御堂順の探偵事務所

みどうじゅんの たんていじむしょ

第一話 探偵事務所

デキる奴とデキない奴ってのは、どんな世の中にもいるもんで。
デキる奴は大きな会社に入ってグングン伸びていきやがる。
けど、大抵はデキない奴ってのに分類されて、そこそこの会社で、まァ、平凡な人生を送るシステムってわけさ。
新宿にある御堂探偵事務所ってのも、そこそこに分類される小さな会社だ。
会社と一応呼んでみたが、それほどしっかりしたシステムで管理されているわけじゃない。
よくある有限会社の一つで、言ってみれば、御堂順って男の作った一人会社だった。
ほんの、数年前までは。


ヨドバシカメラの密集地帯を駆け抜けて、甲高い声が響き渡る。
「こらーっ!ちょこまか逃げんじゃないわよ、もうッ」
立ち止まった瞬間になびくのは、紺のプリッツスカート。
何処かの高校の制服だ。
息を切らして立ち止まったのも一瞬で、すぐさま少女の目が前方で動く何者かを捕らえる。
「見つけた!逃がさないんだからねッ」
一気に集まる注目の視線も何のその、買い物客でごった返す道を「ハイ、ごめん!」だの「ちょっと失礼!」だのと声をかけては、器用に擦り抜けてゆく。
一方、逃げる方も然るもので、同じく人混みを苦ともせず俊敏な足取りで塀の上に飛び乗ったかと思うと、そこから一気に猛ダッシュ。
「あ!ちょ、ちょっとまって、そっち入っちゃ駄目ェ!」
少女の叫びに耳を貸すことなく小さな影は、飲み屋の裏手にある細い小道を爆走していってしまった……

東京都新宿区の一角に立つ雑居ビルに、御堂探偵事務所は入っていた。
「判りました。んじゃ、所長にお伝えしておきやす」
低い、どこか感情を抑えた様子の声で男が電話に応え、受話器を置くと、窓際の席で、さっきからずっと鼻毛を抜いているオッサンへ振り向いた。
「成実の姐さんが、追跡に失敗したそうです」
対して返ってきたのは「あ〜?」という語尾上がりの声で、やれやれといった風に首をふりふり、オッサンが立ち上がる。
「ったく、成実のヤロウ、何やってんだか……あたしが必ず捕まえる!なんつっといてよォ」
この男、名を御堂順。
当探偵事務所の所長である。
顎を覆い尽くす無精髭といい、年中着ているんじゃないかと思わしきヨレヨレのコートといい、どこからどう見ても所長の風格なんてものは、一つも見あたらない。
それでも彼がこの事務所のリーダーであり、代表取締役であった。
電話番をしていたのは一応、表向きには事務員ってことになっている、立場とば竜二。
すらりと背が高く痩せ気味で、頬が痩けていて少々怖い。
目は野生の光を宿しており、ちょっと見た感じだと、気質の者とは言い難い風貌である。
探偵よりはヤクザのチンピラとでも言ったほうが、彼には、お似合いだろう。
「どうしやす、光一兄さんにお伝えしておきますか?今日の追跡は終了、と」
諦めの早い竜二に、御堂が唾を飛ばす。
「あぁ?誰が終わらすっつったんだよ。まだだ、一日かけて追跡すんぞ」
「そんじゃ、俺も出ます」と机の側に投げ出してあったジャケットに竜二が手をかけるも、その手を御堂は上から押さえ込み、ニヤリと口端を曲げた。
「お前は電話番だ。追跡は俺と光一で、やる」
意表を突かれた表情で、竜二が御堂を見上げる。
「親分さんが自ら出るんですかい?」
「俺が出ちゃ〜、何か不都合でもあんのかよ」
「いえ、そうじゃァねェんですが……所長より俺のほうが、追いつく確率は高ェと思いやすがね」
だが、竜二の言葉を御堂は最後まで聞いていない。
さっさと戸口へ歩いていき、乱暴に扉を開くと、振り向きがてらに伝言を残して出ていった。
「いいか、テメェは迂闊に外をウロウロすんじゃねェ。誰が来ても、居留守で通せよ!」
こちらの言い分など何一つ聞いてくれない所長の言い分に、竜二は、ふぅっと大きく溜息をつくと、自分の席に腰掛け直す。
おもむろにポケットから携帯電話を取り出し、成実の番号を呼び出した。
「……あ、成実の姐さん?俺です、立場です。所長が出ましたんで、代わりに戻ってきてもらえますかね?」


成実が目標を見失った地点より数メートルほど戻った先に、ロッテリアがある。
妻賀光一は数時間、珈琲とバーガーのみで粘っていた。
向かい合わせに、ちょこんと座っているのは小学生の男の子。
床まで届かない足をブランブランさせて、すっかり飲み尽くしたジュースの氷をストローで突いている。
「……ねぇ」
本日何度目かの「ねぇ」を、少年が発する。
そのたびに「ちょぉっと待った!」とストップをかけ、光一は忙しなく携帯の画面へ目をやった。
待っているのである。
成実か立場、或いは御堂所長が少年の捜し物を見つけて、連絡してくるのを。
不意に、手元の携帯が軽快に鳴り出した。
「はい、俺だけど。あ、所長?えぇ、いますよ一緒にね」
電話に出た光一は、ちらっと少年を横目で見やり、思わず溜息も一緒に漏れた。
所長に命じられて、ずっと少年の相手をしていたのだ。
子供は嫌いではないが、男の子となると話は別だ。
女の子ならともかく、男をナンパする趣味など光一にはない。
「ねぇ、あのオッサン、なんて言ってんの?」
少年が身を乗り出して聞いてくるのを片手で制しながら、光一は電話に耳を傾ける。
「えぇ、あぁ、そうっすかぁ。やっぱ成実じゃ無理でしたか……え?成実をコッチへ?」
片手で電話を押さえ、少年を振り返った。
「成実を覚えてるか?お前を事務所に案内してくれた、お姉ちゃん。あいつが、こっちに来るってさ」
「それはどうでもいいけどー。見つかったの?見つかんないの?」
少し焦れた様子で少年が尋ね返してくる。
それに答えたのは光一ではなく、ガーッと自動ドアを開けて入ってきた人物であった。
「見つかったんなら、目的のものを持って直接来ると思いますよ。所長サンがね」
「竜二!」
叫んだ光一の声が届いたのか。
電話の向こうからも御堂の怒鳴り声がした。
『何ィ、竜二だァ!?なんで竜二がソッチ行ってんだよ!』
「竜二、お前、外に出てきちゃ駄目なんじゃねーの?」
光一の質問を遮り、竜二が少年の真向かいに腰掛ける。
ほぼ同時に少年が立ち上がり、椅子を盾に、脅えた悲鳴をはりあげた。
「何こいつ!ヤクザ?ヤクザなのっ!?」
まぁ、そう言いたくなる気持ちも判らないではない。目つき悪いし。
「俺ァ、ヤクザじゃありませんよ。依頼主サン」
少年を睨みつけ、ぼそりと呟くと、竜二は光一の飲み終えた珈琲カップを手に取り、片手でくしゃりと握りつぶす。
おかげで少年は、ますます脅えた表情を浮かべて、椅子の背に隠れてしまう。
まったく。依頼主を脅えさせて、どうするんだか。
「せめて依頼人のお守りぐらいは、俺にやらせて下さいよ。光一の兄貴」
「あ、いや、でも、成実は?」
キョロキョロ見渡す光一だが、成実の姿を見つけることはできず、途方に暮れた。
「成実が来るんじゃなかったの?だよな、所長?」
思い出したように電話口で尋ねると、即座に不機嫌な答えが返ってきた。
『そうだよ!俺ァ成実の奴にガキのお守りをさせるつもりだったんだ。ったく、あのアマどこほっつき歩いてんだか……』
「成実の姐さんなら、俺が事務所に呼んどきました。電話番は必ず一人、必要でしょう?」
さらりと答える竜二にも、御堂が噛みついてくる。
『だから、なんでテメーが出歩いて成実が戻るんだよ。成実が迎えに行った方が早ェじゃねーか』
「いつまでも無駄飯ぐらいってのは、片身が狭いモンでね」
今のは御堂に言ったのか、それとも光一に言ったのか。
少年をまっすぐ見つめて言うと、竜二は改めて頭を下げた。
「挨拶が遅れやした。俺ァ、立場竜二といいます。御堂の親分サンとこに勤めてる、一応事務員ってやつでさァ」
とても気質とは思えない流儀の会釈で。
「じ、じ、事務員……?」
怯えに怯えまくった目を向けてくる小学生に、仕方なく光一も頷いてやる。
「まぁ、ね。色々事情があって転職したんだ。ウチの事務所に」
再びガーッと自動ドアが開いて、大股にヒゲオヤジが入ってくる。
一目見て、すぐ判るヨレヨレのコート。御堂所長だ。
御堂は迷うことなく一直線に光一のいる席に歩いてくると、ドッカと少年の隣へ腰掛けた。
「オゥ、竜二。テメェは、とっとと事務所へ帰れ」
来るなり第一声が、それか。
ガラの悪さに少年は萎縮しちゃうし、竜二は竜二でチラッと御堂を見た後、黙り込んでしまうしで、場の雰囲気を変えようと光一は明るく切り出した。
「成実が見失った地点を教えて下さい。所長と俺とで追っかければ、すぐ捕まりますよね!」
続けて、少年にも笑顔で頷いてみせる。
「長らく待たせたけど、本うち登場って事で無事解決できそうだよ、翔太君」
光一の一言で多少は緊張と怯えが取れたのか、少しだけ余裕を取り戻した少年が小さく応えた。
「そういう自信は、捕まえてから言ってよね」
「ハッ。こいつぁー、坊主に一本取られたな」
光一が苦笑し、御堂も苦笑を浮かべて立ち上がる。
くるりと踵を返し、去り際に一言。
「竜二。テメーの出番は、今回は、ねェ。坊主を連れて、事務所に戻んな」
「ちょ、ちょっちょっと待ってよ!俺、この人と一緒に行くの!?」
途端に泡くって立ち上がる翔太君の文句など右から左へ聞き流し、さっさと御堂は歩き出す。
光一は二人の顔を交互に見比べて、どっちに味方するのか迷った挙げ句、少年の肩をポンと軽く叩いて励ました。
「だ、大丈夫!竜二は見かけ、ちょっと怖いけど」
「すっげぇ怖いよ!!」
「うん、怖いけど、あれで中身は大人しいから。割と!」
「わ、割とって、どんぐらい!?」
「成実以上、所長以下ってトコ!」
「ワケわかんないよ!もっと判りやすく説明してっ」
翔太との言い合いは、所長の「オラ、とっととついてこい、光一!」の一言で無理矢理中断させられて、小学生と竜二を置き去りに、二人はファーストフード店を後にした。


成実が目標を見失ったのは、飲み屋街の路地裏だった。
細い小道が多く、成人男性では隙間に入るのが、やっとで、前に進むなんて出来たものではない。
「ヒャー!ここを抜けてったんですか。こりゃ先回りして探すっきゃないですね」
光一も一目見て、通り抜けられないと判断した。
それに恐らく、とっくにターゲットも小道を抜けて、別の場所へ移動しているはずだ。
「問題は、どの範囲までが奴のテリトリーかって処だが……」
携帯電話を弄くり、御堂が新宿マップを開く。
赤く光っているのが、今、二人のいる現在地点だ。
「いいか?今、俺達がいるのはココだ。敵が小道に入ったのは、恐らく飯タイムに突入したせいだ」
「どうして飯の時間だって言い切れるんですか?」
光一の質問に御堂が顔をあげる。
「そりゃあ、お前、こんだけイイ匂いがしてたらよ」と、顎で飲み屋の一軒を指し示す。
昼飯のタイムサービス開始時刻なのか、味噌汁と焼き魚の匂いが光一の鼻孔にも漂ってきた。
「奴だって、飯を食いたくなるってもんじゃねーか?」
「はぁ、まぁ、それじゃ飯タイムだとして、行動範囲は、どの辺まで広がりますかね」
「俺の予想だと、こうだ」
コートの内ポケットから赤マジックを取り出して何をするのかと思いきや、御堂は携帯電話の画面に直接、赤い丸をキュッキュと書き込んだ。
「ちょっ……!」
慌てる光一など目もくれず、所長は自分の推理を、ご披露する。
「大体、半径一メートル以内と見ていいだろ。よし、解散!」
「えっ、あ、解散って、ってかケータイに直接書くとか、アリエネェんだけど!」
ワタワタする光一をほったらかしに、御堂は颯爽と駆けていく。
少し遅れて、脳裏に地図を思い浮かべた光一も「しっかたねぇなぁ……それでいってみっか」とポツリ呟くと、御堂が向かった方向と、ちょうど挟み打ちになる地区を目指して走りだした。


……さて。
そろそろ、彼らが何を頼まれ、何を追いかけているのか説明した方がいいだろう。
日曜日の朝早く、成実に手を引かれて御堂探偵事務所に案内された依頼人の名前は滝沢翔太。
現役ぴっちぴち小学四年生の男の子だ。
日曜だから当然事務所は休みを決め込んでいたのだが、留守番として竜二が居た。
というよりも竜二の家がイコール事務所であり、そこしか住む場所がないわけで。
竜二の電話経由で御堂と光一も呼び出され、成実が責任を取る形で探しに出た――というわけだ。
翔太君の捜し物、それは、すなわち猫。
飼い猫のコロスケが、いなくなったから探して欲しいという依頼であった。
探偵事務所といったって年がら年中、物騒な依頼ばかりが舞い込んでくるわけではない。
大抵は浮気調査、ドブに落ちた小銭捜索、迷子の案内など、他愛もないものばかりで、むしろ事件らしい依頼に出会ったことなど一度もない。
勇んで飛び出ていったトップバッターの成実は、今、事務所でお茶を煎れている。
竜二に手を引かれて嫌々戻ってきた翔太も一緒に、お茶をすすっていた。
竜二はお茶を飲まず、窓際で逐一、外を眺めている。
何かあれば、鉄砲玉のように飛び出していくつもりだろう。
「窓なんか見てたって、何も起こりゃしないっての。大人しく電話連絡を待ちなさいって」
テーブルに置いた成実の携帯電話は、一向に鳴る気配がない。
成実に叱られ、竜二も仕方なく彼女の隣に座ると、翔太と一緒にお茶をすする。
「……俺なら、一時間で見つけられるんですがね」
まだ、未練がましく言っている。
「ハイハイ、新宿はあんたの縄張りなんでしょ?でもね、新宿に慣れてんのは、あんただけじゃないし。あたし達だって、新宿暮らしは長いの。少しは信用しなさいよね、ショチョーや光一のコト!」
そいつを成実はピシャリと一蹴し、ふと、下からの視線に気がついた。
「……なに?」
「おねーちゃんって、さ」
ぽつん、と翔太が呟く。
畏怖と尊敬の混ざった、複雑な視線を向けて。
「すげーんだ。ヤクザ相手にタメグチだし」
「えっ!?あ、トバっち?だってホラ、あたし達ってば今は仲間だし、別に尊敬する場面じゃないって!」
「成実の姐さん、とか呼ばれてるし。ホントは、すげーんでしょ?ヤクザ相手に、やっちゃえるんでしょ」
「だからァ、もっ、全然すごくないっての!!」
そんな二人の微笑ましい遣り取りを竜二は薄目で、そっと伺っている。
そして成実にも判らぬ程度に、小さな笑みを唇に浮かべたのであった。

「よっしゃあぁぁぁっ!見つけたぞぁぁぁぁっっ!!」
あちこちすえた匂いの漂う路地裏に、御堂所長の銅鑼声が響き渡る。
ここだと見当をつけた範囲に、とうとう目的のコロスケを見つけたのだ。
ちまちまゴミ箱の蓋を開けたり、猫の名前を呼ぶなどという作業を、彼は一切踏まなかった。
ひたすら野生の勘で突き進み、猫の居場所を突き止めたのである。
探偵と呼ぶのも、おこがましい探索だ。
叫ばれた瞬間、猫はヒャッと文字通り飛び上がり、一目散に逃げてゆく。
「まあぁぁてぇぇっ、にぃがすかぁぁぁっ!」
そいつを悪鬼羅刹の表情で追いかける御堂は、携帯電話を耳に押し当てて叫んだ。
「光一ッ、そっち行ったぞ!障害物は俺が片付けるッ」
『か、片付けるって、また無茶やるつもりじゃねぇでしょうね!?』
「うるせェ、ちまちまどかしてられっか!こーゆーのはな、一気にやった方が楽なんだ!!」
そりゃあ、確かにそうだけど。
走ってくる黒い影を目視で捉え、光一は覚悟を決める。
多分、あのヒゲは周囲の被害などお構いなしに、障害物を全て片付ける気満々だろう。
猫もろとも吹っ飛ばすことさえ、予想される。
「よーし!」
ピシャピシャと自分の頬を自分で叩き、光一は気合を入れると、まっすぐ走ってくる猫目がけて大声を張り上げた。
「カモーン、コロスケ!お前の命は、俺が必ず守ってやる!」
いや、叫ぶと同時に猫を目がけて走り出す。
男二人に挟み打ちされて一番ビックリしたのは当然、猫のコロスケで、急停止するも背後から勢いよく吹き荒れてきた風に吹き飛ばされるようにして、光一の胸へ飛び込んだ。
「ナァーイス、キャッチ!光一ィ〜」
上機嫌で近づいてくる御堂所長を、ジロッと睨みつけて、光一も言い返す。
「……ナイスキャッチじゃねーですよッ。さっさと退散しましょうや」
「おぅ、そうだな。猫は見つかったんだ、こんなトコに用はねェぜ」
大股で歩き出す御堂を追いかけ、光一は一度だけ振り返る。
そして、大きな溜息をついた。
御堂が走ってきた方向。
多くのゴミ箱やダンボール箱が積み重なっていたはずの路地裏は、何もかもが無造作に吹き飛ばされ、ゴミが道端に散乱して、来た時よりも酷い有様になっていた。
きっと明日、ここを掃除する人達には何が起きたのか判るまい。
「……俺、知〜らねっと」

見なかった。
何も見なかった。
そう心の中で念を押すと、猫を抱えた光一も逃げるように、その場を後にした。