EXORCIST AGE

ある夏祭りの日常

風に乗って、祭りの音が聞こえる。
「ほらっ、早く!GENさん、早く行こうよ」
走り出すティーガの背中へ、GENは微笑んだ。
「走るのはいいが前に気をつけろよ、ティーガ。そう急がなくたって、祭りは逃げやしないぞ」
毎年夏になると、天都の首都で盛大な祭りが開かれる。
道沿いには屋台がずらりと並び建ち、中央広場には大きな櫓が建てられる。
祭りに来るのは地元の人間だけではない。
天都中の人間が集まってくるのではないかと思うほど、人の入りが多い。
幼い頃はGENもよく両親や姉に連れられて、祭り見物へ出かけたものだ。
汗を散らして御輿を担ぐ男達の姿。
そして盆踊りを照らした花火の美しさは、今でも脳裏に焼きついている。
「でも、屋台の売り切れは待ってくれないかもしれないでしょ!だから急ごっ」
ぐいぐいと腕を引っ張ってくるティーガに押し負けるようにして、GENも少し早足になる。
そうか、ティーガは、これが初めてなんだっけ。
研究所育ちの彼が、お祭りという名のイベントへ参加するのは。

ティーガとGENは、天都の夏祭りへ足を運んでいた。
仕事の合間を縫うようにして取った、たった一日だけの休暇だ。
他のメンバーにも内緒で、二人っきりの祭り参加となったのには訳がある。
社長に命じられたのだ。
世間知らずの新米に、一通りの”常識”を教えてやれ……と。
そこで白羽の矢が立ったのが、先輩であり育成役でもあるGEN。
彼は首都出身ではなかったものの、依頼との兼ね合いで首都には詳しい。
スケジュールと見合わせて、ちょうど時期が重なっていない天都のお祭りを選んだというわけだ。

「ねねね、GENさん、これ何?これ!テカテカしてツルツルして可愛い!」
「あぁ、それは飴細工だな。一つ買ってやろうか?」
「飴細工?飴?食べられるの?」
通りに入った途端、屋台に引っかかったティーガへ飴細工を一本買ってやる。
近づけたり遠ざけたりしながら飴を眺めたティーガは、へへっと笑うと大事そうに持ち替えた。
「どうした?食べないのか」
「うぅん。食べられると判っててもさ、勿体ないなって思って」
「勿体ない?」
首を傾げるGENに、ティーガが頷く。
「うん。だって、せっかくGENさんが買ってくれたのに食べちゃうのは勿体ないよ」
この後輩は、時々とんでもなく可愛いことを言い出すから困る。
「今日は一日休みなんだ。お前が欲しいなら、何でも買ってやるぞ」
気前の良いところをGENが見せると、一旦は「ホント!?」とティーガも目を輝かせるが、すぐに、きまりが悪そうに呟く。
「……あ、でもGENさんばっかりに払って貰うのは悪いし」
「何言ってんだ、いつもは昼飯だって遠慮しないくせに」
こつんと軽く頭を小突いてやると、ティーガはプゥッと頬を膨らませた。
「あ、あれはGENさんが奢ってやるって言うから、ゴチソウになってるんス!」
それにしたって、一度だって遠慮したことなどないくせに。
今日に限って慎み深いのは、何故だろう。
「あっ!GENさん、あっちで太鼓の音が鳴ってるよ」
道の奥からは祭り囃子に紛れて、人々の歓声も聞こえてくる。
ちらりと腕時計を一瞥し、GENはティーガを促した。
「あぁ、そろそろ御輿が出陣する時間だな。行ってみるか、ティーガ」
「うん!」
ちからいっぱい笑顔で頷くと再びGENの腕を引っ張って、ティーガが我先にと走り出す。


御輿を眺め盆踊りの輪に混ざって、気がつくとティーガを見失っていてGENは青くなった。
盆踊りの最中、ティーガが何か言っていたように思う。
踊っている間に尿意をもよおしたのであろう。
屋台で食べ過ぎたせいか。
トイレに行って、それっきり戻ってこない。
他の社員なら、それほど心配する必要はない。
大概がいい歳をした大人だし、たとえ迷子になったとしても戻ってくる術を知っている。
しかしティーガは下界の出身ではない。
下界の常識やルールを、ほとんど知らないと言っても過言ではない。
どうしよう。
トイレから戻る最中で、ガラの悪い連中にティーガが絡まれたりしていたら。
或いは、人相の悪い輩に拉致されたのか――GENは途方に暮れる。
いくらティーガが無知とはいえ、もうすぐ十八歳にもなろうという小僧、むざむざと誘拐されるとは思えないのだが。
しかし彼に対しては、超がつくほど過保護なGEN。
心配すればするほど、悪い方向しか浮かんでこない。
居ても立ってもいられなくなり、ひとまずは見当をつけたトイレのある方角へと走り出す。
はたしてGENの予想は当たったか、トイレの裏側に人の気配を感じた彼は一旦スピードを落とすと木々の間に紛れ込む。
死角となる場所で息を潜めて伺うと、こんな会話が聞こえてきた。
「――だからよォ、金出せっつってんだ。金、持ってんだろ?あんだけ買い食いしまくってたんだからよぉ」
しゃべっているのは鼻にピアスをぶらさげた、目つきの悪い男だ。
両手をポケットにつっこんで、ティーガの周りをハイエナのようにウロウロしている。
もう一人、ティーガの背後を抑えているのも、あまり素行が良さそうとは言えない風貌で、髪の毛を鮮やかな茶色に染めていた。
「俺、金なんか持ってないよ?」
状況が読めているのかいないのか、肝心のティーガに緊張は見えない。
自分がカツアゲされているという自覚もなさそうだ。
「じゃあ、一緒にいたオッサンが持ってたのかよ」
オッサンというのは間違いなく自分を指しているんだと判り、草陰で密かにGENはショックを受ける。
男達は、自分とそう大差ない年齢のようにも見えるのだが。
なのにオッサン呼ばわりとは。そんなに俺って、老けてみえるのか?
「GENさんはオッサンじゃないよ」
むっとしたティーガが言い返すも、次の瞬間には腹を蹴られて体をくの字に曲げる。
「口答えすんじゃねェッ」
蹴ったのは鼻ピアスだ。
体勢を立て直そうにも背後からは茶髪のケリが背中へ入り、為す術もなくティーガは地面に転がった。
ゲホゲホと苦しげに咽せる彼の体を踏みつけ、茶髪が憎々しげにティーガを睨みつける。
「おい、そのオッサンは今、どこにいんだ?」
「お、オッサンじゃないって言ってるのに……」と、またしても口答えする相手に容赦のない蹴りが入る。
「口答えすんなっつってんだろーが!」
まただ。あの鼻ピアス、二回もティーガを蹴りつけやがった。
もう、我慢できない。
そう思った時には、体が動いていて。
GENは飛び出した勢いに任せて、鼻ピアスの青年を殴りつける。
いい音がした。
血が飛び散り、鼻を押さえて鼻ピアスの男が藪に倒れ込む。
「だ……駄目だよ、GENさん、本気で殴っちゃ……!」
弱々しくティーガが止めるも、怒りマックスなGENの耳には届かない。
唖然としている、もう一人の茶髪男にも加速のついた蹴りを叩き込んでやる。
「ぐふっ!」
つま先が腹にめり込み、茶髪は地べたに這いつくばるとゲェゲェ吐き始めた。
屋台で食べたものを全部吐き出し、それでも足りずに胃液も吐いた後、彼は昏倒してしまった。
「二人がかりで未成年を襲いやがって。貴様等、それでも大人のつもりか!?」
鼻ピアスの襟首を掴んでGENが凄んでみせると、相手は鼻血と涙でぐしゃぐしゃな顔を歪ませる。
「ゆ、許してぐだざい……お、お金が欲しかったんでずぅ」
「金が欲しかったら働け!子供からゆすり取るんじゃないッ」
乱暴に振り落とす。
尻餅をついた鼻ピアスは、ヒィヒィと情けない声をあげて後ずさった。
「……二度としないと誓うか?」
一歩GENが近寄ると、鼻ピアスは地面に顔をなすりつけて許しを請う。
「し、しばせん!絶対しばぜんからぁ、許してぐだざい!!」
泥と鼻水と涙と鼻血で汚れまくり、もはや先ほどまでティーガを脅していた人物と同一とは思えなくなってきた。
たった二発で、二人の大人の戦意を喪失させてしまうぐらいだ。
GENの攻撃は、ティーガがくらった三発など比にもならないぐらいの痛みだろう。
被害者だというのに、ティーガは彼らが可哀想になってきた。
なので未だ怒りの収まらぬGENを宥めようと、甘えまくった声をかける。
「……GENさん、GENさーん。うぅ〜、お腹が痛いよぅ」
まぁ、痛いのは本当だ。
彼らのように、吐いたり泣いたりするほどではないにしろ。
悪魔と戦うエクソシストのくせに、何故ティーガは一般人如きの攻撃を避けられなかったのか?
そう問われれば、こう答えるしかない。
まさか殴られるとは思ってもみなかった、と。
お金を出せと言われたから、素直にないと答えた。
だから、すぐに諦めてくれると思っていたのだ。
ないといっているのに、お腹は蹴るわ、背中も蹴るわ。ありえない。
研究所でチヤホヤされて育ったティーガにしてみれば、彼らの行動は、まさしく青天の霹靂であった。
おまけにGENさんをオッサン呼ばわりまでしてきたのは、実に許せない。
一言でもいいから、訂正して欲しかった。
GENさんはオッサンじゃなくて、お兄さんだと。
あいつらのことは許せないが、しかし、GENさんもGENさんだ。
悪魔をも倒せる腕力で、一般人へ殴りかかるとは。
一般人には手を出しちゃいけないと、社長の掲げた社訓の中にもあったはずである。
悪鬼羅刹の表情で大人二人をK.Oした当の本人は、今は傷ついた後輩を心配してくれる優しい先輩へと戻っていた。
「大丈夫か?救急車を呼んでおくか」
大袈裟なGENの一言に、ティーガは首を振って苦笑する。
「い、いてて、そこまでは必要ないって。ただ、GENさんがオンブしてくれれば」
「おんぶ?本当に大丈夫なのか、さっきの蹴りで肋が折れたんじゃ」
言葉で労りながらもGENは背中へ手を回して、ティーガを抱え起こそうとする。
間髪入れず、ティーガは彼の首にすがりつく。
「ねぇ〜、オンブしてよぉ。救急車より、GENさんの背中のほうが安心するんだ」
「こいつぅ」
GENも苦笑して、彼の望み通りに、おぶってやる。
はぁー、と背中越しにティーガの溜息を聞いた。
「ねぇ、GENさん」
話しかけてくるので「なんだ?」とGENが答えてやると、一拍置いてティーガが言う。
「最後の最後で大変な目に遭っちゃったけど、でも、楽しかったよね」
「ん?まぁ、祭りは……な」
最後のは、祭りとは関係ない騒動だろう。
祭りで浮かれた馬鹿な大人のしでかした愚行ってだけで。
だがティーガはGENの言葉を「祭りも、だよ」と訂正し、ぎゅっとしがみついてくる。
「今日のGENさん、最後の最後で格好良かったし」
最後の最後で格好良かったんなら、それまでは格好良くなかったのか?
「おい、なんだよ。褒めるなら褒めるで――」
苦笑する側から、今度は、お説教が飛んでくる。
「でも、もう二度と普通の人に暴力をふるっちゃ駄目だよ?いくら俺のタメって言っても、会社ルールを破っちゃったらクビになるかもしんないし」
ティーガを守る為に、拳をふるった。
そう言えば、少なくとも社長は許してくれるような気がしないでもない。
しかし先輩と後輩という立場である以上、今日の所はGENも大人しく頷いておくことに決めた。
「すまない。駄目だな、俺も。お前に説教されるなんて」
頭を掻くGENへ、なおもティーガが呟く。
「GENさん、クビになったら……イヤだよ。俺、GENさんには、もっと教えてもらいたいことが一杯あるんだから」
「あぁ、判っている。判っているとも」
「……GENさん」
名を呼ばれたので「ん?」と、GENは先を促したのだが。
後は、ふにゅふにゅ、と言葉にならない答えが返ってきて、やがて寝息に変わる。
「やれやれ。十七歳っていっても、まだまだ子供だな」
GENは苦笑すると、よいしょっとティーガを背負い直しターミナルへと歩いていった。

END