小春日和

君へ

長田の生まれは北海道だ。だが、実家は既にない。
家族揃って千葉へ引っ越した時に、家は売りに出してしまった。
なのに「今日、帰るのか」と広瀬に聞かれた時には、思わず頷いていた。
行くよりも帰る。そう言った方が、しっくりくる。
やはり北海道は幼少を過ごした場所であり、故郷なのだ。
自身を襲った事件さえなければ、一生を北海道で終えたはずだった。
あんな事件さえ――
長田は、ちらりと横目で広瀬を眺める。
幼なじみは何を考えているのか、共にホームで電車を待っていた。
「高明は?よかったら、一緒に帰らないか」
「帰れると思うか?」
広瀬は苦笑した。
「どのツラさげて、のこのこ戻れって言うんだよ」
あの忌まわしい事件を引き起こしたのは、広瀬の父親だ。
詳しい事情は関係者にしか判らずとも、マスコミが大々的に『性犯罪』だと報道したのだ。
瞬く間に噂は広がり、広瀬親子は北海道にいられなくなった。そして、長田の家族も。
「ごめん」
俯く長田の頭を、広瀬の手がポンポンと軽く叩く。
「謝るこたねぇさ。俺に構わず行ってこいよ、同窓会」
はがきを貰った。
クリスマスパーティをかねて同窓会を開くというお知らせだ。
送ってきたのは、高校時代の同窓生。
久しぶりに会いたいと綴られていて、懐かしくなった。
だから、行くことにした。
広瀬とは駅の入り口で、鉢合わせた。
なんとなく一緒に電車を待っていたのだが、クリスマスはどうするんだという話になり、北海道への流れになった。
北海道は広瀬にとっても故郷のはず。でも彼は帰れないと言う。
事件を知る者が残っている限り、彼は戻れない。
彼自身も、負い目がある。長田に対して。
「クリスマス、高明はどうするんだ?予定は」
「ま、コンパにでも出かけてくるさ。誘われてんだよ、同僚に」
「コンパ!?」
しんみりしていた気持ちが、どこかに吹き飛ぶ発言で、長田は思わず目を丸くする。
コンパだって!?しかも、一課の連中で?
一課のむさ苦しい軍団が脳裏に浮かび、長田は目眩を覚えた。
「恋人を作る気かい?」
何気なさを装ったつもりでも、声が震えてしまう。
「ばか」と高明は笑い、肩をすくめる真似をした。
「俺の目的は飲み食いだよ。安く飲めるってんで参加するんだ。ま、俺に引っかかる女がいるとも思えねーしな」
「そんなことは……」
ないと思う。
少なくとも、長田の目から見た広瀬は今でも格好いい。
男らしいし腕力はあるし思い立ったら即行動するし、明るいし元気だし人情肌だし……
言い出したらキリがないほど、長所の塊である。
世の女性は男を見る目がない。彼をフリーで放っておくなんて。
「いいよ、いいよ、気を遣うなって。お前と違って俺ァモテねーんだ」
本人が言うからには本当にモテないのだろうが、どうしても長田は納得がいかない。
彼をフッた自分の姉もバカだと思う。
自分が女なら、広瀬は恋人にしたいタイプナンバーワンなのに。
ま、しかし、いくら長田がいきり立ったところで、世の女性にだって好みというものはあろう。
それに、本音を言うと広瀬にはモテて欲しくない。
恋人が出来ると、人は変わってしまう。
今は一緒に遊んでくれる広瀬も恋人が出来たら、きっとそっちにベッタリだ。
長田は広瀬との友達関係を壊したくない。
歳を取っても友達でいられたら、と思っている。
だから女そっちのけで、広瀬が飲み食いに集中してくれることを願う。
「同僚って、他に誰が?」
「ん?一課の連中と、あとは二課の五味が来るって話だな」
「五味さん……あぁ、あの」
「そう、あのダンディ中年だ」
自分も中年の域に差し掛かっているくせして、広瀬は他人を中年呼ばわりする。
五味は二課の刑事で、仕事の出来る男だと聞いている。
それ以上に噂にのぼりやすいのが、彼の顔立ちだ。
外人の血でも混ざっているんじゃないかというような彫りの濃い顔で、一度会ったら忘れられない。
要は、イケメンってやつだ。
年齢は四、五十いっているはずだが、女性署員の人気が非常に高い。
彼が来るなら、安心だ。女性の目は、全てそちらへ向かう。
コンパが好きな連中は女を逃がさない為に囮役のイケメンを呼びたがるが、あれは失敗だと長田は思う。
みんな囮に食いついてしまい、他の連中に行き渡らないからだ。
女とつきあうのが目的なら、つきあいたい連中で行くのが正解であろう。
己の予想する展開通りになって、やけ食いをする広瀬の姿が脳裏に浮かび、長田はクスリと微笑んだ。
「あ?なんだよ、何がおかしいんだ」
それに気づいて、広瀬が尋ねるも。
ちょうどよいタイミングでホームに電車が到着し、「なんでもない」と長田は誤魔化した。


クリスマスコンパと称したパーティは散々だった。
結果として五味一人がモテモテ状態になり、しかも彼自身は乗り気ではなかったのか途中で帰ってしまい、グダグダになった。
こんなことなら長田の帰郷につきあうべきだったか。
そう考え、すぐに広瀬は思い直す。駄目だ。向かう先が、あの街では。
きっと、すぐに噂は広まってしまう。
長田は被害者だから、いいのだ。戻っても。
きっと皆も、同情の視線で彼を迎え入れる。
だが、自分は。
自分は犯罪者の息子だ。
被害者とは友達で、でも肝心な時に、その友達を守ることが出来なかった。
同窓会は楽しかっただろうか。
今頃は帰りの電車の中か?
出会ったばかりの長田を思い浮かべ、広瀬はハァッと溜息を吐く。
あの頃の長田は如何にもなインドア少年で、色は白いし広瀬よりずっとか細く、見ていて不安になる弱々しさだった。
母親に似て綺麗な面立ちではあったけれど、男が綺麗でも意味がないと少年時代の広瀬は思いこんでいたから、彼を鍛えてやることにした。
見かけと反して長田はか弱い美少年ではなく、根性の座った奴だった。
教えれば何でも知識を吸収したし、どんな馬鹿馬鹿しい遊びでも熱心に取り組んだ。
友達と言うよりは子分だ。
新しい子分が出来たみたいで、嬉しかった。
その途中経過で、あんな悲劇を自分の父親がやらかしてしまい、これでもう、終わったと思ったのだ。
彼との友情が。
だから千葉で再会した時には意外に感じた。
長田は怒っていなかった。
素直に再会を喜び、十年来の親友の如き気安さで、また一緒に遊ぼうと誘ってくれた。
広瀬の父親の件は話題に出さなかったけれど、少なくとも自分に対しては怒っていなかったのだ。
広瀬は長田を気に入っていた。無論、今でも気に入っている。
なので内心のモヤモヤはひとまず、うっちゃりして、再会を喜ぶポーズを取っておいた。
でも、今でも自分は長田に負い目を感じている。
あの時、どうして守ってやれなかったのか。
どうして、オヤジが一緒の部屋にいたっていうのに熟睡していたんだ。馬鹿が。
こいつは俺が一生背負っていく十字架なのかもな――
広瀬は陰鬱に考え、もう一度大きく溜息をつく。
「ひーろせ、はんっ」
いきなり声をかけられて、ドキッとして顔をあげると、目の前には三課のお調子者、柳がニヤニヤと自分を見つめているではないか。
「なんでぇ、この関西弁野郎。俺に何か用か?」
「何か用かってなぁ、お愛想ゼロでんな。広瀬はんが元気ないっちゅ〜から様子見に来てあげましたのに」
滅茶滅茶わざとらしい関西弁を操り、柳が笑う。
こいつが来た理由は薄々判る。
長田が今日休みだってんで、広瀬が落ち込んでいると予想したんだろう。
冗談じゃない。自分は三課の熱血小僧とは違う。
長田の金魚の糞は、あいつだけで充分だ。
「俺の様子を心配?ハッ、笑わせんなヒヨッコが。俺よか自分とこの同僚を心配してやったら、どうなんでぇ」
「真ちゃんでっか?真ちゃんなら、さっき長田はんに電話もろてテンションアップしとりましたけど」
一日でも敬愛する先輩が不在だと、傍目に見ても判るほどテンションの落ち込む須藤だ。
長田も気を遣って電話してやったに違いない。
「お前は逆に、いなくてせいせいしたって顔をしているよな」
柳をからかってやると、柳はパタパタと手を振って囁いてきた。
「とんでもあらへん。長田はんがいるほうが俺もやる気出しとりまっせ」
「ホントかよ?」
「ホンマです」と、どこまで本気か判らない顔で神妙に頷くと、柳はきびすを返す。
「おい、慰めタイムは、もう終わりか?」
広瀬が声をかけると、後輩は生意気にも振り返らず横着に手だけヒラヒラさせた。
「なんや、あんま落ち込んどらんかったんで励ましの必要もなさそうやーって。おとなしゅう退却しますわ」
やれやれ。
やはり励ましとは嘘偽りで、からかうのが目的だったか。
柳如きにからかわれるほど、広瀬は長田依存症じゃない。
長田のことは友達として気に入っている。
だが、依存はしていない。
過去の事件で負い目を感じるのと、友情は別物だ。
ぼんやりしていると、電話が鳴った。
長田からだ。噂をすれば。
「よぉ、クリスマス同窓会は楽しかったか?」
『まぁまぁ、かな。そっちは?』
まぁまぁだと言う割には、声に元気がない。
あまり楽しくなかったのかもしれない。
それもそうか。故郷で一番仲の良かった相手は、今、一緒に千葉にいるのだから。
「んん、ご想像にお任せするぜ」
『散々だったみたいだね』と少しばかり元気が出てきたようなのが、少々癪にさわる。
「お前なー。で?いつ帰ってくるんだ」
「もう帰ってきたよ」
電話の向こう側と、こちらで声が重なる。
えっとなって広瀬が振り返ると、長田が背後に笑って立っていた。
「ただいま」
「お、おぅ……おかえり。早かったな?」
「少し早めに向こうを出たからね。これ、お土産」
手渡されたのは、ずっしりと重たい紙袋だ。
「何買ってきたんだ?」と尋ねても、長田はニコニコ微笑むだけで教えてくれない。
「開けてみれば判るよ」と言い残し、一課の部署を出ていきがけに振り向いた。
「あぁ、小さな箱は高明へのお土産だから。それは皆で分けないで受け取ってくれよな」
「お、おう」
ということは、他は一課へのお土産か。
それならそれで、そう言えばいいものを。
大きな包みは北海道の土産定番、六花亭のマルセイバターサンドだった。
取り立てて書くまでもない。レーズンクリームをクッキーで挟んだお菓子である。
いつの間にか群がってきた同僚達が一斉にわぁと騒ぎ立てるのを横目に、もう一つ。
小さな包みを取り出して、広瀬は耳元で振ってみた。
カタカタと音がする。
キーホルダーか何かか?
特に気にせずポケットへ突っ込むと、あとは皆にお土産を配ったり仕事に集中しているうちに、お土産の謎は、すっかり広瀬の脳裏から吹っ飛んだ。
思い出したのは、帰り道でだ。
「そういやぁ、何をくれたんだ?厚志のやつ」
アパートに辿り着いてから開けてもよかったのだが、なんとなく気になって行く道すがら開けてみた。
箱を逆さに振ってみると、ころんと掌に飛び出してきたのは小さな赤ベコの根つけで、よくよく見てみると、既製品ではなく手作りのようでもある。
「ふん……?」
どういう意図で、こんなものを自分にプレゼントしてよこしたんだろう。
尋ねようと携帯電話を取り出したら、ピロピロと鳴り出した。
着信は長田だ。すぐに出た。
「よお、いいタイミングだ」
『うん……そろそろ開いてくれたかな、と思って』
気になっていたのは、向こうもだったらしい。
「なんで根つけなんだ?これ、お前の手作りか?」
『そうだよ、よく判ったな』と電話口の長田は嬉しそうに言い、付け足した。
『根付け自体には、あまり意味はないんだけど……手作りのものを、高明にプレゼントしたくって。それで』
「ほぉ?」
『同窓会の帰り、体験会に参加したんだ。ちょうど、立ち寄った土産物屋でやっていてね』
そこで作成したのが、この根付けというわけか。
「で、なんで手作りのものを俺に?」
最初の質問に戻ると、沈黙が開いた。
しばらくして、長田が話し出す。
『……同窓会に出て、思ったんだ。俺達、あと何年一緒に過ごせるのかなって』
「何言ってんだ!?いつまでだって――」
言いかける広瀬を遮り、長田は続ける。
『ずっと君とは友達でいたい、だから……俺のことを、ずっと覚えていられるようにって。それで、俺の作ったものを高明にあげたくなったんだ。迷惑だったかな?』
「い、いやぁ。迷惑じゃねぇさ、別に」
物を貰って迷惑だと思ったことはない。嬉しいぐらいだ。
「ありがとよ。だがな、俺はお前を忘れっちまうほどボケ老人にゃ〜ならねぇし、お前とは、ずっと、ずぅーっと友達だ!そこんとこは覚えとけよ?」
受話器の向こうでクスクスと笑う声。だいぶ元気になっている。
元気がなかったのは、遠い未来を予想してセンチメンタルになっていただけなのかもしれない。
『ありがとう、高明。それで、ね……今年は一緒じゃなくて寂しかった』
「んぁ?」
『クリスマスだよ、クリスマス』
言われてみれば、クリスマスは毎年一緒に祝っている。
いつも一緒なのが当たり前になっていて、だから長田は寂しくなって、友情について考えてしまったのだ。
「そうだな。んじゃあ、来年は、また一緒にやるか?クリスマス」
広瀬のほうから誘ってやると、長田は嬉しそうに相づちを打ってきた。
『あぁ!約束だぞ、高明』
「おう」
そうとう浮かれた声で長田は『それじゃ……お休み』と言って、電話を切った。
電話ってやつは、人のテンションを向上させるものらしい。
長田も相当な依存症だ。それも、俺依存症だな。
広瀬は苦笑する。
でも、頼られるのは嫌いじゃない。
来年は、俺が長田に何かプレゼントしてやろう。
手作りは苦手だが、まぁ、何でもいいんだ。
あいつはきっと、何でも喜ぶ。
喜ぶ顔が目に見えるようで、広瀬も何となく楽しい気分になりながら帰りの道を急いだ。


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