北海バイキング

4話 囚われて

先ほどまでは晴れ渡っていたというのに、もやがかってきた。
いやな天気だ。
霧に霞む船を見ながら、ゼクシィは身を震わせる。
寒いのではない、何やら嫌な予感がする。
コハクと向こうの用心棒、戦いはどっちが優勢なのだろうか?
この戦い、始めからゼクシィは艦隊戦で決着をつけるつもりなど無かった。
たとえ逆賊、たとえ国を荒らす海賊に成り下がったといえど、パーミアは同郷の知人である。
知人の船に砲撃など、どうして出来ようか。
バイキングとして見た場合、ゼクシィは甘い男に入る部類なのかもしれない。
同時に、その甘さが彼の人間としての魅力でもあった。

霧の中、ヒスイとカスミの戦いは続いていた。
カスミ側が、やや優勢といっていい。
揺れる足元などヒスイにとってハンデにもならないが、相手の思いがけぬ素早さに翻弄されている。
斬った捉えたと思って剣を振るっても一歩遅く、ヒスイの剣は空を斬るばかり。
「くそっ……!」
「ふふん、どうしたどうした!その程度の動きでは拙者にかすることも叶わぬぞ!」
かと思えば、あらぬ方向から飛んでくる小刀を剣で弾き返すので手一杯。
ヒスイよりも動いているはずだというのに、少女の動きは衰えを知らない。
上と思えば横、後ろと思えば前。
剣を振るい、体勢が崩れたところにすかさず小刀が飛んできて、これでは倒すどころではない。
精神的にもヒスイは追いつめられつつあった。
――駄目だ、攻めてばかりじゃやられる。守りに入って隙を見つけるんだ――
脳裏にコハクの声が響いてきたが、うるせぇ、とヒスイは一蹴する。
それくらい、ヒスイにだって充分判っている。
判ってはいたが、彼の剣に対するプライドが、守りに入った戦法を許さなかった。
このオレが。
海賊の親玉を瞬殺できるほどに腕をあげた、このオレが守りの戦法だと?
ふざけんな。あの女にだって油断はあるはずだ。
攻めて攻めて守りに入らせて、単調な動きに乗せて、不意に動きをかえれば――
既に攻める・避けるの行動はパターン化してきている。
後は何時タイミングを外すか、だ。
何度目かの空を斬った直後、ヒスイは不意に くるりと半回転。
そして続いて飛んでくる小刀は弾き返さず、跳ね返してやった。
「何!」
僅かだがカスミに動揺が走り、空気もが動く。
後方の空気に気配!
迷わず向かって一気に間合いを詰めると、剣を振り下ろした。
――だが。
肉の感触の代わりにヒスイの剣が捉えたのは、ガツッと堅い丸太の感触であった。
「逃げられただと!?」
完璧にタイミングを外し、相手の虚をも、ついたはず。
剣に食い込んだ丸太を見て、さすがに愕然となるヒスイ。
カスミの気配を読む能力と窮地の回避力は、ヒスイが考えているよりも上だったようだ。
直後、延髄に手刀を受け、振り返る間もなく彼は甲板に崩れ落ちた……

倒れる音を耳にして、パーミアが間髪入れず叫ぶ。
「どっちが勝った!?」
彼女の子分も一斉に、戦場となったフィールドへ駆けつける。
そこには、ヒスイの襟首を引っつかんで堂々と仁王立ちするカスミの姿があった。
「カスミ、お前が勝ったのか!」
「ふふ、ご覧の通り」
見たままの結果を尋ねるパーミアに、カスミは肩を竦めてみせる。
「しかし拙者に変わり身の術を使わせるとは、この者なかなかの手練れでござった」
「変わり身の術?」と首を傾げる女蛮族には大した説明もよこさず、カスミは話を促す。
「それより、一騎討ちは終わったのでござる。奴らに知らせなくてよいのか?」
「そうだ、そうだった。よし」
パーミアは対面に向かって大声を張り上げた。
「ゼクシィ!聞こえてるかい?霧で風邪でも引いてないだろうね!?」
すぐさま、同じくらいの大音量で返答が聞こえてくる。
「俺を都会育ちの軍人と一緒にするな!真っ白で視界は見えずとも、音はよく聞こえとる!」
「なら誰かが倒れる音も、ちゃんと聞こえたんだろうね!」
「もちろんだ!で、どっちが勝ったんだ!?」
一息置いてから、パーミアは衝撃の事実を彼に伝える。
ことさら大きな声で、はっきりと。
「教えてやるよ!勝ったのは、うちの用心棒カスミの方さ!あんたの御自慢の剣士様なら、カスミに一撃くらって無様にノビちまったよ!!」
静寂が周辺の海を包み込む。
ややあって、騒ぎ出したのはファナだった。
「嘘!コハクがやられるわけないわ!!だってコハクはリズの一番弟子だもんッ」
可哀想に彼女は半狂乱で、放っておいたら一人で乗り込んでいきかねない。
ゼクシィの子分達は、慌てて暴れる彼女を取り押さえた。
「嘘ではござらぬ!」
朗々とした声が叫び返す。
カスミの声だ。
彼女は気絶したコハクの襟首を高々と持ち上げて、ゼクシィ達にも見えるように掲げた。
「拙者の手刀を食らい、この有様よ!」
血の気が無く青ざめた顔で吊り下げられるコハクを見て、ファナの顔からも血の気が退く。
「いやぁ!死んじゃったの、まさか殺しちゃったのコハクをッ!?」
コハクを自分の元へ引き寄せると、抱きかかえるように持ち直してカスミは答えた。
「気絶しているだけだ。この者は拙者が頂くでござる」
「何だって!?」
パーミアとゼクシィ、そしてファナの声が一斉に重なる。
驚く味方と敵に対するカスミの態度は飄々としたもので。
「戦いには戦利品が必要でござろう?拙者、色々と楽しませてもらうでござる」
そう言って、気絶したコハクの頬をペロリと舐め上げた。
その様子にパーミアはドン引きしつつも、視線をゼクシィの船へと戻す。
「そ、そうかい。まぁ、戦いはコッチが勝ったんだ。あんたも文句言えないだろ?」
「待て!コハクは、コハクの意思はどうなる!?」
思わず食い下がるゼクシィに、今度は叱咤が飛んできた。
「こいつはバイキングの誇りをかけた戦いの代表だったんだろ!?なら、死ぬ覚悟も捕虜になる覚悟も出来ていたはずさ!それが負けたからって四の五の後から文句かい!?バイキングの誇りが聞いて呆れるよ!」
バイキングの誇りを引き合いにされてしまっては、ゼクシィも黙るしかない。
黙り込んでしまった親父の代わりに、今度はファナが噛みついた。
「だったら、殺して!いっそ殺してあげてよ!!コハクだって敵の慰み者になるくらいなら、きっと死を選ぶはずだわ!」
パーミアはファナの剣幕に、「おー、コワイ」と茶化すように肩を竦めた。
「そいつはアンタじゃなくて、こいつが起きた時に決める事さ」
冷たく突き放す。
「バイキングの誇りなら、生き恥を晒すよりも死を!でしょう、パーミアおばさん!」
「よせ、ファナ!」
なおも食い下がろうとするファナを止めたのは、傍らに立つゼクシィ。
「どうして止めるの、父さんッ」
親父にも激しい剣幕な娘を悲しげに見つめた後。ゼクシィは苦しげに呟いた。
「コハクはバイキングじゃない……タダの捕虜だ。捕虜に自らの生死を選ぶ権利など、ない。俺達が今まで捕らえた他国の奴らのようにな」


その頃、北に向けて海原を突き進む軍艦があった。
メイツラグにバイキング退治の援軍を要請され、承諾したレイザース国配下の一個小隊である。
「ったく。援軍要請だか何だか知らんが、何だっていきなり北国なんだ?あんな国、寒いだけで行く価値もないだろうが」
甲板をモップで磨いていたジェナックは、ぶつぶつと文句を言う。
ちょっと前まで海上警備隊で働いていた彼は今、ファーレンの海軍に所属していた。
ファーレンはレイザースに占拠され、配属国として生まれ変わったばかりの島国である。
その島国の海軍に所属するジェナックの階級は新兵。
だが、彼は階級を気にする男ではない。
海賊と戦えるなら、階級など何だっていいのだ。
あまりにも失礼な文句を聞き逃さなかった彼の上官が、間髪入れずツッコミを入れる。
「そうとは限らないんじゃないかな?メイツラグには鉱山がある。恩を売って鉱石を安く仕入れるルートを得るのが、今回の援軍承諾の目的だろうね」
赤毛の上官はジェナックよりも身長が低く、おまけに幼い顔つきながらも、ぶつぶつと文句を垂れるジェナックよりは大人びた思考の持ち主のようであった。
上官のもっともな意見に、だがジェナックは片眉をあげた。
「そうか?北の貧乏人が、我らが将軍様の思うがままに要求を呑むとは思えんがね」
上官に対して完全にタメグチをきいている。
あまりにも長い航海が、身につけたばかりの礼儀作法を彼から奪ってしまったのか。
いや、実はジェナックと、この上官。
海軍に入るよりも前から顔見知りである。
かつては同じスクールで肩を並べた同期生であり、それ以来の友達でもあった。
赤毛の青年は、名をカミュという。
ファーレン海軍の入隊試験を一発で合格した優等生だ。
ジェナックと同期で一発合格できた者は、カミュを除けばマリーナしかいない。
それほど難関の入隊試験を、ストレートで突破した彼が出世しないわけもない。
若くして、カミュは今や少尉の座にあった。
聞けば戦場で功績を得ているともいう。
ジェナックの想い出では、カミュは男の尻を追いかけるしか能のないナヨナヨ野郎だったのだが、思ってもみなかった相手の輝かしい出世に目を丸くしたのは言うまでもない。
だが偉くなったとしても、ジェナックにとってカミュはカミュ、友人の一人に過ぎない。
平気でタメグチする彼にカミュも最初の頃は怒っていたが、今はもう諦めているらしい。
タメで切り返してきたジェナックに半分は同意、半分は反論の意思を返す。
「もちろん、逆賊を追い返した程度じゃ恩を売ったことにはならないさ。最低でも僕達、半年はメイツラグに居着いて、『ついでに』国の汚物であるバイキングを一掃する代わり、物資援助も行わなきゃいけない」
「そこまで価値のあるモノなのか?メイツラグの鉱山ってのは」
首を傾げるジェナックに、カミュは重々しく頷いてやった。
「あぁ。メイツラグから軍力を奪い取れるかもしれないチャンスなんだ。鉱山がなくなれば、彼らは大砲を船に積むこともできなくなるからね」
カミュが雑兵に呼ばれて司令室へ戻った後、ジェナックは甲板磨きに専念した。
船の掃除は新兵の仕事だ。
雨ざらしの甲板を磨くことに、何の意味があるのかは置いといて。
「少尉と何を話していたの?」
不意に背後から声。
振り向けば、そこにいたのは同じく新兵のマリーナだ。
本来なら軍の入隊試験をストレートで突破し、一度は軍隊入りしたこともあるのだから、入り直した彼女には新兵の座から一気に昇格できる機会だって与えられていたはずだ。
だが彼女はそれを断って、新兵から、やり直すことを将軍に誓ったという。
見上げた奴だとジェナックに褒め称えられ、マリーナは複雑な笑顔で返した。
彼女の本意を、ジェナックが全然理解していなかったからである。
――マリーナは、ジェナックと一緒にいたいから昇格を蹴ったのだ。
「あぁ、メイツラグ援護について色々と」
モップを船の縁に立てかけて、一息入れる。
潮風が汗の浮いた額を気持ちよく撫でていく。
「北国は嫌い?」と尋ねるマリーナへは、素直に頷いてみせた。
「寒い国は嫌いだ。貧乏な国もな」
「ずいぶん失礼な事を言うのね、あなたらしいけど。それに、寒い国も良い面はあるのよ?」
縁に寄りかかるジェナックの隣へ立った彼女の顔を、ジェナックは真っ向から見据えた。
「良い面だと?寒くて貧乏な国にか?」
「えぇ」
マリーナは頷き、彼女も真っ向からジェナックを見る。
上から下まで素早く視線を動かすと、二度三度軽く頷いてから後を続けた。
「寒い国はね、ファッションに敏感なの。寒いから、服をたくさん着なきゃいけないでしょ?あなたはメイツラグで少し、お洒落のセンスを磨いた方がいいかもね」
「お洒落のセンス?服は、軍服があるから充分だ」
無頓着な返事に心底溜息をつくと、マリーナはじろっと彼を睨みつける。
「毎日軍服を着てるわけにもいかないわ。それに国民達を警戒させない為にも、プライベートな時間は私服でいろって少尉も言ってたじゃない」
そうだったか?
注意事項など、右から左へ抜けていったから全然覚えていなかった。
やっぱりマリーナは頼りになる。
自分の記憶力の悪さは、うっちゃっておいて、ジェナックは妙な処で感心した。
「なら、プライベートな時間に頼む。俺に似合う服を捜してくれないか?」
「あなたの好みが――」
わからないわ。
そう続けようとするマリーナに、彼はこうも言った。
「休みの時間も一緒に行動しよう。店選びは、お前に任せた」
彼にしてみれば何気ない一言でも、思わず胸ときめかずにはいられないマリーナであった。
彼女にとってジェナックは、海賊退治以上に重要なウェイトを占めている相手なのだから……

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