合体戦隊ゼネトロイガー


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鉄男くんと二人っきりの温泉旅行!:18周年記念企画・if短編

そのチケットを見た瞬間、デュランの意志は決まった。
「行こう」と考えた直後、彼は見知らぬ宿の前に立っている自分を認識する。
周辺に人影は一つもない。
自分がどうやって、この宿まで来たのか全く記憶になかった。
一人納得したかのように、デュランは呟く。
「……なるほど、シンクロイスの瞬間移動みたいなものか」
何故自分に、突然そのような能力が備わったのかも判らない。
もう一度チケットに目を落とす。
同行者の欄を見た。
辻鉄男――と書かれているにも関わらず、やはり宿の周辺には誰もいない。
彼は、行こうと思わなかったのだろうか。
もしかしたら、先に部屋で待機しているかもしれない。
どうしても彼に会いたいという望みを捨てきれず、デュランは、いそいそと割り当てられた部屋へ向かった。
紙張りの不思議な戸を開けると、そこには緑の床が広がっていた――
「鉄男くぅぅん!」
だが室内の見慣れぬ光景よりも先にデュランの視界に飛び込んできたのは、薄っぺらいクッションの上に胡坐をかいた鉄男の姿であった。
鉄男は「うわ!」と叫び、デュランの飛びつきを寸前で回避する。
「鉄男くん、来てくれたんだな!きっと来てくれると思っていた!!」
大喜びなデュランに「なぜ、あなたがここに?」と鉄男の質問が突き刺さる。
「ん?何故って、同行者が鉄男くんだと知ったら、行かないわけにはいかないだろう!」
「いえ、そうではなく」
己のチケットに目をやり、しばし鉄男は硬直し、二度三度と何度も目を落とし、しまいにはチケットを目のスレスレまで近づけて、じぃっと眺めるものだから、様子のおかしさに、はしゃいでいたデュランも不思議に思って尋ねてみた。
「どうしたんだい?チケットに何かおかしなことでも」
「えぇ、大異変です。先ほどまで、この欄には木ノ下の名前が書かれていたのですが……」と、鉄男が指さしたのは同行者の欄だ。
「今見たら、あなたの名前に変わっていました」
「俺の欄には最初から君の名前が書かれていたぞ」と言ってから、鉄男の顔を見てデュランは合点する。
鉄男は同行者が木ノ下だと思ったから、ここへ来たのだ。
今はムッスリ口をへの字に折り曲げて、あからさまに不服そうな顔つきだ。
「……鉄男くんは、俺との旅行では嫌なのかい?」
ちら、と鉄男がデュランを見やる。
何か言いたそうな表情になったが、言葉は出てこなかった。
「俺が嫌いなんだね」とデュランが念を押すと、今度は鉄男の唇からも声が漏れる。
「……嫌いだとまでは……」
「なら、そんなつまらなさそうな顔をしないでくれたまえ」
指摘され、ほんの少しばかりバツが悪そうに、鉄男は頭を下げた。
「すみません。予想外な展開が起きて、つい子供のような態度をとってしまいました」
「いや、いいんだよ」と一応は慰めデュランは鉄男を抱き寄せるが、すぐに彼には身を引かれて苦笑した。
正直な青年だ。
初対面の頃は容易く抱きつかせてくれたものだが、今じゃ、すっかり警戒モードだ。
好きでも嫌いでもないような言い方だったが、恐らく鉄男には好意を持たれていないとデュランは推測する。
鉄男の内で燻る父親への憎悪を見た限り、己の父親に好意を抱く相手を好きになるのは難しい。
本人は多くを語らなかったが、父親とは不仲か、それ以下の関係であったと想像できる。
しかし鉄男とデュランを結ぶ線が健造である以上、健造の話は欠かせない。
鉄男の中にある健造像と、自分の中での健造像の違いを照らしあわせてみよう。
そこから、彼との距離を埋めるヒントが見つかるかもしれない。
「鉄男くん」とデュランは呼びかけ、立ち上がる。
ここは温泉宿だとチケットには書いてあった。
ならば、どこかにガウンローブやアメニティが置かれているに違いない。
ぐるっと見渡し、クローゼットを見つけて大開きするデュランの耳に、鉄男の呟きが聞こえてくる。
「……ここは、ニケアと似ています。けれど、ニケアではない……」
「そうなのかい?」
振り向いたデュランに「はい」と頷くと、鉄男はテーブルの上にあったパンフレットを手に取った。
「どれもこれも、見たことのない文字で書かれています。なのに、意味が脳裏に浮かんでくる……おかしな現象です」
「ふむ……入った時から、奇妙な造りの部屋だとは思っていたが」
鉄男しか見えていなかった、なんてのは秘密にしてデュランは、もう一度部屋を見渡した。
紙張りの戸。
草敷、そして板張りの床。
ベイクトピアでは、お目にかからない装飾の数々だ。
鉄男はニケアの建物に似て非なるものだと言う。
どこが似ていて、どこが違うのか。
異国文化は、かねてよりデュランの興味範疇であった。
「この宿はニケアの建築物に似ているのか。けれど、ニケアではない、と……興味深いな。うむ、実に興味深い。鉄男くん、まずは温泉に入りがてらニケアについて詳しく聞かせてくれ。それから、改めて此処が何処なのかを検証しようじゃないか」
ついでに鉄男の過去も聞き出せたらいい。
無言で頷く鉄男にタオルを手渡してやりながら、デュランは先に廊下へ出た。

温泉は露天風呂であった。
やはりニケアの造りと似て非なるものだと感じながら、鉄男は、さっさと衣類を籠へ放り込む。
デュランは、こうした脱衣所に戸惑いを覚えたらしく、「なるほど、脱いだ服は籠に入れればいいんだね」と呟く声を聞き流し、鉄男は一足先に戸をくぐる。
一面、湯気で覆われている場所を迷いもせずに突っ切ると、手で湯をかき回してみる。
少々熱いが、入れないこともない。
湯舟は岩づくりの壁で囲まれており、しかし、ここに至るまで従業員とは一人もすれ違わず、誰が湯を沸かしたのだろうと悩んでみたが答えは出そうにない。
考えている場合ではなくなってきた。
ずんずん近づいてくる青い髪に、鉄男の警戒心は高まる。
「そう、身構えないでくれたまえ。鉄男くん、今日はのんびり温泉に漬かって語り合おうじゃないか」
「あなたと語ることなんて一つもありません」
素っ気なく返しても、デュランはニコニコ笑っている。
「君になくとも俺にはあるんだ。とにかく体を洗おう。鉄男くん、背中を流してあげようか?」
断固お断りだ。
無視して、少し離れた場所に腰を下ろすと、鉄男は無言で体を洗い始める。
頑なな様子に苦笑の溜息をつき、デュランも体を洗い始め、やがて湯に浸かる。
「――うん、いい湯だ。熱すぎず、ぬるすぎず。しかし、じっと黙って入っているのは、少々物足りない。どうだろう、鉄男くん。少し、こちらへきて俺の話し相手になってくれるというのは?」
再びのお誘いにも頑として頷かず、鉄男は逆に距離を取る。
するとデュランが詰めてきたので、また距離を置く。
などとやっているうちに、だんだん追いかけっこのようになってきて、鉄男は、とうとう温泉の端っこまで追い詰められてしまった。
「はは、鉄男くん。まさか湯舟で追いかけっこをするハメになるとは予想外だったぞ。足腰のいいトレーニングになったな」
じりじりとにじり寄るデュランに恐怖を覚え、鉄男は思わず声を張り上げる。
「ち、近寄らずとも話は出来るでしょう……!」
「その話をしてくれそうになかったから、追いかけまわす羽目になったんじゃないか」と笑ってデュランが湯に浸かり直すのを見てから、鉄男も深々と体を沈める。
「そうだなぁ、鉄男くん。君と話したかったのは君の父上、健造殿の件なんだが。君は、どうも彼を誤解しているようなので」
鉄男は途中で遮った。
「誤解しているのは、あなたのほうです」
聞きたくもない話をされる前に。
「たとえ過去に何処で功績を残したとしても、俺の生活とは関係ありませんでした。俺の知る、あの男は最低な飲んだくれの暴力野郎でしかない……!」
吐き捨てる鉄男をじっと見つめ、デュランが問いかける。
「お父上の暴力は、いつから?生まれた時から、そうだったのかね」
「えぇ」と間髪入れずに頷くと、鉄男は湯へ視線を落とした。
「物心つく頃にはゴミ扱いでした。俺だけではなく、母にも、暴力を……なんでこんなクソ野郎と母は結婚したんだと、ずっと疑問でしたが、今にして思えば、俺の中にいるシークエンスを感じ取っていたのかもしれませんね」
やはり、そうなんだろうか。
或いは健造に能力がなかったとしても、鉄男の母親が能力者だった可能性はある。
自らゴミ扱いだったと言うぐらいだから殴られる蹴られるは常套、さぞ荒んだ少年生活だったのであろう。
あまり詳しく聞き出すのは、鉄男の心の傷を抉りかねない。
かといって、過去の功績を知られないままクソ野郎と息子に判断されっぱなしの健造も可哀想だ。
黙り込んだデュランをチラリと見て、鉄男は何を思ったか、話を締めにかかってきた。
「ともかく、全ては終わった話です。あれが死んで、俺はやっと自由になれた。あれが生きている限りは、ニケアからも出られなかったでしょうから」
「うん、それなんだけどね」と、デュラン。
訝し気に首を傾げる鉄男へ尋ねた。
「君は、どうしてラストワンで面接しようと思ったんだ?ニケアを出ない選択肢もあったろう」
「それは……」
木ノ下にも以前話したが、あのチラシを見た瞬間、呼ばれていると感じたのだ。
チラシは普段、ネットにあげられた原稿を各国の印刷社が印刷して、それぞれの地域へ配送する。
何故ニケアの印刷社がベイクトピアの学校の求人募集を配送しようと思ったのかは、判らない。
求人募集はニケアの学校のチラシもあった。にも拘わらず、鉄男は最初からラストワン一択だった。
「……判りません。ただ、国を出なければ自分が変われないと思ったものですから」
鉄男は言葉を濁し、チラリと上目遣いにデュランを見やる。
出た先で、こんな暑苦しい元英雄との出会いがあるとは、そこまでは予想していなかった。
「うん、それは正解だね。出たおかげで、俺達はこうして出会えたんだ」
今もニコニコと微笑んで鉄男を眺めており、何がそんなに嬉しいのやら。
健造との古い知り合いだとは本人談だが、奴は既に死んだ。
故に鉄男とデュランを結ぶ絆は、もう何処にもない。
父の死因は脳卒中。酒の飲み過ぎが祟っての健康不良だ。
同情の余地もない、自業自得な死因である。
父は酒を飲まない日など、一日もなかったのではないかと思う。
酒を飲んでいる姿しか思い出せない。
酒を飲んでは、暴れる。罵倒する。
時には母にも暴力をふるい、壁を壊し、床には粉々になった酒瓶が散乱した。
過去にベイクトピアで功績を出していたのなら、何故あのように荒んだ生活態度だったのか。
ずっとベイクトピアに住んでいれば良かったのに、何故ニケアに戻ったのか。
鉄男とて、自分の知らない父親の過去に全く興味がないわけではない。
だが、デュランに聞くのは躊躇われた。
聞くことで、この男を喜ばせるのが癪なのだ。
深く考えこんでいたせいで、反応が遅れた。
気がついた時にはデュランの腕に、ぎゅぅっと抱きしめられていた。
「鉄男くん。悩みがあるなら、この俺に何でも話してみるといい」
「はっ、放して下さい!」
耳元で囁かれて、我に返った鉄男は無茶苦茶暴れたのだが、デュランは放すどころか、ますます抱きしめる力を強くしてきて、鉄男のお尻や太ももをサワサワしてくるではないか。
「んん、ツンデレな鉄男くんも可愛いが、今は俺に甘えるターンだぞ、あうっ!?」
もう一度暴れた鉄男の腕が偶然にもデュランの顎にぶち当たり、鉄男に逃げ出す隙を与えたのであった。
「もう、鉄男くんは、やんちゃさんだな、ははっ」
ほがらかに笑われたって、二度と気を許すまい。
これ以上ないぐらい警戒心を昂らせて、鉄男はデュランから離れた場所に腰を落ち着ける。
隅っこに座って睨みつけてくる相手を見つめ、デュランが真面目に戻る。
「先ほどは大分考え込んでいたようだが、鉄男くんにもあったんだね、父上との思い出が」
「思い出がないとは言っていません。ただ、思い出したくない思い出だっただけです」
ぶつぶつと呟き項垂れる鉄男へ、こうも言う。
「鉄男くんには判らないかもだが、健造殿は俺にとって恩人だ。君だって木ノ下くんのことを俺が悪し様に言ってきたら、良い気はしないだろう?」
鉄男が無言で続きを促すと、デュランは話を締めくくる。
「俺の中の健造像と君の中の健造像を照らし合わせて、彼に何があったのか考察させてほしい。俺は知りたいんだ。彼の晩年を」
「……そんなもの、知ってどうするんです。奴は死にました。無様な死にざまで」
吐き捨てる鉄男の脳裏に、父の死に様が、ありありと浮かぶ。
そうだ、あれは他人に語れるような立派な死ではなかった。
家出して数日後に戻ってみたら、父は虫けらみたいに、ひっくり返っていた。
生前、恐ろしい暴力で鉄男と母を苦しめてきたとは思えないぐらい惨めな死体だった。
実家は既にない。空からの爆撃で吹っ飛んだ。
跡形もなく、父の死体も、母との思い出も全て。
そうだ。どのみち帰れる場所などなかったのだ。
鉄男の未来は住み込みの職場で働くか、路上で生活するかの二択だった。
父の死は、爆撃が直接の原因ではない。
酒の飲み過ぎ。健康不良が祟っての死だ。
完全に死んでいると判った時の、安堵感と脱力感。
『自由になれた』という解放感がなかったのは、不思議だった。
死体は爆撃で燃えた。
葬式を出さなくて済んだと思った瞬間、何故か涙があふれて止まらなくなり、わけの判らない感情で鉄男は混乱する。
このまま、ここにいたら自分は駄目になる。危機感を覚えた。
だからだ。
ニケアの学校ではなく、ベイクトピアの学校を選んだのは。
「だって、恩人だからね」
鉄男の気持ちを知ってか知らずか、デュランは笑顔で答える。
「家族と出会ったら、晩年がどうなったのかは当然気になるじゃないか。鉄男くんは気にならないのかい?家族が自分の知らない場所で、どう過ごしていたのか」
「全然、気になりません」
心にもない返事をして、鉄男はそっぽを向く。
全然気にならないわけがない。本音じゃ知りたい。
だが、デュランに聞くのは嫌だ。
当時ベイクトピア軍にいた他の誰かに尋ねたい。
そう、あいつに、父に何の感情も持っていないような人物に。
だってデュランに聞いたら、絶対美化された答えが返ってくるじゃないか。
そんな話は聞きたくない。
知りたいのは、真実だけだ。
押し黙る鉄男を見、デュランが勝手に語りだす。
「健造殿はね、実の父親よりも俺に良くしてくれた。ライジングサンの操縦方法のみならず、正義の在り方やパイロットの心得を教えてくれたのも彼なんだ。軍は生き延びる方法を教えてくれるけど、根本的なこと、倫理や信念概要は置き去りでね。そういうのは一般学校で学べと言わんばかりだ。でも中卒の俺は何かと無知だったから……周りの大人に迷惑をかけることもあった。そうした時、いつも俺を導いてくれたのが」
「やめてください!!」
それが聞きたくなくて口を閉ざしたというのに、どうして空気を読んでくれないのか。
鉄男が大声で怒鳴った瞬間、風呂場は沈黙に包まれる。
ややあって、昂る興奮を抑えた声色で鉄男は続けた。
「恩人だなんだ言われたって、俺には関係ありません。俺の知る、奴は、飲んだくれの暴力野郎で、無様に死んだあと爆撃で粉々に吹っ飛んだ。葬式代が浮いて良かった。それが奴との唯一、嬉しい思い出だ!」
最後のほうは抑えきれず、怒りが表に飛び出してしまった。
「鉄男くん」
デュランは穏やかな笑みを浮かべていた。
瞳に浮かぶ優しい色は、同情か?だったら、もう、ほっといてほしい。
これまでだって、同情されたくて言ったんじゃない。聞かれたから答えただけだ。
「鉄男くんが知る健造殿も俺が知る健造殿も、彼の一側面にしか過ぎない。本当の健造殿を知るのは、本人だけだろう」
何が言いたいのか判らず、またも鉄男は無言になる。
「俺は彼がニケアに戻った後も、幸せで暮らしていると思い込んでいた。だが実際は、そうではなかったようだな。赤の他人に優しく出来るんだ、実子なら、もっと可愛いはずだ。なのに彼は自分の子供に暴力をふるった。ニケアに戻った際、彼の根底を覆す出来事があったんじゃないかと俺は睨んでいる」
では、やはりシークエンスの存在を感じ取ってしまったのか。
しかし奴は、母にも暴力をふるっていた。
息子が怖い、憎いのであれば母は暴力対象外だろう。
それとも、怖い存在を産み落としてしまったが故の責任で母も暴力を受けたのか?
いやいや、そんな、理不尽な。
第一、それだと父は自分で自分も罰せねばならなくなる。
子種を撒いたのは自分自身なのだからして。
首を傾げる鉄男の耳に、デュランの言葉が入り込んでくる。
「これは単なる仮説だが、気を悪くしないで聞いてほしい。健造殿には見分ける能力がなかったと俺は思っている。生前そのような話を彼がしてくれたこともなければ、周りの大人からも聞いていないからね。見分ける能力をニケアの誰かが持っていて、親切にも彼に教えてしまったのではないかな?そして彼は絶望した――人類の未来と正義を重んじるが故に。絶望し、狂気に囚われて、家族に暴力をふるい、自暴自棄に走った」
おのずと、鉄男の脳裏に閃く回答が出た。
犯人は母だ。恐らく。
そうとでも考えなければ、母まで殴られた理由が判らない。
もう一度、記憶の片隅にある父の生前を思い返してみる。
奴は何と言いながら、母を殴りつけていた?
鉄男は過去を思い出すのに没頭する。
再びデュランに距離を詰められて、しかもぎゅっと抱きしめられても気がつかない程度には。
「ご両親を亡くされて、大変だったんだね……だが、これほど立派に育ったのであれば、母上殿も天上で安心なされているだろう」
さわさわと片手で太腿、もう片方では胸板を撫でまわして、デュランはうっとり腕の中の鉄男を眺める。
立派な肉体だ。
シークエンスが頑丈な家だと称するだけはある。
自分に、こんな子供がいたら、毎日愛でまくるだろう。
暴力で怖がらせるなど、もってのほかだ。
デュランは、鉄男の幼少時にも妄想を逞しく働かせる。
鉄男幼少の砌。きっと、いや絶対可愛い子だったに違いない。
お乳を吸う赤ん坊鉄男を想像しただけで、興奮はマックスにまで高まった。
だっこして高い高いして、笑顔にしてやりたい。毎日お風呂にだって一緒に入ってやる。
デュランは独身だ。
結婚話は何度も舞い込んできたが、一度もしようという気にならなかった。
だが、子供は好きだ。赤の他人の子でも、ばっちこいだ。
わがままを言うのも素直なのも、純粋で可愛いと思う。
養成学校の教官は天職であった。下手したら、軍人時代よりも充実した毎日だ。
生徒たちは皆、自分に懐いてくれているし、何でも吸収していく様子を見ていると、こちらまで誇らしくなる。
この気持ちこそが育児、教育の醍醐味なのかもしれない。
鉄男が自分の子だったら、絶対に仏頂面で父との思い出を語るような子には、させない。
「鉄男くん……大好きだよ」
ぽつりと耳元で呟いたら鉄男が我に返ったかして、ハッと顔をあげたと同時に今の状況にも気づかれて、またしても彼は暴れだす。
「は、はなしてください、なんでまた抱きついているんですか!?」
「ん〜、なんだ、鉄男くんはハグがお嫌いなのかね?」
先ほどは油断して顎に一発くらってしまったが、二度目は問屋が卸さない。
がっちりしっかり背後からのホールドで、暴れたって逃がさない姿勢だ。
「誰とでも抱き合うのが好きな人なんて、いるんですか!」
「俺は好きだよ。ハグすると暖かいしね」
「あったかくなりたいんでしたら、湯たんぽと抱き合っていたら如何ですっ」
言葉遣いは下腰だが、鉄男は怒り狂っている。
そんなところも可愛らしい。鉄男が何をしても、可愛いと思ってしまう。
恩人の息子だからってのは、ある。
あるが、しかし鉄男自身がデュランの好みと一致するのが一番の原因だ。
幼少時に親の愛を受けなかったのが原因かどうかは、さておき、鉄男は二十代にしては今時珍しく純真な青年だ。
デュランを快く思っていないくせに教官の師事を求めてくるところなんか、まさにそれだ。
教官の心得やパイロット情報を求めるのであれば、聞ける相手が身近に多々いるではないか。
元軍属で現教官の乃木坂達先輩諸氏ではなく、自分を頼ってきた鉄男の判断が嬉しかった。
「鉄男くんと湯たんぽじゃ比較にもならないよ。鉄男くんは、あったかいね」
「俺を湯たんぽ代わりにしないでください!」
「そうじゃない。心だよ。ハグすると心が温かくなってこないかい?」
「全然なりません!あと、手を動かすのもやめてくださいっっ」
「ん〜、手をどう動かしてほしくないのかな?」
デュランの手は、いまや鉄男が最も他人に触られたくない場所をニギニギしており、不快極まりない。
もう嫌だ――!
そう思った瞬間だった。
温泉はかき消え、鉄男は元の場所、ラストワンに戻っていた。
そして今し方、自分が何を嫌だと思ったのかも思い出せなくなっていたのであった。


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