Prologue
ニュースでは離党した政治家が新党を立てたと騒いでいる。またどうせ、しばらくすれば元の鞘に収まるんだろ――
ぼんやりとTVを眺めながら、緑秋吉は思った。
「国民の生活が第一党?自分の懐が第一党の間違いじゃないのか」
そう言って、父が寂しく笑う。
もう、諦めているのだ。
この国が、これ以上ないほど悪くなってしまった現状に。
学校だって、そうだ。
高校に行かなくなって、今日で何ヶ月目だろうか。
入学したての頃は、秋吉にも夢があった。
部活に入って友達を作って、勉強にも精を出して。
あと、できればカノジョも欲しい……などと。
それが、いつの間にかクラスの輪から一人外れた場所にいて。
同級生達には、イジメのターゲットにされていた。
何故、自分が孤立してしまったのか判らない。
気がついたら、そうなっていた。
助けを求めても、教師は笑って取り合ってくれず。
学校へ行く足は自然と遠のき、自宅で過ごす時間が多くなった。
父や母は何も聞かなかったし、責めもしなかったけれど。
聞いて欲しい、と秋吉は切に願った。
たまには外へ行ってみろ。
父に言われたので、秋吉は出てみることにした。
まだ、夏休みに入っていない。
学友に会わなくて済む、という気楽さはあった。
朝のラッシュ時間をやり過ごし、昼に電車へ乗った。
行き先に秋葉原を選んだのは、深い意味などない。
出かけようと思った時、脳裏に浮かんだのが、そこだった。
高校に入る前までは、よく遊びに行っていた場所だ。
何を買うわけでもないのに、ぶらぶら歩き回ったものだ。
特に気に入っていたのは、路上パフォーマーだ。
何時間見ていても飽きなかったし、警察がやってきて、他の見物客と一緒に、わらわらと逃げるのも楽しかった。
無差別殺人事件が起きてからは、それらも規制されたと聞く。
余計なことを、と内心舌打ちしたのは内緒である。
アーケード街に入り込んでみたのも、ほんの気まぐれで。
頻繁に来ていた頃は、一度も入った覚えのない場所だ。
父の話によれば、ここは昔、パーツを売る店が並んでいたらしい。
今はパーツよりも時計や小型の電子機器が多くなっている。
――ふと、店の列が途切れた。
おや、と思って秋吉が隙間を覗き込んでみると。
向こう側からは光が差していた。
通り抜けようと思えば、抜けられない道幅でもない。
好奇心から、秋吉は狭い通路に入る。
向こうに出たからといって、何があるとかの期待はしていない。
ただ、なんとなく、通り抜けてみたくなったのだ。
「――あれ?」
細い小道を通り抜け、秋吉は拍子の抜けた声をあげる。
アーケード街の向こう側は、別の小道に出るだけだと思っていた。
なのに今、目の前に広がる景色は全く違う。
人通り皆無の細道に出た。
細道の向こうには、鉄線の張り巡らされた土地がある。
猫の額ほどの広さで、一軒のプレハブハウスが建っていた。
「アキバに、こんな場所、あったっけ……?」
最近は、とんと疎くなってしまった土地勘である。
秋吉が来ない間に、何かが撤去されたのかもしれない。
それで空いたスペースにプレハブが建てられた、と。
鉄線のない場所を見つけ、そこから入り込む。
こんなもので囲まれた建物、立ち入り禁止なのは大体予想できる。
だが好奇心が、警戒を上回った。
気がつけば、秋吉はプレハブの扉を開いて中に踏み入っていた。
薄暗い建物の中は、意外や整然としている。
事務机が一つ、それから少し大きめの机が一つ。
大きめの机の前には、古ぼけたソファが置かれている。
古ぼけてはいるが、一応牛革だ。
「……こんにちは〜」
今頃になって、ようやく思い出したように秋吉は声をかける。
返事はない。
当然だ、誰もいないのだから。
留守なのか?それにしては、鍵もかけないなんて不用心な。
勝手に上がり込んだのを棚に上げ、秋吉が不審に思っていると。
「あり?お客さんなのか?」
いきなり背後から声をかけられ、ヒャッと飛び上がった。
「あ、驚かせてごめんなのだ」
振り返ると、そこに立っていたのはツインテールの女の子。
綺麗な銀髪だ。
何処の国の人だろう。
さっき話していた言葉は、思いっきり日本語だったけれど。
「あんた、お客さんなのか?」
「え、あ、その。違いますけど、その、君は?」
秋吉が質問に質問で返すと、少女はニッカと歯を見せて笑う。
「ランカなのだ!で、あんたは誰なのだ?」
「え、あ、ぼ、僕、緑秋吉って言います。その……」
「勝手に入ってごめんなさい、は言わなくていいのだ。さ、お茶でも飲んで悩み事を話すのだ」
言おうと思っていた謝罪を封じられ、おまけに話を勝手に進められる。
なんてマイペースな少女だろうか、このランカという子は。
出ていくタイミングを見失ってしまい、呆然と秋吉は立ちつくす。
その肩をポンと背後から叩かれ、再び彼はぎょっとなった。
「――悩み事があるんだろう?」
今度は男か。
渋みのある、それでいて凛とした声の持ち主だ。
男は秋吉の脇を通り、大きな机のほうに腰掛けた。
パッと見、男の第一印象は、イケメン。それに尽きる。
整った顔立ちで、意志の強そうな風にも見える。
こざっぱりした髪型、そして清潔そうな白いワイシャツ。
プレハブハウスの主としては、意外な感じがした。
「君の悩みを聞かせてもらえないか?」
もう一度、男に尋ねられ。ぼうっと見つめていた秋吉が我に返る。
「え……?僕、悩み事なんて、別に」
「それは、おかしいのだ」とは、ランカ。
みたび「えっ?」となる秋吉に、男が説明した。
「この事務所は、悩み事のある人間にしか見ることができない。君が、ここへ入ってこられたのは、悩み事があるからだよ」
悩んでいなかったらプレハブを見つけられないかのような言い方だ。
秋吉は、ますます困惑する。
そりゃあ、男の言うとおり、今、彼は悩みを抱いていた。
学校のこと、イジメの件、友達のいない孤独さ。
けど、それを何で知らない人に話さなくてはいけないのか。
男が歌うように言った。
「お代は依頼主の言い値で承ります。依頼は何でも引き受ける、何でも事務所へ、ようこそ」
「何でも事務所って……何でも引き受けるって、つまり探偵みたいなものですか?」
ついつい引き込まれ、秋吉が尋ねてみると、男は首を真横に振る。
「いや、探偵とは少し違う。そうだな、簡単に言えば俺達は何でも屋だ。俺は所長のダグー。で、そっちの女の子は助手のランカ」
ツインテールの少女が、えっへんと胸を張る。
「ランカ達に任せれば、どんな悩みでも大抵、解決するのだー!」
大抵、か。
絶対と言わない辺りは謙虚だが……
「悩みって、どんな悩みでも解決してくれるんですか?例えば、お金持ちになりたいとか、テストで一番を取りたいとか」
チッチッチ、と指を振り、ダグーが秋吉の問いを訂正する。
「それは欲望であって、悩みじゃないだろ。悩み事っていうのは、獲得ではなく消失を指すんだよ」
「消失?」
「なくなればいいなぁ、と思うような困り事さ。君にも、あるんだろう?そういった、なくしたい悩みが」
僕がなくしたいもの、か。
決まっている。
「じゃあ、イジメをなくして下さい」
どうせ出来るわけがない。
そう、高をくくっての秋吉の発言だったが。
ダグーは口の先を微かに釣り上げ、聞き返した。
「イジメか、いいだろう。では、君の最終的な望みを聞こうじゃないか。君はイジメっ子を、俺達にどうさせれば満足する?完全に消すのか、それとも後悔させるだけで充分なのか」
消す?
消すって、どういう意味だ。
その言葉の意味が理解できた瞬間、秋吉の思考は真っ白になった。