Devil Master Limited

2-3.敵か味方か

イスラルアで迷っていたのは、エイジだけではない。他の仲間も同様、道に迷っていた。
どこまでも土色の背景が続く街並みを眺め、デヴィットは溜息をついた。
「観光客に優しくない土地だね、ここは」
日差しはカンカン照り、雲一つない。おまけに、強い日差しを避ける日陰もないときた。
「最悪だな。せめてジュースを買ってくりゃ良かった」
ざっと見渡したあたり、この区域は住宅街であるらしい。
というのも、物を置いている家が一軒も見あたらない。
商店街は、どこだろう。
せめて案内地図でもあればいいのだが、そんな気の利いたものを田舎町に求めても無駄だ。
この町の住民は、よく道に迷わないものだ。
デヴィットは再び溜息をつくと、勘を頼りに歩き出した。

一方のラングリットも道に迷いし一人であったが、彼は最も単純な脱出法を選んだ。
すなわち、己の遣い魔を呼び出して猫道を通るという方法を。
緊急時以外では呼び出すな、とエイジに言われたのは覚えている。
だが道に迷っている今こそが緊急時だと判断したのだから、何も問題あるまい。
「パーシェル、住宅街を抜ける道は判るか?」
ニャンニャンと壁際に座る猫と話していたパーシェルが振り返る。
『ラングリット様、驚きの事実ですニャ。この街にはケッカイが張られているそうニャ!』
「結界?」
結界などという言葉を野良猫が知っていたのに驚きなら、結界が張られている事実にも驚きだ。
眉をひそめるラングリットに、パーシェルが続きを話す。
『ハイですニャ、猫達はおまじないって言ってましたニャ。何歩か歩くごとにスイッチがあるそうニャ、そのスイッチを踏んだり踏まなかったりで道が切り替わるらしいニャ?』
結界というよりは仕掛けに近いカラクリだ。
犯罪対策で街の人々が作ったか、或いは犯罪組織の手によるものか。
『ここを抜ける道は猫達が案内してくれますニャ。ラングリット様は後からついてきてニャ』
「判った」
住宅街を抜けた先に何があるのか、と尋ねたらパーシェルは首を傾げた。
『猫達の話では、大きな道に出るそうですニャ……餌場の場所も教えてもらいましたニャ、けどラングリット様は残飯食べないニャ?』
所詮は動物、人間の作る街並みには興味ないのであろう。
猫達が求めるのは餌になりそうな食べ物と、安全な寝床。それぐらいだ。
出たとこ任せになりそうだが、仕方あるまい。
まずは、この単調な住宅街を抜けるのが先だ。
「とりあえず、そうだな。大きな道に出る処まで案内してくれ、パーシェル」
『了解ニャ!』
歩き出した猫に続いてパーシェルが、とっとこ歩き出す。
その後をラングリットが追いかけて、少し離れた場所にいた人影も彼の後を追いかける。
どいつもフードを目深に被り、洗いざらしのローブを身にまとっている。
胡散臭い格好の連中ばかりだ。
先頭を行くパーシェルもラングリットも、尾行には気づいていない。
一刻も早く、この迷路を抜け出したい。二人とも、それしか考えていなかった。

小道を三度ばかり曲がったところで、ふん、と軽く鼻を鳴らしてカゲロウは立ち止まった。
この街には仕掛けが施されている。
それも、えらく大掛かりな仕掛けが。
鍵を握るのは、曲がり角に何気なく置かれたデッパリだ。
こいつがスイッチの役目を果たしている。
スイッチを踏むと足下が可動して、新たな道が開かれる。
人工洞窟等では、たまにお目にかかるトラップだが、街中で見るのは珍しい。
手元のモバイルでざっと調べたところ、イスラルアは過去に何度も盗賊の襲撃に遭っている。
テロが横行していた時代もあった。
仕掛けは住民が身を守るために施したのであろう。
デッパリは赤、紫、青と三つに色分けされている。
繋がる区域ごとに分けていると考えるのが妥当だろう。
全部試してみるのもいいが、時間が惜しい。
自分は旅行に来たんじゃない、この街にあるテロリストの拠点を探さなければいけないのだ。
「赤、青、紫、か……よし、紫にかけてみよう」
ポツリと呟き、カゲロウは足下のデッパリの色を確認してから、おもむろに、そいつを踏みつけた。


「この街にはね、仕掛けがあるんだ。初めての人は必ず道に迷うよ、だから普通はガイドを連れてくるんだけどね」
ジャーナリストに言われ、エイジは顔にこそ出さなかったものの後悔する。
もう少し調べてから潜入するべきであった。イスラルア自体について。
恐らく彼には、とっくにバレバレであろう。
エイジが旅行者ではない事など。
それでも道案内をしてくれるのだから、ジェイムズは良い奴だ。
時々熱っぽい目で、こちらを見つめてきたりしなければ。
「単調な街並みで、安全そうに見えるだろ?けど、こんなのは偽りだ。一歩道を違えれば、そこは戦場さ。声明を出すまでニュースで取り上げられたくなかったから、連中が隠したんだ。道を組み替えてね」
ジェイムズの話を聞く限り、役場占領は昨日今日に行われた出来事ではなさそうだ。
彼は数日前から、この街にいたというし、DECADENTにも足場を固める時間が必要だったのだろう。
「道を組み替える?大規模工事でもしたのか」
エイジの問いには首を振り、ジェイムズが足下を指さす。
「違う、そうじゃない。そこにスイッチがあるだろ?その杭だ、そいつを踏むと建物が地面に収納されたり壁が開くって寸法さ」
何の変哲もない杭に見える。
それに、建物が地面に収納される?
何を言い出すんだと言いたげに首を傾げるエイジの目の前で、ジェイムズが杭を踏みつける。
すると――ガコンと大きな音がして、左側にあった建物が地面へ吸い込まれていくではないか!
建物のあった場所が開けて、一軒分の幅で道が現れる。
と同時に、これまでエイジ達の歩いてきた背後に壁が迫り上がってきて道を塞いだ。
「なっ……!?」
驚いて声も出ないエイジへ、満足そうにジェイムズが頷く。
「すごいだろ?俺も初めて知った時は衝撃を受けたよ。街全体が迷路なんだ、イスラルアは」
この仕掛けに気づかないと延々正方形に区切られた住宅街を歩かされて、街の外に出るだけで終わる。
大昔は普通の街だったのだが度重なる外敵の襲撃で、こういう風に改造されたのだとジェイムズは得意そうに語った。
「この街は観光地じゃない。いや、たまに迷路が目当てで来る観光客もいるけどね、そんなのは希な人数だ。しかも、しかもだよ?これだけの大掛かりな仕掛けを施しておきながら、さして重要地点でもない。だからこそDECADENTは、この街を拠点に選んだのかもしれないな。ここは隠れ家としては絶好の場所だ」
「確かに……」
完全にド肝を抜かされた顔で、エイジはジェイムズの後をついていく。
先ほどと、さして変わらぬ土色の景色の中、エイジの鼻孔が敏感に異臭を嗅ぎつけた。
だいぶ時間は経過しているが間違いない、血の臭いだ。
ジェイムズを見ると彼も無言で頷き、ついてこいと合図をよこす。
忍び足で進んでゆくと、やがて異臭の現場に到着した。
一目見ただけでも、何が起きたのかは判る。
虐殺だ。
ここで、大量虐殺が行われた。
辺り一面に血が飛び散っている。
血の跡は既に黒ずんでいるが、血の量が亡くなった命の数を物語っている。
虐殺に使われた武器や道具は見あたらない。死体もだ。
テロリストが持ち帰ったのか。
ジェイムズが低く呟く。
「俺が来た時には、もう処理後でね。残念ながらスクープならず、だ」
再びついてこいと促されたので、エイジも歩き出す。
不快な現場を抜けた先には、大きな通りがあった。
役所の建物も見えている。
小道を出る直前でジェイムズが立ち止まり、エイジを振り返る。
「ここを出たらDECADENTの連中とご対面だ。どうする?様子見してみるか、それとも」
少し考え、エイジは緩く首を振った。
「いや……今は場所だけ判ればいい、戻ろう」
答えてから、ハッとしてジェイムズを見つめる。
ジャーナリストの口元に、ニヒルな笑みが浮かんだ。
「やはり、君の目的もDECADENTだったんだね」と問われ、渋々エイジは認めた。
「判っていたんだろう、俺が旅行者ではない事ぐらい」
「まぁね。一人で観光するのにガイドもつけない初心者なんてあり得ない。イスラルアは観光地ではないけれど、観光で行くつもりなら、まずは、その土地を調べるもんだろ」
ジェイムズは笑いながら、気安くエイジの肩を抱いてくる。
「だが、俺をガイドに選んだのは正解だ。君が望むなら最高級のバーだろうと格安マーケットだろうと、どこにだって連れて行ってあげるよ」
「なら」と、さりげに抱かれた手をふりほどき、エイジは尋ねた。
「マーケットに案内してくれ。俺も当分この街に滞在することになりそうだ、食料は必要だろう」
「食料なら俺の分を分けてあげるのに……」と言いつつも、ジェイムズが来た道を戻り始める。
商店街は大通りにはなく、別の仕掛けを踏んだ先にあるということか。
面倒な造りではあるが、大通りがテロリストに占拠された今、同じ場所になくて良かったとも言える。
「オーケー、君の望みだ。食料品売り場へご案内するとしましょう」
大袈裟な身振り手振りで会釈してくるもんだから、エイジはもう、恥ずかしくてたまらない。
良い奴だと思ったのは訂正する。
ジェイムズは、とんだ気障野郎だ。
「スイッチで道が切り替わるんだと言っていたな。どのスイッチが、どこへ行く道に繋がっているのか教えてくれないか?そうすれば、俺一人でも探索が可能になる」
だがジャーナリストの返事は「駄目だよ」と、にべもなく、不満をエイジがくちにする前に指を口元に当てられた。
「君を一人で探索させるなんて危険な真似、俺が許すと思うかい?俺は決めたんだよ、君のナイトになろうって。だから君が出かける時は俺も一緒についていくよ」
ウィンクまで飛ばされて、エイジは心底げんなりした。
そいつは女の子に言うべき言葉だ。
男のエイジが言われたところで気持ち悪いし、迷惑でもある。
しかし、ここで押し問答するのは時間の無駄だ。
何を言おうと彼はついてきそうであるし、なんといっても唯一のガイドだ。
彼がいないと、どこにも行けない。
エイジが黙り込んだのを見て、納得したと思ったのだろう。
ジェイムズは満足げに溜息を漏らすと、すたすた歩き出した。
「急ごう、マーケットはさっきの曲がり角より先にある。のんびりしていたら、また連中に見つかりかねないしね」
仕方なくエイジも彼の後を追いかけて、来た道を引き返す。
歩きながら、ジェイムズが話しかけてきた。
「君もジャーナリストなのかい?いや、君は同業者には見えないな」
それには答えず、エイジは逆に聞き返す。
「……ジェイムズ、あなたは悪魔遣いについて、どう考えている?」
「悪魔遣い?」と話題を無理矢理変えられたにも関わらず、ジェイムズは笑顔で答える。
「そうだな、始末屋みたいなもんだと思っているよ。街の面倒ごとを一手に引き受けて片付けてくれる、何でも屋のような」
「今回のテロを起こした悪魔遣いについては……?」
「DECADENTか。不思議だよね」
カチリ、とジェイムズの足下で杭が引っ込む。
道が開けるのを待ってから、彼は続きを言った。
「悪魔と悪魔遣いの王国を作るのが目的らしいけど、そんなものを作らなくても地位は確定されているじゃないか。仕事として認められる以上の何を求めるっていうんだい」
少し考え、エイジは質問を改める。
「では悪か正義か、味方か敵かで言うと、あなたにとって悪魔遣いは、どれに当たる?」
「そうだねぇ……」
今度の問いでは、間がしばらく開いた。
チチチ、と鳴きながら鳥が頭上を飛んでいく。
「ジャーナリストにとってはメシの種の一つに過ぎないが、俺個人の判断で言うなら正義の味方、かな」
それはまた、どうして?と尋ねると、ジェイムズは微笑んだ。
「俺もね、昔助けられたんだよ。悪魔遣いに。だから悪魔遣いに悪い奴がいるとは考えたくないんだけどねぇ」
それよりも、と再び新たな道を開いてからジャーナリストが振り返った。
「エイジ、君こそ悪魔遣いは、どんな対象だと思っているんだ?いや、悪魔遣いに何の用があって来たんだ。こんな危険な場所へ一人で来るぐらいだ、よほどの理由があると見える」
「悪魔遣いは……」
エイジも少し考え、答えた。
「……正義の味方、俺もそう思っている。だから真偽を確かめに来た」
正直に言うかどうか迷ったが、当たり障りのない答えを選んだ。
あながち嘘でもない。
ベルベイの足取りを辿るには、彼女の姿が目撃されたイスラルアは避けて通れない場所なのだから。
「なるほど。けど君はジャーナリストじゃないだろう?一人だけで来るなんて危険だと思わなかったのかい」
「ジャーナリストでないと真偽を確かめに一人で来てはいけないのか?」
質問に質問で切り返し、エイジはこれ以上の個人詮索を打ち切らせる。
「俺が何者であろうと、あなたには関係ない。ただ、これだけは確実に言える。俺は絶対、あなたの敵にはならない」
小さく唸り、ジェイムズが申し訳なさそうな下がり眉でエイジを見つめてよこした。
「オーケー、判ったよ。色々と聞きすぎて悪かったね。何しろ職業柄、好奇心は旺盛なもんで」
「いや……」
少しきつく言い過ぎたと知り、エイジも軽く頭を下げる。
「こちらこそ、すまない。道案内してもらっておきながら何も見返りを渡せなくて」
直後、ジェイムズの潤んだ瞳がエイジを捉えた。
「見返りなら充分もらっているよ。君の愛らしい顔を、こんな間近で見つめることが出来て」
「それよりマーケットは、まだ先なのか?」
愛の囁きを途中でぶった切ったエイジに道を急かされて、苦笑しながらジェイムズも歩き出し、やがて二人は商店街についた。

エイジが商店街へ到着するよりも前、バルロッサも商店街へ足を運んでいた。
ガイドも悪魔も使わず、ましてや道案内もなしで、どうやって此処へ来たのか?
彼女は一人で来たのではなかった。
黒ずくめの男二人に両脇を挟まれて、歩いている。
「ねぇ、買い物は済んだんでしょう?早くアジトに戻りましょうよ」と彼女が言うのへは、二人ともジロッと睨むばかりで返事がない。
「なによ、感じが悪いったら。新入りに優しくない国ねぇ」
ぼやくバルロッサに、背後から声がかかる。
「まだ君は信用できない。完全に信用できるようになったら、こいつも返してやるよ」
もう一人、同伴者がいた。
バルロッサの後ろを歩き、片手には瓶を持っている。
声からして、男だ。
それも年若い少年、或いは青年と思われた。
他の二人同様、上から下まで黒一色の服に黒いマスクで顔を隠している。
「約束よ?悪魔がいない悪魔遣いなんて、洒落にもならないわ」
「あぁ、君がおかしな真似さえしなければ」
頷いて、背後の黒ずくめは瓶を弄んだ。
あの中にはエイペンジェストが入っている。
何をどうやったものか判らないが、奴らはエイペンジェストを瓶の中に封じ込めてしまった。
彼ら、DECADENTのメンバーと出会ったのは、ほんの偶然だった。
他の仲間同様、道に迷っている最中に偶然遭遇してしまったのだ。
運が悪いとしか言いようがない。
そこで敵意を向けて攻撃しなかったのは、咄嗟の機転であった。
自ら悪魔遣いだと白状し、仲間に入りたいと申し出たのである。
証拠としてエイペンジェストも呼び出した。
予定外だったのはエイペンを奪われた事だが、信用されれば戻ってこよう。
今だって見張りを三人もつけられているが、牢屋に放り込まれるといった扱いは受けていない。
砂漠で戦った連中の話によると、ここは本部ではないそうだから、ベルベイは居ない。
しかし彼女の足取りを追うことは出来る。
とにかく内部に入り込んでしまいさえすれば、良かったのだ。
あとは男をたらし込むなり媚びを売るなりして情報を得たら、とんずらすればいい。
「それで?信用されるには、どうしたらいいのかしら」
バルロッサの問いに答えてくれるのは、後ろを歩く男だけだ。
両隣の二人と違って、口をきく権利を持たされているのだろう。
「この国へ来るのは興味本位のジャーナリストや君のような志願者だけじゃない。我々に敵意を持った悪魔遣いも、いずれやって来るだろう。その時こそ、君の出番だ。我々の信頼を勝ち取ってくれよ?」
「悪魔遣いが?どうして?ここって悪魔遣いにとってパラダイスになる予定でしょう?」
わざとらしく聞き返すと、男は鼻で笑い、受け応えた。
「秩序と中立を重んじる老人達が我々を見逃すとは思えない。連中は必ず若いのを差し向ける。君には露払いをしてもらいたい」
「下っ端は下っ端同士で戦えってこと?それにしたって遣い魔がいないんじゃ戦えないわ」
バルロッサの不満にも「大丈夫だ」と、何が大丈夫なんだか男は自信満々に言い放つ。
「戦闘に赴くのは君一人じゃない。他の者も出る。君は彼らの援護をすればいいのだ」
後ろでお薬係でもやっていろという事らしい。
おかしな動きさえしなければ、すぐにも信用してもらえそうだ。
テロリストの割には甘っちょろいわね、と内心ほくそ笑みながら、バルロッサは頷いた。
「最初は皆の手助けをすればいいのね、判ったわ」
「そうだ。君が使える奴だと判ったら、もっと大きな仕事を渡してやるよ」
どことなく偉そうな言い方に多少バルロッサはカチンときたものの、冷静を装って尋ねた。
「ねぇ、あなたは今回だけの道案内?それとも今後も私の監視役を務める予定なのかしら。良かったら名前を教えてちょうだい」
返ってきたのは、忍び笑いだけだ。返事はない。
「ねぇ、ちょっと」と振り返ろうとするバルロッサの腕を、両脇から男達がガッチリと掴んで黙らせる。
「言っただろ?君は、まだ信用できない。信用できるようになったら、皆の前で紹介してやるよ」
笑いを含んだ声が返ってきて、腕を強く掴まれた痛みと屈辱で顔をしかめながら、バルロッサも不承不承頷いた。
「……判ったわ。まずは信頼、ね。いいわよ、すぐに勝ち取ってあげるから」
男達に囲まれるようにして、バルロッサは商店街を後にする。
その数時間後だった、同じ場所にエイジとジェイムズがやってきたのは。