Devil Master Limited

ifバレンタインデー - 〜黒猫より愛を込めて〜

今日はラングリット様が朝から元気ないのニャ。
いつもなら起きがけにパーシェルをナデナデしてくれるのに、それもなかったニャ。
何か悩み事でもあるのかニャ?
だったら、パーシェルに相談してくれればいいのに〜。
「じゃあ行ってくる」って元気なさそーに、とぼとぼ出ていったニャ。
心配だニャ……よーし、こっそり後をつけてみるのニャ!
本屋さんの角で曲がって、信号を渡って、駅に行くのがラングリット様の日課ニャ。
パーシェル、ちゃんと会社までの道順覚えてるのニャ。偉いのニャ。
アニャニャッ!?
ラングリット様、角を曲がらないで素通りしちゃったニャ……
どこ行くのニャ?会社はそっちじゃないニャ。
ラングリット様は、どんどん違う道を歩いていくニャ。
もしかして今日は会社をサボる気かニャ?
だったらパーシェルも、お供するニャ。
ご主人様の身を守るのは、遣い魔の役目なのニャ。


カレンダーを見て日付を確かめた直後、ラングリットは会社を休む決心を固めた。
今日はきっと、ろくな日にならない。
あちこちでチョコレートを貰った貰わないあげる本命義理友達と、賑やかしい展開が繰り広げられるに決まっている。
そういう時、会社に親しい友人や女同僚のいないラングリットは、いつも寂しい思いをするのだ。
厄介者のデヴィットですら、チョコレートを渡してくれる女性社員がいるというのに。
自分には何故、出会いがないのか。
ショーウィンドウに映った己を眺め、ラングリットはポーズを取る。
顔は……それほど悪くないと思っている。
体つきもがっしりしていて、男らしい。
何故、これが女性受けしないのか。
巷の女性は余程見る目がないのか、或いは細い体格のほうがモテる時代なのか。
多分後者だとラングリットは結論づけた。
その証拠に、細モヤシのエイジはモッテモテだ。
毎年山のようにチョコを貰っているではないか。
山のようにもらっていながら、奴の態度は素っ気ない。
まるで迷惑だと言わんばかりの態度を取る。
あれを毎年見るたびに、はらわたが煮えくり返ってたまらない。
やはり今日は休んで正解だ。
とぼとぼ歩いているうちに、漁港へ出た。
ここへはよく、パーシェルをつれて朝市に来る。
逆に言えば朝市以外で、ここへ来ることなど滅多にない。
漁港の近くに家を借りたのも、朝市が目当てのようなものだった。
もちろん、パーシェルに新鮮な魚を食べさせる為である。
ラングリットの生活の全ては、パーシェルを基準に回っていると言ってもいい。
なんせ目の中に入れても痛くないほど可愛いのだから、仕方がない。
そこまで考えて、これじゃ女にモテるわけないわな、とラングリットは自嘲気味に苦笑いを浮かべた。
自分の生活より遣い魔を優先する男なんて、女のほうでも願い下げだろう。
『ニャ?ラングリット様、お魚買いにきたのニャ?』
そこへ実にタイミングよく愛しの黒猫悪魔の声が聞こえてきて、おっとなって振り返ってみると、木箱の上にパーシェルが黒猫の姿でちょこんと座っており尻尾をパタパタ振っていた。
「パーシェル、また後をついてきたな?留守番しろと言ってあったのに、しょうのない奴だ」
叱っているつもりでも、つい顔がにやけてしまう。
パーシェルは全く反省の色を見せず、逆に聞き返してきた。
『ラングリット様は今日どうして会社に行かないのニャ?お魚買う為に休んだのニャ?』
「あぁ、そうだよ」と、どっちとも取れかねる返事をし、ラングリットはパーシェルの隣に腰掛ける。
自分と一番親しいのは、この遣い魔だ。
だが悪魔ではバレンタインデーなど知るよしもないだろうし、チョコレートと言っても通用するかどうか。
物は試しでラングリットは一応パーシェルに言ってみた。
「パーシェル。今日はバレンタインデーだそうだ」
『バレン……デー?』
「バレンタインデーだ。今日は愛するもの同士で愛を深めあう日ってわけだ、判るか?」
端から見れば、自分は黒猫に話しかける変なオッサンだ。
しかも、猫に愛だの恋だのを説明しているなんて。
ラングリットは、だんだん惨めな気持ちになってきた。
黒猫は真剣な表情で、コクコクと頷いている。
『ニャンとニャく……ラングリット様とラブラブするニャ?』
「そうだ」
投げやりに頷くと、ラングリットは話を締めくくる。
「好きな奴に愛を伝えるにはどうするか?そこでチョコレートの出番だ。好きな奴にチョコレートを贈るんだよ。まったく、誰が考えたんだか酔狂な祭りだぜ」
さっさと立ち上がり、帰ろうとするご主人様の背中をまっすぐ見つめ、パーシェルは考える。
話の流れから察するに、ご主人様はチョコレートをご所望なのではあるまいか?
それならそうと「チョコレートを探してくれ」と頼んでくれればいいのに、どうして遠回しに言うのだろう。
人間の世界や社会構造には、だいぶ慣れたつもりでいたけど、時々ご主人様とは意思の疎通が噛みあわない。
たぶん、それが種族間の違いというやつなのかもしれない。
パーシェルは独りごちると、さっそく高い壁によじ登り猫道を辿っていく。
なんとしてでもチョコレートを見つけ出し、ラングリット様の手元へ届ける為に。

菓子屋の店先からチョコレートをかすめ取り、店長と追いかけっこの死闘を繰り広げた挙げ句、悠々追っ手を撒いてパーシェルはラングリットの家に凱旋した。
『ラングリット様〜、チョコレートもってきたニャ♪』
家に入ると、どうしたことか、ご主人様の姿が見あたらない。
その代わり、机の上に広げられた料理の本を見つけた。
『ニャ?手作りチョコレートの作り方……?』
こうやって、わざわざパーシェルにも見えるように置いといたということは。
パーシェルはピンときた。
『判ったニャ!』
少女の姿に変身すると、高い棚から鍋を引っ張り出そうと手を伸ばす。
『んっしょ、んっしょ、ん〜〜〜ッ!』
深い場所に置いてあって、なかなか引っ張り出せない。
なおも必死に引っ張ると、重ねてあった鍋が全部一緒に落ちてきた。
『ニャアァーッ!』
ガン、ゴン、ガンと、ご丁寧にも鍋は全部パーシェルの頭にヒットして、彼女は痛む頭をさすりながら、それでも目的の鍋を火にかける。
『痛いのニャ……でも、これでチョコをぐつぐつできるニャ……』
本には木のさじで鍋をかき回すと書いてあった。
木のさじとは何であろう?
どれがそうなのか判らないパーシェルは、さじを諦め手を突っ込んだ。
『ぬるぬるして気持ち悪いニャ、でも我慢ニャ』
手でかき回しているうちに、だんだんチョコレートが暖まってくる。
いや、暖かいを通り越して熱い。
それもそのはず、鍋からは湯気がもうもう立っているではないか。
『ニャー、あ、熱いのニャ、ふーふーニャ、ニャニャ、ニャァァァ、ニャウッ』
熱さには耐えきれず、かき混ぜるのを途中で断念したパーシェルは火を止める。
『ふぅー、熱かったニャ……』
ぐいっとチョコまみれの手で額の汗をぬぐうもんだから、顔一面、茶色に染まる。
否、茶色くなったのは彼女の顔だけじゃない。
床、壁、そして天井にまでチョコが飛び散っている。酷い有様だ。
もちろんパーシェル自身にもチョコはベッタベタに飛んでいる。
黒服を着ているから目立たないってだけで。
『あとは冷やして固めれば完成ニャ♪』
鍋の中のチョコレートは最初の半分、いやそれ以下に減っている。
それでも委細構わずパーシェルは嬉々としてチョコを型に流し入れると、冷凍庫へ突っ込んだ。
『ガチンコチンにしてやるニャ』
本には冷蔵庫と書いてあったけど、冷やして固めるなら冷凍庫のほうがいいに決まっている。
冷凍庫に入れると長持ちするって、ラングリット様だって言っていた。

パーシェルと別れた後、ラングリットは一旦自宅に戻ったのだが、ふと思いつき、料理の本を取り出して材料を確認した後、買い物に出かけたのだった。
何を思いついたのかといえば、パーシェルにチョコレートを贈るという、ささやかなサプライズだった。
バレンタインは、なにも女性だけの祭りとは限らない。
男が愛する者へ贈ったっていいだろう。
――だが。
帰宅した彼を待ち受けていたのは、全身チョコまみれになった愛しい遣い魔とチョコで塗装された我が家の内装。
そしてガチガチに凍りついたケーキの型と、底に張りついたチョコレートらしき物であった。
『ラングリット様にプレゼント・フォーユーニャ〜』
掃除を考えて憂鬱になったラングリットはパーシェルの言葉を聞いた瞬間、憂鬱な気分を明後日の方向へ吹き飛ばす。
『愛してますのニャ、ご主人様』
ぺこりと会釈し、パーシェルが体をすり寄せてくる。
チョコまみれのままで。
「パ、パーシェル……お前ってやつは、お前ってやつはー!」
ラングリットは感涙にむせび泣き、がばっとパーシェルを抱き寄せる。
これまでだってパーシェルを愛しいと思ってきたけど、ここまで感動したのは初めてだ。
パーシェルが自発的に何かをやろうとしてくれたことなど、今まで一度もなかった。
自分で考え、手作りのチョコレートを作ろうと思ってくれた、その気持ちが何よりも嬉しい。
なに、出来具合など二の次だ。
なにしろパーシェルは家事など、さっぱり出来ない悪魔なのだから。
「お前ってやつぁ可愛いぜー!畜生、俺も愛しているぞパーシェル〜!!」
チョコまみれの顔へブチュブチュキスをお見舞いしてやると、パーシェルはクスクス笑って身をよじる。
『ニャッ、くすぐったいニャ、ラングリット様ぁ〜』
それでも嫌がって逃れたり暴れたりしないところは、さすが自分に懐いている遣い魔なだけはある。
ガチガチの何かを食べ、パーシェルのチョコを舐め取りながら、今日は休んで正解だとラングリットは、つくづく思った。

翌日、無断欠勤が上司にバレて、たっぷり大目玉をくらったものの。
幸せに浸ったラングリットは屁ともせず、浮かれ気分は一週間後まで続いたという――

END