街の片隅で小さな工房を営み、薬を作っている。
工房といったって、まぁ、僕の家なんだけど。
僕ら薬師は大概自分の家で薬を作り、それを売って生計を立てているんだ。
薬に混ぜる、お茶の葉は自分で買わなきゃいけないから、微々たる儲けだけど。
茶葉は高いのになると手が出せない値段だし、はっきりいって足元を見られているんじゃないかと思う。
まぁ、いいけど。茶葉なんて所詮、飲みやすくするための味つけだしさ。
でも最近、味つけにうるさいお客が増えていて困るんだよね……
昔は"良薬口に苦し"なんて言ったけど、今は美味しくないと飲めない人が多くて、味は薬の売れ行きにも関わってくる。
コンコン
あぁ、文句を言っている場合じゃない。
お客が来た。
僕は匙を取り出して、口に含む。
この匙は僕が長年使っている、仕事の相棒だ。
こいつと出会う前、いろんな匙を試してみたけれど、こいつが一番、僕の唾をすくい取ってくれるんだ。
最高の相棒だよ。
匙にいっぱい唾を出した後は、先程言っていた茶葉、今きたお客は子供みたいだし、甘いやつでいいか。
この茶葉を小鉢に入れて、唾と混ぜて、よ〜くかき混ぜる。
トロリとしてきたら、出し時だ。
「はい、どうぞ」
小窓から差し出すと小さな手がひったくっていき、代わりにチャリンと小銭が台座へ置かれる。
薬の代金はティーゼルゼル。
茶葉は一番安くてティーゼルだから、この代金はトントンといったところかな。
薬に決まった値段はない。お客の善意で決まるんだ。
僕のところだけじゃない。薬師は皆、そうなっている。
ケチなお客が来ると損しちゃうんだけど、僕の薬は安い茶葉だと知れ渡っているのか、今のところは、そうした客も来ない。
高級茶葉はティーゼルゼルゼル。
ゼルの数が最高峰なやつは、とても手が出せない。
値段もさることながら、唾との配合が繊細で、ちょっと分量を間違えただけで駄目になってしまう。
ドロドロじゃ駄目なんだ。トロ〜リじゃないと。
その分量の見極めが、まだ僕には出来ていない。
だから――一袋だけキープしてある高級茶葉は、まだ使えない。
あの茶葉は母の代から置いてある歴史あるもので、僕の母が買ったらしいんだ。
らしい、ってのは、僕が僕の母を知らないからなんだけど。
物心つく前、僕は別の場所にいた。
薬師の役割だと判って初めて、この地に送られてきたんだ。
この界隈には、いろんな人が住んでいる。
薬師の他に街を守る衛士、茶葉を売る茶焙師、それから
他にも何を割り当てられているのか判らない人が、いっぱいいる。
僕は家から殆ど出ないから、頻繁に会うのは茶焙師とお客、それから、お隣に済む衛士ぐらいだけど。
そう、お隣には衛士が住んでいる。
ユェンシゥン。僕の憧れの人だ。
とても強いって聞いたよ。茶焙師の噂でね。
この街には悪いやつが定期的に現れて、衛士は、そいつらを片付ける役割を持つ。
僕は薬を作るしか出来ないけど、ユェンシゥンは皆の役に立っているんだ。
憧れないはずないだろう?
切れ長の瞳は琥珀の輝き、僕のまん丸い柘榴な瞳と比べたら雲泥の差だ。
髪の毛だって、さらっさらの黒だ。
僕の茶色なんだか黄色なんだか判らない微妙な髪より、ずっと綺麗だ。
背は僕より高くて、指が細くて色白で、あぁ、もう、何から何まで僕と違いすぎていて憧れる。
最近は声まで透き通って聴こえるんだ。透き通っているのに、深みがある。
僕の甲高い声と取り替えてほしいよ。
でも、そうしたらユェンシゥンの美しさが損なわれてしまう。
そんなの駄目だ。彼は、いつでも美しくないと。
僕は、ちらりと棚の上を見る。
あの上には例の最高級茶葉が一袋置いてあるんだ。
あれを使いこなせるぐらい凄腕の薬師になるのが、今んところ僕の夢だ。
そして、いつかユェンシゥンの為に――
「いつか最高級のお茶を淹れられるようになるんだぁぁっ!」
「な〜にが最高級のお茶なんだか」
戸口でクスクスと笑われて、僕はスックと立ち上がって握り拳を固めている自分の姿に気づく。
ありゃ、恥ずかしい。うっかり心の声が外に漏れていたようだ。
「お前は薬師だろ。だったら最高級のお茶じゃなくて、最高級の薬を作れるようになれよ」と言って入ってきたのは、お隣のユェンシゥンだった。
独り言を聞かれたのが彼だなんて、二重に恥ずかしい。
僕は頬を赤らめて、すとんと椅子に腰を下ろす。
ユェンシゥンは僕の髪の毛を弄りながら、今日も街で起きた出来事を教えてくれた。
「化石油を狙う
坏人ってのは悪いやつだ。
人が作ったものや、自然にあるものを勝手に持っていってしまう。
もっと酷いやつになると、人を襲ったりもする。
僕ら薬師は身を守る術を持たないから、もし襲われたりしたらイチコロだろう。
幸い、坏人が出るのは街の外に限られた。
街の外には発掘所があって、いろんなものを掘っては街で売っている。
机器人専用の食べ物も取れるんだと、これは誰の噂だったかなぁ、お客か誰かが言っていた気がする。
発掘所に入れるのは衛士と掘師だけだ。坏人に発掘所へ入れる役割は与えられていない。
だというのに無断で入ってしまうから、彼らが討伐対象になるのも当然だ。
この街の住民には個々の役割があって、役割以外の行動をやっちゃうと咎人になってしまうんだ。
例えば僕が衛士の真似事をして坏人を倒しても、罪に問われる。
善悪を決めるのは僕らじゃない。役割が善悪を決める。
僕の役割は薬を作ること。悪いやつを倒すのは衛士の役割だ。
「うん、気をつけるよ。店を開けていない時は鍵を閉めるようにしているし」
僕はユェンシゥンの忠告へ素直に頷いた。
🌑
俺はユェンシゥン。
生まれ落ちた瞬間に、衛士を割り振られた者だ。
この街……いや、この世界は役割で全てが回っている。
皆の健康を管理できるのは薬を調合する薬師だけだし、大きなものを動かせるのは絡繰の身体を持つ机器人の役割だ。
どんな奴でも必ず一つは役割を持つ。
そのはずなのに、世界の理から外れた者もいる。
それが坏人だ。
奴らは役割を持たず、年中悪さを働いている。
或いは、悪さを働くのが連中の役割なのかもしれない。
いずれにせよ、害あるものを倒す役割を振られた俺達衛士が倒すしかない。
衛士の役割は咎人退治だ。皆を守る役割じゃない。
けれど――俺は、隣に住むシェンフェンを守りたいと考えている。
たとえ自分が咎人になったとしても、だ。