キタキタ
2022誕生日短編企画:ゼヒロのお誕生日
記憶に残る初代の魔王像は、殆どないに等しい。
それでも北部の住民は生まれた時から魔王の忠実な眷属であり、後継者を守護する役目を背負わされた。
魔王の魔力を元に産み出された二十七の眷属は、初代魔王の後継者ビルゾアラノクタールを日夜見守ってきたのだが――ほんの一瞬、眷属の一人が疲れて昼寝を貪った隙をつかれて、彼の逃亡を許してしまったのだ。


南部に侵入して以降、ゼヒロは都心のゴミ収集所に隠れ住んでいる。
一人じゃない。ゼヒロが来るよりも前から、ゴミ収集所には都心で仕事にあぶれた人々が住み着いていた。
税を納めずゴミ溜めで暮らす人々は、世間からは浮浪者と呼ばれて蔑まれていたが、北部よりも安定した暮らしだ。
大抵は都心のセレブがゴミとして捨てた中に、食べ物や衣類、まだ使える電気機器などが含まれていた。
ここにいれば自分で物を買う必要がなく、一生働かずに生きていける。
真面目に働いて高い税金を払うのが馬鹿馬鹿しくなってくるほど、物に溢れた生活だ。
北部は何をするにも自給自足の厳しい環境だったから、うっかりすると自分まで、この暮らしが定着しそうになる。
ゼヒロは、ゴミ捨て場で暮らすために南部へ来たのではない。
魔王の真の後継者、ビルゾアラノクタールを探すために侵入したのである。
目を覚ました眷属が見つけたのだ。奴の書置きを。
紙には、たった一行、『勇者の末裔を探しに行く』とだけ記されていた。
それからゼヒロは、たった一人で南部を探し回った。
他の眷属を連れてくるのは面倒が増える。
南部は人間が支配する地帯だ。生活基準から細かな法律まで、何から何まで北部と違い過ぎる。
幸い、後継者はまだ真の力に目覚めていない。自分一人でも何とかできると踏んだ。
都外には居ないと判明した後は、都心のゴミ溜めを拠点として探索すること二年。
ようやく見つけたビアノは北部への帰郷を断固拒絶し、勇者の末裔と結婚するだのと戯言を撒き散らした。
向井野 空が勇者の末裔なのは、ゼヒロも自分の目で確かめたから間違いない。
しかし北部の民と南部の民が結婚?寝言は大概にしてほしい。
無理だ、できっこない。ましてや相手は勇者の末裔、魔王から見たら憎むべき血族だ。
誰かを愛したいのであれば、眷属をとっかえひっかえして愛し合えばいい。
同じ魔力を引くとはいえ性格は全員個別、中にはビアノと相性の合う眷属もいよう。
もっとも――ゼヒロは、お断りである。ビアノの相手をするなんて。
あれが魔王の後継者だという事実も、頑として認めたくない。
あんなのを守護するぐらいだったら、ゴミ溜めに住む浮浪者のほうが何倍もマシだと思う。
性格は温厚だし、孤独なゼヒロにも優しくしてくれたし、警邏の連中に殴られても殴り返さない非暴力主義だ。
二年暮らすうちに何人かの浮浪者と打ち解けて、今ではゴミをシェアする仲になった。
都心は、ゴミ捨て場から一歩出たら心の荒んだ競争社会が待ち受けている。
自分より金持ちを妬み、貧乏人を蔑み、重税に苦しみながら、互いに互いの自尊心を傷つけあう。
もはや何のために生きているのかも判らない社会だ。
勇者は本当に、こんな未来を作りたくて魔王を封印したんだろうか。
魔王が支配していた時代と今の都心を比べたら、支配時代のほうが住みやすかったのではあるまいか。
南部の貧富差を埋める為にも、北部の繁栄の為にも、やはり魔王を復活させたほうがいい。
ビアノには荷が重かろう。大体あれは、自分の身勝手で勝手に逃亡するような奴だ。
勇者の末裔へチョッカイをかけにいっては、奴のガールフレンドに撃退される毎日を送っている。
ビアノもゴミ溜めの住民だが、留守にしている日が多い。
そして全くゼヒロの説得には耳を貸さず、南部に居座る気満々だ。
一体いつになれば北部へ戻れる日が来るのか。ゼヒロは暗雲たる想いで、曇り空を見上げた。

ぼんやりゴミで作った家に座り込んで外を眺めていたら、対面に住む娘が「どうしたの?」と声をかけてきた。
浮浪者二世で、名を御向 菜帆おむかい なほという。
親子三人で浮浪者だ。そうした家族は、都心じゃ珍しくない。
「いや、べつに。早く帰りたいと考えていただけだ」
溜息と共に答えると、菜帆は少し寂しげに尋ねる。
「ホームシック?」
「そんなんじゃない。あれのお守りが日に日に面倒になってきていてな」
ここへ来たばかりの頃は、こんな愚痴を住民に話す日が自分に来るとは思ってもみなかった。
だが、愚痴を吐き散らしたくなるほどビアノの護衛は激務だったのだ。
目を離した隙にいなくなるのは日常茶飯事、人間に負けて監禁されるたびに助け出してやらなきゃいけない。
勇者の末裔のガールフレンド、あいつが一番手ごわい敵だ。下手したら末裔そのものよりも凶暴だ。
ビアノは早く、末裔との恋愛を諦めて北部へ一緒に帰ってほしい。
「今日もビアノちゃん、おでかけなんだ」
ちょこんと隣に座ってきて、菜帆がゼヒロを見上げて微笑む。
「……菜帆は、ずっといてほしいと思っているけど」
「ビアノに?」と聞き返すと、彼女は即座にブルブルブル!と勢いよく首を振って言い直した。
「違うの、あんなのはどうでもいいの!ゼヒロくんに、居てほしいなって」
恐れ多くも魔王の後継者を捕まえて"あんなの"呼ばわりだが、仕方あるまい。
南部住民は魔王の眷属よりも短命な種族、故に魔王の存在そのものを知らない若い世代が多いのだから。
それに初めてゴミ収集所へ案内した時にビアノがやらかした失言を思い出すと、菜帆が奴を嫌うのは道理だ。
浮浪者を見下す罵詈雑言を散々放ってくれたおかげで、ゼヒロまで肩身が狭い想いをした。
ビアノは、すっかり都心の病み精神に染まり切った駄目人間、いや駄目魔族と化していた。
もう、このまま見つからなかったものとして南部に埋葬したほうがいいような気がしてくる。
「俺だけなら、南部での永住もアリだったんだが……」
しかし首に縄をかけてでも北部へ連れ戻さなければ、いずれ他の眷属が南部へ争いを仕掛けてしまう。
「いつか北部に帰っちゃうんだよね……やだな、帰らないでほしいな。ゼヒロくんだけ残ってほしいなぁ……」
うっすら涙を滲ませて小さく呟くと、菜帆はゼヒロの肩にもたれかかってくる。
本音を言うと、ゼヒロ自身も南部で暮らしたい。
ビアノの護衛とゴミ溜めでの生活を秤にかけた場合、ゴミ溜め生活に圧倒的軍配が上がるせいだ。
南部と北部の戦争に関しても、ゼヒロが責任感皆無な眷属だったら、とっくに考えるの自体を放棄していた。
だが、駄目だ。
眷属として生まれた以上、戦争の予感がする以上、そしてビアノを見つけた以上、放り出すわけにいかない。
良くも悪くもゼヒロは生真面目な眷属であった。彼が魔王の後継者ではないのが残念なぐらいに。
「帰郷の日程は未定だ。永遠に帰れないかもしれん。ひとまずは、ここにいるから安心しろ」
優しく頭を撫でてやると、「……うん。できれば、永遠に帰らないでね」と菜帆は涙を拭って笑顔を浮かべる。
かと思えば両手で抱き着いてくるもんだから、彼女の積極的な態度にゼヒロは驚いた。
これまでにも距離の近さを感じる場面はあったが、こんなにしっかり抱きつかれたのは今日が初めてだ。
「あのね、今日ってゼヒロくんの誕生日だったよね。お祝い、していい?」
キラキラした情熱的な視線に押し負けて、ゼヒロは「あ、あぁ」と頷くのが精一杯。
「ハッピーバースデー。大好きだよ、ゼヒロくん。だから……菜帆と、ずっと一緒に居てね」
菜帆の顔が近づいてきて、ちゅっと柔らかい唇がゼヒロの唇と重なった。
一秒が何十分にも感じられる時が過ぎて――
「ヒューウ、ヒュゥ♪やっだ〜ゼヒロってば、あたしという主人兼同居人がいながら女を連れ込んでチュッチュラブラブ三昧ですか、このスケベェ眷属ゥ!今から押し倒して処女奪っちゃう?童貞卒業しちゃう?いいわよ次代の魔王さんが、しっかり最後まで見守ってあげちゃうんだから☆カメラー、スタンバイおっけぇ〜!」
ハッと我に返った時には、いつの間にか帰ってきやがったビアノにバッチリ現場を目撃される。
その日は、夜までビアノと菜帆の喧騒に包まれて過ごすハメになったゼヒロであった。
おしまい