小春日和

厚志と高明のクリスマス

正月もクリスマスも刑事には関係ない。
とはいえ年がら年中署に籠もっているわけでもなく、事件のない日は家へ帰ることもできるし飲みへ行くことだってできる。
「おい」と同僚に肘で小突かれて、広瀬は来客の存在に気づくと、そちらへ歩いていった。
「よぉ、三課のモテ男クンが俺に何の用だ?」
長田は少し躊躇った後、こう切り出してきた。
「えぇと……今日は暇?みたいだね」
「まぁな。ちっさなヤマが、つい最近片付いたトコさ」
それにしてはバタバタしていると長田が突っ込むと、バタバタしているのが一課の日常だと広瀬は答えた。
なにしろ一課は三課と違って忙しい。
殺人課が忙しいなどあってはならないことだが、それが現実だ。
「それで?俺の予定を聞いて何とするんだ」
周りを憚りながら、長田がくちを寄せてくる。
なんとはなしに、つられて中腰になる広瀬の耳へ囁いた。
「あ、いや……今日、暇なら俺と一緒に……どうかなって思って」
「けっ、よく言うぜ」と広瀬は長田の脇腹を小突き、小声で囁き返してやる。
「何人も誘いを断られたって女の嘆きが、こっちまで届いてきてやがるぞ」
「そ、それは」と言葉につまり、じぃっと広瀬を見つめた後、視線を逸らし、長田はポツリと付け加えた。
「俺にだって、相手を選ぶ権利ぐらいある。そうだろ?」
「まぁ、いいさ」
笑いながら広瀬は言った。
「どうせ暇だよ、事件が起きなきゃな。で、何処へ飲みに行く?」
すぐさま笑顔で長田が頷く。
「うん。俺の家で」
「お前の?」と広瀬が聞き返すと、少し寂しそうに「嫌、かな」と長田が呟くもんだから、広瀬はすぐに前言を撤回した。
「あぁ、いや、いいんだ。いやァ、お前の手料理を食べるのも久しぶりだな!」
その声があまりにも大きかったせいか、同僚が何人か冷やかしのヒューヒューを飛ばしてくる。
「も、もう、高明。声に出して言わなくていいから、そんなことは」
長田は赤面しながら、広瀬の腕を引っ張っていった。

長田が両親と離れてマンション住まいをしている、とは以前聞いた覚えがある。
だが、実際に部屋まで来たのは今日が初めてだ。
何故両親と共に暮らさないのか――本人に直接聞く気もないが、広瀬には判っている。
親と一緒にいると、どうしても昔を思い出してしまうからだ。
思い出したくない黒歴史な過去を。
その黒歴史は自分の過去とも繋がっている。
正しくは広瀬の父親、光昭と長田との間に起きた忌まわしい事件だ。
なのに、長田は何故か広瀬との縁を切ろうとしない。
なにかあると、いつも彼のほうから広瀬へ会いに来た。
慕われているんだ、というのは何となく感じていた。
姉より兄が欲しかったと彼自身が言っていたこともある。
今日だって女同僚からの誘いを全て断って、広瀬との食事を優先した。
女にモテない奴じゃないのである、長田という男は。
甘いマスクに優しい声色、背もそこそこ高いしスタイルがいい。
加えて後輩に優しく、同僚にも親切とあってはモテないわけがない。
女にモテたい広瀬は、そこんところが少々僻みというか文句の一つをつけたい部分なのだが……
ま、今日のところは黙っておこう。
なんといっても、今日はクリスマスイヴなのだから。
「年末は家族んトコに帰るのか?」
すっきり片付いた部屋を見渡し、広瀬が尋ねると、台所からは、どっちつかずの返事が返ってきた。
「んー……まだ、考えていないよ」
続いて聞こえてきたのはトントンと何かを切る音、フライパンに油を通す音。
長田は料理も作れる。
といってもレンジでチンする簡単料理じゃない、手のこんだメニューを好んで作りたがる。
何から何まで、大雑把な広瀬とは正反対の男である。
「んなこと言って、おじさんもお袋さんも心配してんじゃねーのか?長男だしよ」
本棚を物色しながら広瀬が問えば、長田も軽口でやり返す。
「長女の心配だって、していないのに?するわけないよ、便りのないのはよい便りだってね」
長田には姉がいる。
梓といって、フランスだかどっかへ海外留学したまま、とんと帰ってきやしない。
かつては彼女と遊んだことがあり、惚れてもいた広瀬としては寂しい限りだ。
忌まわしい事件があった後、実は彼女に告白したことがある。
ばっさりフラれて、それっきりになった。
梓と厚志は、よく似た姉弟だった。
だから厚志に会うのは梓を思い出してつらいと、一時は広瀬も思ったりしたのだが、そうでもないと気がついたのは、厚志と千葉で再会して一年もしないうちであった。
いくら似ているといっても所詮は姉弟としての"顔かたちが似ている"であり、よく観察してみれば厚志と梓は全く異なる。
梓はサバサバして男らしい性格だったが、厚志は繊細で思慮深いところがあった。
怒らせると梓は恐ろしく、厚志は慰めるのに手間がかかる。
梓がいなくなって厚志が残ったのは、考えようによっては幸いだったのかもしれない。
梓にフラれた件も、今となっては良い想い出だ。
「高明は濃い味付けも平気だったよね?少し味付けが濃くなっちゃったかもしれないけど」
長田が料理を抱えて居間へ戻ってくる。
「おぅ、濃い味付けでも薄い味付けでも、どんと来いだ」と答えてから、広瀬もテーブルのそばで胡座をかいた。
中央にチキン、周りを彩るのはフルーツサラダとコーンスープ。
それから付け合わせに、ローストビーフも並べてある。
市販のやつじゃない、何日か前から作り置きした自作のビーフだ。
「豪勢だな。俺の予定があわなかったら、これ全部一人で食べるつもりだったのか?」と聞いてから、いや、と広瀬は意地悪く言い直す。
「ま、そいつはねーか。俺と違って予定の開いている奴がごまんとしそうだしよ、お前の周りにゃ」
「ごまんと?例えば誰と」
笑い流そうとする長田へ意味ありげな目を向けた。
「聞いたぜ?二課の安藤女史とは温泉旅行にも行った仲だっていうじゃねーか」
「誰から聞いたんだ」
明らかにウグッと言葉に詰まった長田が苦し紛れに聞き返すのへは、即座に答えた。
「決まってんだろ?噂話の出所っつったら、あの人しかいねぇ。日野道所長だ」
日野道さくらは科学捜査研究所の優秀かつ若き美人所長として有名だが、噂話の流通源としても一部で有名である。
長田関係の噂は、もっぱら女性関係で埋まっていた。
どこそこの部署の誰それと旅行に出かけただの、飲みに行っただの。
だが、その顛末がどうなったかまでは、さすがの日野道所長でもご存じないらしい。
目の前に本人がいるのだから、聞き出してやろう。
広瀬が噂話を持ち出したのは、そんな魂胆もあった。
「確かに、行ったよ。行ったけど、何もなかった。何もしてないよ、神に誓ってもいい」
「ホントか?あんなナイスバディが一緒だってのに」
「好みじゃないよ。それより」と長田が反撃に出る。
「高明こそ、この間の合コンはどうだったんだ?」
「そいつを聞くのかよ……」
途端に広瀬は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
長田に報告するまでもなく、結果は散々だった。
ああいうのは一人イケメンが混ざっていると大概、女の人気はそいつ一人に偏るってもんで。
今どきの若い女性には、広瀬のようながさつな熱血漢は人気がない。
広瀬の目の前にいるような奴が女性に人気の出るタイプというやつだ。
「俺の好みにあうようなオンナはいなかったんでな、けっぽってやったよ。……おい、何笑ってんだ?アァ?」
負け惜しみをぼやいたら、長田にはクスクス笑われた。
気分を害した広瀬が問い詰めると、長田は「じゃあ」と真顔に戻り、更なる質問を重ねる。
「高明の好みのタイプって、どんな人なんだ?やっぱり、姉さんみたいな男らしい人……?」
「男らしいって、お前、姉さんをそんな風に言っちゃいけねぇぜ」
まぁ、確かに梓は男らしかったかもしれない。
少なくとも、弟の厚志よりは数倍も。
「んまぁ、好みったって色々あらぁな。ボインとか、腰がくびれてるとか、俺に対して優しいとか!」
男の欲望まんま全開な答えを返してから、広瀬は尋ねた。
「そーゆーお前こそ好みのタイプってなぁ、あんのか?ナイスバディは眼中にねぇみてーだが」
「俺は……」と視線を逸らし、長田が小さく答える。
「女性に興味、ないから」
「けど学生時代はカノジョもいたって話じゃねぇか」
食い下がる広瀬に一歩退き、「その話、どこから?」と慌てる長田を追いかけ床へ押し倒す。
「決まってんだろ。所長だよ、日野道女史だ!んなこたいいから、お前の好みを教えろや」
ごくり、と長田の喉が動き、ほとんど聞き取れないような掠れ声で彼は答えた。
「……正義の、味方」
「ハァ?」
聞き違いかと思ったが、視線を向けようとしない長田の様子から見ても本音のようだ。
馬乗りに長田の上へ跨ったまま、広瀬が唸る。
「なんだよ、そりゃあ。ヒーローの好みを聞いてんじゃねーぞ、ホントの本音を言えってんだ」
「嘘じゃないよ。俺に優しくて、熱血漢で、いざという時に助けてくれる人が好きなんだ……」
潤んだ瞳で見つめられては、広瀬も言葉に詰まってしまう。
今の答え。どう考えても、自分のことを言われているとしか思えない。
けして自惚れで言っているわけじゃない。
広瀬は過去に何度も厚志を助けた覚えがあるし、自他共に認める熱血漢の正義漢だ。
友達は多いが、長田以外に優しくしてやっている友達はと聞かれたら、これといっていない。
「んじゃあ」
ゴクリと唾を飲み込んで、広瀬も尋ねた。
「お前がつけているソレ、その匂いも、そいつの為につけているってのか?」
いつも気になっていた。
長田のつけているコロンは、かつて高明が別れ際、梓に贈った香水と同じ匂いのする物だ。
梓が実際につけてくれたかどうかは、高明の知るところではない。
だが、梓と厚志は姉弟だ。
梓の使う香水を、そして香水の出所を厚志が知ったとしても、おかしくはない。
「……気づいていたんだ」
Yesと言っているも同然の答えを長田が呟き、広瀬は頷く。
「当然だろ。俺が選んだ匂いなんだからよ」
少し間をおいて、長田が再びポツリと言う。
「ごめんね……気持ち悪いよね、好きな人に贈ったのと同じものを、その弟がつけているなんて」
意外な謝罪に広瀬は一瞬ポカンとなり、すぐに言い返す。
「なんで謝るんだ」
姉に贈ったものと同じものを弟がつけていたって、別に気持ち悪いとは思わない。
その匂いを気に入ってくれたのなら贈り主としても嬉しいし、どんな香水をつけようと弟の勝手じゃないか。
「だって……これは、姉さんの為に贈った物なのに。高明が、姉さんに似合うからって贈ったのに……」
光るものが長田の頬を流れ、反射的に広瀬は怒鳴っていた。
「関係ねぇだろ、梓は梓、お前はお前だ!お前が気に入ってくれたんなら、俺だって嬉しいよ!それとも何か?梓は、そいつを捨てようとしたってのか。だから俺に同情するつもりで使っていると言いてぇのか!?」
ビクリと体を震わせた厚志の反応を見ただけで、答えを聞く必要はなくなった。
捨てられたんじゃないかという予感はあった。
フラれた時にも言われたのだ、はっきりと。
ホモで犯罪者のオヤジを持つ男なんか嫌いだと。
「違うよ……同情なんかじゃない」
ぽろぽろと涙を流しながら、つっかえつっかえ長田が答える。
「そりゃ、確かに姉さんは捨てようとしたよ……あの香水を。高明から貰ったものなのに。でも、俺がそれを拾って使ったのは同情なんかじゃない。俺だって、欲しかったんだ。高明からの、プレゼントが。だって高明は、姉さんにはプレゼントを贈ったのに、俺には何もくれなかったから……!」
頭を、がつんと殴られた気がした。
気の抜けた声で「そ、そうか……」と呟くのが、広瀬の精一杯だった。
あの時は引っ越し間近で時間がなくて――なんてのは、取り繕う為の言い訳に過ぎない。
想い人にばかり気がいっていて、弟には全く気が回らなかった。
一番迷惑をかけた相手は、その弟だったというのに。
「悪ィ……お前のこと、全然気遣ってやれなくて」
嗚咽が聞こえるだけで長田の答えはなかったが、広瀬は続けた。
「だからってんじゃねぇが、そのプレゼントを今、くれてやる。何がいい?」
真っ赤に泣きはらした瞳が、広瀬を見上げる。
「高明が、姉さんにあげたかったものでいいよ」
「ばか」と苦笑し、広瀬は辛抱強く聞き返した。
「さっきも言っただろ、梓は梓、お前はお前だ。お前が欲しいものを言ってみろってんだ」
「……じゃあ」
すん、と鼻水をすすりあげ、拳で涙をぬぐった長田が言う。
「高明が欲しい。高明のファーストキスが……初めて、なんだろ?誰かとキスするの」
「何故それを」とたじろぐ広瀬へは、ほんの少し唇を端を歪めて笑った。
「過去に誰かとつきあったんなら、それをネタに須藤君達への武勇伝として聞かせているだろうに、それが一度もないってのは、誰ともつきあったことのない証拠だよ」
裏表のない性格だからこそ、嘘はつけない。
高明の事なら何でもお見通しな厚志ならではの推理である。
「ま、まぁな」
正直に認める広瀬を見てから、長田は瞼を閉じた。
「俺が欲しいのは、それだけだよ。高明が嫌なら、無理にとは言わないけど」
ばか、ともう一度笑い、広瀬が真剣な顔で長田を見つめる。
「嫌だなんて、誰が言うかよ。お前を傷つけたって判ったのにほっとくほど、俺ァ悪い奴じゃねーぞ」
そっと厚志の頭を両手で抱え起こすと、ゆっくりと顔を近づけ――唇を、重ねた。

長い――
いや、長いと広瀬には思えたのだが、時間にして数分ぐらいしか経たなかったかもしれない。
「……っ、こ、これで満足か!?」
耳まで真っ赤に染まりながら、広瀬はバッと離れると、長田へ感想を求めた。
「うん……」
長田も身を起こし、にっこり微笑む。
「プレゼント、ありがとう」
「ばっ、ばか、こんなのプレゼントたぁ言わねぇよ!」
照れ隠しに大声で怒鳴る広瀬を見つめ、長田は、やはり微笑んだままで続けた。
「高明。プレゼントっていうのはね、貰った人が価値を決めるものなんだよ」
「そ、それで?」と聞かれ「それで、って?」と聞き返す長田へ、広瀬が怒鳴る。
「お前の価値は、いかほどだったんでェ?」
「最高だよ。最高のプレゼントだった」
ぎゅうっと長田に抱きつかれ、真っ赤に染まった広瀬の顔が、ますます赤くなる。
「さぁ高明、次は俺のプレゼントを受け取ってくれよ。もう、すっかり冷めちゃったかもしれないけどね」
茹で蛸状態な親友の腕を取り、クリスマスの続きを楽しむべく、長田は、ご自慢の料理を改めて広瀬へごちそうしたのだった。


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