ツトムとサダのハロウィン

ここ最近のツトムは就職活動に忙しく、ノンベの家へ遊びに行く暇もなかった。
母親に、せっつかれたのだ。
いつまでも無職の息子が家に居座っているのは、世間体が悪いのだと。
親に急かされずとも判っていたつもりだが、遊び惚けているように見えてしまったのか。
いや、実際遊び惚けていたのは認めよう。
ノンベの家に行く口実で、サダと会うのを楽しみにしていた自分がいたのだから。
サダはツトムの家から、そう離れていない廃ビルに住んでいるのだが、頻繁には会えない。
なにしろ不法在住だ。頻繁に出入りしていたら、それだけ誰かに見つかる率も上がる。
従って、サダと会うのはノンベの家に集合するのが常套手段になっていた。
一人息子が毎日友達の家に入り浸ってばかりいたのでは、母親が小言を放ってくるのも致し方なしで、この数週間、ツトムは真面目に就職活動に打ち込んだ。
そして、ついに本屋での短期アルバイトという就職先をもぎ取ったのであった。
期間は三ヶ月。主な仕事は電話対応。
三ヶ月後には本来の正社員が復帰してくるので、お役御免となる。
それでも遊び惚けているのよりはマシだと思われたのか、母には慰め程度に褒められた。
父は無反応、だがツトムも盛大な祝賀会を期待していたわけではない。
家族など最初から眼中になく、彼が褒めてほしい相手は、たった一人に限られた。

夜――廃屋ビルに忍び込んでの第一声で、サダには笑顔で褒められる。
「就職おめでとう、ツトム。やっと努力が実ったな」
「僕は何もしてないよ……運が良かっただけさ」
実際何か努力したのかと問えば、履歴書を綺麗な文字で完成させた程度で、以前と変わりない面接態度だ。
なんで受かったのかは、本人が聞きたい。やはり運としか思えない。
「これからは忙しくなっちまうか?」と聞かれたので、慌てて否定した。
「いや、朝九時から夕方五時までの仕事だし、夜になれば会えるから」
ノンベの家には、いつも朝集まって夜に解散していた。
夜に集合するのは、間借りの家主に迷惑がかかろう。
しかし、何も会うのはノンベの家でなくてもよい。
二人で会う分には、公園や居酒屋でも構わない。
むしろ、ツトムとしてはノンベ抜きでサダと会いたいのだ。
現在は親友という立ち位置になっているが、サダとは、もっと親睦を深めたい。
言ってしまえば、恋人になりたい。なんてのはツトム一人が抱く欲望だったとしても。
これまでの関係は、いたって良好だ。
今日は就職報告以外にも、彼に披露しておきたいネタがあった。
「ところでさ、話は変わるんだけど。この間ネットで見たんだけど、昔は、この時期ハロウィンってお祭りがあったらしいよ。仮装して、お菓子を配ったり悪戯したりするんだってさ。どぅ?面白そうだと思わない?」
「へぇ」と小さく呟き、サダがツトムを見やる。
「そういうイベント、お前も好きなのか。意外だな」
いつも家でダベッてばかりいるから、インドア派だと思われていたらしい。
「なんだよ、それ。僕だって外で遊ぶことぐらいあるぞ」
ちょいとばかりふてくされる真似をしただけで、サダは発言を撤回してきた。
「引きこもりだと言いたかったんじゃない。ツトムは繊細だから、他人とバカ騒ぎするのは苦手かと思ったんだ」
視線を外してテレ臭そうに言うもんだから、こちらにまでテレが伝染してしまう。
「君が思うほどには繊細じゃないよ、僕は……そ、それより大勢でワイワイするんじゃなくて、君と僕との二人でやってみないか?って言いたかったんだ」
「二人でって、ハロウィンを?」
「うん。嫌、かな?」
ツトムが上目遣いにチラッと見上げると、サダが小さく息をのんで固まるのが見えた。
ややあって、「……あ、あぁ。やろう」と頷いた彼は、先ほどよりも顔が赤い。
悪戯に仮装に菓子と聞いて、サダは一体何を想像したのだろうか。
どこにも赤面する要素がないとツトムは考え、首を傾げる。
まぁ、いい。彼がやる気になってくれたのなら、ハロウィンを始めるとしよう。
「じゃあ、お菓子を用意するから、始めるのは一週間後ってことで、どぅ?」
「判った」
今日の処は何も用意がないので解散だ。
ハロウィンの日取りを決め、ツトムは家に帰っていった。
ツトムが帰った後も、サダはしばらく考え込む。
ハロウィン、そのイベントには充分すぎるほどの覚えがあった。
スラム街にはハロウィンが存在していた。
菓子を作って仮装するまでは一緒だが、メインは悪戯と称して好みの子をレイプする乱交祭りだ。
拒絶する相手には口移しで強制的に薬入りの菓子を食わせたり、押さえつけて無理矢理口の中へ捻じ込んだ。
サダは、される側だった。
薬で意識が混濁し、気を失っている間に好き放題され、ハッと我に返ると二、三人が自分の上に折り重なって、尻に突っ込まれていたなんてのは多々あった状況だ。
良い思い出は、これっぽっちもないハロウィンである。
そんな祭りをツトムはサダと二人っきりでやりたいと言う。
いいだろう。
彼がその気なら、こちらもつきあってやろうじゃないか。
まずは、お菓子だ。
クスリは効き目が強すぎるし、後遺症も怖いから、ほんのり酒を入れたもので。


来たる、二人っきりの突発ハロウィンイベント。
カボチャオバケに仮装したツトムは、ドラキュラに仮装したサダと共に近所の公園へやってきた。
辺りはとっぷり日が暮れて、時刻は夜の十一時を回っている。
「まずはね、合言葉を言いあうんだって」
スラムのハロウィンには、なかったルールだ。
ツトム独自の発案か、それとも大昔のハロウィンではあったルールか。
「合言葉?」と促せば、ツトムは頷き「Trick or Treat。意味は、お菓子をくれるか悪戯するか。相手に選択肢を委ねていたみたいだね」と答えた。
「悪戯とお菓子の二択なのか?悪戯を好き好んで選ぶ奴は酔狂だな」
正直な感想を言うと、ツトムには、くすっと笑われた。
「でも、中には悪戯されたいって思う人もいたんじゃないの」などと可愛い格好で言われては、サダのリビドーも否応なく急上昇するってもんで、彼は気づかれない範囲で唾を飲み込むと、ツトムに尋ね返す。
「つ……ツトムは、どっちがいいんだ」
「僕?僕は、お菓子かなぁ。お菓子、持ってきてくれたよね」
妥当な判断だ。この二択なら、サダも菓子を選ぶ。
もっとも、ここがスラムなら、どちらを選んでも最終的にはレイプへ行きつくんだろうが。
「あぁ、もちろんだ。今食うか?」
さりげなさを装って、包み紙を解いてやる。
ふわっとブランデーの香りが漂い、ツトムは鼻をひくひくさせて、微笑んだ。
「うわ、美味しそう。手作り?買い?どっちにしても、センスあるよね。選ぶセンス。僕のお菓子と比べたら」
そう言って、手に持った袋を恥ずかしげに降ろす。
今日のツトムは何をしても何を話していても必要以上に可愛く感じられて、いつもはこんなことを考えたりしないのに、今日はどうしたことだとサダは自分でも眩暈を覚える。
きっと原因はカボチャだ。
カボチャオバケの仮装が予想以上に似合っていて、ツトムから二十代の印象を失わせている。
ハッキリ言うと、子供っぽい。子供っぽいのに、似合っている。
元々ツトムは童顔っぽい顔立ちで、初めて出会った時には学生かと勘違いしたのだが、じっくり眺めてみるに学生服を着ておらず、話を聞くうちスクール卒の就活中だと判る。
しかしながら幼く感じるのは外見だけにあらず、言動や思考も子供っぽくてサダは困惑する。
アカデミーに通っていないせいなのか、それともスラム育ちではないからなのか。
恐らくは、後者だ。何故なら自分だってアカデミーには通っていない。
それでも、一人で生き抜くことの過酷さは身に染みて知っている。
ツトムには、そうした人生の苦節が伺えない。親の保護下で苦労なく育った証だ。
そこを気に入った。それでいいと思った。
永遠の子供っぽさを身にまとった相手だからこそ、一緒にいたい。
大人は勿論、同年代や親兄弟でも一切信用できない、生きるか死ぬかの殺伐としたスラムを生きてきたサダは、ツトムに癒しを求めて仲良くなりたいと考え、そして仲良くなった。
もっと仲良くなりたい。一歩踏み込んだ関係に。
そこに申し出られたのがハロウィンときたら、これはもう、乗るっきゃない。
言い出したのはツトムが先なのだ。合意と見てよかろう。
「ツトム……それじゃ、Trick or Treat。どっちがいい?」
立ちはだかるように向かい合い、じっと近距離で視線を注いでくるサダをツトムは吃驚眼で見上げたが、ややあって「そ、それじゃ、えっと、お菓子で」と、全くブレない返事をよこしてきた。
悪戯で、とくるかと予想していたが、お菓子の誘惑には勝てなかったのか。
そこも子供っぽくて可愛い。
「あぁ、いいぜ。お菓子、しっかり味わえよ」
包みをほどいて、ブランデーケーキにツトムが「わぁ……」と気を取られた一瞬の隙を突き、がばっと抱きしめる。
片手でツトムを抱きしめる傍ら、もう片方の手でケーキを一欠片ちぎって自分の口に放り込み、ツトムの口の中へ押し込んでやった。
「んむむぅっ!?」
驚いたのはツトムで、いきなりの大胆な行動には目を白黒させる。
勢いでごくんと飲み込んで、ウィスキーの香りしか味わえなかったケーキにも未練たっぷりだが、それよりもファースト、人生初めてのキスが、こんな強引な形になろうとは。
「ぷぁっ!ちょ、ちょっとサダ」
いつもの紳士的態度な彼は、どこへ行っちゃったんだ。
口が離れた瞬間、文句を言おうにも、ツトムは草の上に押し倒されて、目を丸く見張る。
おい被さったサダの瞳は情熱的に潤んでいる。素面なのに素面ではない。
「どちらか一つだけなんて満足できない……ツトム、ここからはTrick&Treatだ。お菓子を食らって悪戯も食らえ」
「なななな、なに言って、ルールが違うっ」
ぐいぐいサダの顔が迫ってきて、ツトムは精一杯両手で押し返して退ける。
恋人になりたいとは願ったが、ここまで最速スピードで親睦を深めたいとも思っていない。
「ルールなんて、クソくらえだ。大体ツトム、お前が言い出したんだぞ。ハロウィンを二人でやろうって」
「言ったけど!なんか勘違いしてない!?ハロウィンって、こういうお祭りじゃないし!」
「何言ってんだ、ハロウィンってなぁ、こういう祭りだろ。好きな奴を無理矢理ヤるっていう」
「ハァ!?」
どうにも情報の食い違いがある。
ツトムは、そこら一帯に響き渡るんじゃないかってぐらいの大声で全否定してやった。
「僕が調べたハロウィンは、仮装してお菓子を食べてふざけっこするだけのお祭りで、それ以外は何もないから!悪戯だって無理矢理襲ったりするような、悪質なものじゃない!!サダは、どこで間違ったルールを覚えてきたんだ!?」
喚いて、しばらく経ってから、ツトムは自分にのしかかっていた影が消えているのに気づく。
身を起こすと、呆然と座り込んだサダと目が合い、次の瞬間には平謝りを受ける。
「すまんっ!つい、スラムの印象で受け取っていてッ。そうだよな、ここは一般区だもんな。スラムと同じはずがなかったんだ。不快にさせて申し訳ない!ツトムの気が済むまで存分に制裁してくれ!!」
普段の飄々とした彼からは、考えられないほど怒涛の謝罪だ。
これにはツトムの怒りも吹き飛んで、逆に慰めの言葉をかけてやった。
「あー、スラムにもあったんだね、同じ名前のお祭りが。まぁ勘違いだと判ってくれたんなら、それでいいよ」
顔を上げて、しばし呆けたサダの耳元で、もう一度ツトムが囁く。
「仕切り直して、もう一度ハロウィンをやろう。僕のお菓子も、まだ残っているからね。さぁサダ、選んでくれるかい?Trick or Treat、お菓子を食べるか、悪戯されるか」
感激の涙がサダの目元に、じんわり浮かんできて、彼は涙声で応じる。
「そ、それじゃ……ツトム流の悪戯、見せてくれ」
途端にキラーンとツトムの目は光り、手をワキワキさせながら、彼は意気揚々と答えたのだった。
「オッケー。たっぷりさっきの分も込めて、いっぱいやってやるとも。そ〜れ、コチョコチョコチョコチョ!」

深夜にて。
とても幸せそうな笑い声が、夜の公園いっぱいに響いた。


おしまい
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