御堂順の探偵事務所

みどうじゅんの たんていじむしょ

そのまま死ねてしまえれば、どんなに楽だっただろうね

世の中には、どう頑張ったって孤独から抜け出せない奴がいる。
そういう奴は、いつか孤独に耐えられなくなって大事件を起こすのさ。
いただろう?
包丁を振り回して、歩行者天国を走り回ったり、小学生に襲いかかった奴らが。
そして新聞づてに、そいつを知る者は、必ず、こう言うんだ。

「こんな事件を起こす奴の気なんて知れない」

けどな。
孤独に脅える恐怖ってのは、誰にだってあるんだぜ。
そうだ。あんたにも、俺にも。
友情なんてもんは、永遠じゃない。
あんただって、いつかは友達を失った時、あっち側へ転がり込むかもしれないんだ。
だから闇の誘いに乗った奴らをバカにすることは、できないんじゃないかな。


今が幸せだと思ったことは、一度もない。
俺は生まれてから、ずっと一人だった。
学校でも、職場でも。
いつも一人でいる俺を見かねてか、声をかけてくれる奴がいた。
でも、そいつは友人じゃない。
友達を持っていて、俺を哀れんで同情する人間だ。
奴らが、どんなに親しげに話しかけてきたとしても、これは友情じゃない。
奴らの同情心を満たす為だけの、奴らの自己満足だ。
最初は優越感に浸っていても、やがて奴らは飽きてしまうのか、俺に構わなくなってくる。
そこで俺は、「あぁ、またか」と思うのだ。
奴らの楽しい、友情遊びが終わったのか、と。
それが何度も繰り返されれば、嫌でも判ってくる。
俺が誰にも必要とされていない人間なんだということが。
早く終わってしまえばいい。
誰にも存在価値のない、俺の人生など。


押し殺した声で、警官に囁くスーツの男がいる。
「犯人は、なんと言ってきているのですか!?」
スーツの男だけではない。
傍らに立つ警官達にも、切迫した雰囲気があった。
閉めきられたスーパーの前には、いくつものパトカーが止まっている。
赤のランプが点灯し、警官の一人がメガホンのスイッチを入れた。
『君の要求は、のめない!大人しく人質を解放し、外に出てきなさい!!』
間髪入れず、店内からは大声が返ってくる。
「言われたとおりに呼んでこい!じゃなきゃ、店に火ィ放って、こいつごと死んでやるッ」
まだ若い男の声だ。
スーパーの中で人質を取って、たてこもっている最中らしい。
『君の言う、立場竜二とは何者だ!?』と、警官。
男が答える。
「東正林工業高校卒業の、立場竜二だ!!」
「どうしましょう」
スーツの男に尋ねられた警官が、声を潜めて囁いた。
「工業高校卒業というだけでは、すぐには見つけられません」
「まったくだ」
スーツの男――これは偶然現場に居合わせた刑事なのだが――も、首を捻る。
「だが、人質の命を最優先せねばならんだろう。おい、急いで高校まで行ってこい!卒業アルバムを見せてもらうんだ」
部下の一人に命じると、刑事はスーパーを振り返った。

午後四時。
夕飯の材料を求めてスーパーが込む時間帯に、事件は起きた。
スーパーに来ていた客の一人が、同じく客であった中年女性にナイフを突きつけ、店内に立て籠もったのである。
人質解放を望む警察に対し、男は、たった一言だけ要求してきた。
『立場竜二』なる人物を、ここへ連れてこい――と。

「全く、なんで立て籠もりなんだ。なんでスーパーなんだ」
刑事の呟きを、側にいた警官が受け返す。
「自暴自棄になっているんじゃないでしょうか?その、仕事や人間関係が上手くいかなくて」
不景気と共に、年々増加してきているタイプの事件がある。
リストラされた、他人と馴染めない、就職先が見つからない。
己の中でも、どうにも出来ない何かに流され、ヤケクソになって他人や弱い者に刃物を振るう。
そういった連中の一人ではないかと、この若い警官は言っているのであろう。
「だが、それならそれで、どうして人質なんだ?」
自暴自棄で事件を起こすなら、秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んだ若者のように誰彼構わずナイフで切りかかればいいだけの話だ。
人質を取るメリットが、判らない。
それに、彼が探してこいといった人物の存在も気にかかる。
会いたいなら、自分で探して会いに行けばいいじゃないか。
なんで、こんな事件を起こしてまで会いたがっているのか……
「十歳違えば宇宙人って言いますから」
眉間にしわ寄せ考え込む相手に、若い警官は気休めを言い。
「なんだ、その言い方。俺が若くないってのか」
刑事は、ますます眉間の皺を濃くしたのであった。


気怠い夕暮れ時、大西建設事務所に一本の電話がかかってくる。
「おい竜二」
受話器を高く掲げて、兄貴分の一人が言った。
「おめぇに電話だ、西新宿の警官からだとよ」
警官が直々に、竜二をご指名してきたらしい。
公には建設会社として存在している以上、警官からの電話を無下に扱うわけにもいかない。
余計な真似をすれば、無駄に疑いをかけられるだけだ。
痛くもない腹を探られるのは、大西建設としても本意ではない。
「お電話かわりました。立場です」と口調だけは慇懃に竜二が電話をかわってみると、なにやら電話口の向こうからは切迫した様子が伺えた。
『お仕事中、申し訳ありません。東正林工業高校を卒業なされた、立場竜二さん本人で間違いありませんか?』
「はい、その立場ですが……」
警官の意図が見えず、竜二は困惑する。
高校を出たのは、もう十年も前だ。
今更、あの学校と竜二を繋ぐものがあるというのか?
『実は今……』と警官が話すところによれば、事務所の近く、ごく近所のスーパーで立て籠もり事件が発生した。
犯人は人質を取り、店内に籠城中。
人質を解放する条件として、立場竜二の招集を望んだという。
『犯人に、お心当たりはありませんか?』と聞かれても、竜二は迷わず首を真横に振るしかない。
「いえ」
そりゃあヤクザなんてもんをやっていりゃ、恨みは幾つも買うだろう。
しかし竜二の場合は特別で、ヤクザになってからは一度も屋敷を出たことがない。
一匹狼で暴れ回っていた頃の相手とも考えられるが、それにしたって出身校を出してきたのは何故だろう?
竜二が、あの高校を卒業しているのは、大西さえも知らない情報である。
大体竜二個人に恨みがあるなら、自分で調べて会いに来ればいい。
刑事と同じ事を竜二も考えた。
ひとまず現場に同行してくれと警官が頼むので、仕方なく大西に外出許可をもらい、竜二は事務所を出た。
事務所のある商店街の通りを真っ直ぐ歩くと、やがて広い通りに出る。
問題のスーパーは道の突き当たりにあった。
そこへ行き着くまでには何台ものパトカーを目にしたので、大体の状況は把握できた。
メガホンを持った警官が、為す術もなくスーパーを見つめている。
見つめているのは彼だけじゃない。
大勢の警官が、スーパーを睨みつけていた。
機動隊が突入していないのは、人質の安全を最優先しているせいだ。
民間人を守る建前のある警察を相手にとって、人質ほど効果絶大な盾はない。
「立場さんですか!」
スーツ姿の刑事が駆け寄ってくる。
頷く竜二を促しながら、お仕事中に申し訳ないだのと社交辞令程度に謝った後、すぐに刑事は部下へ命じる。
「立場さんが到着なさったぞ。いつでも動けるよう、裏口突入を固めておけ!」
人質解放と同時に取り押さえようという魂胆だ。
しかし犯人に話しかけた直後、警官達の目論見は早くも敗れ去る事となる。
なんと立て籠もり犯は、竜二がスーパーへ入らないと人質を解放しないと言ってきたのだ。
「ど、どうしましょう」
狼狽える警官へ、竜二が申し立てる。
「俺が説得してきます」
「何を言っているんですか、あなたに危険な真似はさせられませんよ!」
すぐさま警官は反発し、刑事もウーンと唸りながら反対する。
「民間の方の、ご協力はありがたいのですが……相手は刃物を持っています、危険です」
刃物なんぞ怖がっていたら、ヤクザなんてやっていられない。
とはいえ大西建設で勤務時間中の今は一応、一般人扱いなのだし、警官達が心配する気持ちも判るというもの。
仕方なく、竜二は先の一言に付け加えた。
「でも、このままじゃ人質は解放されません。それに相手は俺に用があるんだから、きっと危害を加えませんよ」
「いや、あなたを呼び出して殺すつもりだったのかもしれないじゃないですか」
刑事も、なかなか引き下がらない。
膠着状態で刑事と竜二が睨み合っていると、不意にスーパーの方向から悲鳴が聞こえてきた。
「いっ、いかん!奴め、人質に危害をッ」
焦る刑事の肩越しに竜二は再三申し出て。
「ほら、やっぱり俺が行かなきゃ」
さらには戸口の向こうで犯人が「さっさと竜二を来させろ!人質が、死んでもいいのか!?」等と急かしてきたとあっては、警官は渋々頷く他なく、竜二はスーパーへの来店を許された。

一緒に来た警官は途中で足止めを命じられ、竜二は一人でスーパーに入り込む。
冷房の切れた店内は、むわぁっと暑く、薄暗い。
店の中央で人影を見つけた。
立て籠もり犯人と人質で間違いあるまい。
犯人は、まだ若い男だ。
竜二と同じか、二、三、若く見える。
初老の中年女性を羽交い締めにし、首筋へナイフを突きつけている。
どちらも、見覚えのない顔だ。
そう思っていたら、立て籠もり犯が話しかけてきた。
「立場竜二、だな!?」
「あぁ」
「……俺を、覚えているか」
「いや?」
しばらく沈黙が開いた。
嘘でも覚えていると言うべきだったかなと思いかけた竜二に、男が名乗りをあげた。
「そうか、お前でも知らないか……そうだよな、お前が知るわけないか。俺は塚内 幸平。お前と同じ、正林工の卒業生だよ」
「卒業生……」
卒業アルバムを思い浮かべようとして、竜二は断念する。
あれは卒業と同時に燃やしたんだっけ。
写真を手元に置くのさえ、苦痛だったから。
高校に良い思い出なんか一つもない。
友達は一人もおらず、竜二はいつも独りぼっちだった。
たぶん、クラスでも浮いた存在だったのだろう。
クラスメートは彼を遠巻きに眺め、同情してくれる人も慰めてくれる人もいなかった。
何故、自分が浮いていたのか判らない。
竜二は竜二なりに、クラスの皆へ歩み寄ろうとしていた。
けれど努力はいつも裏切られ、いつしか彼のほうでもクラスの皆とは距離を置くようになっていった。
「同じクラスか?」
「あぁ。……けど、やっぱり覚えていないんだな?」
「お前は、よく覚えていたな?俺の事を」
竜二の問いに、塚内が眉をつり上げる。
「お前を忘れる奴なんて、いるかよ。お前は孤立していたけど、クラスじゃ一番目立ってたからな」
在学時代、何故か竜二は先輩に暴力で絡まれることが多く、それを全て暴力で打ち払ってきた。
おかげで同級生は勿論、教師にまで不良のレッテルを貼られてしまったのだ。
悪いのは、全て絡んできた先輩諸氏なのに。
塚内も、クラスの皆が噂していた竜二像を信じたクチか。
大勢のうちの、その一人として。
「友達なんか、いなかったんだろ。お前も」
塚内が尋ねてくるので、竜二は頷いた。
「あぁ」
頷いてから、お前もという言葉に引っかかり、彼は訊き返した。
「お前も、いなかったのか?友達」
「そうだ」と、塚内。
いつの間にか、人質は解放されていた。
ナイフを当てられているわけでも、羽交い締めにされているでもないのに、何故か女性は逃げ出さない。
脅えた目つきで立ちすくみ、塚内と竜二の双方を見つめている。
ばかやろう。
口には出さず、竜二は彼女を罵った。
見物してねぇで、さっさと逃げてくれれば、警察も動きやすいってのに。
不意に「行けよ」と、塚内が言った。
「……え……?」
ポカンとする女性に再度、今度は強めに「さっさと逃げろよ」と塚内が促す。
竜二も彼に習って人質を促した。
「あんたの役目は、ここで終わりだとよ。早く出ていくんだ、戸口は開いてる」
「あ……あっ……!」
喉の奥で引きつった悲鳴をあげ、女性が一気に走り出した。
脇目もふらずに表へ飛び出していく背中を見送りながら、竜二が尋ねる。
「いいのか?人質を解放しちまって」
「いいんだ」
塚内は肩をすくめた。
「どうせ、あのオバハンを、どうにかするつもりなんか、なかったんだ」
なら何故、彼女を人質に取ったのだろう。
そして何故、自分を呼び出した?
疑問に思う竜二へ、なおも塚内が話しかけてくる。
「なぁ、立場。自分の存在価値について考えたことって、あるか?」
いきなりの哲学に竜二がキョトンとしていると、塚内は焦れたように己の胸の内を吐き出した。
「俺、学生ん時に考えたんだ。このままずっと、俺は一人で生きていかなきゃいけないのかって。ずっと他人に哀れみの目を向けられて、同情で仲良くなったフリをされて、無理矢理輪の中に入れてもらって。でも友達ではなく、グループの中の一人として適当に扱われて、いつの間にか輪から外れた存在にされて……」
「友達が、欲しいのか?」
要約した竜二の問いに、塚内が癇癪を起こす。
「違う!そうじゃないッ」
かと思えば、手にしたナイフを出したり仕舞ったりしながら話を続けた。
「さっきの質問に答えてくれよ。お前は、自分の存在価値について考えた事があるのか?」
「存在価値って、なんなんだ?」
質問に質問で返す竜二に、僅かながら塚内が苦笑する。
「言葉の通り、存在する価値だよ。お前には、お前の価値を認めてくれる人間が側に、いるのか?」
少し考え、竜二は答えた。
「……いる」
「そうか」
先ほどよりも、格段気落ちした様子で塚内が肩を落とす。
「お前は、一人じゃなかったんだな」
その様子に、何故彼が自分を呼んだのか、竜二には薄々読めてきた。
たぶん、彼は自分と同類の仲間が欲しかったのだ。
自分と同じで友達がおらず、存在の薄い、独りぼっちの奴が。
自暴自棄になって立て籠もった時にか、それとも最初から、それに会うのが目的だったのかは判らない。
とにかくスーパーに立て籠もった塚内は、独りぼっち仲間として真っ先に竜二を思い浮かべたのだ。
東正林工業高校で同級生と仲良くできず、完全に孤立していた竜二なら、自分と同じ存在価値のない奴だと信じて。
「その人は、優しいのか?」
俯いた塚内が尋ねてくる。
何と答えるか迷ったが、竜二は結局、正直に頷いた。
「あぁ」
「お前を、友達だと思ってくれているのか?」
「友達……じゃァねェかもしれねェが、俺を息子みたいに可愛がってくれているよ」
「そう、か……」
店内に静寂が訪れる。
塚内の手が、ナイフを握った手が、だらりと垂れ下がった。
彼が泣き出してしまうのではと心配して、竜二は慰めようと一歩近づいたのだが……
そんな心配は、全くの杞憂だった。
否、杞憂どころか見当違いだった。
「……ですら……」
口の中で、小さく塚内が呟く。
「えっ?」
聞き取ろうと、さらに一歩近づいた時――
目の前でキラリと光るモノが一閃し、竜二は咄嗟に身を屈めた!
「お前ですらァァッッ!」
「なっ、何しやがるッ!?」
慌てて体勢を立て直す竜二だが、塚内は彼の事など見ちゃいなかった。
「お前ですら!存在価値を認めてくれる相手がいるのにッ!!俺は、俺は誰にも認められないまま、死んでいくしかねーのかッ!?」
涙を流し、視線は竜二の頭越しに遠くを見つめたまま、血を吐く勢いで叫び続ける。
「誰にも認められない人生なんて、もう、嫌だッ!!」
「お、落ち着け……!」
再び、ヒュンッと頭上をナイフが掠め、竜二は無様に床を転がる。
ナイフなんざ怖くない。だが、今の塚内は正気じゃない。
こちらを見ていないのに、ナイフは的確に竜二を狙ってくるのだ。別の意味で怖い。
「認めてほしいなら、認めてくれる相手を探せよ!」
防戦一方になりながらも竜二が言い返せば、塚内も負けじと言い返してくる。
「探したよ!探したけど、俺はいつも輪の中で浮いていた!!学校でも、会社でも!なぁッ、どうすりゃ他人から認められるようになるんだ!俺みたいに、どん底で実力もねぇクズが、どうやったら他人から必要だって認められるんだよォ!!」
「おっ、俺だってクズだ!それも、社会の中で一番最低なクズだッ」
振り回されるナイフを紙一重で避けると、竜二は塚内の腕を捕まえる。
振り切ろうと暴れる彼の眼を覗き込みながら、竜二は言った。
「俺ァ建設会社の社員なんかじゃない、ヤクザだ。お前ら一般人が一番嫌う、ヤクザになったんだ!」
「お、お前が?ヤクザだって?」
竜二の告白には虚を突かれたものの、すぐに塚内は憎悪の眼差しを向けてくる。
「ヤクザのお前でも認めてもらえるってのに、俺は一生工場のネジで終わるのか!?」
なるほど、塚内は今、工場で働いているのか。
きっと工場でも孤立して、同僚と上手くつきあえず悩んでいたに違いない。
「塚内、ヤケになるなッ。生きていれば、きっと、そのうち出会いがある!お前を認めてくれる相手との出会いが!」
そうだ。俺だってヤクザになったばかりの頃は、自暴自棄になっていた。
でも大西さんとの出会いがあったから、救われたんだ。
塚内は一般人なのだし、竜二よりも、ずっと出会いの機会に恵まれているはずだ。
そう思っての竜二の訴えは、塚内の叫びによって掻き消された。
「綺麗事は、もう沢山だッ!」
勢いよく腕を払われ、たたらを踏んだ竜二の目に映ったのは、ナイフを構えて中腰になった塚内の姿。
「もう、全部終わりにしたいんだ。つらいだけの人生なんて、もう……もう、これ以上生きていたくない……っ」
ぽろぽろ、と塚内の頬を涙がつたう。
「終わりにさせて、くれよ。お前の手で……」
塚内が走り出す。
「――やめろッ!」
竜二が制しても、塚内の足は止まらない。
赤く、泣きはらした眼で突っ込んでくる。
どうする、止めるか、それとも彼の思うように全てを終わらせてやるのか。
だが、俺に、そんな権利があるだろうか――?

銃声が一発鳴り響き、ナイフを落とした塚内が一瞬にして男達に取り囲まれる。

呆気に取られて見守る竜二の前で塚内の両手に手錠がかけられ、彼は現行犯逮捕で連行されていった。
去り際、彼の残した呟きが竜二の耳に、いつまでも残った。
「殺してくれよ」「裁判で死刑にしてくれよ」……と。
「竜二!」
耳元で名前を呼ばれ、竜二は我に返る。
振り仰ぐと、大西の顔があった。
「大西さん」
「大丈夫だったか?竜二っ」
「えぇ、まぁ……機動隊が突入したんですね」
竜二が尋ねると、大西は、さも不服そうに頬を膨らませた。
「あぁ、人質が解放されたってんで、突入しやがったんだ。まだ、お前がいるってーのにな」
竜二が苦笑する。
「俺は、そう簡単に死にませんよ」
「そうは言っても、おめぇ、ナイフだぜ?内臓をえぐられりゃ〜、どんな人間でも死ぬんだぞ」
「死にませんよ」
竜二は繰り返した。
「たとえ刺されたとしても、俺を大事に想ってくれる人がいる場所まで、這ってでも戻ります」
僅かに浮かべた微笑みに、大西は一瞬言葉をなくした後。
「……ばか」
照れたように呟いて、竜二の頭を撫でてきた。
「ねぇ、大西さん」
撫でられるがままに竜二が尋ねてくるので、大西も笑顔で頷く。
「なんだ?」
「大西さんは誰かに自分が必要とされているか……自分に存在する価値があるのか否かを、考えたことがありますか?」
「さぁなぁ」と、大西は顎に手をやり考える仕草を見せてから答えた。
「なにしろ俺ァ、生まれてこのかた、一度も独りぼっちになったことがねぇんでな。自分に価値があるかなんて、考える暇もなかったさ」
長らくボッチ人生の塚内や竜二と異なり、大西は仲間や友達に恵まれていたようだ。
それでも竜二の心に嫉妬は沸かず、代わりに沸いたのは大西に対する安堵であった。
狂気は誰の心にも、ある。
だが孤独という狂気から救ってくれる人が、一人でもいれば――
けして塚内のようには、狂ったりしないはずだ。
大西がいてくれて、よかった。
彼のおかげで、彼が孤独から救い出してくれたから、竜二は狂気の淵へ飲み込まれずに済んだのだ。
「大西さん」
「ん、なんだ?」
警察が走り回る中、のんびり戸口へ向かいながら竜二は囁いた。
「俺も、大西さんを大切に思っていますからね」
「あ、あったりめーだろうが。俺ァ、おめぇの親分だぞ?」
スーツ姿の刑事が待ち構える場所まで、ゆっくり歩いていく。
その時間が、もっと長く続けばいいのにと竜二は思った。


End