act15.学院 興味津々
親善大使が来た当日。待望の昼休みがやってきた。
「ラレットさんって――」
「あぁ、ガルシアでいいよ。君達とは友人として、つきあいたいからね」
親善大使が何か言うたび、周囲からはキャァ〜ッと黄色い歓声があがる。
「そ、それじゃガルシアさん?」
「なんだい?」
「あの、黒真境は如何ですか?駅ナカがゴミゴミしていて、すいませんっ」
「ハハッ、なんで君が謝るんだ。良いところじゃないか、駅の構内も案内板が多くて親切だし」
大勢の女の子に囲まれて、さながら大名行列のように廊下を歩くご一同を、ある者はポカーンと、ある者は興味津々に眺めている。
そこへ、階段を駆け下りてきた人影が合流した。
「あ〜、いたいたァ!親善大使、発見〜!」
ビシッと指さし確認しているのは誰であろう、六月に編入してきたばかりの津山 拓だ。
「あっ、津山くん。津山くんもガルシアさんのお話が聞きたいの?」
「まぁね。俺も加わっていい?」と半分は女子に、そして半分はガルシアへ拓が尋ねると。
「いいよ〜」とガルシアの背後を歩いていた女の子が、場所を少し空けてくれた。
当の本人は、ちらりと拓を一瞥して、にっこり微笑む。
「君は?何年生?」
「二年四組、津山 拓ッス」
ぺこりと頭をさげ、拓も微笑み返した。
「ツヤマ……?」
ほんの少し、親善大使が動揺したように拓には見えた。
だが、そう感じたのも錯覚かと思うほど一瞬で、すぐにガルシアが会釈を返す。
「よろしく、津山君」
よろしくと、もう一度頭を下げてから、拓はマジマジと間近にガルシアの顔を眺め回す。
見れば見るほど、彼はデヴィット=ボーンとよく似ている。
写真でしか見たことのない相手だが、きっちり七三に分けている前髪といい、少しにやけた垂れ目といい。
これで別人だったら逆に驚くレベルだろうってなぐらい、瓜二つだ。
髪型すら変えてこないのは顔が一般人に割れていないという自信なのか、それとも……?
「どうしたんだい?僕の顔に何かついているのかな、津山君」
「あ、イエ、綺麗だな〜っと思って!」
「綺麗?」
「ハイ、髪の毛が。金髪って向こうじゃ沢山いるんだろうけど、こっちじゃ殆ど見ませんからネ」
「あぁ、髪か……そうか、そうだね。黒真境の人は大抵黒髪だから、珍しいかもしれないね」
そう言って、ガルシアが髪の毛を撫でつける。
そんな些細な行動一つを取っただけでも、周囲の女子からは一斉に感嘆の溜息が漏れた。
「あの、記念に一本もらっていいッスか?」
だが、ぶしつけな拓のお願いには、さすがに周りの女子もどよめき出す。
「ちょ、ちょっと駄目だよ津山くん!」だの「失礼でしょ、ガルシアさんに謝って」と口々に批判するものの、何故か視線が拓ではなくガルシアの頭髪に向けられているのは、本音じゃ彼女達も欲しがっているのであろう。
ガルシアは、じっと拓を眺めてから軽く笑って頷いた。
「ハハ……髪の毛を、かい?いいけど、その代わり君の髪の毛も一本もらおうかな」
「俺の?」と思わず聞き返し、拓は自分の頭を撫でる。
「ガルシアさん、だったら私のを!」
勢いよくブチッと何本か引きちぎり、髪の長い女子が差し出した髪の毛を、ガルシアは笑って拒否すると。
改めて拓へ向き直り、ぺろりと薄く唇を舐める。
「うん。そうだよ、君のが欲しい。君は、良い匂いを発している」
「えっ、そぉ?今朝は洗ってないんだけどな。まぁ、匂うっちゃ匂うかもしんねーけど。汗臭いって意味で」
ひょうきんに拓がおどけてみせると、たちまち「やだー、津山くん!」だの「頭は毎日洗わなきゃ駄目だよ〜っ」といった、さも嫌そうな女子の悲鳴が上がる中。
近寄ってきたガルシアが、すんすん匂いを嗅いでくるもんだから、さしもの拓もドン引きして一歩後ろに飛び退いた。
「いや、実にいい匂いだ……食べちゃいたいぐらいに、ね」
「は、はぁ……?」
さらに一歩退こうとする拓、その肩を捕まえるとガルシアは彼の耳元で囁いた。
「君とは、もっと仲良くなりたいな。そう、親密と呼べるぐらいには」
そう言って微笑むガルシアは、きっと女性が見ればクラクラくるほど魅力的なんだろうけども、残念ながら拓は男の子なので、クラクラどころか口の端をひくつかせるしか対応の程がなく。
ぷつん、と髪の毛を一本引っ張られる痛みがしたかと思うと、親善大使がすっと身を退く。
「黒真境には面白いスポットがあると聞いたけど?」
再び会話をする権利が女の子達へと戻り、黄色い声は次第に遠ざかっていった。
一人廊下に取り残された拓は、額に浮かんだ汗を拭う。
「……な、なんなんだよ……一体」
自分でも気づかないほど緊張していたらしく、腕がびっしょり汗で濡れる。
親善大使ガルシア=ラレットは、拓の思っていた以上に危険な人物かもしれない。
しかし途中経過はさておき、毛髪の入手には成功した。
あとは、これを局長かGENさんに頼んで本社へ送ってもらえば、奴がデヴィットか否かも判明するはずだ。
「エイさん、いる――っと、おじゃましました〜」
保健室へ飛び込んで、女生徒に囲まれている長谷部先生を見た瞬間、拓はクルリとUターン。
駄目だ、昼休みの保健室は鬼門だった。すっかり生徒の憩いの場と化している。
「おい拓、待て!」と先生が呼んでいたが、構わず教員室へ向かう。
勢いよくガラッと扉をあけて黒スーツにサングラスを探すと、一直線に走り寄る。
「センセー、東野センセー、ちょっといい?」
東野先生は弁当を食べ終わり、午後の珈琲タイムを楽しんでいたようであった。
どんな時でも生活スタイルを崩さない彼に感心しつつ、拓は勝手に隣の席に陣取ると。
「センセー、これ、親善大使の髪の毛!お守りに一本あげるね」
無理矢理、先生の手に握らせる。
「すっごく珍しい毛だからさ、大事にしてよね」
にっこり微笑んで頷くと、東野も力強く頷いた。
「ありがとう、津山。田舎の母へ送っておこう」
いきなりの展開だというのに全く動じない辺りは、さすがである。
「それじゃ!」と出ていこうとする拓を、東野が呼び止めた。
「あぁ、津山。毛を貰ったということは、親善大使と会ってきたのか?」
「はい!」
「どんな話をしたんだ?」
「えっと……」
どんな話、と言われても。
髪の毛が綺麗って褒めたら、喜ばれた。
記念に一本下さいって言ったら、君のも下さいと言われたので交換した。
もっと仲良くしたいって言われたってなことを簡単にまとめて話したら、東野は顔を曇らせる。
「髪の毛を渡したのか……?そいつは、まずいな」
「えっ、どうしてですか」
素に戻って尋ねる拓の耳元へ口を寄せると、東野も素で囁く。
「奴が真に悪魔遣いだとすれば、我々エクソシストのDNAも調査済みだろう。お前の正体が奴らにバレてしまうぞ」
「あっ」
ガルシアの毛が欲しかったのは、デヴィットと比較してDNA鑑定してもらう為だったのだが。
自分のほうも調べられる可能性があるとは、予想だにしていなかった。
「まぁ、渡してしまったものは仕方あるまい。それで、奴は仲良くしたいと言ってきたのか?お前個人だけと?」
「さぁ……他の子にも言っているのかもしれませんけど、俺と話していた時は俺一人に言ってきました」
下がり眉でヒソヒソ話していると、隣の席の持ち主が戻ってきた。
「津山くん、どうしたの?」
話しかけられて立ち上がった拓は、一転して笑顔になると「何でもないっすよ?」と、そらっとぼける。
そして、もう一度「センセー、また後で!」と東野へ声をかけると、元気よく教員室を飛び出していった。
何事もなく一日が終わり、その夜――
誰かに聞かれてはまずい内容だけに、三人は学内ではなくティーガのアパートへ集合する。
彼の住む地域は天都の外れにあり、滅多なことでは学友も妹も遊びに来ない。
内密話には、うってつけの場所だった。
「サンプルは本社へ送った。あとは検査待ちだ」
局長の言葉に頷き「そうですか……しかし、気になるな」と呟いたのはGEN。
「何がっすか?」
ティーガの問いに「お前の毛を欲しがったり仲良くしたがった理由だよ」と答えると、くんくん彼の匂いを嗅ぐ。
「別に、いい匂いなんてしないよなぁ?」
首を傾げるGENへティーガも併せて「ですよね〜」と笑うのを、真顔の局長が遮った。
「良い匂いというのは、そのままの意味ではないだろう」
「と、言いますと?」
伺うGEN、それからきょとんとしているティーガへも目を向け、局長は言う。
「ティーガから、微量の霊力を感じ取った……そう考えられなくは、ないか?」
「えっ、でも」と、ティーガが反論する。
「俺、普段は霊力使ったりしてませんし!」
エクソシストが霊力を解放するのは、悪魔と戦う時だけに限る。
普段から放出していたのでは疲れるし、悪魔に逃げろと教えているようなものである。
「どんなに抑えているつもりでも、本性から漏れる微量の霊気は消すことができん」
「まぁ、でも、それって本当に微量じゃないですか」と言いかけて、GENはハッとなった。
「えっ、それじゃ親善大使は、その微量を嗅ぎつけたってことですか!?」
「ど、どういうこと?」
まだよく判っていないティーガへ振り向くと、GENは説明してやる。
エクソシストになれるのは、生まれながらに霊力を持ち合わせた人間だけだ。
霊力があると本人が意識するまで、常に体内から霊気が放出されている。
訓練すれば霊気の放出を、ある程度の数値までは抑えることも可能である。
だが、どれだけ特訓しても、小数点以下ミリ単位の霊気は漏れてしまう。
エクソシストが人間として生きている限りは、どうしようもない肉体上のシステムなのだ。
ただ本当に微量なだけに、同業者も悪魔も気づかないことのほうが多い。
つまり、その微量な霊力に親善大使が気づいたんだとしたら、彼が一般人でない事を表わしていると言えよう。
DNAを調べるまでもない。彼はエクソシスト、或いは悪魔遣いのどちらかだ。
同業者が派遣されてきたという噂も聞かないし、となると、これは――
「デヴィット=ボーンに間違いありませんね」
ニヤリと笑うGENに、しかし局長は慎重だった。
「だが、言葉通りの意味である可能性も捨てきれない」
「……と言いますと?」
再び尋ねるGENへ、局長は口の端を歪ませてティーガを見やる。
「津山という一人の学生に惚れたのかもしれん。俗に言う一目惚れ……だ」
一拍の間を置いて。
「え、えぇ〜〜〜っ!?」
GENとティーガ、両方の悲鳴がアパート内に響き渡った。
アホな会話でエクソシスト三人組が盛り上がっていた、その頃。
学内宿舎では、一つの事件が静かに幕を開けた。
「あ、良子。どこ行くの?」
ルームメイトに呼び止められ、良子と呼ばれた少女が振り返る。
「ん、ちょっとね。ジュース買ってくる」
呼び止めた方も、さして気になるわけでもなく、振り向かずに声をかけた。
「ジュース?まぁ、いいけど。十時になる前に帰ってきてよ?あたし、そろそろ寝ちゃうから」
「うん、わかった」
良子は微笑み、部屋を出る。
そして、その足で自販機まで向かい――彼女が部屋へ戻ってきていないと判ったのは、翌日の早朝だった。
寮内はもちろん学内でも噂が飛び交い、寮長や寮生がくまなく探し回ったけれど。
良子は寮内の何処にもおらず、やがて警察へ捜索願いが出され、この日は学院が休みになるまでの騒ぎに発展する。
寮生は全て家に帰らされ、落ち着かない一日を過ごした。
ただ一人、事件の真相を知る者を除いては。
ぴちゃぴちゃと、部屋の隅で音がする。
「アーシュラ、お味はどうだい?久しぶりの新鮮なお肉だ、しっかり味わってくれよ」
暗闇へ話しかけると、ガルシア=ラレットは古ぼけた椅子に腰掛けて窓の景色を眺める。
ゴチャゴチャした街だ。西と比べて、落ち着きがない。
大通りは常に忙しくビジネスマンが歩き回り、田舎へ出ると下品な大声で物売りが騒ぎ立てる。
仕事でなかったら、とても天都に長居したいとは思わない。
独りごちると、ガルシアは窓の景色から部屋の中へ視線を移した。
三ヶ月の間に、あるものを探し当てる。それが彼の請け負った依頼だ。
依頼を引き受けたのは、他に二人。
あいつらには首都以外の僻地を当たらせているが、今のところ、めぼしい報告はない。
自分が首都を担当したのは、ただの気まぐれだ。
首都でアーシュラの食事を調達する傍ら、情報収集と敵の攪乱をしようと思っていた。
そいつが、どうだ。いきなり大当たりを引き当てたかもしれない。
昨日の昼間、一人の生徒から引き抜いた髪の毛をガルシアは、うっとりと眺める。
一般人には感じることもできまいが、微量の霊力をまとっている。
津山 拓はエクソシスト、或いは未覚醒の霊能力者である可能性が非常に高い。
前者なら叩き潰すまでだが、もし後者だとしたら。
ラングリットやバルロッサには知られぬうちに、自分の手中に収めておきたい。
場合によってはCommon Evil本社にだって、彼の存在を教えたくない。
「もしかしたら巫女の血、かもしれないな」
ごくりと喉を鳴らし、大切そうに拓の髪の毛を机の引き出しにしまい込むと。
ガルシア=ラレットことデヴィット=ボーンは、相棒に声をかけた。
「もっと美味なシロモノを捕獲できるかもしれない。楽しみに待っていてくれよ」
『我は……』
暗闇から声が響く。
『……ついていかなくても、よいのか?』
「いいさ。なんとかできると思うよ、君がいなくても。向こうは油断しているようだしね」
涼しい顔で答えると、デヴィットは鞄を引っかけ戸を開ける。
かと思えば、鼻の頭に皺を寄せ小さく呟く。
「……こんな場末のアパートでさえも、血の臭いが目立つとはね。あとで消臭剤を買ってきたほうが無難かな」
掠れた音を立てて扉が閉まる頃には、暗闇から漂う異常なほどの死臭もピタリと止んでいた。
act15.組織 旧豪邸にて
翌日――
バニラの指示に従って、THE・EMPERORの社員は二手に分かれる。
一組は廃寺へ向かい、もう一組は旧豪邸へ。
どちらも、悪魔遣いが隠れるに適した空き家である。
だが人手に渡らず放置された空き家へ侵入するには、役所での手続きが必要だ。
手続きはバニラに任せ、BASILとDREADは廃寺へ。
残りのメンバーは旧豪邸へ向かった。
「
富錘って人が住んでいたみたいね、昔」
電車に揺られながらSHIMIZUが言うのへは、後輩のスザンヌが応える。
「らしいですね。にしても田舎の豪邸に買い手が付かないなんて、深刻な不況なんスかねぇ」
「放置されて十年以上経っているらしいわよ?売る気がないんじゃ買い手もつかないんじゃないかしら」
窓の景色が、建物の灰色から緑一色へと変わる。
D番地ともなると、田舎の奥地も奥地。
ここから先は未開発の土地が広がっている。
都心部じゃ住む家もないと騒がれているのに、奥地では住んでいる人を捜す方が難しい。
「こんな見晴らしのいい場所に立てたんじゃ、買い手もつきませんよねぇ」
無人駅に降り立ち、スザンヌが呟く。
遠目に草ぼうぼうの丘が見える。
旧富錘邸は、探すまでもなかった。丘の上に見える大きな屋敷が、それだろう。
「……大人しいわね、ZENON」
ヒソヒソとSHIMIZUに耳打ちされ、スザンヌは振り返る。
電車の中で二人が雑談している間、ZENONが混ざってくることは一度もなく。
むっつりクチをへの字に結んで腕を組み、奴は大人しく座っていた。
「バニラさんと別行動だから、しょぼくれているんでしょうよ」
聞こえないようヒソヒソ声で言い返すと、一番の若輩は歩き出した。
「ひとまず、そこのベンチで連絡を待ちましょう。許可が取れ次第、屋敷へ突入です」
「えぇ、判っているわ」
駅周辺には人っ子一人、いやしない。
ここで降りたのだって、エクソシストの三人だけだ。
ポツンと立った電話ボックスの側にあるベンチへ、三人並んで腰掛けた。
もうすぐ、バニラから電話が来る予定である。
役所で許可を取ったら、連絡する手はずになっていた。
一方、ライトバンで廃寺に向かった二人だが――
「おい、おかしいぜ。さっきから同じ処をグルグル回っているような気がするんだが」
最初に異変に気づいたのは、ハンドルを握るBASILだった。
「気がするんじゃないZe。確かにグルグル回ってる」
助手席のDREADがナビを指さした。
「この通り、ちゃんと走ってんのかYo?」
「走っているよ!方向音痴じゃないんだから」
ナビが示す通りに走っているつもりなのに、一向に廃寺へ近づく気配がない。
そればかりか、何度も同じ交差点を行ったり来たりしていた。
「このナビ、壊れてんのかYo」
ツンツンとナビを突いてみたりしたが、そんな程度で精度が判れば苦労しない。
念のため裏側も見てみたDREADだが、肩をすくめた。
ちゃんとコードも繋がっている。
「いや?天馬に来た時は正常に動いていたよ」
現に、そのナビを使って天馬町まで来たのだ。
壊れていたらバニラが気づくはずだ。
「じゃあ、廃寺なんて存在しねぇとKa」
「まさか」とは思ったが、一応車を路肩に止めナビで再検索してみる。
「てんりゅうじ、と。ほら、あるじゃないか」
あるもなにも、出がけに自分で目的地を入力したのだ。
走っている途中で廃寺が解体されでもしなければ、今もそこに存在しているはずである。
「ほんじゃ〜あるのにつけないってのはなんDa?Do−なってんだYo!」
ギャアギャア騒ぐ相棒を尻目に、BASILは腕を組む。
「……考えられるのは結界、かな」
「結界イィ〜?」
「そうだ。何者かが寺の周辺に結界を張って、妨害している……とは考えられないか?」
「何の為に?」
「エクソシストを中へ入れない為に」
ここまで言えば、さすがに鈍いDREADでも思い当たるフシはあったようで。
「ハゲ野郎か!」
叫ぶ彼へ頷き、BASILは前方を見据えた。
「か、或いは奴の仲間か。何にしろ、廃寺には何者かが潜んでいる。そうでもなければ、ナビを使っているのに車で寺に辿り着けない理由が判らない」
「よっしゃ!そうと判れば結界を探知してみようZe!」
さっそくバンの外へ出たDREADが、トランクから探知機を取り出して組み立て始める。
目には見えない結界へ目を凝らし、BASILは首を捻った。
「十メートル、いや一キロ以上か……?」
宿泊しているホテルから廃寺まで、三キロと離れていない距離にある。
にも関わらず、一つの交差点も抜けられない。
かなり広範囲に渡って結界が張られていると考えたほうが良さそうだ。
それほどの結界を張れる人物となると、ラングリット以外には思いつかない。
「こりゃあ、バニラさんの予想がビンゴかなぁ」
ぶつぶつぼやいていると、DREADが顔をあげた。
「できた!検知するZo」
「あぁ、頼む」
結界探知機は、歩道の半分を占拠するほどの大きさだ。
それがギーギーガーガーと耳障りな音を立てて、動き出す。
町の中心ともなると人の通行は、それなりにあるのだが、皆、黙って脇を通り抜けていく。
立ち止まって見物するほどの暇人はいないのか、或いは関わり合いになりたくないだけなのかもしれない。
「Yo,結果が出たぜ」
「どれ?」
モニターを覗き込むと、廃寺を中心に大きな円が点滅している。
その範囲、直径二キロ半――!
「こいつぁ、決まりだな」
ニヤリと笑うBASILを見て「っていうと?」と、首を傾げるDREAD。
「ラングだよ。奴は廃寺にいる。とにかく俺達だけで行くのは危険だから、役所に寄ってバニラさんと合流しよう」
それにはDREADも異存はない。
二人は機材をしまうとバンを走らせ、一路役所へ向かう。
時間は少し戻って、ZENON達が電車に乗るよりも数時間前。
ラングリットの遣い魔パーシェルは、とある人物を捜して最寄りの駅まで来ていた。
巫女の血を引く者――本社の情報部が掴んだ資料によると名前は『津山 祀』というらしい。
悪魔が巫女の血を我が物に出来れば、桁違いの戦闘力アップが期待できる。
悪魔のパワーアップは、そのまま悪魔遣いの戦力アップにも繋がる。
利益の一致した悪魔遣いと悪魔は共に手を取り、巫女捜索に取り組んだのである。
『ニャ?どうして通してくれないニャ!』
――さて。
その遣い魔パーシェルだが、先ほどから改札口で駅員と押し問答の真っ最中。
電車に乗りたいのに、駅員が通せんぼして入れてくれない。
「ですから、切符を先にお買い求め下さいと申し上げているじゃありませんか」
すっかり呆れ顔の駅員は真横の機械を指さしながら、何度目かの説明を繰り返す。
『キップ?キップって何ニャ!そんなのパーシェルは知らないのニャ』
「切符は切符販売機で、お買い求め頂けます。お客様は何処まで、お乗りになる予定ですか?」
『どこ?どこまで行くのニャ?』
「上りの終点は天都駅、下りは松坂駅が終点となっております」
『てきとーでいいのニャ♪とにかく乗せるニャ!』
「ですからぁ」と、この繰り返しなのである。
些か駅員もウンザリしており、周りには物好きの人だかりが出来ている。
改札口も混雑してきたので、駅長は部下を手招きで呼び寄せると小声で耳打ちした。
「君、場所を変えて、お話ししてあげなさい」
「はい……ですが、あの子、電車とは何?から始めないと駄目なんじゃないですかね?」
言われて、駅長はパーシェルを一瞥する。
見た目、十五から十六歳ぐらいだろうか?
あの歳で電車を知らない、なんてこともないだろうに。
黒い上下に身を包み、耳に鈴のイヤリングをぶらさげている。
この辺りでは見かけない服装の女の子だ。
「ひとまず駅員室までお連れして、切符と電車の仕組みについて説明してあげなさい」
「判りました」
かくしてパーシェルは駅員室へ連れ込まれ、とくとくと駅員から電車の仕組みを教わった。
説明すること三時間半。
パーシェルは『お金がかかるなら乗らないニャ』とようやく理解して、駅を去っていった。
「……なんだったんだろうなぁ」
呆然とする駅員を残して。
たとえ電車が使えなくとも、足になるものは幾らでも存在する。
駅前に停まった車のドライバーへ話しかけて、パーシェルは行き先不明のドライブへ出発した。
運転席に座った若い男は彼女を助手席へ乗せて、スケベそうな視線で話しかけてくる。
「なァ今の時間、学生はガッコーだろ?お嬢ちゃんはガッコー行ってないのかい」
『パーシェルは学生じゃないニャ』
「へぇ〜そうなんだ。俺っちもヨ、学生じゃないんだぜ。こう見えても社会人なのヨ」
チラと彼を一瞥して、パーシェルは首を傾げる。
こう見えてとはいうけど、男は真面目な会社員だとは到底言いかねる格好をしていた。
サングラスにリーゼントなんて、今時どこへ行っても見かけないセンスだ。
学生諸君だってドン引きするレベルだろう。
おまけにシャツは南国カラーだし、悪趣味なタトゥーを腕に彫っているしで。
こんな奴に働き口なんてあるんだろうか?
そもそも平日朝から駅前に車を停めて、何の仕事をしていたと言い張るつもりなのか。
――まぁ、いい。
所詮この男は足代わりであり、それ以外の何物でもない。詮索は無意味だ。
「お嬢ちゃん、行きたい店があるんなら何処でも言いな。俺っちが奢ってやっからヨ」
『そうニャの?じゃあ……』
少し考え、パーシェルは思いついたことを言ってみる。
『この辺で一番大きな建物があるトコに行きたいニャ!』
「大きな建物?面白い注文だねェ。さて、と……大きな建物っていやぁ、そうだなァ」
男も記憶をフル回転。さすがは地元の人間なのか、すぐに閃いた。
「よっしゃ、あそこなら、きっとお嬢ちゃんも気に入るぜぃ」
『どこニャ?』
「そいつぁ、ついてからのお楽しみさ!」
『わかったニャ』
男の邪な下心にも気づかずパーシェルは素直に頷くと、車の窓に張りついた。
駅前で引っかけた運転手――名前は大石 覚というらしい――にパーシェルが連れてこられたのは、天馬町の僻地。
D番地にある、大きな廃屋であった。
半分居眠りをこいていたパーシェルは、大石にユッサユサと揺り起こされる。
「お嬢ちゃん、パーシェルちゃん、ついたぜ?ご希望に添えるビッグサイズの建物だと思うんだが、どうだい」
意識の覚醒と共に、まず最初にパーシェルが感じ取ったのは三つの霊気だった。
常人のものとは桁違いの霊圧だ。
これだけの波動の持ち主となると、エクソシストに違いない。
『ニャ!』
たちまち戦闘態勢に入った彼女の髪の毛は逆立ち、目は金色に光り輝く。
「なっ、なんだぁぁっ!?」
驚いたのは大石で、豹変のパーシェルを見て腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
男には目もくれず、パーシェルは油断なく周囲を見渡す。
こちらが気づいたぐらいだ、向こうだって既に気づいているだろう。
――何処だ?何処にいる。
気配はすれど、正確な位置が掴めない。否、霊気が三つ手に分かれた。
『小賢しいニャ。ニャら、一つずつ潰してやるニャ!!』
ダンッと弾みをつけて大石の車に飛び乗ると「ヒ、ヒィィッ」という悲鳴を真下に聞きながら、更に飛び上がる。
屋敷の塀に飛び乗った後は四つ足で全力疾走し、二階のベランダへ飛び移った。
「な、な、なんだよ……あいつ、バケモンだったのかぁっ!?」
残された男は、もう、気が気じゃない。
震える手でエンジンをかけると、その場から一目散に逃げ出した。
そういえば、思い出したことがある。
最近、首都で行方不明者が多発しているそうだ。
無惨に虐殺された死体が放置されていたという噂もあった。
内臓を食われて放置された死体の話も。
きっと、さっきの奴みたいなバケモノに襲われたのかもしれない。
もしかしたら自分も、その仲間入りを果たしていたかもしれないのだ。
恐ろしい。ナンパは、程々にしておかないと。
そう、堅く心に誓った大石であった。
パーシェルが車で到着する前、ZENON達はバニラの許可を得て屋敷に潜入していた。
にわかにZENONが「何か来やがったぞ!」と叫ぶのと同時に、SHIMIZUとスザンヌも予期せぬ来訪者に気づく。
「何これ……悪魔の気配!?」
「どうして悪魔が、ここに!?」
二人同時に叫んで窓の外を伺えば、真っ赤な車が屋敷の前に停まっていた。
まさか悪魔が運転してきた訳でもあるまい、運転手と思わしき男が地面に座り込んでいるのを見つける。
だが目視で確認できたのは、そこまでで。
彼らは本能で散り散りに分散した。
ZENONは二階の寝室へ、SHIMIZUは台所へ、スザンヌは書斎へ飛び込む。
ほぼ同時に二階の窓が割られ、鋭い気配を発する何かが屋敷内へ侵入してきた。
『ニャア!見つけたニャ』
髪の毛を逆立てた黒服の女だ。いや、女に見えるが人間じゃない。
放つ気配が異形の者、すなわち悪魔のもつ魔力と同等だ。
悪魔と真っ向対面したZENONも、己の霊力を解き放つ。
「出やがったな、ハゲ坊主の遣い魔が!内臓全部えぐり出して三味線にしてやるぜッ」
遣い魔が単身で乗り込んでくるとは思いもよらなかった。
てっきり悪魔は悪魔遣いと一緒に行動しているとばかり考えていたのに。
だが、これは好都合とも言える。
悪魔さえ先にぶちのめしてしまえば、悪魔遣いは無力になる。
目の前の猫娘パーシェルがラングリットの遣い魔であることなど、エクソシストなら誰でも知っている情報だ。
実力は第二種。普通に戦えば、ZENON一人で太刀打ちできる相手ではない。
『パーシェルは三味線なんかにならないニャ!内臓全部絞り出すのは、そっちニャッ』
襲い来る鋭い爪をギリギリでかわすと、ZENONは寝室のドアを体当たりでぶち破る。
「こっちだ、ニャン公!俺ァ、そんなノンビリ攻撃じゃ捕まらねぇぜ!!」
廊下に飛び出た勢いで、降りるというよりは転がり落ちる形で階段を降りていった。
『だーれがニャン公ニャ!パーシェルには、パーシェルって名前があるんニャ』
逆上のパーシェルも階段の手すりを滑り降り、先に逃げたZENONを追いかける。
あと少しで手が届きそうな寸前、鼻先で勢いよくドアを閉められて。
パーシェルは『フニャンッ!』と情けない悲鳴をあげて、鼻先を押さえ込んだ。
鼻の頭がジンジンする。
思いっきりドアに顔面から飛び込んでしまったせいだ。
これというのも、あの男、ZENONが突然ドアを閉めるから。
『い、痛いニャ……ぜぇ〜〜ったい、許さないニャ!ぷんぷんニャッ』
ドカドカと腹いせにドアを蹴っ飛ばすも、何を置いたのやらドアの砕ける気配がない。
『ニャ〜!開けるニャ!威勢のいい事言っといて、逃げるニャンて卑怯ニャ!!』
ドアが開かないなら別の道を探せばいいものを、そこまで頭の回転が早い悪魔でもないようだ。
食堂へ逃げ込んだZENONはSHIMIZUと合流し、使えそうな物を手当たり次第にかき集める。
「いいか!奴とはマトモに戦うんじゃねぇッ。まともにやりあえば、こっちが痛い目を見るだけだ」
食卓塩や豆電球をかき集めるZENONへ、ヒステリックにSHIMIZUが返す。
「じゃあ、どうやって戦うつもりなのよ!?奴には銃もナイフも効かないってのに!」
「忘れたのか?奴らの弱点は基本、炎だ!それと聖なるものがありゃあ、もっといいッ」
幸い、コンロにガスは通っている。
ZENONは火をつけ、フライパンを熱し始める。
「聖なるモノですってェ!?教会じゃないのに、そんなのあるわけないじゃない!」
言い返しながらSHIMIZUも棚をあけ、包丁を二、三本、手に入れた。
『ニャア〜!!』
ドアが木っ端微塵に吹き飛び、怒り心頭のパーシェルが飛び込んでくる。
そこへ間髪入れず、ZENONが何かを振りまいた。
「これでもくらえッ、猫女ェ!!」
何を撒いたのやらと首を傾げるSHIMIZUの前で、パーシェルは嫌というほどクシャミの大連発。
『ミャ、ミャッ……ミャップシュ!ニャア、ニャニすんニャ……ップシュ!』
「いくぞ、次の部屋に逃げ込め!」
「えぇっ、また逃げるのォ!?」
ZENONに腕を引っ張られる形でSHIMIZUも走り出し、胡椒にまみれる猫娘が取り残される。
『まっ、まっ、待つ……ニャァップシュ!ぜ、ぜったい許さニャイ……ップシュ!』
走りながら、ZENONは懐から携帯電話を取り出した。
何とかして援軍を呼ばなくては、三人揃って天国行きの階段を登りかねない。
着信までのツーツー音が、もどかしい。バニラさん、早く出てくれ――
祈りは天に通じたか、バニラの『ZENON、どうしたんだい?』という声を聞いた直後。
話そうとしたZENONは間一髪、凶刃ならぬ凶爪の一撃をやり過ごす。
『チィッ!よくかわせたニャ、今の一撃を』
慌てて振り向くと、いつ追いついてきたのか、目を釣り上げたパーシェルが仁王立ちしていた。
後方には床に倒れたSHIMIZUも見える。
悲鳴をあげる暇すらなく、やられてしまったのか?
『あのオンニャは後回しニャ。まずは、お前からズッタズタにしてやるニャ!!』
いきり立つ悪魔の弁を聞く限りでは、SHIMIZUは気を失わされただけのようだ。
流れる血の量が心配だが、襲った本人がああ言うからには致命傷ではないのだろう。
「……そうかよ、まずは俺から倒そうってのか」
完全にかわしたと思ったが、額からは赤い血が垂れてくる。
「俺は、そう簡単にゃあ倒れねーぞ!覚悟してかかってきやがれッ」
『それはコッチの台詞ニャ!パーシェルを一人で倒せると思ったら大間違いニャッ』
まともに戦えば、やられる――だからこそ、時間稼ぎは必要だ。
「ってわけで、ついてこぉい!」
クルリと身を翻し、ZENONは脱兎の勢いで走り出す。
『ニャア!?ま、また逃げる気ニャ?卑怯者ォ〜!』
旧豪邸を舞台に繰り広げられる、猫と大男の追いかけっこ。
無論その間に隠れていたスザンヌが、バニラ達へ連絡を取ったのは言うまでもない。
だが、援軍が到着するまでには時間がかかる。
「俺も……援護しないと」
恐る恐る書斎から顔を出したスザンヌは震える足をバシバシと殴り、二階へ続く階段を駆け上っていった。