Friend of Friend's

ヲタク女と土建男

この春に高校を卒業して、酒木 結菜は大学生になった。
大学生になったといったって、日常に恐るべき変化は訪れない。
せいぜい勉強が難しくなった程度だ。相変わらず同人誌即売会巡りに精を出す毎日である。
そうそう。火浦 俊平とは、まだつきあっている。
黒鵜戸の友達として知り合った間柄だが、その黒鵜戸本人は最近音信が途絶えている。
火浦も近頃は土建のバイトではなく、正社員に昇格した。
働きっぷりが認められたとの事らしい。
忙しくなるんじゃないかという酒木の予想に反して、週休二日制、却って休みが取りやすくなったそうだ。
「有給取れるようになったら、どっか行こうぜ」と言われているのだが、今のところは酒木の方が多忙である。
土日はほぼ同人イベント参加で潰れ、祭日は祭日で家族サービスに大学でのつきあいと慌ただしい。
そのうち火浦とも疎遠になるんじゃないかと心配になったのだが、あいにく火浦のほうが忘れちゃくれなかった。

『お前、せっかく俺っつー生身の男とつきあってんだから、そろそろオタクは卒業しろよ』
今日も夜に電話がかかってきたかと思えば、切り出し口上で、そう言われて。
「嫌よ。だって火浦くん、ちっともイケメンとイチャイチャしてくれないじゃない」
『野郎とイチャイチャして、どーすんだよ。俺はお前とイチャイチャしたいんだっての』
「あら、残念ね。イケメンとイチャイチャしてくれたら、キスぐらいはしてあげたのに」
火浦が嫌がることを見越しての、ご褒美を出すのは日常茶飯事。
だが、その日の彼は一味違った。
『それ、いつも言ってっけど、ホントに野郎とイチャイチャしたらキスしてくれんだろーな?』
「えぇ、ホントにホントよ。私の前でイケメンとイチャイチャしてくれたらね」
『よっしゃ……じゃあ、明日俺の仕事場に来いよ。ガッコ終わった後でいいから』
「えっ?」
『お望み通り、イケメンとイチャイチャしてみせるっつってんだ。いいか、必ず来いよ?』
「えっ、あ、ちょ、ちょっと!」
聞き返す前に電話は切れて、酒木はポカンと廊下に立ちつくす。
あの会社にイケメン社員なんていたっけ?
いや、それ以前に火浦がホモホモ行為に乗り気な原因も分からない。
彼は、あんなに自分とイチャイチャしたがっていたはずなのに。
それとも、イチャイチャしたいが為の無茶なのか?
だったら、無理矢理にでも酒木へ襲いかかればいいだけの話だ。
なにも素直に、こちらの言い分を聞く必要などないのである。
「一体どんなイケメンとイチャイチャする気なのよ……この、あたしを差し置いて」
自分でやれと言いつつ、いざやると言われると嫉妬。
酒木も難儀な女であった。


学校が終わると、酒木は火浦の仕事場へ直行した。
彼の勤める土建会社の事務所である。
薄い青緑色の制服に身を包んだオジサンが、にこやかに出迎えてくれて、中へ案内される。
「君が酒木さんだろ?話は聞いているよ」と言われたが、一体何の話を聞かされたんだろう。
事務所の奥へ案内されると、「よぉ」と手をあげた火浦に挨拶される。
彼の側に立つのは、華奢な青年だ。
肉体労働の会社にしては、やや不釣り合いな印象を受ける。
青年が頭を下げた。
「はじめまして。火浦くんのお友達だそうですね。小牧 慶一です」
顔をあげられ、失礼とは思いながらも酒木はマジマジと彼を見つめた。
制服から伸びる手足は細い。
こんな手足で鉄筋や木材を持ち上げられるのかと、余計な心配をするほどに。
体つきも隣に並ぶ火浦と比べると、遥かにスマートだ。
筋肉なんて、酒木よりないんじゃないかと思えてくる。
髪の毛は緩やかにウェーブのかかった栗毛。
睫毛も長く、全体的に線の細いイケメンだ。
「小牧さんは、うちの社長さんの息子さんでね。いずれは社長になる予定の跡取りなんだよ」
案内役だったオジサンが紹介して、小牧が手を差し出した。
「よろしく、酒木さん」
「あ……は、はい」
見とれていた酒木も我に返り、握手する。
柔らかい手だ。労働をしたことのなさそうな。
「あ、あの、それで……」
どうして自分に社長の息子を紹介したんだ?と訝しがる酒木に、火浦が屈託なく笑った。
「明日、お前が見学に来るっつったら皆、興味津々でよ。慶一も、その一人な。うまくいったら、経理か事務に勤めてくれるんじゃないかって下心満々なわけだ」
社長の息子だというのに呼び捨てだ。
にしても。
別に、酒木は土建屋に興味があって見学に来たのではない。
火浦がイケメンとイチャイチャするというから、来たのだ。
まさか、この小牧さんとイチャイチャするつもりなのか?
「んじゃあ今日は俺達の仕事っぷりでも、じっくり眺めてってくれや」
「お茶を用意するから、そこの椅子に腰掛けててね。仕事場を見学したいなら、慶一くんに一声かけてくれればいいから」
火浦はクルリと踵を返し、案内役のオジサンもまた、給湯室へ消えていく。
「は、はい」
取り残された酒木は、仕方なく残っていた小牧へ話しかけた。
「あ、あの……小牧さんは、こちらで何のお仕事を?」
「今は、事務を。あとは、お昼御飯の支度かな」
柔らかな音色が返ってくる。
「俊くんはね、鮭おにぎりが大好きなんだ。酒木さんは知っていた?」
俊くんときた。
次期社長と火浦は、どうやら相当仲の良い友達関係にあるらしい。
「い、いいえ」と酒木が首を振ると、どこか嬉しそうに「そう」と彼は言った。
それが何とも余裕有りというか優越感に浸っているように見えたのは、酒木の邪な心がもたらした錯覚だろうか……?

事務室でボーッとしているのも何だしってことで酒木は仕事場へ案内してもらう。
初めて見る職場のカレシは、普段酒木が知る彼と違って真剣に黙々と働いていた。
「いつも、ああやって黙って仕事を?」
「はい、彼は真面目で優秀な社員です。いずれは立派な職人になってくれれば……と思っています」
打てば響く小牧の返事を聞き流しながら、酒木は火浦にしばし見とれる。
結婚するなら絶対高収入のエリート官僚って決めていたけど、こうして見ると肉体労働系も悪くない。
小麦色の肌に流れる汗、盛りあがった筋肉……あの体に、いずれは身を任せるのか。
なんて妄想に浸っていると、「そろそろ、お昼の用意をしなくっちゃ」と呟いて小牧が腰を上げる。
「あ、手伝います!」と申し出たのだが、小牧は「お客さんに、やらせるわけにはいかないよ」と断って去っていく。
またまた手持ち蓋差に放っておかれる酒木の元へ、オッサン達がわらわらと寄ってくる。
「へぇー、この子が俊坊の言ってたコレってやつかい」
親指をグリッと人差し指と中指の間に差し込まれて、少々不快に眉をひそめる酒木を、別のオッサンが囃し立てる。
「まだコレって呼ぶにゃ〜達してねーだろ。俺ァ友達って聞いたぞ、なぁ嬢ちゃん?」
酒木はオッサン達の話を聞き流しながら、視線は注意深く入り口と火浦の両方へ注いでいると、やがて小牧が弁当箱を抱えて戻ってきて、真っ先に火浦の元へ歩いていった。
「俊くん、これ、今日のお昼だよ」
蓋を開いて見せている。
火浦は振り返らず「おぅ、そこに置いといて――」と言いかけ、ふと思いついたように振り返ると、言い直した。
「いや、食べさせてくれ」
言われた小牧は退くでもなく、笑顔で頷く。
「うん、わかった」

――何ですってぇぇ!?

あたしにだって、あんなお願い一度だってしたことがないのにッ。
ギリッと酒木は歯がみする。
酒木の不機嫌に気付いているのかいないのか、二人を遠目にオッサン達がニヤニヤして言った。
「おーおー。相変わらず次期社長と火浦のガキャア、仲のおよろしいこった」
「慶ちゃんは、ありゃあどう見ても気があるよな。俊平のやつに」
「気って、なんの?」
ピリピリして酒木が問えば、オッサンの一人が小指を立てて答える。
「何ってアッチの気だよ、決まってんじゃねぇか」
「ま、噂の一つだから、ナ?本気にすんじゃねぇぞ」
別のオッサンが取りなしたのだが、酒木の目に映ったのは宥めに入ったオッサンではなく、おにぎりをアーンさせてもらって、小牧の指についた米粒をぺろりと舐め取る火浦の姿であった。
「あんっっっの野郎ォォーッ!!」
およそ女子大生が口にするとは思えない言葉を吐き出す酒木に、周りのオッサン達は思いっきりドン引きだ。
「このッ、あたしというカノジョがありながらッ!別の男とイチャイチャするとか、どーゆー了見よ!」
もはや自分で言い出した条件も忘れている。
やはり酒木も女の子、妄想ではイケメン×イケメンで萌えていても、自分のカレシには自分だけを見て欲しいのだ。
「い、いや、あれは単にスキンシップだから!おちつけ嬢ちゃんっ」
周りのオッサンが宥めても、酒木の怒りは収まらない。
「火浦、逃げろー!鬼がそっち向かったぞ!!」
怒濤の勢いで二人に突進すると、仕事場一帯にバチーンと景気の良い平手打ちの音が響き渡った。


帰り道。
「お前、何してくれんだよ。慶一の顔、見事に腫れあがってたぞ」
不機嫌な火浦に言われ、剣呑なツラを酒木は向けた。
「あたしのカレシに手を出した報いよッ」
酒木渾身の平手打ちをくらったのは、火浦ではなく小牧だった。
可哀想に華奢な小牧は平手打ちの勢いで、もんどりうち、床に頭をぶつけて、ちょっとした騒ぎになった。
だが文句を言おうとしていた火浦は、思わぬカレシ宣言に二の句を継ぐのも忘れて、ついニヤケてしまう。
「へへ、カレシ……か」
「そうよっ!」と別段テレるでもなく、酒木は鼻息が荒い。
怒り憤然な横顔を眺めながら、これで上手くいったと火浦は内心ほくそ笑む。
小牧と本気でイチャイチャするつもりなど、もちろん火浦にはなく、酒木とキスしたいが為に小牧をダシにした。
慶一と仲良くなったのは仕事上の偶然なのだが、彼を選んだ理由は、彼がやたら距離ゼロ接近してくるせいだ。
火浦はベタベタした友情ってのが好きではない。
だが、この際使えるものは使おうってんで、利用させて貰った。
「なぁ。約束、忘れてねーよな?」
「はぁッ?約束って、何の!」
「だから、イケメンとイチャイチャしたらキスしてくれるっつー」
しばしの間が開いた。
ややあって、酒木が「あぁ」と気の抜けた返事をする。
「そんなことも、言ったような気がするわね」
「オイオイ、気がするじゃねーよ。何のために俺が今日、あんなキッショイ真似したと思ってんだ?全部、お前とキスするためじゃねーか!」
「そうなの……それで、あんな真似を」
じろりとカレシを睨みつけた時には殺気が漲っていたが、すぐに酒木の殺気は四散する。
「けど、思ったより萌えなかったのよねぇ〜。やっぱ二次元と三次元じゃ勝手が違うのかしら」
心底がっかりしたように、大きく伸びをした。
「腐女子の萌えた萌えないは、どうでもいいけどよ。してくれんのか?しねーのか?キス」
再三火浦には急かされて、「ハイハイ」と振り返った酒木は軽く背伸びする。
喜びに構える火浦の頬に軽くキスすると、さっさと歩き出した。
「お、おい、キスってなぁコレで終わりか!?」
「そうよ。じゃ、あたし帰るから。またね〜」
「ふっざけんなよ!アレでコレじゃ、俺一人イチャツキ損じゃねーかッ」と、今度は火浦が怒る番だ。
しかし彼氏の怒りも何のその、酒木はマイペースに振り返りもせず我が家へ一直線、すたこら帰ってしまったのであった。


おわり
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