南国パイレーツ

8話 それから

海上警備隊がファーレン改めレイザース海軍とやりあって、一週間後――
コハクは今、ダレーシアの港にいる。
傭兵の契約期間を終え、新たなる雇い主を捜しに首都まで戻る予定であった。
ファーレンへ向かう定期船の到着を待つ間、海上警備隊との話を思い出す。
別れ際、副隊長のマリーナは、こんな事を言っていた。

「今日で任務完了ね。今までご苦労さまでした」
頭を下げるマリーナに無言で返す。
彼女は苦笑しながら、必要書類と小切手をコハクに手渡した。
「本来なら、完了手続きは隊長が行うものなんだけど……ごめんなさいね、彼は今留守にしていて」
「…………………どこに?」
マリーナは小首を傾げ、窓の外を見やる。
「隊長が、どこに行ったかって?聞いていないけど、多分、軍に呼び出されたんじゃないかしら」
首都の海軍相手に攻撃してしまったこと。
そのことで出頭を命じられたのではないか、と彼女は予想したのだ。
多分それは正解だろう。
あれだけの事をして、何事もなく許されるとは思えない。
「それにしても」と、マリーナの手が机の上から新聞を拾い上げる。
「驚いたものね。いつの間にか首都が、レイザースに占領されていたなんて」
いくら田舎とはいえ街の連中が知らなかったかというと、それはない。
この歴史的ニュースを知らなかったのは、海上に出ていた警備隊の連中だけであった。
ファーレンがレイザースに占領されたのは、海上警備隊が海賊とやりあっていた最中だという。
海の上で戦っていたのでは、テレビもラジオも聞く余裕はない。仕方のない話だ。
「そろそろ戻ってくる時間だと思うんだけど」
それには及ばない。
報酬も貰ったし手続きも済んだ今、ジェナックを待つ必要などない。
コハクは無言で頭を下げると、くるりと踵を返して出ていく。
背後でドアが閉まる瞬間、マリーナの溜息が聞こえたような気がした。

「――コハク、コハク!帰るのか?」
不意に甲高い声が、コハクの意識をハッと引き戻す。
声のしたほうを振り向いてみれば、ティカがきらきらとした瞳で見つめていた。
ティカが羽織っているのは、お馴染み水色のパーカー。
海上警備隊のユニフォームだ。
「………ティカ………」
海軍とやり合った後、船を失ったという理由から警備隊の保護下に入った。
彼女達は真面目に働くことを無理矢理誓わされ、海上警備隊の一員にさせられた。
「…………海賊は、廃業か」
思わず独り言を漏らすと、ティカは即座に首を振る。
「廃業?海賊、やめるってことか?なら違う!ティカ、廃業しない!」
何か言いたげなコハクに、続けて言った。
「船奪ったら逃げる!その船使って、また海賊やる……アイタッ!」
背後からティカの頭を、こつんと小突き、「それを聞いて逃がすと思うか?クーデターは失敗したぞ、このやんちゃ娘」と、いつの間に来ていたのか片手に紙袋を抱えたリッツがコハクに軽く挨拶した。
一人だ。他の隊員の姿は見えない。
「コハク、首都に戻るんだろ?お勤めゴクローサンでしたっと」
見送りに来てくれたんだろうか。
とすると、紙袋の中身は餞別か?
紙袋の中をごそごそと掻き回した後、リッツが取り出したのは一口サイズの小さな林檎。
そいつをコハクに放ると、ニカッと歯を見せて笑う。
「餞別だ、こんなもんしかなくって悪いけどさ」
後から言い訳のように付け足した。
「皆もレナも来たいって言ってたんだけど、仕事があるし。船を引き取りにいく仕事がさ。それで暇なコックの俺が、皆の代表として見送りにきたってわけ。あ、でも、実は今、材料の買い出しで出てきただけなんで、そんなものしか餞別――あ、船、来たな」
リッツの、どうでもいい長話に少しウンザリきていたところであった。
これ幸いとコハクは無言で頷き、彼らに別れを告げて、タラップを登っていく。
甲板から目をやると、リッツに襟首を掴まれたティカが手を振っているのが見えた。
「コハクーッ!たまにはダレーシア、遊びに来いッ!ティカ、待ってる!!」
だからといって手を振り返すという人懐こい真似をコハクがするはずもなく、ボーッとした表情でそれを見つめているうちに、船は二回、汽笛を鳴らして港を出発した。


南の小さな島は、あっという間に水平線の彼方へ消えていく。
水しぶきをあげながら快速に進む定期船内で、コハクは意外な人物の姿を目にした。
「………ジェナック?」
がっしりとした肩、褐色の肌。
灰色の髪の毛を一つに縛り、何より特徴は潰れた右目。
コハクの呟きに向こうも気づき、近づいてくる。
「よぅ、コハク。お前も首都に行くのか?」
彼はファーレンにある軍本部へ向かったのではなかったのか?
それが何故ここに。
軍の船に兵器を使った言い訳は、してこなかったんだろうか。
出向いたかどうかは、あくまでもマリーナの予想でしかないのだが……
それに『お前も』とは、どういうことだ。
もしかして、今から行くつもりなのか。事情説明を。
ジェナックにしては煮え切らないほど、遅い行動である。
彼は思い立ったら即実行に移す男だと思っていたコハクは、少し意外に感じた。
「………とりあえずは。ジェナックは何故首都へ……?」
一応確認も兼ねて尋ねてみると、ジェナックは水平線へ目線を逃がす。
「なぁに。警備隊をクビになったんで、海軍でも目指そうかと思ってな」
「クビ………?」
そんな話は聞いていない。初耳だ。
ジェナックが退職させられたのなら、マリーナが黙っちゃいないはずだ。
首を傾げるコハクを見、ジェナックは苦笑する。
「単独行動で皆に迷惑かけたばかりじゃなく、軍艦にウェーブクラックを撃ったんだ。クビにならないほうが、どうかしてるぜ」
単独行動の件はさておき、船を撃ったのは副隊長のマリーナだ。
撃ったのが問題だとしたら、マリーナも退職になって然るべきでは?
ぼそぼそと尋ねるコハクに対し、ジェナックは肩を竦めてみせる。
「部下の不始末は上司の不始末ってな」
彼女は、マリーナは自分の上司が責任を被ったことを――知っているわけがない。
知っていたら、今頃は辞表を書いたり引っ越しの準備などで忙しなく動き回ってるはず。
「………知らせたのか?」
コハクも視線を水平線に向けた。
もう、ダレーシアは影も形も見えない。
「マリーナにか?」
ジェナックに聞き返され、無言で頷く。
「知らせようとは思ったんだが……戻るうちに気が変わった」
ジェナックは、彼にしてはえらく歯切れの悪い調子で応えた。
「俺が辞めたと判ったら、あいつも辞めてしまうだろう。だから、伝えるわけにはいかん」
これまた、無責任な話である。
渋面で黙り込んだコハクをどう取ったのか、ジェナックは言い訳がましく付け加えてきた。
「大丈夫だ、マリーナは信用できるやつだ。俺より皆をまとめる力だってあるしな」
辞めてしまった気軽さからか、彼は大丈夫などと言っているが、全然大丈夫なわけがない。
隊長だった者たるもの引き継ぎの問題もあるし、きちんと伝えるのが筋ではないのか?
――さらにコハクが、そう追及しようとした時だった。

「だからって、黙って出ていくことはないでしょう?酷い親友もあったものね」

その声に聞き覚えがあったのはコハクだけではない、ジェナックもだ。
相当ド肝を抜かされたのか彼は救いを求めるようにコハクを見たが、求められてもコハクだって困ってしまう。
救いようがないとは、まさにこの状況だ。
視線を背後に移してみると思った通り、仁王立ちのマリーナがいた。
怒っているようにも見えた。
いや、誰の目から見ても、はっきりと怒っている。
「ひどいじゃない、どうして教えてくれなかったの?こんな重要なこと」
早足で詰め寄られて甲板縁まで追いつめられたジェナックは、オタオタと言い訳する。
普段の自信満々な彼からは、想像もつかないほど哀れな姿だ。
「言わない方がいい報告だってあるだろ?」
「報告をしてから辞めるのが、隊長だった人の義務でしょ」
「だが、言ったら、お前、辞めるつもりだろうが」
「当然よ。軍艦を攻撃したのは、私なんですからね。責任を取るなら私もだわ」
「ホラ見ろ!だから言いたくなかったんだっ」
目の前で繰り広げられる男女の口喧嘩。
口を挟むのも野暮なので、コハクはしばらく傍観することにした。
「なによ、その言い方。私が辞めたら、どうしてあなたが困るのよ?」
「海上警備隊は、どうなる?俺が抜けてお前までいなくなったら、あいつらは」
「ティカがいるから大丈夫よ」
「ティカだと!?海賊あがりの小娘に何が出来るっていうんだ!」
「彼女の保護者のラピッツィだって真面目に働いているわ」
「海賊は嫌いなんじゃなかったのか!?」
「海賊は今でも嫌いよ。でも彼女たちはもう海賊じゃないわ、立派な警備隊員。それに、あなたでも隊長が務まってたんだから、ティカでも隊長は務まるわね」
口喧嘩はマリーナに軍配があがりそうな気配だ。
ティカが逃げ出す算段を企んでいたことは、彼女には伝えないほうがいいだろう。
などと考えていたら、マリーナがコハクのほうを振り向いた。
「コハクは、これからどうするの?もし予定がないんだったら、軍隊に来ない?」
「何ィ」と呻くジェナックを無視して、マリーナは更に誘ってくる。
「あなたの腕は海軍も高く買うと思うわ。海賊退治にも一役買えると思うし」
誘ってくれる彼女には悪いが、コハクは緩く首を振った。
「………軍隊は………好きじゃない」
国家の犬と成り下がるのは、コハクの本意ではない。
軍人ではなく傭兵を選んだのも、雇い主を変えられる気軽さを重視しての事であった。
「そう……残念ね」
溜息をつくマリーナに、今度はジェナックが詰め寄った。
「こいつは傭兵だぞ、軍に誘ったって来るもんか。それに、お前が軍のメリットを考えて何になるっていうんだ?お前には関係なかろう」
「あら」
マリーナは髪をかき上げ、腕を組みなおす。
「関係なくはないわよ。だって私、これから海兵スクールの教官になるんだもの」
再びジェナックは呻いた。
「お前がスクールの教官になる、だって?」
「スクールに通い直すんでしょう?海軍へ入るには、スクールの最終試験に受かるしか道がないものね」
レイザースの支配下に置かれたとはいえ、海軍へ入隊する方法が、すぐ変わるものでもない。
現状では以前と同様、海洋兵士スクールに通い最終試験に受かるしか方法はない。
最終試験とは軍へ入隊する為の試験であり、卒業試験とは別物である。
「………それで、何故教官………?」
不思議がるコハクに笑顔を向け、マリーナは応えた。
「この人はね、一度落ちてるのよ。最終試験に。いわゆる落ちこぼれってやつね。誰かがつきっきりで面倒見てあげなきゃ、合格なんて一生できっこないわ」
一方マリーナは元海軍の肩書きを持ち両親は双方とも現役の軍人、そして警備隊の経験もあり、おまけにスクールの卒業生でもある。
彼女には海洋兵士スクールの教官になれる資格が、充分にあるといってよい。
スクールの教官になりたいと言い出せば、誰も無下には断れまい。
彼女は恐らく、いや絶対、教官になるだろう。
「だからって、何もお前までスクールに来るこたぁないだろうが」
ジェナックが、ぶつぶつとぼやいているが、あまり気の毒には感じないなとコハクは思った。
悪いのは黙って出ていこうとした彼なのだし、この結果は自業自得と言えなくもない。
マリーナはジェナック曰く信用できる奴だそうだから、大丈夫だろう。
ジェナックを合格させる為、つきっきりで指導に当たってくれるに違いない。
「がんばれよ………勉強」
コハクは彼なりに激励し、背中に「うるさい!」といった怒号を浴びながら船内へと降りていった。


End.
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