神界のハロウィン
神界を守る剣豪アミュが大天使の元を離れたのは、たったの一度きり。先に旅立った仲間を心配して、とある惑星へ舞い降りた、あの日――
奇跡の石は一つしか入手できなかった。
石は全部で三つあり、三つが揃わないと世界を粛正できない。
よって、世界は粛正を免れた。
次の石探索時期は何万年も後になろう。
その頃には、アミュも一人前の神族に成長しているはずだ。
惑星ボルドから戻ってきて、一つ変わったことがある。
アミュが、今までと比べて女らしくなった。
見かけでいうなら今までも充分女らしかったのだが、そうではない。
内面の問題だ。
これまで許嫁と称されていても、アミュがアスペルに興味を持つことは一度もなかった。
それが、優しくなった。
アスペルを思いやるようになったのだ。
ボルドで、アスペルと再会するまで何があったのか。
何度聞いても、彼女は答えなかったけれど。
「今月は収穫祭ですね」
フィーネに言われ、アミュが顔をあげる。
「もう、そんな季節でしたか」
「えぇ。人間達が今年も捧げものを献上してくれるでしょう。楽しみですね」
姉は心底嬉しそうに手を併せると、神殿へ歩いていった。
収穫祭へ向けた準備を手伝うつもりだ。
アミュは剣士ゆえに他の女性とは異なり、そうした準備に関わることはない。
祭りの間は暇なものだ。修行ぐらいしか、することがない。
尤も、それは毎日かかさずやっている日課でもあるのだが。
「アミュ」
姉が出てすぐ、兄弟子がアミュの元へ顔を出す。
「あら、アスペル。どうしました?今日は遅かったですね」
「あぁ。例の収穫祭の件で、ちょっとな」
アスペルがアミュの前で言葉を濁すのは、珍しい。
気になったアミュは追求した。
「ちょっと、とは?」
「いや……今年は趣を変えて、踊り師や楽師以外も地上へ降りようという案があって、だな」
歯切れ悪くアスペルが言うには。
これまでの収穫祭では、地上の民――
すなわち人間が祭りに捧げものを献上し、楽師を引き連れた踊り師が受け取りに行っていた。
だが今年は趣向を変え、美麗なる天使が、ぞろぞろ団体で降りてみようという話になった。
アスペルは、もちろん反対派にまわったのだが、暇を持て余した連中を説得するに及ばず。
今年はお祭り騒ぎの団体様で地上へ降りる事となった。
さらには美麗の中に、アミュもアスペルも名を連ねるハメになってしまった。
「フィーネからは何も聞いておりませんが」
首を傾げるアミュへ、アスペルが首を振る。
「つい先ほど会議で決まったんだ。彼女は知らなくて当然だ」
「そうですか……私も、ですか?」
「あぁ」
困惑したのも一瞬で、すぐにアミュは破顔した。
「地上へ降りれば、他の次元も回れるでしょうか?」
急に明るくなった許嫁には不思議に思ったが、アスペルはすぐに答える。
「さぁ、どうだろうな。時間が余れば、或いは回れるかもしれんが」
答えながら、彼女はどこへ行きたいのだろうと考えた。
収穫祭、前日。
「さぁー皆さん!今日は忙しくなりますわよ!一人もさぼらずに作業開始!ほら、そこ!手を休めずに、刷毛を動かしなさい!」
女房役の古天使が喚く中、神殿は上や下への大騒ぎ。
今、神殿は収穫祭へ向けた準備の真っ最中。
そこへ、新たなる準備が加わった。
地上へ降り立つ面々を着飾らせ、お化粧させ、羽根を一枚一枚ブラッシングし、光の輪へ魔力を注ぐ。
「俺まで着飾る必要など、なかろ……ぶわっ!」
仏頂面で文句を言うアスペルの顔面に、大量の白粉が塗りたくられる。
「ふふっ、アスペル様をお化粧できる日が来るなんて思いもしませんでしたわぁ」
塗ったくっているのは、アミュではない。別の女天使だ。
名前は失念したが、女房役の一人であったはず。
「あら、誰?って顔していますわね。失礼ですわ、私をお忘れ?」
「あぁ、いや」
「全く剣士様は無骨な御方が多いこと。まぁ、そこがいいのだとおっしゃる方もおりますけれど」
早口にまくしたてる彼女へ、別方向から助力を申し出る声がかかる。
「シーズ!こちらのお嬢さんの御髪をとくの、手伝ってちょうだいー!」
しかしシーズは腰を浮かそうともせず、白粉を刷毛で、こんもり掬い上げた。
「そちらは子供達にお任せすれば、よろしいでしょう!私は剣士様のお化粧で忙しいのですわよ」
彼女に化粧を任せた覚えのないアスペルが、すかさず女達の会話へ割り込んだ。
「俺は自分でなんとかするから大丈夫だ」
「あら、お化粧は自分では出来ませんわ。いいですから、ここは私にお任せして」
「あぁ、アミュ!いいところへ来た!一緒に化粧をやりあおう」
見知らぬ天使の手を逃れるようにして、アスペルがアミュの腕をハッシと掴む。
するとシーズはチッと露骨に舌打ちして、先ほど呼ばれたほうへ去っていった。
「どなたですか?」とアミュが尋ねてくるのへは「知らん」と答え、二人は向かい合う。
途端にアミュがプッと吹き出した。
「笑うなよ」
「だって」
アスペルの顔は白粉で真っ白だ。
神界では男も化粧をするが、兄弟子が化粧をしたところなど今まで一度も見た記憶がない。
それもそうだ、踊り師や楽隊と違って彼は剣士だ。アミュと同じ、剣豪クラスの。
およそ着飾る行為とは無縁だった二人が、何の因果か今年は着飾ることになった。
「白粉は、そこまでつけなくてもいいらしいですよ?」
姉経由で聞いた情報を元に、刷毛でアスペルの顔に付着した白い粉をはたき落とす。
続けてクリームの瓶を開けて指ですくい取る彼女を、アスペルは眺めた。
改めて眺めてみても、アミュは綺麗だ。化粧なんて必要ないぐらいに。
ただの兄弟子、妹弟子と言っていた幼少の頃から彼女は異性にモテモテで引く手あまたであった。
やがて大天使様の引き合わせで二人が許嫁となっても、やはり彼女を影で狙うものは多く。
それでも、アミュがアスペルの元を離れずにいたのは。
単に、アミュがそういった恋愛ごとに興味なかったおかげである。
「動かないで下さいね」
クリームを顔面に塗りつけられて、少しくすぐったい。
極至近距離にアミュの顔がある。
かかる息は甘く、もう少し前に動けば唇がくっついてしまいそうな……
「アスペルは眉を書かなくても大丈夫でしょう。そのかわりと言っては何ですが、口紅でも引いてみますか?」
ぼんやり見とれていると、妙な完成図にされてしまいそうだ。
慌ててアスペルは拒否する。
「い、いや、いい。次は俺がやってやろう」
「お願いします」
ぴたりと向き合い、今度はアスペルがアミュに化粧クリームを塗ってやる。
目をつぶり、大人しく塗りたくられながら、アミュは出がけにフィーネから聞いた数々の話を思い出していた。
神界で使われている化粧品は、収穫祭での貢ぎものだそうだ。
地上産のクリームは薄くのびて持ちがいいので、天使の女房にも人気なのだとか。
クリーム自体は、ぬるぬるして多少気持ち悪くあったものの、アスペルの指に触られるのは気持ちがいい。
先ほど、アスペルはくすぐったそうに口元を歪ませていた。
アミュは別にくすぐったくなかったが、その顔を思いだし、クスッと笑った。
「あ、悪い。くすぐったかったか?」
「いいえ」
クリームを塗り終えたアスペルが、アミュの唇に薄く紅を引く。
一拍置いて、唇を重ねてきた。
「……よし」
瞼を開けると、満足そうな兄弟子――いや、許嫁の顔がある。
「驚かないんだな」と尋ねてくる彼へ、無言で頷くと。
すぐにアミュは笑顔になった。
「私達は許嫁ですから。でも、アスペルがこういう行為をしてきたのは今日が初めてですね。どうして、今まではしなかったんですか?」
「どうしてって、そりゃあ」
言葉に詰まり、ほんの数秒黙った後。
視線を中に漂わせて、アスペルはボソッと呟いた。
「お前が今まで、そういう雰囲気に持ち込ませてくれなかったというか……」
「では、これからは」
向かい合い、座った姿勢でアミュがアスペルの手を握る。
「遠慮なさらずに、どんどんしてくださいね。私も、応えたいと思います」
惑星ボルドで、本当に何があったのか。
今のアミュは、これまでの、どの時期の彼女よりも美しく輝いて見えた。