act6 予兆
木ノ下がシークエンスと話している間、乃木坂は担当の候補生と再会を喜び合っていた。「けど、よく戻ってこられましたね。あいつらに捕まったのに」
ひとしきり喜びあった後、昴が首を傾げる。
「それなんだがよ」と、乃木坂も腕を組んで応えた。
「来訪者に捕えられて死んだ奴ってのは、意外と少なかったらしいんだ」
驚きの情報に、メイラも目を丸くする。
「えっ?でも、あいつら空襲で何百人も殺してきたじゃないですか」
彼らが一番最初に攻めてきた日、大都市ベイクトピアは多大な被害を被った。
それまで他国と争うこともなかった国民は戦う術も持っておらず、地下街とシェルターが建設されるまでに死者の数は一千万人を越える大惨事となった。
「今更善人ぶられたって……」と憤るメイラへ、乃木坂は肩をすくめた。
「連中だって善人ぶっているわけじゃないさ。捕まえたのは研究材料が欲しかったんだからな」
「研究材料?」
声を揃えて驚く三人に、乃木坂は頷いた。
「奴ら、俺達を家畜化するにあたり生態を調べたかったらしい。俺も酷い実験を繰り返されたよ」
「ひ、酷い実験……拷問、とか?」
たちまち青ざめるメイラの肩をぽんぽんと優しく叩き、乃木坂が微笑む。
「まさか。そんな目にあったら、ここへ戻ってこれるはずもないだろ?」
「生態……あぁ、つまり、なるほど。災難でしたね、乃木坂教官」
何かを合点したか昴が頷き、ヴェネッサも俯き加減に赤面する。
メイラとは異なり、聡い二人には判ってしまった。
連中は乃木坂の性器を重点的に調べたのであろう。この星の生命体の繁殖方法を探る為に。
「では、もう我々が雌雄生命体であることも彼らは知っているんですね」
「だろうな」と頷き、乃木坂が天井を仰ぐ。
「奴らが俺達の家畜化を諦めていないとすれば、次に来る攻撃は何だと思う?」
「大規模な都市改造……或いは、今以上の爆撃でしょうか」
空からの来訪者――シンクロイス。
彼らが攻めてきた理由は、人類の家畜化だという。
彼らは他生物へ乗り移ることで命を長らえる種族であった。
家畜化という言葉の響きには器になる以外にも、食料とされるのではないかという危惧があった。
「事のあらましは学長が軍に伝えてある。今頃は軍経由で政府にも話は通ったはずだ。こちらの動きも慌ただしくなるぞ」
「地上にいたら危険だからですか?」と、メイラ。
「そうだ」と頷き、乃木坂は三人全員を見渡した。
「地上に住んでいる人間全員に、そのうち通達が来るかもしれねぇ。全員地下街へ避難しろってな。それか、シェルターだ。あそこならシンクロイスも入れない」
「けど」と、不安の面持ちでヴェネッサが言う。
「彼らは私達に乗り移るのでしょう?どれがそうで、そうではないかを見分ける方法は」
見分ける方法は、今のところ見つかっていない。
そればかりか、地下へ逃げたって助かる保証もない。
頼みの綱はシェルターだが、シェルターに入れるのはベイクトピア国民だけだ。
この学校には、ベイクトピアの国籍を持たない者も多い。
彼らは、どうなってしまうのか。
爆撃されるだけなら、いずれ武器で対抗できると思っていた。
今となっては驚異的な敵の前に、八方ふさがりだ。
この戦い、人類に逃げ場はあるのだろうか――?
表に出なければ話さないと言われては、交替せざるを得ない。
鉄男は大人しく彼女と入れ替わると約束し、木ノ下へ指示を出す。
すなわち、痛くない意識の失わせ方を彼に伝授した。
ややあって表に出てきたシークエンスの話は、突拍子もないものであった。
「あたし達は、遠い宇宙からやってきたの」
遥か何万光年も離れた惑星フーリゲンに住んでいた頃、シンクロイスは穏やかな生活を送っていた。
その頃から他生物へ乗り移ってはいたが、力づくで強奪するのではなく寄生に近い乗り移りであり、元の体主とは共存という形で生きていた。
やがて星の寿命が近いと知り、彼らは他惑星への移住を決意する。
真空でも生きていけないことはなかったが、繁栄には他生物の存在を必要とした。
シンクロイスは何百年もの長い旅の終わりに、この星を見つける。
何故爆撃という手荒い行動を取ったのか?
それに対しても、シークエンスは答えた。
意外にも、先に攻撃したのは、この星の人間だった。
地上から飛んできた火の玉に攻撃され、危うくアベンエニュラは墜落する処であった。
シンクロイスは報復で爆撃した。攻撃した張本人には、結界で防がれてしまったが。
「えっ、じゃあモアロードが?モアロードに攻撃されたってのか!?」
驚く木ノ下に、シークエンスは、ひらひらと手を振ってみせる。
「モアロードっていうの?とにかく堅い結界でね、あたし達の技術でも壊せないなんて相当なものよ」
シークエンスが結界と呼ぶのは、モアロード全土を覆うドームの事であろう。
何で出来ているのか非常に堅く、他国の人間を寄せつけない。
故に、モアロードは全世界より隔離された場所になった。
だが、時折そこから抜け出してくる者がいる。
どうやって抜け出したのかと問えば、彼らは、こう答えた。
念じたのだ、と。
外へ出たいと念じた瞬間、抜け出ることが出来るのだと言う。
モアロード人の能力なのか、それともモアロード内にある装置の仕業なのかは判らない。
モアロード人以外は、誰もそこへ入ったことがないのだから。
モアロードを脱出してきた者達は必ず、こうも言う。
あそこへは二度と戻りたくない――
一体どのような国なのか。
元モアロード人に尋ねても、誰もが口を閉ざした。
カチュアもモアロード人だが、彼女は過去を語らない。
母親のDVを受けていた。判るのは、それぐらいだ。
「戦いの発端は判った。次は、君達自身について教えてくれ」
木ノ下に問われ、シークエンスが肩をすくめる。
「だいぶ話したと思うけど、他にも聞きたいことがあるの?」
「あぁ、家畜化って言っていたけど具体的には何をどうするつもりなんだ?」
「それ?決まっているでしょ。器を増産すると同時に、食用にも回すのよ」
あっさり怖い答えが返ってきて、木ノ下の声は裏返る。
「食用!?食べるのかよ、俺達を」
シークエンスは何を驚いているのかと呆れた顔で、頷いた。
「あなた達だって他の生物を食べているじゃない。それと同じよ」
けど、とも付け加える。
「器にした後だと、味覚が変わってしまうみたいね。この星の人間が食べるものしか受け付けなくなるみたい」
では、ひとまず食料にされる心配はなくなったかと問うと、そうでもないと彼女は首を振る。
「アベンエニュラがいるわ。彼は誰にも乗り移れないから、彼用の食料が必要よね」
あの図体で、どれだけの人間を食うのか。考えただけでも目眩がしてくる。
「ここの軍隊だったっけ、あれらは地下に逃げ込むつもりなんでしょうけど逃げたって無駄よ。もう何人か、この星の人間に乗り移っているもの。地上に降りた誰かが地下街を見つけていたとしても、おかしくないわ」
「大人しく乗り移られるか、食べられるのを待つしかないってのか」
吐き捨てる木ノ下へ近寄ると、シークエンスが彼の輪郭をなぞってくる。
「……そうでもないんじゃない?」
「そうでもないって、何が」と聞きかける木ノ下へ、予告もなく口づけた。
途端に「ッッ!」と泡くって逃げる彼を見つめ、シークエンスは妖艶に微笑む。
「前にも言ったでしょう?乗り移って間もなくなら物理攻撃が効くって。それに、完全無欠に見えるあたし達にも弱点の一つや二つぐらいあるんですからね」
「えっ!?」
まさか、侵略者自身が自ら弱点をさらけ出してくるなど。
いや、シークエンスは元侵略者からの脱走者で今は味方だったか。
木ノ下から身をひいて、シークエンスは鉄男のベッドに寄りかかる。
「あたし達の能力は他者へ乗り移る事と、瞬間転移。それから道具を生みだしたり、書き換える能力。あなたを襲った黒い軍団、あれは、あたし達の道具よ。生き物に見えるけど、中身は機械なの」
「え、じゃあゼネトロイガーと同じ、ロボット……なのか?」
えぇ、と頷きシークエンスが言う。
「大きさは違うけど、似たようなものだわ。だから、あたし達は機械なら自由に改造できる。ただ」
「ただ?」
「この星の機械は、ちょっと特殊ね。軍の乗り物も書き換えが効かなかった」
陸動機を指しているのだろうか。
シンクロイスの道具改造能力は、自前の道具じゃないと上手くいかないのかもしれない。
「ゼネトロイガーにしても、そうだわ。全機に生態パターンがインプットされている」
「へ?」
聞き覚えのない単語を出され木ノ下がキョトンとするのにもお構いなく、シークエンスは推理を続ける。
「ここの候補生、或いは教官じゃないと動かないように設計されているのかも。逆にいえば、そのどちらかに乗り移れば動かせるわけだけど……」
なおも、ぶつぶつ呟いていたが、不意に顔をあげた。
「進、つかぬことを尋ねるけど、ここの学長ってホントに人間?」
「は?」
「いえ、質問が悪かったわね。彼の昔を、あなたはどれだけ知っているの?」
どれだけと言われても。ほぼ知らないと言っても過言ではない。
以前は軍絡みの研究者で、今はラストワンの学長を勤めている。前歴は人伝えの噂のみだ。
「えぇっと……とりあえず、人間であることは間違いないと思うぜ?」
木ノ下は曖昧に答えたが、シークエンスの返事はない。
見れば、彼女は腕を組んで考え込んでいた。
「……けど、それにしちゃあ、生態パターンがおかしいのよね……」
また生態パターンか。
学長の何を疑うというのか。
学長がゼネトロイガーを作ったのは、シンクロイスを撃退する為だ。
だとすれば、彼は人間だ。この星を守りたい、人類の一人だ。
「まぁ、いいわ。この学校にいれば彼のことを、もっと知るチャンスも巡ってくるだろうし」
一旦は考えを収めて、シークエンスが面を上げる。
「爆撃に使った爆弾も、お手製の武器よ。フーリゲンにいた頃は、こんなの作ろうって考えたこともなかったでしょうけどね、あいつらも」
「道具の材料は?どこで調達してきたんだ」と木ノ下が問えば、即答がきた。
「道具を作るのも、材料を集めるのも、全部脳内で構築するの。全部まとめて道具を生み出す能力ってわけ」
「べ……便利なもんだな……」
やっぱり完全無欠なんじゃないか。
そう思った木ノ下だが、シークエンスは項垂れて付け足した。
「そうでもないわ。器は構築できないんだもの」
過去に何度も試したらしい。
だが、どうやっても自分達の乗り移る肉体は作れなかった。
機械ならば、道具ならば簡単に作れるのに。
なら、機械に乗り移ればいいのでは?という木ノ下の案は、即座に却下された。
「あたし達は、これでも生き物なのよ?機械に乗り移った瞬間に即死するわよ。機械がモノを食べる?血を生み出す?呼吸をしている?しないでしょ」
えらい剣幕で怒られて「ご、ごめん」と、しどろもどろになりつつも、木ノ下は一つの提案を出してみる。
「フーリゲンにいた頃は宿主と共存していたって、さっき言ったよな?実際、君は鉄男を乗っ取らないで共存していたみたいだし……あいつらにも、それを徹底するよう、君から伝えてくれないか」
「共存を?そんなことしたって、家畜化を免れるのは無理じゃない?」
木ノ下の提案を鼻息で一蹴すると、シークエンスは彼を睨みつける。
「それに、あたしだって共存する気はなかったわよ。乗っ取りきれなかっただけで」
「え」
「赤子だからイケると踏んでたんだけど。この星の生物って、意外と意志が強いのね」
忌々しそうに呟いて彼女が顔を歪めたのも一瞬で、すぐさま笑顔に戻ると木ノ下に抱きついた。
「けど、結果的には乗っ取らなくて正解だったわね!こうして進と運命の出会いを果たせたし」
早くも木ノ下の額には脂汗が浮かんできた。
じりじりと尻をついたまま戸口へ躙り寄りながら、彼は一つの疑問を口にした。
「そ、それなんだけど……一つ疑問が」
「何?」
「君と、その、例えばヤったとしてだよ?途中で鉄男と入れ替わったら、君の体内に入っている最中の俺のアレは」
「入れ替わったりしないから安心して。何?とうとう、その気になってくれたの!?」
キュピーンと瞳を輝かせるシークエンスを見て、ただちに会話を終わらせる木ノ下。
「あ、いや、だから例えばの話!うん、疑問は解消したよ、サンキュッ」
やばい、この質問は鬼門だった。あとで鉄男からも怒られる。
「……あっそ。とにかく」とシークエンスも締めに入る。
「あたしが味方にいる以上、敵の弱点は判ったも同然でしょ。なんなら、あたしの身体を調べてくれたって構わないのよ。ただし、調べるのは進だけね」
「いや、まぁそこまでしてもらわなくても」
木ノ下が調べたって、女である事ぐらいしか判るまい。
木ノ下に抱きついたまま、シークエンスは話を続けた。
「それと、オカマやタレ目が文句言っていた鉄男とあたしの入れ替わりにしたって、鉄男の意識が表面に出ている間も、あたしの意識は起きているんだから鉄男経由で、あたしの意見を伝えることだって可能なのよ」
オカマやタレ目。本人達には絶対聞かれたくない悪口だ。
それはそうと彼女の弁を信じるならば、鉄男とは無理に入れ替わる必要がないという結論になる。
「次にあいつらが襲ってくるまでには対策も整えられるわ。他の人達にも、そう伝えておいて」
チュッと木ノ下の頬に軽くキスするとシークエンスの意識は奥へ引っ込み、代わりに鉄男の肉体と意識が表に浮かび上がってくる。
目の前で起きる交代劇は、何度見ても見慣れるものではない。
女だった体が男へと変わるのは。
「……話は済んだのか?」と尋ねてくる鉄男へ、木ノ下は全く関係のない話題を振る。
「鉄男が意識を失わないと、シークエンスは表に出てこられないんだよな?となると、常時鉄男が表に出ていてくれたほうが、俺にとっちゃ有り難いかなぁ」
いちいち額に汗して飛びつかれるのを嫌がるのも、彼女に悪い気がする。
じゃあ嫌がらなきゃいいじゃんと言われそうだが、嫌なものは嫌なのだから仕方ない。
シークエンスという一個人の問題ではない。女性全般の過度な接近が、苦手なのだ。
「何故だ」と眉間に皺を寄せた鉄男へは、微笑んでみせた。
「そりゃあ、お前とのほうが落ち着けるし、お前と一緒にいたほうが何かと嬉しいし」
思いがけぬ賛辞に、鉄男は言葉に詰まった。
一緒にいて落ち着けるなどと鉄男に向かって言ってくれるのは、この世じゃ木ノ下ただ一人だけだ。
鉄男が黙り込んだタイミングを図ったかのように、校内放送が鳴り響く。
教官は至急、学長室に集合しろといった放送であった。
「なんかあったみたいだな。急いで行こうぜ」と木ノ下に促され、鉄男も頷く。
二人揃って学長室へ向かった。