Encounter Devil
何年経っても、悪夢に見て飛び起きることがある。
否、これは何年経とうとも絶対に忘れてはいけない記憶だ。
――春。
『THE・EMPEROR』への入社式を終えた新人社員は一つ処に集められ、強化合宿に参加した。
無論、参加は強制。
拒否しようもんなら入社二日目にして解雇するぞと脅されて、渋々参加した者も少なくない。
この会社は研修がない代わり、入社早々、新人諸君を鍛える合宿を行っている。
入ったばかりの新人は一週間の合宿で、基礎能力を測られる。
合宿が終われば晴れてエクソシストとして認められ、仕事を任されるというわけだ。
昼飯時、そんな懐かしい時代の話を持ち出してきたのは、退治部社員のMOVEだった。
いつものようにZENONがバニラを追いかけ回す様を、皆して呆れて眺めていた時だ。
「全く、ZENONも毎日毎日よく追っかけまわして飽きないもんだねぇ」
小馬鹿にするMAUIへBASILも同意する。
「ストーカーになっているのに気づいてないんだよな。女にモテたことのない奴は、これだから」
「でも、あいつオンナがいるらしいぜ?」と唐突に切り出された話題には、BASILもMAUIも茶を吹いた。
「オンナって、恋人?うそぉ〜」
無礼千万にも言い返してきたのは、お茶くみ担当のミズノ。
「いやいや、ホントだって」
ふぅふぅお茶に息を吹きかけながら、MOVEが言う事にゃ。
新人合宿の夜、ZENONが漏らした寝言の中に女の名前が出てきたというのだ。
「なんて?なんて名前っ!?」
鼻息荒く皆に問われ、MOVEは答えた。
「確か……ミカ、だったかな?」
「ミカ、ねぇ。その人の話、誰かあいつから聞いたことある?」
これはBASILの問いに、誰もが一様に首を振る。
「ないわねぇ」
ミズノが首を傾げる横では、MAUIも肩をすくめた。
「大体ZENONって昔、自分が何していたのかとか全然話してくれたことないじゃん」
話してくれたとしても、あまり興味も沸かないのだが。
だが、恋人がいたとなると話は変わってくる。
野蛮で粗暴な彼に、まさか恋人がいたなんて。
どんな容姿で、どんな性格の?
二人の仲は、どこまで進んでいた?
そして結末は?やっぱ、フラレたのか?
いつの世も、皆、他人の恋愛話には興味津々なのである。
「チッ。全くバニラさんはシャイだから困るぜ。まぁ、そこがイイんだが」
何やらブツブツ呟いている彼の元へ近づいていき、よせばいいのにMAUIが声をかける。
「よぉZENON、ちょっといいか?」
「あぁ?何だ」
ギロリと睨まれて、少しビビりながらもMAUIは勇敢に尋ねた。
「お前、恋人がいるんだってな」
「ハァ?知らねぇよ」
とっとと会話を切り上げようとするZENONを追いかけ、なおも尋ねる。
「知らないってこたないだろ。どういう子なんだ?ミカってのは。今もつきあって」
だが最後まで言わせてもらえず、襟首を思いっきり掴みあげられた。
「知らねぇっつってんだろうが!」
「ちょ、や、やめっ……苦し……っ」
ギリギリ締め上げられ、ついでに鬼の形相で睨みつけられ、皆が止めに入る前に乱暴に投げ捨てられて。
「あだッ!」と叫ぶMAUIなど、お構いなしにZENONは食堂を出て行った。
「……なーんだ、あれ。触れられちゃ困るNGワードだったのかな、ミカって人の事は」
ポカンとするBASILに、ミズノも相づちを打つ。
「ふれて欲しくない失恋だったのかもしれないわね……」
ミカ、か。
思いがけない名前を思いがけぬ時に出されて、ZENONは内心焦った。
怒ったフリをしてブン投げておいたが、心の動揺を奴らに悟られたりしなかっただろうか。
彼女の存在は、忘れようにも忘れられない。
高原 美佳。
中学時代に出会い、高校でもつきあっていた少女の名前だ。
ほがらかで誰にでも優しい美佳はクラスの連中には勿論、陸上部のマネージャーとしても慕われていた。
二人は同じ部活に所属し、学校が終われば一緒に帰り、休みの日にはデートを重ねて、誰の目から見ても『お似合いのカップル』であった。
二人の間には、皆が邪推したような色っぽい出来事も何の進展もなかったけれど。
退屈な日常も彼女と一緒にいるだけで、それだけでZENON――日高 光は満足していた。
その日常が、ある日突然壊された。
いつものように、休日に買い物をしようと待ち合わせていた。
横断歩道を渡って走ってくる美佳へ、光も手を振って笑い返す。
「今日は、何処へ行く予定?」
二人は並び、遊歩道を歩いていく。
「とりあえずは、スポーツ店。あとは……そうだな、ミカは何処をまわりたい?」
「コウくんの好きな処でいいよ」
そんな、他愛もない会話を交わして。
歩道を歩く人影はまばらで、風が気持ちいい。五月の風だ。
「買うのは、靴?」と美佳は尋ね、光が頷くのを見て微笑む。
「やっぱり」
「まぁな。インターハイも近いし」
「今年も優勝、狙っちゃう?」
「あぁ。出るからには優勝しか狙わないだろ」
バシッと両手を併せる光を見て、美佳も頷いた。
「そうだね。コウくん、頑張って」
「まかせとけって」
スポーツ用品店で運動靴を買いもとめ、その帰りに公園へ寄った。
あの時、公園なんかに寄らなければ――
今のZENONは後悔してならないが、この時点では光も美佳にも予想のつかない出来事だった。
普段なら誰もいないはずの公園に、その日だけは先客がいた。
「あ、ブランコに人がいるよ」
なにげなく美佳の指さしたほうを見て光も、おや、と首を傾げる。
帽子を目深に被った男が一人、ブランコに座っている。
大人が一人で公園にいるのも珍しければ、ブランコに乗っているのも珍しい。
見ているのにもすぐ飽きて、光は美佳と一緒にベンチへ腰掛ける。
すると、ブランコに乗っていた男が立ち上がった。
帰るのかと思いきや、こちらへ近づいてくる。
なんだろう?不思議がる二人の前で、男は立ち止まった。
「お嬢ちゃんは、輝いているね」
ぽつりと言われた一言に、二人ともポカンとなる。
「はぁ?」と間の抜けた返事をする光の横では、取り繕うように美佳が愛想笑いを浮かべた。
「え、えぇと、あの、輝いていますか?私。あ、ありがとうございます……」
「うん。輝いているよ」
男は目深に帽子をかぶっている上、俯いているから表情が見えない。
次第に不安の増してくる二人の前で、なおも男が小さく呟いた。
「――とても美味しそうな魂だ」
「えっ?」
何を言われたのか。
いや、何をされたのか。
気づいた時には美佳の体が後ろへ倒れ、光の全身を血飛沫が赤く染める。
これは、誰の血だ?
真っ赤に染まった手を眺め、光は、ぼんやり考える。
ごとり、と音がした。
振り返ると、ベンチから落ちた美佳が土の上に横たわっている。
頭に、ずきりと痛みが走る。
これは、美佳の血だ。
何が起きたのかは判らない。
だが彼女が攻撃されたのだと気づき、光は慌てて美佳を抱え上げた。
「ミカ!ミカッ、しっかりしろ!」
ぎゅっと抱きしめると、それに応えるかのように美佳が薄目をあけた。
「あ……れ?わ、わたし、どうして……」
起き上がろうとして起き上がれなかった彼女は、光の腕に身を任せる。
「しゃべるな!今、救急車を呼ぶから……!」
片手で美佳を抱きかかえ、もう片方の手でポケットを探る。
携帯電話は何処だ。
早く、早く救急車を呼ばなければ、美佳が死んでしまう!
「ごちそうさまでした」
不意に頭上へ降りかかる言葉。
キッと睨みあげると、帽子の男と目があった。
男は、口の端を釣り上げて笑っていた。
「おいしかったよ」
「お。お前!一体、ミカに何をしたんだッ!?」
カッとなって怒鳴る光へ冷たく笑うと、男は、ひょいっと後ろに飛び退いた。
そこから、さらに光の見守る前で高い木の上まで飛び上がった。
木の天辺にしゃがんで、男が言う。
「どうということはない。その女の魔力を奪ったまでだ」
「魔……力?」
聞き覚えのない言葉、そして男の人間離れした跳躍に光は戸惑うばかり。
『そう、魔力だ。霊力と言い換えてもいい。生き物の持つ、生命の源だ』
魔力が生命の源だというのなら、ならば、それを奪われてしまった彼女は、どうなる?
光の疑問へ応えるかのように、腕の中の美佳からは急速に暖かさが抜けてゆく。
「ふっ、ふざけるな!ミカを、ミカを元に戻せ!!」
「嫌だね」
男は無情に嘲り、木の枝を蹴って空へ飛び出す。
降りてくるのかと身構える光の頭上で、宙に浮かんだ。
男の背を見て、光は息を飲む。
翼だ。
黒い、禍々しい翼が男の背中に生えていた。
「お……お前、一体!?」
『人間は悪魔と、そう呼ぶよ』
光の問いに男はポツリと答えると、音もなく掻き消えた。
それこそ、あまりにも突然すぎて、全てが夢ではないかと光は疑ってみたりもしたのだけれど。
腕の中で冷たくなる美佳は、男のように掻き消えたりはしなくて。
やっと繋がった緊急コールへ受け答えているうちに、彼女の命の灯火は呆気なく吹き消されてしまった。
やがて、少年も大人になるまでの年月が過ぎた。
「はい、次の人、入ってきて」
面接官の前に腰掛けた日高 光は、入社希望の動機を尋ねられる。
真っ向から面接官を見据えて、彼は答えた。
「悪魔を一匹残らず撲滅する為に、貴社を選びました」
「一匹残らず?」と尋ね返した先輩エクソシストへ獰猛な瞳を向けると、光は重ねて頷いた。
「そうです。この俺の手で、一匹残らずブチのめしてやります。必ず……!」