されている。
別に、奴隷になりたかったわけじゃない。
しかし、ティルだって乙女のプライドぐらいは持ち合わせているのだ。
同室の男に無視されるとか、そこまで女としての魅力がないんだろうかと考えると悲しくもなってくる。
もし、ここに残るのが自分ではなくてフィリアだったら、ソロンは彼女をどうしただろうか?
堅いベッドの上に誘い込み、毎日イチャイチャしたんだろうか。
フィリアを上から下まで眺め回し、涎を手の甲で拭っていた、あのスケベオヤジみたいに。
今までとは違うティルの反応に、ソロンもオヤ?と怪訝に様子を伺う。
「別に、ないッてほどないわけでもねェと思うがな」
近寄ってみると、彼女はしょんぼり項垂れ溜息までついちゃっている。
「だったら、なんで何もしないのよ?私って、そんなに可愛くない?それとも、胸が小さいから?」
フィリアのような巨乳女を部下に持っていただけあって相当、胸がないのを気にしているご様子。
まぁ、胸が小さいのは否定しない。
だからといって、彼女の可愛さまで否定するつもりもないが。
「して欲しいンだったら、そう言えよ。無理強いはしたくねェ」
「なんで?試合の時は無理やりしたじゃない!」
「そりゃァ、まァ」
ティルの剣幕に押されつつも、ソロンは思案顔で答えた。
「仕事だッたからな」
「仕事ォ?じゃあ、本音じゃなかったのね?嫌々やってたのね!?」
ティルのボルテージが上がっている。
受け答えを間違ったのだと気づいた時には、一気に怒りが爆発していた。
「そうでしょうね、こんな乳臭い女が相手じゃ嫌々でも仕方ないわよね!仕事だもんね!」
「い、いや、ちょっと待て。確かに仕事でヤッたが嫌だとは一言も」
「どうせ私はフィリアみたいに綺麗じゃないし、胸も大きくないわよ!でもね、初めてだったのよ!?それなのに嫌々だったなんて……あんまりじゃないッ」
「いや、だから俺の話を聞けッて。仕事は仕事だったが、お前を嫌がってたわけじゃねェんだ」
慌てて宥めるも時遅し、ティルはグスグス泣いていて手の着けようもない。
しかし、たかが乳の大きさで、いちいち引き合いに出されるフィリアも可哀想に。
癇癪持ちの上司を持ったせいで、変な闘技場には連れて行かれるわ、挙げ句の果てに性奴隷として売られるわ。
真の踏んだり蹴ったりな被害者は、フィリアなのかもしれない。
「そもそも、お前の相手をするって決めたのは俺自身だしな」とのソロンに、泣いていたティルが顔をあげる。
眉を逆さ八の字に吊り上げて、「じゃあ何で、あの日以降、何もしてこないのよ!」と問いただしてきた。
だから、と最初の会話に戻り「お前が望めば抱いてやるッつってンだろうが」と押し問答の再開である。
もうこれで、何度目だろうか。この会話をするのは。
したいのか?と聞けば嫌だと答えるくせに、しないと怒る。
今までの女達とは、全く違う反応だ。
斬新であり、困りものでもあった。理不尽といってもいい。
さすがに何回も同じ問答を繰り返していれば、ソロンだって嫌になってくる。
だが何回も尋ねてくるからには、ティルも内心では興味があるのではないか?
放っておけば、そのうち根負けて、自分から「してほしい」と頭を下げてくるかもしれない。
よって、ティルを放置したソロンの判断は、ある意味正しかったともいえる。

本音を言えば、してほしい。
でも、自分からお願いするのは絶対に嫌だ。
今のティルは、そんな風に考えている。
一週間ほどソロンと一緒に暮らして判ったのは、彼が思った以上に気安い人物であったこと。
ティルが頼めば、外へ出る以外のことは大抵OKしてくれたし、食後のデザートだって持ってきてくれた。
もちろん、神聖なるリングの上で唇を奪われたショックは未だに抜けていないし、許してやるつもりもない。
いや、そればかりではない。
途中から薬で意識が飛んだので覚えてはいないが、人づてに聞かされた話だと処女も彼に奪われたらしい。
だが、あれは仕事だったと本人も言い切っているし、やらざるを得ない事情でもあったのではなかろうか。
そうだ。悪いのは彼ではない、彼にやれと命じた組織のボスなのだ。
それに――
こうしてソロンを間近に見てみると、案外、悪い面ではないということにも彼女は気づいた。
今まで彼女に言い寄ってきた数々のブサメンと比べたら、かなりのイケメンだ。
目つきが悪いことを除けば、だが。
むくれていたティルは機嫌を直し、本日二度目の「ねぇ」を発した。
山の天気が如くコロコロ変わる彼女の機嫌にも、ソロンは根気よく受け応える。
「なンだ?」
一週間も鼻の頭つきあわせて暮らしていれば、大抵のことには慣れてしまうというもの。
慣れって恐ろしい。
「ソロンって……彼女、いるの?特定の、カノジョ」
またしてもトンデモない方向に話を飛ばされ「ハァ?」と口をあんぐりしていると、真っ向から詰め寄られる。
じっと目を覗き込まれ、ソロンが黙っていると、ティルはハァ……と溜息をついて項垂れた。
「そう……いるよね、ソロンかっこいいもの」
マテマテ、まだ居るとも居ないとも言っていないうちから決めつけている。
それに格好いいって、誰が?
自分で言っちゃお終いだが、俺を格好いいと思っているのなら、ティル、お前は教会で目の治療を受けるべきだ。
などと心の中でツッコミをいれつつ、ソロンは答え直した。
「いねェよ、そんなモン。欲しいと思ったこともねェし」
「なんで?」
また即問いか。たまには自分でも少し考えてから、尋ねて欲しいものだ。
「なンで?って……いなくても不便してねェからだよ」
ソロンの所属する組織は奴隷商であり、ここにいるのは只の奴隷ばかりではない。
訪問売春を目的とした娼婦サービスや、完全に商品として売買される性奴隷も取り扱っている。
彼は剣士であり調教師ではなかったが、ボスや同僚に頼めば、そうした娼婦とやることも出来た。
だから恋人などいなくても寂しくなかったし、そもそも特定の一人に縛られるなんてゴメンである。
一人のほうが時間も有意義に使えるから、色々と都合がいい。
だが、「そう……」と、またまた項垂れてションボリするティルを見ている内に、気が変わりつつあった。
「お前は確か、恋人」「いないわよ」
即答だ、見事なまでの。
「……なンで作らなかッたんだ?」
尋ねると、ティルはソロンをじっと見つめて、情けない下がり眉で答えた。
「欲しかったの、ずっと。きっかけがないの。どうしてかなぁ?あ、別にモテないってわけじゃないのよ?これでも言い寄る人は多くて……でも、何でか出来ないのよね」
一番の理由は自分でも、わかっている。顔で寄り選びするからだ。
もしかしたら顔はブサイクでも心はナイトな人が、あの中には一人ぐらい居た可能性だってある。
でも恋人になったら毎日顔を合わせるわけで、その相手がブサイクというのは、ちょっと嫌である。
いくら心がナイトでも。

――その点、ソロンなら。

ソロンなら合格点なんだけどなぁ、とチラ見で彼を伺うと、彼は何と答えるべきか迷っているようであった。
「あー……モテるのに出来ないッつーのは、要するに、だ。高望みしすぎなンじゃねェか?」
ズバッと核心を突かれた。
「それは、わかってるの。でも一生に一度の問題だし」
ティルは素直に頷いたのだが、ソロンは呆気にとられている。
「一生に一度の問題って……マジでか」と呟くのも聞こえた。
そりゃあ奴隷商売なんて風紀の乱れた組織に属している彼からすれば、ティルの考え方は古風すぎかもしれない。
けど、生まれてこのかた異性と恋愛したことのない彼女にしてみれば、まさに一生ものの問題だったのだ。
ややあって、気を取り直したかソロンは話を続けた。
「お前の、あの部下。フィリアッていったか?あの爆乳」
「……うん」
「あれはどうなンだ?恋人、いたンだろ」
「うん。いたみたい。すっごい優しい人みたくてね、毎日、他の子に自慢してたわ」と、暗い目で話すティル。
お前、どれだけフィリアのことが嫌いなんだよと突っ込みたくなるほど、両目に憎悪が込められている。
ドン引きしつつ、ソロンは、なおも尋ねた。
これ以上フィリアのカレについて続けるのは、素っ裸で戦場へ飛び込むようなものだと判ってはいたけれど。
「あー噂話でしか、聞いてねェのか。そいつの容姿については、部下どもは言ってなかッたのか?」
「すごいハンサムだったみたい」
これまた即答し、ティルは暗い目をソロンへ向けた。
「……まだ続けるの?この話」
フィリアへの怨恨が、こちらにも向かってきそうな勢いだ。
ここで止めておくのが最良の手段?
「あ、あァ、いや、もう充分だ」
「そう」

会話が途切れ、何となく両者ともに落ち着かない気分になる。

ここで「じゃあ俺なんてドウヨ?」と尋ねられるほどソロンは軟派な性格ではなかった。
元々ソロンは、自分の容姿に自信があるわけでもない。
彼女が美形好きと判っているのに立候補するのは、すなわちソレ、自分をハンサムだと認めているも同然だ。
そこまで恥知らずなつもりはないし、嫌だとハッキリ断わられるのも怖かった。
今までの会話パターンから考えて、ティルが即答で拒絶するというのは簡単に予想できる。
この気まずい空間にて、彼女は何を考えているのか。
項垂れているからサッパリだ。
「まァ、頑張れば、そのうち出来るンじゃねェか?」
明るく切り出せば、ティルはキッと顔をあげ、睨みつけてくる。
「そのうちっていつ!?頑張って二十年何の進展もなかったのに?もう!人を頑張ってないみたいに言わないでッ」
おまけにポカポカと殴られた。
といっても本気ではなく子猫がじゃれついてくる程度のポカポカで、彼女は甘えているのだとソロンにも判る。
なんだ?
慰めて欲しいのか?
今し方、慰めてやったばかりだというのに。あれでも足りないのか。
「まだ二十四だろ?チャンスはあるッて」
「おまけに、あなたには傷物にされちゃったし!一生に一度の問題なのに、どうしてくれるのよぅっ」
「今時操を立ててる女なンざいねェって、そンなのは世界でも希少価値の存在だろ。大体処女のくせに、こンな場所へ乗り込んできた、お前にも問題あるだろうがッ」
「うるさい!ばか!責任取りなさいッ!!」
終いには、ティルはボロボロ涙をこぼし、ぎゅぅっと抱きついてくる。
どうも感情が高ぶりすぎると、泣き出してしまうクセでもあるようだ。
そんな処も子供っぽくて、可愛い。
優しく彼女の髪を撫でてやりながら、ソロンは考えた。
責任、ねぇ。結婚でもしろってか?ボスに申請したら、許可は下りるだろうか。


それから三日間。
ティルはめっきり口をきいてくれなくなり、ソロンが何を話しかけようとムスッとしていることが多くなった。
何かしないのかと尋ねなくなったのは有り難いが、日常会話までシャットアウトされてしまうのは寂しい。
「じゃ、仕事に行ッてくる。外に出ようなンて思うなよ?」
四日目の朝。
言い残して部屋を出ようとすると、珍しくティルが顔を此方へ向けた。
実に、三日ぶりの反応だ。
「ねぇ。ソロンって、今、いくつ?」
「ン?歳か?」
「そう」
「二十三だ。それが、どうかしたか?」
すると、それまでテンションの低かったティルが「二十三んん!?」と大声で叫ぶもんだから、ソロンも吃驚した。
「なンだよ、俺が二十三で悪ィのか!?」
「うそ!二十三って言ったら、私より年下じゃない!!」
「そ、そうだな。けど、それが何かマズイのか?」
「それなのに女の人とやり放題で……フケツだわ、フケツよッ」などとブツブツ呟いていたティルであるが。
眉をきりきりと吊り上げ、羅刹の表情でソロンに詰め寄ってきた。
また知らないうちに、彼女の心の奥に仕掛けられた無数の地雷を踏んづけてしまったらしい。
「どうしてソロンは、ここにいるの!?どうして、この組織から出ようとしないの!」
「ど……どうしてッて。生まれた場所が此処だったし、他に行く場所もねェから、ここにいるだけで」
「生まれたァ?ここで生まれたって、どういうこと?」
詰め寄る彼女を手で押し戻し、ソロンは軽く息をつく。
「俺の親は――母親は娼婦だったンだよ。父親は不明だ、物心ついた頃には側に居なかッた」
「あ……」
聞いちゃいけないことを聞いたという同情の色を浮かべるティルを見て、ソロンは慌てて付け足す。
「言っておくがな、俺は別に親が娼婦でも全然苦労しちゃいねェンだ。だから同情は無用だぞ?」
ソロンの母は貧しさ故に娼婦をしていたわけではない。
彼女は数多くいるボスの愛人の一人にすぎなく、骨の髄まで悪事に染まりきった女だった。
母みたいな女性は他にも沢山いて、ソロンは沢山の幼友達に囲まれて育った。
十五の頃、闘剣士としての職をもらい、闘技場デビューを果たした。
組織が住居としている地下以外の場所は知らなかったが、地上を知らなくても彼は全然困らなかった。
闘技場で働いている以上は、食べていくのにも不自由ない。
友達もいるし、住めば都とは、ここの事だろう。
目と鼻の先まで近づいたティルは不意にきょろきょろと左右を見渡し、小声で囁いてきた。
「ね。私と、ここを出るつもりはない?ここを出て、ロイスへ行くの」
「ここを?どうやって?」
ナンセンスとばかりに肩を竦めるソロンの腕を、わしっ!と掴み、自分の胸に抱きしめる。
「この三日、あなたと口を訊かなかった間、トイレから手紙を流してみたのよ。そうしたらね、聞いて?驚くことに、返事が今日、あったのよ。トイレの中に浮かんでいたわ」
まさか、それを取ったのか?手は洗ったんだろうな……
「……ヨセフが助けに来てくれるって。もうすぐ、ここは襲撃されるわ」
ソロンを見上げ、彼女はキッパリと言った。
「騎士団が到着すれば、組織の連中は酷い目に遭わされるかもしれない。でも、ソロン。あなただけは、私が……私が、守ってあげるから」
守る?ティルが、ソロンを?ソロンより弱いティルが、どうやって――?


だが、その言葉より二日後。
ロイス王国騎士団は、本当に組織を襲撃してきたのであった。
それもザイナロック魔術師団と共同しての、大がかりな捜索――いや、捜索という名の戦争で。
組織は壊滅に追い込まれた。それは話し合いも何もなく、一方的な殺戮であった。

――ボスが殺された――

そんな噂を逃げる最中、ソロンも耳にしたが、彼は信じなかった。
やがて逃げ道も塞がれ、彼はロイス王国の捕虜として、生まれて初めて地上へと第一歩を踏み出したのであった。

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