小春日和

比奈と志乃のひな祭り

三月三日は、ひな祭り。
女の子だけのお祝いで、お人形を早めに飾ると早く結婚できるなんて言い伝えもあり……
所詮言い伝えは言い伝え、本気にしていたわけじゃない。
だが、好きになった相手が、こうも唐変木で恋愛音痴だと、生涯行かず後家になるんじゃないかという不安が、いつも高南 比奈にはつきまとっていた。
幼馴染で今もお隣に住んでいる吉崎 志乃から電話があったのは、そんなある日のこと。

日曜日――
「今日はひな祭りですよ、比奈ちゃん」
「知っているわよ」
そんなお祭りはとっくに記憶の彼方にあった、なんてのは置いておくとして。
わざわざ携帯電話へかけてきた幼馴染へ比奈は密かに悪態をつく。
だいたい、この志乃という女。
家が近所ではなかったら、絶対友達には選びたくないタイプである。
いつも本を愛でている大人しい黒髪美人で、性格も、まったりというか、おっとりというか、のんびりしている。
何歳になっても一定数の男子に人気があり、登下校で突撃告白してくる男子が軒並み玉砕するのを目の当たりにした。
比奈に告白してくれるのはチャラオばかりだというのに、志乃に告白するのは圧倒的インテリ系。
それらを全てお断りした彼女の目に映るのは、たった一人の男だけ。
こともあろうに、比奈が目をつけていたのと同じ人物であった。
都立の小松川高校。それが二人の母校だ。
偏差値が高い、いわゆる進学校で、比奈は入るのにも授業についていくのも苦労した。
勉強嫌いな比奈が何故進学校へ入ったのかというと、中学を卒業しようかという三年目の終盤で志乃が言ったのだ。
「比奈ちゃん、高校も一緒の学校だといいね」と――
普段から劣等感で悩まされる幼馴染に学業で負けたとあっちゃ、腹の虫がおさまらない。
比奈は死にものぐるいで受験勉強して、晴れて合格を勝ち取った。
一方の志乃は余裕で合格、奇しくも比奈と同じクラスになる。
そして二人の前に現れた運命の人こそが、三島 弘毅だったのである。
三島は持って生まれた才能を遺憾なく発揮して試験では一位を総ナメ、一年ニ年は風紀委員長を務め、最終的には生徒会長にまでなった男だ。
不正を頑なに許さない生真面目な性格と、いつも怒っているような雰囲気を漂わせていたから、一部の生徒には恐れられていたけれど、比奈には彼の才能が眩しく見えたし、志乃には彼の純粋さが好ましく思えたのだ。
志乃と比奈は積極的に彼へ声をかけ、やがて友達になり、それなりに仲良くなった想い出だ。
三島は高校を卒業すると同時に、千葉へ引っ越していった。
警察官になったというのは、何度もしつこくしつこく電話をかけて聞き出した近況だ。
聞き出した情報を志乃にも教えてやったら、「あら、比奈ちゃん。今頃知ったんですか?」ときたもんだ。
何故知っているのかと問いただしたら、三島から連絡があったという。
比奈の電話には、向こうから、かかってきたことは一度もない。
それを知った時の心境は穏やかではなかったものの、縁を切ろうにも志乃が懐いてくるのではままならず、同じ大学を卒業した今でも二人の交流は続いている。

そんなわけで。

今は志乃の家におじゃまして、彼女の作った甘酒を飲んでいる比奈なのであった。
悔しいが、美味しい。
志乃は勉強ができるだけではなく家事一般も得意で、近所のおばちゃんらには、いつも「志乃ちゃんは良いお嫁さんになれるわね」と可愛がられていた。
比奈は一度も、実の親にさえ言われたことがないというのに。
眼の前にあるのは十二段の雛飾り。
そう。志乃の家は、お金持ちだ。昔から。
子供の頃は何も考えなくてよかった。ただ、豪華で綺麗な雛飾りに喜んでいれば幸せだったのだから。
比奈の母親と志乃の母親が、ご近所つながりで仲良くなったのをきっかけに、同い年だからと二人の娘も引き合わされて、それでも幼い頃は仲良く遊んでいたように思う。
劣等感を抱くようになったのは、小学校へあがってからだ。
全ては勉強が、家庭科が、遠足が、バレンタインデーが、クリスマスが、お誕生日会が、修学旅行が悪い。
事あるごとに貧富の差を思い知らされて、学業では知能の差をつけられて、季節イベントでは顔の良し悪しまで比べられているような惨めな気分に陥り、だんだん志乃が嫌いになっていった。
だというのに志乃自身は比奈を慕っているのか、どこへ行こうと子犬のように追いかけてきた。
子供の頃の志乃は「比奈ちゃんが私のお姉ちゃんだったら良かったのに」が口癖であった。
同い年に言われるのは、ババア扱いされているみたいでムカつく。
何度振り払っても、険悪な言葉を投げかけても、志乃は全然めげず比奈につきまとい、そして今に至る。
完全な腐れ縁だ。
どうせ懐かれるなら志乃ではなく、三島と幼馴染でありたかった。
「そう言えば、比奈ちゃんは、ご存知でしたか?」
お盆を片手に戻ってきた志乃に尋ねられて、比奈は我に返る。
「何を?」
志乃が持ってきたのは桜餅、これも手作りで手に取らずとも葉の匂いが鼻先にまで漂ってくる。
「三島くんは甘酒が苦手なんですって」
「は?どうしてよ」
「甘くないから……だそうです。きっと、お砂糖の甘さだと思っていたんでしょうね」
そう言って、志乃はクスクス笑う。
確かに砂糖の甘さを想像して飲んだら、甘酒は甘くない。
この甘みは麹だ。ほのかに感じられる甘みがあるからこそ、美味しいというのに。
「はぁ〜ん?あいつ、甘党なワケ?」
呆れながらも、志乃はいつ、それを知ったのだろうと比奈は勘ぐった。
三島が甘酒を飲んだ時期も不明だ。子供の頃だとは思うのだが。
「同僚や先輩のかたとイベントに参加して、飲んだんだそうですよ。子供の頃は、酒とつくから飲まないようにしていたんですって。アルコールが入っていないと教えてあげたら、とてもビックリしていました」
つい最近の話だったようだ。
三島は千葉で研修ならぬ警部補期間を過ごし、今は東京へ戻ってきている。
当然のことながら比奈は初耳、志乃へだけ頻繁に電話している三島には腹が立つ。
大体、比奈が電話したって切り間際には喧嘩で終わることが多い。
お互い気の強い同士、些細なことで言い合いに発展する。
彼と穏やかに近況を話し合える志乃が羨ましい。
きっと彼女は、三島に怒鳴られたって屁の河童だろう。
幼少時、散々比奈の罵倒を受けても友達をやめなかった女だもの。
「まぁ……砂糖入りの甘酒も一応売っているけどね、コンビニとかで」
「そうなんですか!」と素直に驚く志乃を見ながら、ふと思いついて比奈は言った。
「ねぇ、今度三島くんを誘って、花見へ行かない?コンビニの甘酒と、あんたの手作り甘酒を持ってって、飲み比べするっての、どう?どっちがどっちかは秘密にしてさ。あの味音痴が、どっちを美味しいって選ぶか見ものよね」
志乃は手を打ち、にっこり微笑む。
「ふふっ、さすが比奈ちゃん、面白いことを考えますね。砂糖入りの甘酒には負けませんよぉ〜」
ほろほろと、温かな日差しが部屋に入り込む。
志乃と甘酒を飲み交わしながら、比奈は久しぶりにゆったりした時間を過ごした。


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