運命は残酷だ

あの後――
というのは、異世界から現われた謎の四人組が悪魔を追い返して一件落着した後なのだが。
あの後、斬率いるハンターギルド『HAND x HAND GLORY's』を訪ねてきた者がいた。
「おばさん!」「おばさま!?」「おふくろォ?」
ギルドの無駄飯食らい、ジロ・スージ・エルニーの三人組が驚くのも無理はない。
来訪者はジロの母親、アリシア=クレイマーであった。
アリシアはクレイダムクレイゾンに住んでおり、ジロ達が厄介になっているクラウツハーケンへ来るなど滅多にない。
いや、ジロがダンにつれられて家を出た時も、ギルドの方へ顔を出したりはしなかった。
三人組で一番の耳年増、スージは幼い頃に近所の噂で聞いている。
なんでもジロの父親ダンは、その昔、弟と二人でアリシアを取り合っていたんだとか。
結果的にアリシアはダンと結婚し、一子を設けた。
だが、この結婚は彼女の望むものではなかったというのが、当時の住民達の判断であった。
ダンの弟といえば、スージは一人しか思い当たらない。
ジロの叔父という肩書きで紹介された、このギルドのマスター・斬だ。
斬、というのは本名ではないらしい。本人が最初の自己紹介で、そう言っていた。
「おふくろ、ギルドに何の用だよ?叔父さんならいないぞ、それとも用事があんのは俺?」
読んでいた本を放り投げ、ジロが母親に近づくと。アリシアは息子を無視して、建物に上がり込んできた。
「何時ぐらいに、お戻りになられるの?」
「え、えっと」
スージがどもる横で、エルニーはカレンダーをめくりあげた。
「三日後ですわね。マスターは今、首都のほうへ出かけておりますのよ。なんでも例の事件の後始末と、秘宝について詳しく事情を聞きたいと、騎士団からの要請がありまして」
例の悪魔襲撃事件にて、悪魔を追い返す手段となった伝説の武器アルテルマ。
ネイトレット家の秘宝でもあり、何故そのようなものが民間人の家に保管されているのだ、と大騒ぎになった。
そこで事情をよく知っていると思われる斬に白羽の矢が立てられ、首都に呼び出されたという次第だ。
「そう……では、しばらく此方で待たせていただきますわね」と、アリシアはニッコリ。
「けど、親父は?」
落ち着かないのはジロで、それとなく尋ねるも、母には一蹴された。
「あの飲んだくれなら、一日二日ほっといても死にはしないわよ」
聞きしにまさる夫婦仲。ダンとアリシアの関係が冷め切っているのは、近所中の評判だった。
それでも二人が離婚しないのは、ジロがいるからだ。
ジロの稼ぎをアテにしているダンが、ジロの親権を手放さないのだ。
いくらダンが憎くても、ジロがダンの血を引いていても、ジロはアリシアにとっても大切な息子である。
お腹を痛めて産んだ子供を、飲んだくれなんかにくれてやる義理はない。
そうしたわけで冷戦状態のクレイマー夫婦は、未だ故郷のクレイダムクレイゾンで同居しているのであった。


斬が首都から戻るまで、ジロは毎日、針のむしろに座らされた気分で過ごした。
だから、やっとマスターが帰ってきた時には、うっかり涙目でしがみついてしまったものだ。
「マスター、お帰りなさい!」と、まずはスージの甲高い声を受けて、ぞんざいに斬が頷くと。
続いてジロが飛び出してきて、なんと、抱きついて来るではないか。
「おじさぁぁん、もうっ、帰ってくんの遅すぎですよぉぉぉ〜!俺、もう毎日冷や汗と嫌な汗で過ごしちゃったじゃねーすか!」
「遅すぎると言われてもだな……予定通りの日程で戻ってきたはずだぞ?」
普段は『おかえり』の一言も言わないくせして、この懐きようは、どうだろう。
たかが三日留守にしていたぐらいで、寂しくなっちゃったんだろうか。何事も無関心な、ジロにしては珍しい。
だが、すぐに斬は、ジロの豹変の原因が何であるかを悟った。
「あらあら、ジロ。二十歳を過ぎた甘えん坊は見苦しいだけよ」
きっつい毒舌と共に姿を現わしたのはアリシア=クレイマー、ジロの母親だ。
なるほど、母親が遊びに来ていたのでは、ジロも気の休まるところがなかったに違いない。
なにしろダンの生き写しかと思えるほどジロがダンに似ているのでは、母親がピリピリしても仕方がない。
「ジロ、ギルドマスターにお話があります。私が話をしている間、お友達と一緒に遊んでいらっしゃい」
「は、はいッッ」
これも普段は真面目な返事など一度もしたことのないジロが裏声で敬礼すると、スージとエルニーの二人を引っ立てる。
「お、おい、そういうわけだから外に行ってこようぜ!」
「わ、判りましたわ」
エルニーも慌てて立ち上がり、「う、うん」とスージは生唾を飲み込んだ。
若者三人が慌ただしく外へ飛び出すのを見送ってから、斬は来訪者へ視線を戻す。
「それで……アリシア殿、今日は何の用でいらしたのだ?」
「嫌だわ、アリシア殿だなんて」
屈託無く微笑むと、アリシアは斬の手を取った。
「昔みたいに呼んでちょうだい、アリシアって」
その手を軽く振り払うと、斬は踵を返す。
「……茶を煎れよう。そこの椅子へ腰掛けてくれ」
「えぇ。久しぶりに、あなたのお茶を頂きたいわ」
振り払われてアリシアが気を悪くした様子もなく、彼女は言われたとおりにソファへ腰掛けた。

紅茶を飲んで、一息入れたアリシアが発した第一声は。
斬の予想していた家宝の件でもなければ、ジロの様子についての件でも全くなくて。
「認知して頂きたいんですの」であった。
「認知とは、何の?」
言われた意味が判らず首を傾げる斬へ、アリシアが頷く。
「えぇ。ジロ=クレイマーが、あなたの息子であると認知して頂きたいのですわ」
次の返事には、長い間が開いた。
「……えっ?しかし、ジロは兄者の息子であると医者の診断で判明したんじゃなかったのか?」
唖然とする斬へ、重ねてアリシアが言い含めようとしてくる。
「えぇ。でも、それはダンが強引に認めたのと、ジロがあまりにもダンに似ていたからというだけの話。実際に遺伝子を調べたわけではないのよ」
「そうだろう、そうだろうとも。遺伝子など調べずとも、あれは兄者の息子だ。若い頃の兄者に生き写しじゃないか」
何度もウンウンと頷く斬、の両手を勢いよく握りしめるとアリシアは鼻息も荒く息巻いた。
「ダンに似ているってことは、あなたの遺伝子を含む可能性だってあるんじゃなくて?」
「それは、まぁ……」
詰め寄られて、斬は言葉を濁す。
ダンと斬は血の繋がった兄弟だ。兄弟ならば、似たような遺伝子を持っているであろう。
だからといってジロが斬の息子か否かと問われると、恐らくは十人中十人全員が「違う」と答えそうではある。
何しろ、ジロと斬は全く似ていない。
血筋の上では叔父と甥っ子の関係なはずだが、頭の天辺からつま先まで一通り見比べても似ている場所を探す方が難しい。
斬が年齢不詳の男前であるのに比べジロときたら、いつだって冷凍マグロみたいに、どんよりとした目の冴えない風貌だった。
「でも」と、アリシアは食い下がる。
「あなた達はジロがダンに似ていると公言してはばからないけど、よく考えてみて?あの子は、私にも似ていないのよ!?」
「だが、ジロは間違いなく君が産んだ子供じゃないのか?」
お産の現場を見たわけじゃないが、ジロが生まれた後にアリシアはダンと結婚した。
子供ができちゃったのを隠す為の結婚と見るのが、普通だろう。
「えぇ、そうよ。でも、あの子は私に全く似ていなかった!」
アリシアは、だんだんヒステリックになってきている。
故郷で誰かに陰口でも叩かれたのか?
しかし、ジロはもう二十一歳。
今更誰に何を言われたところで、どうということもなさそうに思えるのだが……
「アリシア、落ち着け。取り乱すなんて、君らしくもない」
ついつい昔の調子で肩を抱いてやったら、腕の中に彼女が飛び込んでくる。
柔らかな髪の毛が、斬の頬をくすぐった。
ほのかに香る香水。十七の時分、まだ少女だった彼女が好きでつけていた、あの匂いだ。
今は兄のものだが、昔は自分の女だったのだ――
脳裏に浮かんだ、そんな言葉を、斬は頭を振って追い出した。
昔がどうであれ、今はダンの嫁でありジロの母でもある。甥の家庭を乱してはならない。
「私、私……どうして、こうなっちゃったのかしら」
グスン、と鼻を啜ってアリシアが呟く。
「本当なら私の側には、ずっとあなたがいて……一緒に冒険者になって、ハンターにもなって、ギルドを二人で経営していたはずなのに、ね」
言葉につまり、斬は腕の中を見下ろした。
あの時、芋虫退治なんぞに出向かなければ、斬がクレイダムクレイゾンを出ることもなかった。
ギルドを構えることもなく、アリシアと二人、ネイトレットの次期当主として迎え入れられるはずだった……
彼女には聞こえぬよう小さく唾を飲み込むと、斬はアリシアの耳元で囁いた。
「全ては、過去の話だ。君は思い出話をしに、わざわざ此処まで出向いたのか?」
「違うわ!」
ぎゅっと斬の服に掴みかかり、彼女が言う。
「やり直しましょう、ギィ!何もかも、最初から!」
アリシアは涙ぐんでいる。
やっぱり、彼女と接触するべきではなかったのだ。
いくら世界の命運がかかっているとはいえ、アルテルマを借りだしたのは斬の落ち度だ。
斬経由の頼みであるとスージ達が伝えた事により、アリシアの中に眠る思い出を引きずり出してしまった。
「……俺はギィではない。斬だ」
苦し紛れに今の名をくちにすると、アリシアにはキッと睨まれた。
「ジロには叔父だと名乗っているのでしょう?なら、あなたはギィだわ。ダンの弟はギィしかいないもの」
「兄者が俺を叔父だとジロに教えてしまった以上、叔父ではないと言うわけにもいかないだろう?ただ、君の知るギィは、もう何処にもいない。此処にいるのはギルドを率いる斬という、一介のハンターだ」
斬は早口に言い立てると、アリシアの手を振り払う。

やりなおしましょう。

彼女に言われた瞬間、心が揺らいでしまったことは認めよう。
やりなおせるものなら、斬とてやり直したい。
最初から、もう一度、一番最初まで戻って、つきあい始めた最初の日まで。
「どうしても、ダメなの……?ダンと別れても私と再婚しては、くれないのね」
背中越しに啜り泣く声を聞きながら、斬は低く囁いた。
「……君も母親なら、離婚などジロを悲しませる選択だけはしないでくれ」
飲んだくれで最低野郎の兄貴など、どうなってもいい存在だ。嫁に捨てられてしまえ、とも思う。
だが、ジロは別だ。子供に罪はない。
幼い頃より親子の愛に恵まれなかった彼を、これ以上不幸にしてはいけない。
「ジロだって……飲んだくれのヒモ男より、あなたが父親ってほうが百倍嬉しいと思うのに……」
まだまだ未練たっぷりなアリシアの想いを断ち切らせるように、きっぱりと斬は言い放った。
「それは、君の主観だ。ジロ本人が、そう言ったわけではあるまい」
正直に言ってしまうとダンではなく斬が父親だとしても、ジロは、あまり喜んでくれないんじゃないかと斬は考えている。
だいたい初対面の頃、上から下まで全身黒づくめな斬を見て、あの子供は何と言ったかというと。
『何このオッサン、不審者?』……だったと、記憶している。
少年の放った一言は若い斬のハートにグサリと突き刺さり、さすがはアリシアの息子だと納得させられたものである。
号泣のアリシアを見下ろし、斬は小さく溜息をついた。
「涙に濡れた、その顔では表も歩けない……か」
傍らに膝をつき、かつての恋人へ優しく囁く。
「仕方がない、今日は泊まっていくといい。だが明日はクレイダムクレイゾンへ帰るんだ、いいな?」
彼女の返事はない。
ないまでも、しっかり片手は斬の服を掴んでおり、斬は再び溜息を漏らしたのだった。
何十年経っても変わらない彼女の甘えたがりな性格と、何十年経っても彼女に甘い自分の性格に。

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